第一三話 集落にて
岩窟内には随道がアリの巣の如く広がっている。
そして随道の突き当たりでは小部屋のような地形になっている所が多い。
そういった場所の一つ、とある小部屋内の岩場の陰に、一匹の雄コボルトが蹲っていた。
彼の名はポッチ。
この岩窟に集落を構えるコボルト族の若き狩人である。
彼がそんな所で何をしているかと言えば、傷の治療だ。
先の戦闘で負った火傷跡に軟膏薬を塗りつけているのである。
それはあくまで応急手当でしかないが、ポッチが感じていた火傷の痛みはだいぶ緩和されつつあった。
患部に薬を塗布し終わったところで、ポッチはハーッと大きく息を吐いた。
疲労感と安堵感からくるため息だった。
(死ぬかと思った……)
そう心の中で呟くポッチ。
彼にとって、これほどの被害を受けたのは初めての経験だった。
(まさかあんな攻撃をしてくるとは)
大きな炎の球が二つ飛んできたと思ったら、地面で爆発した。
そしてその炎に巻き込まれ、ポッチは大火傷を負った。
今でも鮮明に思い出せる、恐怖の瞬間。
一瞬、いや半瞬でも避けるのが遅かったら、己は助からずあの場で屍を晒していただろう。
先の戦いについて、ポッチはそう分析していた。
(いったい、奴は何者なんだ?)
小部屋の入り口近くで鼠と戦っている人型の魔物を見つけた時、最初は岩窟に迷い込んだゴブリンか何かだと思った。
しかしポッチはすぐにその考えを否定した。
なぜならゴブリンに尻尾や翼は生えていないからだ。
では何なのか。
次に思いついたのは、己がよく獲物としている蝙蝠の進化した個体ではないか、という考えだった。
その推測を補強する材料もあった。
広間内の奥で蝙蝠が鼠を狩っていた事だ。
謎の人型魔物は、その狩場から逃げ出した鼠の行く手を塞ぎ、始末しているように見えた。
つまり両者は連携している。
やはりアレは蝙蝠の仲間で進化個体か、とポッチは判断した。
そうと判れば恐れる必要はない。
アレは己より弱い、とポッチは見切りをつけた。
多くの経験を経た魔物は進化し、大きく強くなる。
しかし、だからといって急激に強くなるわけではない。
一度進化した経験のあるポッチは、その事をよく知っていた。
つまり、己より圧倒的に弱い蝙蝠が一段階進化したところで、自分には到底及ばない。
ポッチはそう考えたのだ。
もっとも、この個体が二段階以上進化した種だという可能性もないではない。
だがその可能性は低い、とポッチは見ていた。
なぜなら、鼠との戦闘を観察した限りにおいて、人型魔物の身体能力は大した事がなかったからだ。
そうした諸々の推察と判断の結果、ポッチは人型魔物との戦闘を決意。
隙だらけな背中めがけて必殺の一射を放ち、見事それは対象を射抜いた。
その瞬間、ポッチは勝利を確信した。
しかし、誤算はここから始まった。
人型魔物は胸を貫かれても倒れず、機敏な動きで空へと飛び立ったのだ。
予想外の出来事に慌てて二射、三射と追撃するも、当たらない。
しまいには仲間の蝙蝠までが加勢してきて、二対一の戦いになってしまった。
だがそれでもポッチは自身の優位を信じていた。
蝙蝠が一匹増えたところでどうという事はない、と考えた。
だが、またしてもポッチの思惑は外れた。
雑魚と侮った蝙蝠が驚異的な速度で飛び回り、ポッチを翻弄したのだ。
その時は人型魔物よりよほど厄介な敵に思えた。
その結果、苛立ったポッチは人型魔物から完全に注意を外してしまい、強烈な反撃を受ける羽目になった。
(奴が撃ってきた炎は、おそらく魔法だ)
ポッチも魔物であるため、魔力の多寡や流れをある程度感じ取る事ができる。
ゆえにそれが解った。
(奴は……危険だ)
岩窟内に巣食う魔物で、魔法を使う個体はいない。
少なくともポッチはそのような魔物にこれまで遭遇した事はなかった。
ちなみにポッチが魔法の存在を知っていたのは、同族の仲間に魔法を使える個体がいるからである。
そのため、魔法という能力がどれほどの脅威であるのかも、ポッチはよく理解していた。
(アレを放置しておいたら、いずれ手に負えない存在になる)
コボルト族の戦士である己を一撃で殺しかねない魔法を操る敵。
そんな存在が成長し、進化までしてしまったら。
己どころか、コボルト族の皆全てを焼き尽くしてしまうような、強大で恐ろしい魔物と化すだろう。
(そうなる前になんとかするしかない……!)
ポッチはそう決意し、いまだ痛む体に渇を入れて立ち上がった。
ポッチが属するコボルト族の集落は、岩窟内にある巨大な広間に作られていた。
その広間は岩窟の入り口付近に位置し、高さ約5~10m、幅は約100~300mにも及ぶ。
この広大な空間は自然に出来たものではない。
元々自然洞窟であったこの地に住み着いたポッチの先祖が、代々年月をかけて掘り広げ、作り上げた場所であった。
そのコボルト族安住の地に、ポッチはようやく帰還を果たした。
移動を開始してから約四時間後の事だった。
いつもなら二時間もかからず踏破できる距離の帰路だった。
なのにそれだけ時間がかかったのは、魔物との遭遇や戦闘を極力避けつつ慎重に移動したからである。
岩石に囲まれているせいで殺風景かつ閉塞感の漂う集落。
粗末な作りの竪穴式住居が散在する集落内部を足早に進み、ポッチは群れの長が住む家へと向かう。
己が遭遇・戦闘した新種の魔物について長に報告し、討伐の必要性を訴えるつもりだった。
そうして集落の奥深い場所にある長の家の前に着いたところで、ポッチはコボルトの集団と出くわした。
何事かと足を止めた所で、その中の一匹がポッチの存在に気付き、パタパタと小走りで近づいてくる。
それはポッチの幼馴染である雌のコボルトだった。
「ポッチ兄さん! お帰りなさい、狩りは順調でした……か……」
ポッチの目の前までやってきた雌コボルトは、嬉しそうな笑顔を浮かべて彼に話しかけるも、すぐに表情を引き攣らせた。
ポッチが負った大火傷の跡に気付いたためだ。
「ど、どうしたんですかそれは! 傷……ではないようですが、これは……?」
コボルト族はあまり火を使わないため、火傷という症状にあまり縁がなかった。
皆無ではないが、全身が焼け爛れるほどの大火傷を負った者は近年いなかったのだ。
そのため、一目見ただけではポッチの肌の爛れが何なのか、雌コボルトには解らなかった。
「これは火傷の跡だ。全身に火をつけられてこうなった」
「火を!?」
ポッチが簡潔に答えると、雌コボルトは驚愕して目を見開いた。
ちなみに会話はコボルト語ではなく、魔族言語で行われている。
「岩窟の中層部で初見の魔物と出くわしてな。勝てると思って戦いを挑んだのだが、返り討ちにあってこのザマだ」
「まさか、そんな事が……」
「恐ろしい相手だった。逃げる事ができただけでも運が良かったな」
ポッチは先の戦いを思い出しながらそう言った。
大火傷を負わされた際、とっさの機転で蝙蝠に痛打を与えた事が己を救った。
あの人型魔物は弱った仲間の救助を優先し、己を見逃したのだ。
それがなければ魔法で追撃され、弱った己は逃げ切れず殺されていただろう。
ポッチはそう考えていた。
まあ実際には相手もMP切れで瀬戸際状態だったのだが。
「…………」
血縁ではないが兄と慕うポッチの弱気な発言に、雌コボルトは何と答えて良いかわからず黙り込んだ。
「ともかく、そういう事情だ。キスハよ、悪いが詳しい話は後にさせてくれ。今は長にこの件を報告し、早急に対応策を考えねばならん」
「は、はい……わかりました」
「生憎だが、その必要はねぇな」
キスハと呼ばれた雌コボルトとポッチの会話に、第三者の声が割って入った。
ポッチとキスハが声の方向へ顔を向ける。
そこには集団から一歩外に抜け出し、ふてぶてしい面構えでポッチに視線を向けている一匹のコボルトがいた。
「……キンチか」
「おうよ。やいポッチ、今の話を聞いてりゃテメー、敵との戦いで無様晒して逃げ帰ってきたんだってな? この負け犬め」
「キンチ兄さん! そんな言い方は……」
ポッチを罵倒したそのコボルトの名はキンチと言い、キスハの実兄であり長の子であった。
さらに言えば、キスハ同様ポッチと同年代の幼馴染である。
しかし粗暴で自分勝手な性格のキンチと、物静かで理知的な性格のポッチは馬が合わず、昔から仲が悪かった。
キスハの窘める声を気にも留めず、キンチはさらに言い募る。
「ふん。ちょうどこれから俺たちも狩りに行くところだ。テメーを撃退したっていう魔物もついでに俺様が倒してきてやるぜ」
ポッチは少し考え込んでから、首を横に振った。
「……止めておけ。アレは素早く飛び回るうえに魔法を使う。お前では相性が悪い」
「なら石でも投げて叩き落としゃあいーだろうが。それに魔法なんざ使われる前にブッ殺せばいい」
「そんな簡単に行くわけがないだろう」
「行くさ。テメェと違ってこっちは複数だ。キスハも連れてくから多少の怪我ならすぐに治せる。問題はねぇ」
自信たっぷりにそう言われて、ポッチは再び考え込んだ。
(キンチの意見に一理ある事は確かだ。複数でかかれば倒せる可能性はある。それでも犠牲は出るだろうが……キスハの魔法があればそれも最小限に抑えられる。何より、これからすぐ討伐に行くというのがいい。いささか拙速かもしれないが、アレに成長の時間を与えるよりはマシだ)
「そうか、わかった。ならば俺も同行し、案内役を務めよう」
「あぁ? いらねーよ案内役なんざ。臆病者で負け犬のテメーなんぞに付いてこられちゃ、勝てる戦いも負けるだろーが」
「キンチ兄様、それはいくらなんでも言い過ぎです!」
「オメーは黙ってろキスハ。これは男同士の話だ」
そう言ってキスハの非難を封じ、ポッチを睨むキンチ。
その敵意溢れる表情を見て、ポッチは説得が無意味である事を悟った。
憎まれている己が何を言っても反発されるだけだろう、と。
「……わかった。ならばその魔物がいた場所と、外見特徴などの情報を伝えるだけにしよう。それでどうだ?」
「……まぁそれくらいならいいぜ。獲物の姿も居場所も分からねえようじゃ、どうしようもねーからな。おいキスハ、ポッチからよく話を聞いとけよ」
「は、はい」
面倒な事は妹に丸投げして、キンチはコボルト集団の中で戻っていった。
その後姿を苦々しげな表情で見送ってから、キスハがポッチの方へと向き直る。
「ごめんなさい、ポッチ兄様。キンチ兄様が酷い事ばかり言って……」
「いや、俺は気にしてない。だからお前も気にするな、キスハ」
「ポッチ兄様……」
キスハの表情が和らぐ。
「それよりも、件の魔物の事だ。アレは手強い。身体能力はさほど高くないようだったが、恐ろしい魔法を使う。もしかしたらお前よりも魔力に長けているかもしれん」
肉体派ばかりのコボルト種にあって、キスハは珍しく魔法を得意とする個体だった。
「それほどの相手なのですね……。果たしてキンチ兄様は、いえ私たちは、その魔物に勝てるでしょうか?」
「……それは正直、俺にも解らん。だが少なからず勝機はあると思う。いや、あるはずだ。キンチには言わなかったが、その魔物にはそれなりの手傷を負わせた。だからあまり時間を置かずに挑めば、その分は有利に戦えるはずだ」
「手傷を……さすがはポッチ兄様、一方的に負けた訳ではないのですね」
「まあそうだが、敗走した事に変わりはない。誇れるものではないさ」
謙遜ではなかった。
本心からそう言って、ポッチは苦笑を浮かべる。
「それでも、私はその話を聞けて少し気が楽になりました。ありがとうございます、ポッチ兄様」
「そうか。ならば俺の戦いも無駄ではなかったな」
「はい」
ポッチとキスハは顔を見合わせながら、同時にフフッと微笑った。
「ではそろそろ、魔物の情報をお前に伝えておこう」
「お願いします、ポッチ兄様」
それから約30分後、キンチの一行はコボルト集落を出発した。
集落の入り口でその後姿を見送りながら、ポッチは彼らの無事を祈る。
(できれば全員、生きて帰って来い……キンチ、何を置いてもキスハだけは護れよ……)
尽きせぬ不安を抱えながら、ポッチはしばらくその場に立ち尽くしていた。




