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エッセイ  作者: 河野吉田
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エッセイ『精神科病院に入院していました』

『精神科病院に入院していました』


 皆さん、どうも初めまして。河野吉田です。

実は私2018年9月~10月の間、精神科の病院に入院していました。入院生活をお話しする前にその経緯をお話しします。ちょっと長くなりますがお付き合い下さい。

2014年、大学生時代、一人暮らし中の事です。サークル内の人間関係のトラブル、勉強、学園祭の仕事……それらが原因で倒れてしまいました。大学に通う気力がなくなったと同時に酷い倦怠感、焦燥感、吐き気、死にたいという気持ちが日に日に強くなっていき……やがて首に紐を掛けるというところまで行きました。

 学園祭が終わり、一週間当たりで

「これは“鬱”なんじゃないか!?」

 そう思い、すぐに病院に行く事にしました。

 何故すぐに病院に行く事を決めたかというと、実は父が重度の鬱病で苦しんでいる時期を思春期に見ており、また某心療内科の漫画を読んでいた事もあったからです。

 近くに心療内科の病院が無かったので精神科の病院に行く事にしました。すると医師からは「鬱です」とそこですぐに診断されました。正直これは内心ホッとしました。「良かった」と。只の自分の怠慢さだったり、気のせいだったり、甘えだったりしたらどうしようかと思っていたからです。しかしながら精神科と心療内科では科が違うので処方出来る薬に制限があり、病気に合った薬を処方される事は無く、その場しのぎの薬で暫く過ごしてほしいとの事でした。

 大学の方は休学した方が良いとの事だったので休学願いを申請しようとしたら、時期が時期なだけに、もう休学の手続きは受け付けてないとの事でした、その事を医師に告げると

「鬱の原因はその大学ですので、退学するのも一つの手ですね」

 ち言われました。その事を恐る恐る母に電話すると

「退学したら?」

 アッサリそう言われ、またホッとしました。叱られたりするんじゃないかと不安でいっぱいいっぱいだったからです。母はいつだって優しい。その事を疑う程私の心は病んでいたのでした、

「暫く好きに生きてみなさい」

 母の言葉に甘えて好きなアニメや特撮を観たり、憧れの女装をしてみたりと色々やりました。

 しかしながら鬱は進行し「安楽死」について調べたりしていました、詳細は省きますが、色々やりました。しかしどれも途中で怖くなり、躊躇いから全て失敗に終わり「こんな事も出来ないのか」とより一層心が病んでいきました。

 そして自殺の事は一旦置き、引っ越しする事に。途中母が実家から遥々手伝いにやって来てくれました。しかしそこでも鬱は進行しており

「やほー。大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫!」

 と、母の前では元気に振る舞おうとしていたのですが、幻覚と幻聴に悩まされ、隣で寝る母にしがみ付き、泣きながら寝る日々を過ごしていました。そんな時、母はいつも「大丈夫。大丈夫よ」と私の頭を撫でてくれました。荷造り中でしたが、一旦実家に帰る事に。父と祖父母に励まされました。神奈川に在中でしたが、東京の病院に通う事にしました。そして少しだけ元気になった私はなんとかしなきゃ。という恐怖心や焦燥感に襲われ、すぐに専門学校の演劇科に入学する事決意しました。入試に合格し、母も

「最終学歴が高卒よりも、専門学校卒の方が気持ち的に楽なんじゃない?それに好きな事を学べるなんて良い事だよ」

 と言ってくれました。これくらいは頑張ろうと思い、通いました。しかし鬱が悪化し、すぐに学校に通えなくなりました。少し休んでは復帰し、また休んでは復帰し、を繰り返して何とか通っていました。そして私は入学して半年経たない頃から病院には通わなくなりました、理由は処方される薬を飲んでも一向に良くならないからでした。ならば趣味に打ち込んで自己回復を目指そうという考えになったからです。結果、崩れていき、何とか卒業公演は出られて卒業する事になりました。しかし心は病んでいく一方でした。

 在学中、嬉しい事に某劇団さんからオファーがあり、研究生として入所しないかと言われたので即OKを出しました。同時に病院も同系列の別の病院に通う事になりました。しかしこの劇団に入所する事が後に大きく後悔する事になりました。

 ところで……無事、専門学校を卒業し、以前通っていた病院の同系列の病院に通院する事にしました。しかし……最初の医師はやる気が無かったのか

「私だけでは判断しかねるので三日後、別の意思の診察を受けて下さい」

 と言われる始末。三日後、別の病院に診察してもらうと

「何しに来たんですか?」

 とか開口一番に言われました。

「三日前にもう一度来るようにと言われたので……」

 そう言うと

「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ……」

 その医師は長い溜息を吐くと

「あのねぇ、医師が変わると治療内容も一からやり直さなきゃならないんだよ。何でその事を理解してないの?」

 この時の私の脳内では

「………………は……………はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」

 でした。

 医師が変わったら治療内容も診療内容も一からやり直さなきゃならない事は重々承知している、それを承知した上で医師を変えた、いや、変えさせられた!なのに、なのに……!

「なのに何で情報共有してねぇんだぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」

 そんなイライラを抑えつつ、色々と診察してもらうと

「アンタさぁ……見る感じ鬱に見えないんだよね。受け答えはハッキリしてるし。鬱でも何でも無くて只の“甘え”なんじゃないの?まぁ仕事だから薬出してやるけど、正直アンタみたいなの迷惑なんだよね。他にも大変な患者様は沢山いらっしゃるんだからさぁ。その方達の事を考えてからここに来なよ」

 何だコイツ?そう思いながらも

「ハハッ、ソウデスネー」

 と自分を押し殺してその場を流しました。勿論その日の内にクレームの電話を入れました。その医師はその後クビになったそうです。

 翌週、別の医師に変わりました。第一印象はとても穏やかそうな、という感じの方でした。でも私は気を緩めませんでした。しかしその医師は私に会うなり先の二人に変わって頭を下げ、謝罪してくれました。どうやら先の二人が特別酷かったみたいでした。私の話をキチンと聞いてくれたり、治療の方針を丁寧に教えてくれたりと、とても親身になってくれる相性の良い医師でした。

 そして劇団に入所する事に……いざレッスンを受けてみると、そこはスパルタでした。週5~7で朝九時から夕方五時まで、ミッチリと色んな授業を行っていました。またパワハラ、セクハラ、モラハラが激しく、やがて着いて行けなくなり、私は劇団を退所しました。根性無し。

 しかしそこで仲良くなった男の子と「俺達で劇団を起ち上げようぜ!」という話になり、私が主宰で動く事になりました。

 これが入院の切っ掛けになるとは当時の私は夢にも思いませんでした。

 いざ劇団が動くと最初に「起ち上げよう!」と言った男の子から

「お前の書いた台本なんかやりたくない!」

 と言われ、喧嘩になり別れました。意味が分かりませんでした。そしてその男の子と付き合っていた女の子とも音信不通になり、残ったのは私含め三人でした。何とか活動出来ないかと思い、思い付いたのがYouTubeに動画を投稿するというものでした(今はもうありません)。ここから私の心が狂い始めます。最初の頃は再生数もコメントも殆どというか全く伸びずでしたが、仲間同士の仲が良く何とか頑張れました。そして仲間の女の子の紹介で女の子が一人増え、入れ替わりで男の子が実家に帰りました。これによって男一人、女二人という体制になりました。辛うじて男一、女一の台本は書けましたが、限界がありました。また女二人劇、男一、女二人劇も思い付かず、次第に焦りが出てきました。

 やがて私の中で何かがプツンと切れました。

 ここからは記憶が合い合いなので母の証言を基に書いていきます。

 2018年9月中旬、私は何かに取り憑かれたかのようにカフェイン中毒死に至るカフェイン量を検索したり、それを母に言ったり兄にLINEを送ったりしていたそうです。

 翌日、母が仕事に出ている間、気分が悪くなり、帰ってきたら部屋を訪ねてほしいと母にLINEを打ち、母はその日、確認しに来てくれたそうです、妙にやつれた私の姿を。

 遂に私は行動に出ました。まず某エナジードリンク6ダース。そしてカフェインモカ錠12箱を母のクレジットカードで買いました。

「もうこれが最期なんだし金の事なんか知ったこっちゃない」

 そう思っていました。そして煙草(IQOS)が切れたので近所のコンビニに行き、買ってきて一服しました。

「あぁ、これが最期の一服の味か……」

 とか考えてました。

 そして午前10時頃、カフェインモカ錠120錠をエナジードリンクで流し込み、更に10本程エナジードリンクを飲み、横になりました、暫くして私は体が痺れて動けなくなり、目がチカチカし出し、頭痛がしてきました。ここからは私の意識がハッキリとしてきます。

 吐いたのです。

 ここからは本当に地獄でした、まず

「何でこんな事をしたのだろう?何故こんな状況になってしまったのだろう?」

 自分でも訳の分からない状況に陥ってしまっていました。

 異常なまでの吐き気。吐いても吐いても無いものを吐き出そうと胃が常に動いている状態。胃痛もしました。そして尿意が限界を超えていましたが、何故が出せない。漏らせない状態に。そのまま夜の11時頃母が帰宅するまでの約12時間、その状態が続きました、ただ助けてほしいと願っていました。そんな母が帰宅し、異常を察知するとすぐに救急に通報してくれました。救急車に乗せられ、一回吐きました。生まれて初めて車酔いを体験しました。救急車に乗せられて安心したのか、救急隊員さんからの「何でこんな事をしたの?」という質問に対して「死のうと思って……」とだけ答えました。母も救急車に同乗していて「何か息子さんに異変は感じませんでしたか?」という救急隊員さんの質問に対し母は「何か自分で色々と調べていたみたいでした」と毅然とした態度で答えていました。これに対して私は心の中で何度も「ごめんなさい」と呟きながら泣いていました。

 そして病院に着くと胃洗浄で墨を流し込まれ、無理矢理胃を膨らませられる感覚に気持ち悪さを覚えました。そして尿道にカテーテルを入れられた訳ですが。新人女性看護師さん?だった為か滅茶滅茶痛かったのを覚えています。それを見かねたベテラン男性看護師さんが「それは可哀想だよ」と変わりました。するとすんなりカテーテルが入りました。男でベテラン……流石でした。

 そして人工呼吸器?等が着けられました。その後、救急救護室のベッドに移され、暫くして両親が来ました。

「大丈夫?」

 そう聞く母に

「あ……あ……」

 と口に入ったチューブのせいで上手く声が出せずにいました。父は

「時間が解決してくれるからな」

 そう言って私の頭を撫でて帰っていきました。その日の夜はカフェイン過剰摂取の為眠れずにいました。時折看護師さんが様子を見に来てくれました。

「どうですかー?」

 慣れてきて少し話せるようになり

「喉が渇きました」

 と言うと「あー、でもチューブがあるからねぇ……尿も出てないし……」といって綿棒のような物で口の中を水で濡らしました。「口の中を濡らすだけで我慢してねー」と言われましたが、全然物足りませんでした。

 翌朝、午前9時半頃だったと思います。いつの間にか眠っていたみたいで、看護師さんが様子を見に来てくれました。

「おはようございますー」

「おはようございます」

「何か気持ちが悪い事とかありますかー?」

「チューブが苦しいです」

「あー……おしっこが出てないのでまだ外せませんねー」

「ここだと出そうにないのでトイレに行かせて下さい」

「いやー、今ここでしてもらわないと無理ですねー」

「えぇ……?」

 数時間後、何とか羞恥心やら何やらを捨てて無理矢理排尿しました。するとまた看護師さんがやって来ました。

「あ、おしっこ出てますねー。チューブ外しましょう!」

 カテーテルとチューブを外し、別の部屋に移されました。そこでは点滴を打たれ、暫く一人ポツリと放っておかれました。この時、腰にはガッツリと頑丈なベルトで固定され、医師からは「転倒防止用ベルト」と説明されましたが、おそらく暴れたり勝手にどこかへ行って脱走したりするのを防止する為の物なのだろうと思いました。異常に喉が渇いていたのでお見舞いに来てくれた両親に水を買ってきてもらい、飲みまくりました。が、途中で看護師さんがやってきて制限を掛けられ、一日食事時以外で摂取して良いのは500mlの生ぬるい水だけという状況でした。これが一番辛かったです。

トイレに行くときはナースコール。看護師さんがガン見している中用を足さなければならず、とても恥ずかしかったです。トイレで大便をすると、胃洗浄で墨を入れられたこともあり、物凄く真っ黒な大便が出て自分でもドン引きしました。

翌日から病院食(通常食)が許されました。大量に吐いた事とチューブを入れられていた事で食堂が荒れてしまっていた為、痛さでとてもじゃないけど飲み込めませんでした。

 入浴が一回だけありました。当時、腰より下に伸びた髪の毛が吐瀉物まみれで臭かったので洗えて気持ち良かったです。また大きい湯船で足を延ばして浸かれる事が出来ました。気持ち良かったです。

 余談ですが、この病院に来て数日が経った頃、隣の部屋が何やら「そっち押さえろ!」「鎮静剤!」と大騒ぎでした。何だろうと思いトイレの時にチラッと見て見るとそこには体中、そして部屋中血だらけの真っ赤な状態で目が完全にイッちゃってる患者さんがいました。看護師さんに聞いてみると

「隣に来た人、精神疾患で暴れちゃってねぇ。皆で取り押さえたのよ。五月蠅くしてごめんねぇ」

と言われました。人の事言えないけど、いや、怖いわ。

 担当の医師がやってきて問診を始めました。重度の鬱病と診断。入院するかどうかを聞かれ、とても悩みましたがこのままではいけないし、前々から入院の話は出ていたのでこれを機にと思い、入院を決意しました。この時いた病院は緊急病院なので長期入院なら転院するようにと言われ、別の病院に転院しました。

ここでまた余談ですが、転院する際、タクシーを使ったのですが、車内で今回の事を母と話していると転院先の病院に着く寸前で運転手から「そんな程度で自殺なんて考えるなよ。人生は楽しい事ばかりなんだからさ。親にも友達にも迷惑なんだよ。それ考えなさいよ」とお叱りを受け、何で何も知らないお前が他人様の家庭の話に突っ込んで説教垂れてんだ?と内心イライラしながら「ハハッ、ソウデスネー」と答えました、後、母がクレームを入れてくれてました。

転院先の病院の事は詳しく説明されてなかったので正直怖かったです。もしかしたら劣悪な環境、人権無視、医師や看護師からの虐め、薬漬けetc……そう思ってました、しかしその予想は半分は当たっていました。薄暗い半地下で光も入らず外も見れず、外に出る事も無く、鉄格子と段ボールベッド……まるで囚人の監獄。戦前の精神科病棟。そしてこれだけではありません。四六時中雄叫びを上げる患者、四六時中酷い鼾を掻く患者、怒鳴り声を上げる患者、自分は精神疾患者じゃないと言い張る自称年収1500億円男、石原軍団に憧れるコミュ障患者、やたら英語で話しかけてくる日本人患者、人の部屋を勝手に覗いてくる患者等々……そういう患者は大抵鍵を掛けられて外に出られないようにされていましたが、夜は騒音、いや、轟音で眠れませんでした。トイレは自室にありましたが、幸いにも私の部屋には鍵は掛けられておらずデイルームに行って漫画を読んだりテレビを見たり、煙草を吸ったり出来て微妙に自由でした。

そこに移っても食道は荒れたままで食事が喉を通らず、残していました。すると恰幅の良い男性看護師さんから

「食べないの!?お腹空いちゃうよ!?」

 という、なんと説得力のある言葉なんだと笑ってしまいました。

 夜の轟音に耐えられず、本当に言葉では言い表せない苦痛で悪夢ばかり見ていました。毎日見舞いに来てくれた母に何度も懇願しました。すると母は「医師と相談する」と言ってくれました。が、最低でも二週間から一ヶ月かここで過ごし且つ、異常が無いと判断されなければ一般病棟に移れないと言われ、我慢せざるを得ませんでした。

「私に与えられた罰なんだ……」

 そう自分に言い聞かせて三日間過ごしました。そして四日目の朝、看護師さんに呼び出されました。

「河野さーん」

「はい?」

「診察の為に別の病棟に行きましょう」

「……?はい」

 いつもなら個室で診察するのに何でこの日に限っては外に?と思っていると、外科、内科、耳鼻科と案内され、これどこ連れて行かれるんだろう?と思って聞いてみると

「診察は嘘。あそこにいたら気が休まらないでしょ?気分転換にどうかなって思って。河野さん、もう少しで上に上がれるからもう少しだけ我慢してもらいたくてやったんだけど……迷惑だったかな……?」

 私は泣きました。

「はい……!ありがとうございます……!頑張ります……!」

 最初のイメージを持っていた自分が恥ずかしい。ここの看護師さんはちゃんと私の事を見ていてくれた。その場で涙が止まらず、看護師さんは黙って微笑んで私の肩にそっと手を乗せました。その日は安心してぐっすりと眠れました。

 五日目、ようやく朝食を食べられるようになり、食後にまったりとしているとまたも看護師さんから呼び出され「上を見て見ましょう」と言われて着いて行くと、上の階(一階)に上がりました。

「思ったより早く上がれそうだから見学をね」

「何か……思ったより普通の病院みたいですね」

「下が異常なんだよ」

「ほぇー」

 下の階とは比べたら全く違い、外科等の病棟と何ら変わらない普通の病棟でした。

「これからはここで過ごすんだよ」

 と言われ「えっ?」と言ってしまいました。だってまだ少なくても一週間以上先の話だし……と思っていたからです。すると看護師さんが

「今まで怖かったね。頑張ったよ、河野さんは」

「……ありがとうございます!」

 また泣きました。

「もう少しだから。ね?」

「はい……!」

 六日目、昼食を食べ終え漫画を読んでいると「河野さん!」とまたもや看護師さんに呼び出されました。

「はい?」

「すぐに荷物を纏めて着いてきて下さい!」

 言われるがまま荷物を纏め、一階に上がりました。「何で?」そう思いながら着いて行くと、大部屋の一角に着きました。

「今日からここで過ごしてもらいます」

「えっ?で、でも最低二週間は下で過ごさなきゃいけないんじゃ……?」

「河野さんは特別だったんです。特に異常が無い場合、ベッドに空きがある場合、この二つが重なれば早く上がれるんです。運が良かったですね」

 色々と脳が追い付かず、とりあえず同室の方々に挨拶をして回りました。優しい人達で安心しました。夕飯まで一寝して、夕飯を済ませました。夕食後、またすぐにベッドに横になるとすぐに眠れました。轟音が無いだけでこんなにも落ち着いて眠れるのかと、幸せを感じました。

 翌朝、久し振りに快眠で体が軽く、ストレスフリーからか食欲も出て病院食が美味しく感じました。病院食は不味いという話は聞いていましたが、私には美味しいと感じていました。あの男達が来るまでは……

 一人目、自称年収1500億円男。彼は何かに着けてご飯に対してイチャモンをつけて「何じゃこりゃあ!?ふざけんな!」と大声でまるで自分の意見が世論だと言わんばかりで本当に腹が立ちました。

 二人目、石原軍団俳優志望のコミュ障男。彼は食べ物の食べ方が非常に汚かったです。基本的に箸やフォーク等は使わず、手で食べます、「親から綺麗に全部食べるように言われて育ったんだ!偉いでしょ!?」とか言っていましたが、生理的に無理でした。

 そんなこんながありましたが、実はそんなに悪い人ばかりではありませんでした。

 空き時間には適当に回って麻雀をして遊びました。殆ど役を知らない私に優しく教えてくれる方々ばかりで嬉しかったです。そしてその中で唯一女性の方がいらっしゃったのですが、その方はとても弱かったです。よくロンを出させてもらって、どう見ても初心者の私から見ても下手くそでした。後から分かった事なのですが、なんとこの方……プロ雀士。わざと振り込んで私を勝たせてくれていただけでなく、積み込みをして私の手牌を操作したりと凄い人でした。そして喫煙所があったのですが、そこでも雀士としての色んな話を聞かせてもらいました。とても優しい人だから鬱になっちゃったんだろうなぁ、とか上から目線な事を考えていました。

 お薬の話ですが、入院してからずっと食後に貰って飲んでました。その方法ですが、看護師さんが薬用の台車を運んできて、そこへコップに水を入れた患者が並んで自分の生年月日と名前を言って貰い、その場で飲んで口を開けて口内に薬が残ってない事を確認するまでが一連の流れでした。何故そんな事をするかというと、薬を飲まずに後で吐き出してしまうのを防ぐ為なんだとか。まぁ当然ですよね。でもトイレで吐き出したらどうするんだろうと思って一応聞いてみました。

「知りません。そんな事は。そこまで面倒は見れません」

 だ、そうです。

 お風呂の話ですが、男子は月・水・金、女子は火・木・土。日曜日はどちらも無しでした。朝食後、看護師さんが呼びに来ます。半地下に居た時、男子入浴日に夕方になっても呼ばれず「すみません。今日お風呂無しですか?」と聞くと「えっ!?ごめん忘れてた……!」と翌日女子入浴日に最後に入らせて頂けることに。180cmくらいの高さに湯船があったんですが、あれは謎です。上の階のお風呂は二部屋あり、一度に二人はいる感じです。湯船は下の階程大きくはありませんが、肩までちゃんと浸かれて気持ち良かったです。ただ一つ大きな問題がありまして……それがなんと、入浴時間15分。当時、腰より下まで伸びた髪だったので頭と体を洗ったらもう時間になってしまいまして、寒い中出ていきました。風呂から出ると男性看護師さんがやって来て「温まりました?」と聞いて来たので「湯船に浸かれてないので寒いです」と答えると「何で?」と言われました。するとそこへ女性看護師さんがやって来て「この髪の長さで入浴時間15分は酷過ぎる!もう一回入って良いからちゃんと湯船に浸かって温まりなさい!」それから私だけは入浴時間30分になりました。

 食事の話に戻りますが、自称年収1500億円男が毎回の食事にケチを付けていた訳ですが、唯一私にも疑問に思ったメニューがありました。讃岐うどんとあんぱん(つぶあん)の二つのみ。これどういう組み合わせなんですか?と看護師さん達に聞いてみると

「我々にも分かりません……」

 だそうでした。

 この病院では鬱病や統合失調症等の精神疾患を患う患者が自分の病気の事を理解する為の勉強会を開いていました。そこでは鬱病とは何なのか、統合失調症とは何なのか、どんな薬を使うのか、その薬の効果と副作用は何なのかという事を三日に分けて授業を受けました。この二つの病気は意外にも同じような症状だったり、同じような薬を使ったりと、本当に勉強になりました。

ちなみに、私は一回目の授業をすっぽかしたので二回しか受けませんでした。でも病院側は「良いんじゃね?」の一言で片付けられ、事無きを得ました。病院さん、すみませんでした。

上の階に上がってある程度自由になったこの棟ではいくつかのルールがありました。前述があった通り煙草は医師の判断の下、上限を設けての範囲で喫煙が許されていました。そして研修?査定?の上で一日一回病院の敷地内での30分の散歩が許されていました(院内散歩)。勿論、院外に出た場合は下の階に降ろされます。普通に出ている人もいましたが……更に病棟内での携帯電話、スマートフォンの使用禁止。誰かと連絡を取りたい場合はテレフォンカードを購入し、公衆電話でのみ。カメラ機能が付いた機器はプライバシーの観点から病棟内に持ち込む事が出来ませんでした。なのでノートパソコンも駄目でした。他にも理由があって、なるべく刺激物を与えない事で外界とシャットアウトして精神の安定を図ろうという事でした。これがなかなか苦痛でした。しかしこれが治療の一環でした。

 ところが院内散歩時、スマートフォンの持ち出しが可能でした。そして同時に購入カードという物を渡されました。これは売店で一日1000円以内の買い物が出来るカードで、基本、お弁当やパン、お菓子、飲み物、煙草の購入が出来ました。院内散歩時には飲食スペースがあり、院内散歩時のみ飲食が出来ました。病棟内への持ち込みは基本的に出来ません。但しインスタントコーヒーやほうじ茶、紅茶等の粉末状の飲み物は病棟内に持ち込みが可でした。院内散歩が認められていない患者は看護師さんに頼んで代わりに購入してもらう事も出来ました。大半の患者は看護師さんに頼む事が多かったです。病院食は美味しかったのですが量が少なかったので物足りなく、売店での飲食は楽しみの一つでした。

 煙草の話ですが、病棟内にはデイルームの端に自由に吸える喫煙スペースがあったのですが、紙巻き煙草の人はぶら下げてあるライターを使っていました。院内散歩時は喫煙所はありましたが、ライターがありませんでした。私はIQOSだったので外でも吸えました。それを見て他の喫煙患者さんから「あ、良いなぁ~」と羨ましがられました。

 外の喫煙所に居た時、前述した恰幅の良い男性看護師さんが他の看護師さん達と一緒に自販機の前でこんな話をしていました。

「珈琲美味しいよね。カフェオレも微糖もブラックも。サイダーも美味しいよね!ファンタもコーラも!紅茶も好き!トマトジュースも!あぁ、もう……!全部好き!」

 笑いを堪えるのに必死でした。(今思えば別に笑っても構わなかった気がしますが)

 面会ですが、下に居た時は面会室に母が毎日来てくれてその時だけスマートフォンの使用を許可されていました。面会は午前10時から午後5時迄。面会は家族のみで基本的に面会時間は無制限でしたが、毎日五時間面会していたので流石に怒られました。上に上がっても母は毎日面会に来てくれて、面会室かデイルームにて面会が許可されていました。私の場合、院内散歩を許可されていたので時間無制限で外に出る事が出来ました。それでも私はルール通りに30分で終わらせていました。

「今日は富士山が見えるね」

「今日は富士山見えないね」

 そんな何気ない母との会話に心からホッとしたのでした。

持ち込みの件ですが、漫画や小説、雑誌等は家族との面会時に看護師さんが内容を確認してもらい、許可が出れば自分のベッドに持ち込む事が出来ました。デイルームにあったヨコハマ買い出し紀行という漫画に出会い凄く気に入ったので院内散歩時にAmazonで購入し、母に頼んで持って来てもらっていました。しかし母は一日に一冊しか持って来てくれませんでした。これは意地悪ではなく、一気に読ませて疲れさせるより、何度も読んで続きが気になるというワクワク感を楽しんでほしいとの事でした。これで一日に何度も読み返しては、続きはまだかまだかと楽しめました。母の気づかいに感謝でした。そしてあまりにもご飯の量が足りず、不満を持っていたので母に頼んでマクドナルドのハンバーガーとポテトとコーラを買ってきてもらい、面会の院内散歩時に食べました。私は久しぶりのジャンキーな食べ物にガッツいた記憶はありましたが、母からすると貪り食ってると言われました。端から見たらそうだったのかもしれませんね。その日は食べ過ぎでお腹を壊しました。自業自得。

 例の年収1500億円男ですが、この人は躁鬱で入院しているとの事でしたが、本人は鬱病じゃないと否定し、色んな患者に鬱病や統合失調症等の病気は存在しない、病気じゃない、ただの甘えだと言って回って嫌われてましたが、一部の人はこの人に着いて行っていました。この男はテレフォンカードを百枚くらい買ってほぼ一日公衆電話を占拠し、一日中誰かと話していました。一体誰と何の話をしてたんでしょうかね?またこの人は母親が見舞いに来た時に弁当を五個程買ってきてもらい、夕飯前にすべて平らげ、夕飯時に夕飯を残して看護師さんから「いらないんですか?」と聞かれて「あんだけ喰ったんだから夕飯なんか喰える訳無いだろ!馬鹿か!?」と逆切れしてました。知らんがな。また姉が見舞いに来ていましたが、普段の行いからか、面会時間は30分と定められていました。意外にもこの男はそれを受け入れてました。が、この男、面会が終わるとすぐに窓際に立ち、ボソボソと窓の外に向かって延々何かを喋ってました。何だ?遂に発狂したか?と思いつつ院内散歩時に付近を見てみると、その男はお姉さんと窓越しに話していました。かれこれ3時間程。毎日のように。流石にこれはイカンでしょと思い、看護師さんにチクったらすぐに面会謝絶となり、それに対して「誰がそんな事言ったんだ!?」と看護師さんに逆切れしてました。無駄でしたが。この男、他にもまだまだありました。この男、下の階に居た時も叫ぶ患者に対し「病人じゃないんだから落ち着きなよ。頭おかしいとおもわれるよ?」とか言っていかにも自分が健常者であるかのように振舞っていました。この男は家庭内暴力で警察病院に居たそうですが、何かの都合でこちらに来たそうです。

「嫁の方がヒステリーで病気なのに何で俺がこんな病人扱いを受けなきゃいけないんだ!?早く退院させろ!」

と常に看護師さんに怒鳴り散らしていました。また院内散歩の際にその日の内に院外に出て逃亡を図り、捕まりました。「自由が無い!」と主張してまた逆切れしていました。たまたま聞いたのですが、年収1500億円あるにも関わらず入院費を払う事が出来ずにいたそうで「母と姉から金を借りるしかない……クソッ……!」と言っていました。何でなん?

他にも色んな患者がいましたが、その中でも可哀想な患者さんがいました。麻雀仲間で、多分年齢は私より少し若いくらいの男性でした。統合失調症で義父に暴力を振るった事でこの病院に入院させられている方でした。母が離婚し、再婚した義父の圧力に耐え兼ね、暴力を振るってしまったそうです。その人の義父が面会に訪れた際、デイルームで話をしていて、その時私はそこで絵を描いていました。その時の話の内容が聞こえてきたのですが、その内容は……

「お前は俺の実の息子じゃないから入院費を払う気にはならない。また暴力を振るう事があれば今度こそ警察に突き出してやる。それか死ね!俺が愛しているのはお前の母さんだ。お前を愛する義理は無い。この意味が分かるな?退院したらあの家から出ていけ。でなければ正当防衛としてお前を殺してやる。俺に一生従え!でなければ本当に死んでくれ。それがお前の母さんの為だからな」

という内容でした。泣いていました。その人も、私も。これは流石に可哀想だと思い怒りを覚えましたが、他人の家の事情だし、部外者の私が口を挟むのもお門違いだろうと思い、ただその話を聞いていました。色んな患者と色んな家庭事情があるんだなと、悲しくなりました。

 コミュ障男のエピソードですが、コイツもなかなかの者で「髪長いね。触って良い?」と許可も出していないのに勝手に人の髪の毛に触るような気色悪い男でした。他にも訳の分からない言動が。

「その髪の長さ、俺の友人の田中に似てるんすよ。分かります?田中っ!」

 知らねぇよ。後私が劇団の主宰を当時していたので、それを知るや否や

「俺を劇団員にしてくれ!ブロークンイングリッシュなら出来るから!」

 だから何だ。更に続けて

「石原軍団みたいな劇団にして見せるから!」

 カラーじゃねぇ。丁重にお断りさせて頂きました。

 言い忘れてましたが、この病院では髭剃りは電気シェーバーで剃る事だけが許されてました、剃刀は絶対にNGでした。何故なら、自殺をする事、殺人を犯す事を防ぐ為でした。過去、数件事件があったそうです。また下の階のトイレの上には排気口を設置しない決まりになっていたそうです。便器を踏み台にして逃亡するのを防止していたんだとか。こんな話を看護師さん達から聞いて「凄ぇ……そんな発想出て来んわ……」とただただドン引きしていました。この病院では様々なリハビリテーションが行われていました。レクリエーションではPC、演奏、折り紙、革細工、漫画読書、麻雀、様々なスポーツ等がありました。裁縫もありましたが、精神疾患者は出来ませんでした。私はネットサーフィンをしたり漫画を読んだり革細工をしたりお絵描きをしたりしていました。お絵描きでは何を描いたら良いか分からず、出入口の扉を描いてました。それを見て看護師さんが

「何で扉なんか描いてるんですか?」

 と聞かれたので

「何を描いたら良いか分からなかったので」

 と答えると

「今まで色んな患者さんを見てきましたが、扉を描いたのは河野さんが初めてです」

 と言われ、何故か恥ずかしかったです。

 スポーツではバスケ、野球、ビリヤード、バドミントン、サッカーが出来ました。私は母に持って来てもらった跳び縄で縄跳びもしていました。持ち込みは自由でした。私は複数人でも一人でもビリヤードをしていました。ルールを知っているのが私だけだったので皆に楽しんでもらえるように努めました。縄跳びしてて疲れて休憩していたら跳び縄を他の患者に持って行かれそうになったので「私物です」と言ったら「私物化するな!皆のモンだろ!」と怒られました。看護師さんに説得してもらって何とか納得してもらいましたが「ケチッ!」と吐き捨てられました。

 歌では病院側が用意した曲の中で何曲か患者に選ばせ、その歌が分かる人は歌って良いというものでした。私はジュリアに傷心と千本桜を歌いました。すると別の病棟の患者から「君、声が良く通るねぇ!何の病気?」照れながら「鬱病です」と答えると

「鬱病なんて気の持ちようだ。甘えちゃ駄目だ。いい大人なんだからシャキッとしなさい!」と心無い言葉を浴びせられ、気が落ち込みました。その人からすれば励ましのつもりだったんでしょうけど、私からしたらとても心を病む瞬間でした。勿論この事は看護師さんに伝え、注意してもらいました。

 映画鑑賞ではアベンジャーズを見ました、が、この時看護師さんがこの映画をお年寄りに向けて説明していたのですが

「かくかくしかじかでキーパーソンがあの人で、こういう展開になって更にこういった展開になります。で、オチはこうなります!」

 と最初からオチ迄全部説明してくれました。それ大して私は「えっ?これ何を楽しみに観れば良いの……?」と思っていました。が、他の年配患者達はこの説明に何故か拍手喝采。年配の方が多かったからか、分かり易い説明に助かってたみたいです。

 ちなみに料理はやりませんでした。興味が無かったので。

 何故色んなリハビリテーションに参加していたのかというと、講習を受けた上でリハビリテーションを三つ以上参加すると退院の目途が立つという事だったからです、スタンプカード的な物を渡されました。

講習を受け、且つリハビリテーションを三つ以上を受け、いよいよ退院の話になりました。短くても三ヶ月。長くて一年は入院生活を送らなければならないと聞いていたのでこれからの治療方針を医師から聞くと「院外外出をしましょう」と提案されました。院外外出とは家族同伴の下、病院の外に出て主に自宅に帰って様子を見て、その日の内に病院に帰る、というものでした。私はこれが怖かったです。また自分の部屋に戻ったら自殺衝動に駆られるんじゃないかと思ったからです。しかしいざ自宅に帰ってみると、そんな事は起こらず早く家に帰りたいという気持ちの方が強まっていきました。そしてその院外外出を何度か行って様子を見てから一日外泊という処置を受ける事になります。一日外泊とは、そのまま一日自宅に帰って一泊し、また病院に戻ってくるというものです。「これから後何回院外外出するんだろうか?」と思っていると翌週医師から「一日外泊しましょう!」と言われました。「え?良いの?」と思いながらも自宅に帰り、自室で寝てみました。今度こそ自殺衝動が出るのではと心配しましたが、何事も無く一日を終え、病院に戻りました。この一日外泊も何度か行って、ようやく退院の話になるのですが、病院に戻るなり「退院は来週です」と医師から言われました。「え?良いの?」となりました。こんなスピーディーに事が進むとは思ってませんでした。そして翌週、私は退院する事になりました。

しかし、自称年収1500億男円男が何人かの悪質な患者を集めて私に妬み嫉みの言葉を浴びせてきて、正直最後の五日間は苦痛でした。でももうコイツ等とはおさらばだしなと思うと様ァ見ろという気持ちで流しました。するとその男を筆頭に悪質な患者達が私の退院を切っ掛けに看護師さん達に詰め寄りました。それはもう怒号の嵐でした。「いつ退院出来るんだ!?」「いつまで俺達を囚人扱いするつもりだ!?」「アイツが出られて何で俺達が退院出来ないんだ!?」「外に出せ!」哀れだなぁと思っていました。そっぽ向いていると、その男が私の所にやってきました。「お前からも何か言ってくれ!俺達がいかに真面目で誠実で健常者であるかを!」と言ってきたのですなので私はハッキリと答えてあげました。

「何も言えませんね。貴方達は精神疾患者です、その事を自覚するまでここに居た方が良いですよ」

 するとその男はすんなりと引き下がっていきました。この男、毎日「俺は誤診でこの病院にブチ込まれたんだ!」とほざいていたので後で医師に確認しましたが

「誤診で入院に至ることは、絶対に有り得ません」

 との事でした。ですよね。

 それからというもの、年収1500億円男を筆頭に私への嫌がらせが始まりました。睡眠妨害、個人ベッドスペースへの無断侵入、食事で醤油等タレ、ソースを勝手に大量に掛ける。等々……とても陰湿な嫌がらせでした。この事を看護師さん達に伝えると、彼らは厳重な審査の上、下の階に移動させられました。最後の二日間、とても快適でした。

 プロ雀士の女性と自称年収1500億円男は同郷。それなりに仲良くやっていました。「デブ」「ブス」「ババァ」そう言われても「止めてよ~」くらいで流していました。只、自称年収1500億円男が私が劇団の主宰であると知った時「河野君が売れたらエキストラで出てやるよ」と言ってきて私は心底腹が立ちましたが、その時この女性が「それはあまりにも失礼過ぎるよ!」と怒ってくれました。それ以来二人は仲が悪くなってしまったのですが「私の事はなんと言われようが構わなけれど、他の患者を下に見るような真似は許せなかった」との事で心から感謝しました。

 この女性、リハビリテーションで麻雀をしていたのですが、その時別の棟の患者から「下手なら麻雀やるな!」と言われて頭にきたらしく、全員の点棒を全てツモ上がりで奪い取ったそうです。プロですしね。当然の結果ですね。

「喧嘩を売る相手を間違えたわね」

 王者の風格でした。

 誰でも最初は下手だし、他の人が楽しめるように努めていたのでこの態度は許せなかったそうです。

「精神科の人達の方がやってて楽しいわー」

もう麻雀でこの人に絶対に勝てないと思いました。

そして私が退院する別れ際「貴方の麻雀の打ち筋、楽しかったわ。またやりましょうね」と言ってくれました。それ以来X(旧:Twitter)でやり取りしています。1~2年に一ヶ月程入退院を繰り返しているようで、時折この病院の内部事情を教えてもらってます。「今、こんな人いるよ」「○○さん、また入院」「こんなご飯出た!」等々。事情1500億円男が先日また入院したみたいで、

 家庭内暴力、警察沙汰、入院、一年後退院、離婚、再婚、三歳の連れ伍に暴力、再び警察沙汰、入院、入院中リストラ、「子供の躾をしただけだ!嫁の方が病気だ!」と看護師さんに怒鳴る日々……みたになってるそうで、どうしようもない屑である。そして看護師さんは看護師さんで「河野さん、良い人だったなぁ……また来てくれないかなぁ……」と言っていたそうな。また入院しろと?

 アルコール、煙草依存症の男性患者さんがいたのですが、喫煙者から隠れて煙草を貰っていました。私もクレクレされたので「IQOSですが?」と答えても「良いから頂戴」と言われてあげました。すると案の定咳き込んでました。「これ専用の機械で吸わないといけないやつか!?」と聞かれたので「そうですよ?」と答えると「早く言え!」と何故か怒られました。そして院外外出時、酒を飲んで帰ってきました、自力で立ち上がれない程ベロンベロンで「酒は飲んでない!」と言っていました。厳重注意の上、下の階に移され「面会謝絶」の烙印を押され「何でだー!?」と叫んでました。そらそうなるやろ。

そして二日後、私は退院しました。

「お世話になりました!」

「お大事に!」

 看護師さん達に見送られ、母と一緒に帰りました。久し振りの外の空気。と言ってもちょっと前に院外外泊で一日外に出ていたのですが、何にも縛られずに外に出るのは新鮮でした。気持ちよかったです。完全に晴れやか、ではありませんでした。やっぱり不安が強かったです。もう退院しても良いのだろうか?普通なら三ヶ月から一年間は入院しなければならないのに一ヶ月ちょっとで出ても良いのだろうか?」見放されたんじゃないか、本当は鬱病じゃないんじゃないかと思っていました。不安でいっぱいでした。その日はリハビリテーションがてら病院から歩いて帰りました。大体二時間くらい。久し振りの母との散歩は楽しかったです。そして最寄り駅に到着し、そこにあるステーキハウスでステーキを二人で食べました。久し振りで美味しかったです。

 また東京の病院に通い、今でも治療を続けています。「この度は……」「すみませんでした」と医師と二人して謝り合いました。

 そして私は退院して約半年後、舞台に立つまでに行きました。何とかそれくらいはやれるだけ元気になりました。当時はコロナ禍で受けるオーディション、決まった舞台が中止、延期になっていましたが、舞台はこれまで計三回立ちました。(内一回はコロナで降板)

 今後も頑張り過ぎない程度にやっていけたらなと思っています。

 この度は読んでいただいてありがとございました。作者の河野吉田です。今回の話はノンフィクションではありますが、一部、フィクションを交えてお送り致しました。胸糞悪かったり、私の屑っぷりに呆れる方も大勢いらっしゃる事かと思われますが、自殺って、こんな簡単な理由で起こるんですよ、鬱病って重症化するとこれだけ判断力が無くなるんですよ、という事をお伝えしたくて今回書かせて頂きました。今回これを書くに当たり、色んな方の鬱病エッセイ漫画読ませて頂きました。それに比べると私が今回入院していた病院は結構緩い所だったみたいですね。他はもっと持ち込みに厳しい制限があったり、スマートフォン、携帯電話の使用は絶対禁止、インターネットも完全禁止だったり、院内でも外に出る事は認められていなかったり完全禁煙とかなり厳しい所が普通みたいですね。そういった意味ではこの病院に来れて良かったと思います。が、本編では軽くしか書いてませんでしたが、下の階は本当に苦痛でした。特に雄叫びをあげる患者は本当に酷いもので、安眠出来る日がありませんでした。夢に出てきましたからね。目覚めは最悪で、食欲が全く湧かず、多分あの五日間で2kgくらい痩せたんじゃないかなと思います。摂取出来たのが煙草だけでしたし。後は鼾ですかね。鼾が酷い患者がいて、その方は薬で強制的に眠らされて一日中寝ていたのですが、その音も物凄い轟音で、今まで生きていてあんなに酷い鼾は聞いた事が無かったです。しかし上に上がるとあら不思議。あの騒音が無いじゃありませんか。静かに眠るってこんなに幸せな物なのかと心から思いました。この患者さんは後に私の隣のスペースにやってきたのですが夜はそれまで程ではありませんでしたが、それでも私が寝るのが先か、向こうが寝るのが先かの賭けをしなければならない状況でした。話してみると普通に優しい人でしたが、プラマイゼロって感じでした。

 そして前の入院していた病院ですが、度々医師から「ご家族の方に何か伝えたい事はありますか?」と聞かれ、毎回「母が一番苦しんでいると思うので、母さんのせいじゃないよ、と伝えて下さい」と答えていました。今思えば鬱の進行具合を調べるテストも兼ねていたと思われるのですが、どの口が言ってんだと思われるでしょうが、私は純粋に母の事が心配で毎回こう答えてました。しかしながら父、兄、祖父母の事を何も言わなかったことを今でも反省しています。心配してくれる家族は母だけじゃないぞ、と当時の自分に言ってやりたいですね。

 そして自殺未遂をして、吐いた時、全てが一瞬で冷静になり、なぜ自分がこんな目に遭っているんだ、と感じました。何でそんなに他人事なんだ?お前の蒔いた種だろう?と思うでしょう。しかし、実際そうなのです。何でこうなったのか自分でも理解出来ないのです。気付いたらこうなっていたのです。そして徐々に記憶が蘇っていき、結果を思い知らされるのです、しかし、だからと言って、何故このような結果になったのか、何故その思考になったのか、何故死のうと思ったのか、それに対する経緯が全く分からないのです。それくらい心は病んでいき、追い詰められていくのです。今となってはあの段階にまで行ったら即、病院に相談して薬を処方してもらって飲もうという目安になっています。

 最後に、今回の件で多くの方々に多大なご迷惑、ご心配をお掛けしました事を心から謝罪させて頂きます。大変申し訳ございませんでした。特に両親、祖父母、兄、当時の劇団員の皆様には本当にご迷惑をお掛けしました。今後はこのような事が起こらないように致しますので、暖かい目で見守って下さると幸いです。

 それでは今回はこの辺で。ここまで呼んで下さり誠にありがとうございました。河野吉田でした。


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