32. 「そんなことありません!」
リリアナは目を覚ました時、状況が全く理解できなかった。
目に映るのは天井。それから、手には優しい温もり。寝続けた所為でぼんやりとした状態では上手く考えることができないらしい。
視線をうろうろさせ、自分の手に感じる温もりを確認しようと横を向く。そこには、自分の手を握って目を瞑っているアランが居た。
普段ならすぐに反応してその手を解いているはずだ。しかし、すぐにできないほど彼女の頭はまだ働いていなかった。
「……っ、リリアナさま!」
違う方向から声が聞こえた。それから、何かがぶつかるような音も。そちら側にゆっくりと目を向けると、アニーが食器を落とし、驚いた顔で立っている姿が目に入った。
この頃には、リリアナのぼんやりした頭も覚め始めていた。
覚醒しつつある彼女は、ただ単純にアニーが立っていると思っていたが、次第に自分のおかれた状況を理解していた。
そうだ、とある事を思い出す。それは、自分が意識を失う前に見たもの――――。
「アランは?!」
血に濡れた彼。言葉を出せないほど弱っていた彼。無事なのか。それだけが気がかりだった。
しかし、彼女は病人。魔力を限界近くまで使ってしまったために眠り続けていたのだ。そんな彼女が急に飛び起きた。もちろん、すぐに元の位置に戻ってしまう。身体が悲鳴を上げていた。
たった一週間。されど一週間。彼女の身体は確実に衰弱していた。力の入らない身体はベッドに逆戻り。しかし、そのおかげで手への温もりと、彼女が心配した人物を見つけることができた。
アランが、自分の手を握りながら目を瞑っている。身体が上下していることから、寝息を立てていることが分かった。
身体には……どうやら異常はないらしい。よく観察してようやくほっとしたようにため息をついた。
「い、今、いいいっ、医者を呼んでまいります!」
慌てふためくアニーに、リリアナは笑顔を向ける。落ち着かせるためにやってのけたそれに、意図どおりにアニーは静まり返った。
「……取り乱してしまいました。申し訳ございません。」
「状況を教えて。」
冷静になった彼女に、リリアナは優しく声をかける。主のその気遣いに敬服し、アニーは丁寧に話しはじめた。
このことによって、リリアナは戦乱が終了したことや現在の状況を知ることができた。話し終えると、アニーは医者を呼びに行った。
寝そべったまま、大きく嘆息する。そして、いつまでも手を握っている男に視線をやった。
寝ているとは思えないほどしっかりと手を握っている。ちゃんと寝てもらうためにまずは自分の手を抜こうとした。が、できない。ならば順序はどうでもいい。一度起きてもらい、きちんとベッドに横たわらせる必要がある。
先にアランを何とか起こすべく、リリアナはその肩を揺すった。
何度も、アランの名を呼ぶ。十数回目で、彼は眉間にしわを寄せ、ゆっくりと目を開けた。
薄っすらと開きつつある目に彼女が映った瞬間、彼は一気に覚醒する。その存在が意識を持っていると認識した時、アランは両手を伸ばしてリリアナをその腕の中に納めた。
いきなりのことに驚き暴れようとしたリリアナだったが、それだけの力が残っていなかったことと、彼のあまりの必死さに抵抗を止めることになった。
「リリアナさま!」
何度も何度も必死に名前を呼ばれているうちに、彼女の眼に涙が浮かんできた。アランが生きて自分の傍にいる。それがとてつもなく嬉しかった。
彼の肩に、自分の頬を強く付ける。温もりを感じることで、アランを意識できた。
二人はしばらくそうしていた。
「医者を連れて参りました。」
そう声をかけられたことでリリアナははっと気付き、アランの背中から腕を離した。しかし、アランは離そうとしない。アニーが診られないからと説得したものの、腕の力を緩めようとせず、母親から離れたがらない子供のように首を横に振った。
「アラン、お医者様がいらっしゃってるから……」
リリアナがそう言うと、おずおずとその手を離した。と思ったら、手だけは握り続けている。その姿を見た医者の方が仕方がないと納得し、そのままリリアナの状態を診はじめた。
「どうやら、異常はないようですな。ただ、しばらくは安静にしておいた方がいいでしょう。体が弱っている事とは別に、魔力も衰弱に関係していると思います。魔力の回復の方が早ければ身体の治りも早くなるでしょう。」
そう診断し、医者は退室する。そこに残された者たちには沈黙が漂っていた。
中で一番に動き出したのはアニーだ。先程自分が落とした食器を片づけ始める。それはあまりにもアランの状態が芳しくなかったために用意した食事だった。
それをもう一度用意しようと思い、加えて時間も丁度食事時なのでリリアナにも用意するべくその稀を伝えて部屋を後にした。
残されたリリアナは、悩んでいた。
――――アランがおかしい……
今まで見せたことのない異常な状況に、彼女は一体どうしたらいいのかと頭を悩ませている。そんな事とはつゆ知らず、アランは再びリリアナを自分の腕に閉じ込めていた。
くっついて離れようとしない。今までならば、触れるのさえ躊躇っていたはずだ。
しかし、今さら離せとも言えない雰囲気が漂っている。おまけに、アランが一言も話さない。彼が今何を思っているのか、どんな気持ちでリリアナを抱きしめているのか。彼女には図り兼ねる。どうしたらいいのか分からないまま、時間だけが過ぎて行った。
ドアがノックされた。それは誰かが来たことを示していたが、アランは全く反応する気がない。リリアナは本当に小さな声で返事をすることしかできなかった。
彼女は先程出て行ったアニーだろうと思い、それほど訪問者を気にしなかったが、部屋に入って来た人物を見て、驚愕する。それは、――――自分の父親だった。
流石のアランも気にするかと思いきや、彼は動こうとしない。いや、まだ王を目に映していなかった。
「アラン!お父様がっ…」
その言葉で、彼も漸く状況を理解したらしい。扉の前にいる人物を凝視したまま固まっている。しかし、リリアナを抱きしめる事はやめていなかった。
「随分なことをしでかしている。アランと言えども、まだ娘をやった覚えはないんだが?」
少々威圧的に話しかけられ、アランは我に返ったようにリリアナから腕を漸く離した。
父親らしい威厳を見せているが、彼女からしたらその態度の方が不思議だ。彼はまだと言ったことが引っ掛かっている。言葉のどこかに引っかかりを覚えただけでその違和感の原因を見つけ出すことができない。そのまま話は進んでいた。
「今回の功績について賛辞を呈したいと思っていたが、お前がリリアナの傍から離れないと聞いてな。しばらくそっとしておこうと思った。だが、娘が目を覚ましたと聞き、ついでにお前に会っておこうとしたわけだ。」
それでこんな場面。父親としては大層驚いただろう。いつの間にか後ろに立っていたアニーは気まずそうな顔をし、アルキナスは笑いを堪えていた。
「爵位の事は大々的に行う。それから、うむ、余が与えられるのはそこまでだな。後は二人の気持ちが大事だ。」
「……はい。」
アランは最高敬意を見せ、騎士としての礼を見せている。彼が返事をした事で、王と王子は自分たちがしたお膳立ての意味を彼が理解したのだと満足そうだ。リリアナとアニーは全く分からないと言った様子で事の流れをただ見ていた。
「リリアナ、身体はどうだ?」
「まだ力が上手くはいらないため、このような状態でお目にかかる事、大変申し訳なく思います。」
リリアナはまだベッドの中だ。かろうじて枕を背に座っている。最高権力者に失礼だと謝罪をしたのだが、王は不服そうな顔をしながらリリアナのいるベッドに腰掛けた。
「余は今父親としてここにいる。先程のアランに言った言葉は確かにここの場では不適切なものだったかもしれないが、父親として、厭味を言うくらいは許されるだろう?」
確かに王は厭味を言った。ただ、それだけではなくおぜん立てもしたのだ。微塵も理解していない様子ながらも、はい、と言ったリリアナの頭を撫でる王はとても嬉しそうだった。
「父上、もうそろそろお時間では?」
「そう言うな。せっかく娘が目を覚ましたのだぞ。もう少しくらい良いではないか。」
拗ねた様子の彼を、アルキナスは有無を言わせず部屋から追い出した。
それからアニーに自分の分の食事も頼むと、運ばせたイスと机にアランと共に着く。リリアナはそのままベッドに居た。
何故ここにいるのかと二人を見つめるリリアナだったが、動く気配はない。それに、何かを言う気力も。よって、見守るだけに留まった。
「リリー、何も分からないだろう?」
アルキナスの問いに、先程アニーに聞いたことを話す。アルキナスは大まかなことではなく詳細を話すと言った。
確かに、大まかな流れしか聞いていない。そして、詳しくを知ることになった。
リリアナが攫われた後の事。アランの活躍。そして、アランが刺されたことでリリアナがまた治癒魔法を発揮した事。今、カランと皇子が幽閉されている事。加えて、アランの功績が認められて爵位が与えられることと、アルキナスが王位につくと言う事。
いきなりの情報に彼女の頭は上手く付いていけない。混乱した様子の彼女だったが、しばらくすると当時のことが蘇って来たのか、顔を顰めた。
リリアナの脳裏を掠めたのはカランの言葉。――――自分の所為でこの戦が起きた。
「リリアナさま?」
すぐさまその変化に気づいたのはアランだ。ずっと彼女を見つめているのだから当たり前だろう。
彼の問いに彼女は答えることができない。結局、アルキナスが退室するまでその状態は続いた。
「どうしたのです?」
近づいて行き、アランはリリアナをその腕に納める。優しく頭を撫で始めると、リリアナはポツリポツリと話しだした。
「私の、せいで人が…たくさん亡くなったの……」
「そんなことありません!」
「だって、カラン様が、あの争いは私のせいだって……っ!」
アランは、何も言えなくなった。彼女のせいではないが、確かに彼女を巡る争いであったのだ。
しばらくして絞り出すように言った。
「私は、戦を終わらせるために、沢山の人を殺しました。」
それは懺悔だった。リリアナが見たアランは、苦渋の表情だ。
「国は私を正当化して、英雄となった。しかし、殺人鬼以外の何者でもありません。」
「違うわ!あの皇子と違って、アランは人の死を重く見ているもの!」
お互いがお互いを慰め、お互いを抱きしめた。その時の二人は昔に戻ったように接している。アニーは空気を読んで、部屋に入って行かなかった。




