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エッセイ  作者: 河野吉田
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エッセイ『祖父と最悪な別れ方をした話』

『祖父と最悪な別れ方をした話』


 生まれた時から、祖父は忙しい両親に代わり、私と兄の世話をしてくれた祖父と祖母。特に祖父はうんこ漏らしの常習犯だった私の尻を笑って洗ってくれるくらい優しい人だった。

 時に厳しく、時に優しく。叱る時は叱る。怒る時は怒る。褒める時は褒める。祝う時には祝う。そんな人だった。

 そんな祖父が七十歳を超えた時、大腸癌を患った。それを乗り越え、何故か白髪が減り、髪の毛量も増えた。癌の再発、転移があると言われた五年を乗り越え、生き延びた。しかしその直後、前立腺癌を患い、切除した。また再発、転移があると言われたが、それも乗り越えた矢先、また癌を患った。それも完治した頃はもう八十歳も後半になっていた。その頃から祖母は足腰が本格的に悪くなった。出歩く事が少なくなり、齢八十七にして電動自転車を乗り回して毎日、祖母の買い物に出掛けていた。同時に、祖父の腹を別の病気が蝕んでいった。日に日に痛くなり、夜中に目を覚ましてはシクシクと痛む腹を体育座りで耐え、次第に口調や態度が悪くなっていった。足腰が悪い祖母を「邪魔者」「びっこ」と罵った。私にもまた「出来損ない」「要領が悪い」「雑」と罵り、言葉の暴力をぶつけてきた。こう言っては何だが、そんな祖父の事を我慢して私は世話をしていた。

 そしてある日、自転車のパンク、庭の手入れ、米の移動を一日で頼まれ、悪戦苦闘、慣れない作業を必死でやった。米の移動中、それは起こった。私が米を零してしまった。大した量ではなかったのだが、ケチな祖父からすると許せない事だったらしく「出来損ない」「下手くそ」「要領が悪い」と罵った。その時、私は今までの積もりに積もった祖父からの罵倒に堪忍袋の緒が切れ

「だったら自分でやったら良いだろ!」

 と怒鳴ってしまった。それを見て祖母は「止めなさい!」と私を叱った。また祖父も

「もうお前には頼まない!」

 そう言ってきた。その日は頭に来すぎていて、Xで「祖父なんて早く死んだら良いのに。遺産だけ残してくれればそれで良い」といった内容のポストをしてしまった。それはすぐ消したが、酷い事を言ってしまったと思い、翌日、祖父の好きだったケーキを買い、謝罪の文を添えてテーブルに置いた。私は「ごめんなさい」と本気で思った。思っていたら「死んだら良いのに」なんて投稿はしていないだろうが。

 その日、祖父は私が買ってきたケーキと謝罪文を見て「何だこれ?」と思ったそう。気にしてなかったらしい。しかし私は罪悪感でいっぱいいっぱいだった。自業自得なだけだが。しかし寛大な祖父はまた笑って許してくれた。

 次の日、祖父は遂に病院に送られた。自分から救急に通報した。ずっと「痛い、痛い……」と我慢していた腹の痛みに耐えられなくなり、自ら救急車に乗った。その時の最後の会話は

「洗面所」

「ん?うん」

「この黒い粒粒、多分ゴキブリか何かのうんこだ」

「あぇ?いや、多分俺の髭を流しそびれただけだと思うけど……」

「いいや。これは虫のうんこだ。次に俺が帰ってくるまでにバルサン焚いておいてくれ」

「分かった」

 それが最後の会話だった。

 それから一週間、私は毎日病院に通った。薬で眠らされている祖父はたまに苦悶の顔をしていたが、私が「じーちゃん。元気?」と聞くと、少しだけ笑顔になり、手を握ってくれた。毎日行く度に次第に弱まっていく握り返す力。そして一週間後、最期の時がやってきた。母が病院から呼び出され、向かった。もう危篤状態だと言われた。私もタクシーを捕まえて祖母を押し込み、病院に向かった。そこではもう瞳孔が開き、虚を見詰め、体が冷たくなっているが息だけはしているという状態の、あのいつも元気だった祖父が、見る影も無い姿になっていた。

「じーちゃん。俺だよ」

 祖父は手を握ってはくれなかった。しかし祖母が

「おーい、じぃじ!アタシが来たよー!アンタの奥さんだよー!」

 と言って手を握ると、どこか安心したような顔付きになり、手を握り返していた。孫には全てを託したから握り返さず、愛する妻には別れの挨拶をしたのだと思った。この絆は、本当に美しいものだと思った。一時間程経った頃、もう祖母が「眠い。疲れた」と言って私がタクシーを捕まえて帰った。母の話によると、医者からは「明け方までは大丈夫かもしれない」と言われていた為「一夜明けたらまた行こう」と祖母と話していた。しかし帰ってから三十分後、母から「本当にこれが最期」と連絡が来た。祖母に行くかどうか確認すると「眠いし疲れたから嫌だ」との事でその日は母に任せて私も眠った。2024年12月11日午後11時21分、長官閉塞により祖父はこの世を去った。

 翌日、葬式屋さんの遺体保安室に兄の車で家族総出で向かうと、そこには入れ歯を抜かれ、どうにも間抜けな顔をして眠っている祖父がそこにいた。頭を撫でた時、生きている人ではない冷たさに「あぁ、じーちゃん、本当に死んじゃったんだ」と実感した。

 一週間後、葬式をした。そこには死に化粧をした祖父がそこに横たわっていた。まるでまだ寝ていて、揺らしたらいつものように怒って、怒鳴って、笑ってくれるかのような安らかな顔をしている祖父を見て涙が溢れそうだった。葬式は進み、遺体との最期の別れの時、家族で祖父を大好きだった花で埋めていった。どこか嬉しそうに見えたのは気のせいじゃないと思いたい。

 火葬場に移り、ご飯を食べ、煙草を吸い、祖父が骨になるのを待った。いざ骨を見ると、意外としっかり骨が残っており「じーちゃん、こんなに元気だったんだな」と尊敬した。

 そして四十九日、家にお坊さんを呼び、お経を上げてもらった。つつがなく終わり、ふと思った。

「あれ?じーちゃんの霊、いるんじゃね?」

 と。

 実は葬式の時から感じていたのだが、祖父がウロウロしている気配を感じた。アチコチを見たり、自分の遺体を見たりしているような。葬式中、お坊さんがお経を上げている最中、飽きっぽい祖父は本当に飽きていたのか部屋の中をボーッと見ていたように感じた。しかしお坊さんが「喝ーっ!」と言うとビクッとしたような気配も感じた、また自分が納棺される前にもう火葬場に行き、我々が火葬場に着くなり「自分の骨なんか見たくない」とでも言わんばかりにさっさと家に帰っているように感じた。そして四十九日もボーッと我々を見ているように感じた。実はこれ、私だけでなく、母も同じように感じていたと言う。そこで四十九日のお経が終わった後、お坊さんに聞いた。

「すみません」

「何?」

「霊感ってありますか?」

「いやぁ~、私にはシックスセンスは無くて……何故です?」

「いや、葬式の時から感じていたんですが、どうもここら辺に祖父がいる様な感じがして……」

「あー……ご家族、特に血縁者の方が亡くなった時、ご遺族の方がそういう力に目覚める事があると聞いた事があります。多分、お祖父様も貴方達の側でまだ見守りたいのでしょう」

 そう言ってお坊さんは帰っていきました。それからこの一年間、どこか祖父が見ているんじゃないかと思う時が増え、その度に「じーちゃん、行ってきます」「じーちゃん、ただいま」と自然と口に出ていました。

 普段、そんなに家におらず、大体碁会所にいた祖父の性格から、今でも「あぁ、またどこかに出掛けてるんだな」と思うようになり、帰りを待っている生活を送っている。

 母とお寺の都合上、納骨に約一年掛かり、一年間、祖父の部屋に骨があった。いざ納骨の日が決まると、祖母は涙を流した。

「あぁ……本当にお別れなんだねぇ……いざ居なくなると思うと泣けてきちゃうよ……」

 この一年、ずっと「納骨しろ、早く納骨しろ」と急かしていた祖母も、いざ別れの時が来ると涙を流していた。そして納骨日、家族総出でお寺に向かい、お経を上げてもらい、納骨した、最期に「骨の入った袋を撫でてあげて、一言何か言ってあげて下さい」とお寺の方に言われ祖母は「じーちゃん?まだそっちには行かないからねー」と言い、私は「じーちゃん。またね」と自然と声に出えていました。そんな別れ方をした最低な私の話でした。

 おまけです。

 後から知った話なのですが、先日、「精神科病院に入院してました」というエッセイを投稿しました、そこで毎日母が見舞いに来てくれていた訳ですが、あの時、毎日車を出してくれていたのは祖父だったと母から聞かされました。鬱病に理解は無かった祖父が、鬱病だった父に対して「情けない」と言っていた祖父が、五十年前の家庭の病気に関する本で「鬱病」について調べてくれていたとか。「五十年前の精神病についての本なんてアテにならないのに」と母は笑っていた。そんな優しい祖父に何で最期にあんな酷い喧嘩をしてしまったんだと今でも後悔しております。

 皆様もご家族とは悪い別れ方をしないようにして下さい。私のようにならないで下さい。以上、私の最低性格エピソードでした。


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