エッセイ『祖母との別れの話』1
『祖母との別れの話』1
祖母は足腰が悪かった。しかし若い頃の祖母は活発的で、塾講師をしながらママさんバドミントンをやっていた。しかし今から約十二年前、先天性の股関節の病気で手術をした。それからバドミントンには通わなくなったが、塾講師は続けていた。ところが塾の場所が急な階段の場所に移る事となり、ゆっくり手すりにしがみ付いて上り下りをしていたが、ある時限界が来て辞める事となった。
それからは趣味も無く、ただ祖父と一緒に居る事が唯一の楽しみのように見えた。しかし一昨年、祖父は亡くなった。すると突然、雪崩が起きるかのように祖母の様態が悪化した。足腰が急激に悪くなり、玄関の出入りが出来なくなった。杖を一本、二本、そして全体重を私と母で支えて家から出るようになった。ケアマネージャーさんやその他大勢の人の力を借りて家をリフォームしたりして、限度額いっぱい使って電動車椅子や手すり、昇降機をレンタルした。この頃からもう買い物は自分では出来ず、お金の管理も出来ず、料理も出来なくなっていった。
やがて下の世話も始まった。まずはトイレ介助から始まった。小便、大便の時に電話で呼び出され、トイレに向かい、手を添えて見守る。最初はそれだけで、自分でオムツやパッドなんかは替えていた。しかし徐々に筋力は衰えていき、次に完全に足腰を支えてトイレへの移動が始まった。そして杖でも歩けなくなり、車椅子生活が始まった。車椅子生活でも最初は自分でトイレに向かい、処理していた。だがそれも次第に怪しくなり、最終的にはベッドの上でおむつ替えをするようになった。初期の頃は自分で立ってもらい、それを私か母がおむつを下げてパッドを替える程度だったが、次第に常に漏らすようになった。敷シーツを買い、敷いた。それでもベッドは濡れた。そして何より、大便の処理が大変だった。こっちのペースで出来ず、夜中に起こされる。小便の時もそうだった。夜中に最低でも二回、強制的に起こされ、替えさせられる日々。そこで母が提案した。
「昼間はアンタがやって、夜はアタシがやる」
と。二人が起きている時は二人掛かりでやる事になった。母は昼から夜にかけてスーパーのパートをしており、夜中から朝までなら起きていられて、朝になったら昼まで寝て、その後は私が面倒を見る。そういうルーティンになった。しかしここから私の体調がおかしくなる。朝、完全に起きられなくなっていたのだ。それもその筈。朝も昼も夜も寝る時間を削って起こされておむつ替え、ご飯の支度、買い物……もう限界だった。そんな私よりも実は一番ダメージを負っていたのが母だった。母は病み掛けていた。あと一歩、のところまで来ていたらしい。
「これはもう駄目だ」
母は決断した。もう施設に入れようと。しかしすぐに施設が見付かる訳ではない。まずは短期間受け入れてくれるショートステイを利用し、環境や食事に慣れていってもらって、最後はどこかの施設に亡くなるまでお世話になる、という流れだった。最初は二泊三日、三泊四日、四泊五日、七泊八日と延ばしていった。ショートステイに行ってもらっている間は休みになる。そう考えていたが、一週間休みを貰えば一週間地獄。それを繰り返していた。更に言えば、実際は昼から行って朝に帰ってくる為、実質一日少ないショートステイの日々で私も母も限界が来ていた。
ある日、事件が起こった。私が疲れて二階の部屋で寝ていると、珍しく祖母から電話が来なかった三時間があった。「寝てるのかな?」と思い部屋を出えると、そこには倒れている祖母が。どうやらベッドから車椅子に自力で移ろうとした時に足と手を滑らせ、倒れてしまったらしい。叫んで私を呼んでいたらしいが、聞こえなかった。スマートフォンもその時持っておらず、しかも充電切れ状態で意味を成さなかった。すぐに母に電話をし、救急に通報した。するとものの十分で救急車が到着し、母も丁度帰ってきた為、救急車には母が同乗し、私は家の片付けをした。その時、もし私が起きていてば、これを防げたのではないかと後悔した。しかしその後、母から言われた。
「もし起きていたら助けられたかもしれないと後悔。下に居たらすぐに助けられたかもしれないと後悔。もし手を貸し手いて起こったらもっと支えていれば、と後悔。ジレンマだよ」
そう言われて少しだけ心が救われた。
「そうか。遅かれ早かれだったんだ」
と。
祖母は入院した。入院一ヶ月間、主にテレビカードと着替えの届けをしていたが、それでも週に二回は呼び出されていた。そんな生活が続き、先日、遂に祖母は本格的に入所の方向に決まった。そしてまずは老人健康福祉施設に向かい、そこで三ヶ月の入院が始まった。これの間に次の老人介護施設を探さなければならない。
今まではふとした時に「あ、これからスーパー行くけど何か買う物ある?」「ご飯買ってこようか?」等の声掛けをしていたので、それが無くなった事に心身の疲労が取れたと同時に、寂しさも感じるのであった。
今日のところはここまで。次回は祖母が移転先を見付けた時に書きます。




