27. 「ならば、死を望みます!」
―――…何を間違えたのだろう。何がどこから間違ってしまったの?
暗く狭い部屋の中でリリアナは考える。膝を抱え、顔を埋めていた。
かつての恩師に連れられ、見知らぬところに連れてこられた。おそらく敵の陣地だろう。だが、その把握ができないのは、丸一日そこに放置されているからだ。
誰も訪れてこない。何のために連れてこられたのかの説明もまだない。ただ、考えるだけの時間がたくさんあった。
ひとつだけわかることは、自分さえ相手の元へ行けば、この争いが終わる可能性があると言うことだ。彼女はそのことだけを考えるように努めていたが、結局は自国のことや恩師のこと、兄のこと、もちろん置いてきてしまったアランのことを考えてしまうのだった。
―――今頃心配しているかも知れないわね……
悲しい微笑みがその顔に浮かんでいる。おそらくではなく、絶対心配しているだろうが、卑屈になる癖が断言することを許さない。彼女は、泣くことだけはしないように、必死に手を握りしめていた。
自分の意思でついてきたというのに、不安や恐怖に苛まれている。そんな心が余計に彼女にとっては嫌だった。
「…ご飯に手を付けていないそうですね。その顔では、眠ってもいないのでは?」
ロウソクを明かりに、カランが部屋へとはいって来た。
リリアナは一瞬にして立ちあがり、身を固くする。見るからに警戒心をあらわにしている様子だ。
それを見たカランは苦笑する。彼女の行動があからさま過ぎて、表情をそうしたらしい。しかし、この状況で警戒しない方が可笑しいというものだろう。
一日前までは信頼のおける尊敬のできる人。だが、今は何を考えているのか分からない、国を裏切った人間。何を言われても信じたくない。それでも、争いを止められるのなら言うことを聞かなければならないと言う気持ちではあった。
「私は、何も取って食おうとは思っていません。昔のように、一緒にお勉強をしましょう、姫さま。」
「カラン様とのお勉強はもう卒業しました。私はもう成人したのです。あの頃とはもう違います。」
そう言ってみたものの、カランはそうではないと言った。意味が違うのだと。
彼女は彼の言っている意味が全く分からなかった。そして、彼の言っていることを分かりたいとも思わなかった。
「そうか。貴女は知らないのですね。」
「何を……?」
「カタルータの功績を。」
何かを思い浮かべ、どこか恍惚とした表情だった。
リリアナはそれに怖れを感じ、少し後退さる。だが、その距離はカランによってすぐに詰められた。
「これをご存知ですか?」
それはネックレス。麻の紐には赤い石。真っ赤なそれは火に照らされて怪しく光った。
「いいえ。知りません。」
その物体が何かを問わなかったのは、一種の反抗だ。自分はそれに興味がないのだ、と。
「これは、魔法を無効化させるのです。」
「……何をっ…!?」
突然の告白に、リリアナは目を丸くしている。それを見たカランは実に満足そうだ。ようやく自分が想った通りの反応をしてくれたのだから、彼が喜ばないはずはない。彼女は混乱を隠せず、目は何かを探すかのように右往左往していた。
混乱の中でも、彼女は必死に考えている。彼の言ったことが事実だとして、―――だからなんだと言うのか。
魔法を無効化に出来る石を作ったことがカタルータの功績だと言うことが解せないのだ。シュトラエネーゼは魔法だけではない。剣の腕もなかなかだ。
国に押し入ってくる賊も多いため、そんな輩を倒す為に剣の腕も磨かれている。魔法に無力な相手には魔法は使用しないのが、シュトラエネーゼの本来のやり方だ。
それを使って簡単にシュトラエネーゼが倒されるはずがないとリリアナは考えた。そして、自分がここにいる理由が分からなくなったのだ。
「戸惑っているようですね。」
満面の笑み。その奥にリリアナは恐怖を感じた。
絶対に相容れないと思ったのだ。どうやってもお互いに分かりあえることはない。どちらが正しくてどちらが間違っているのか、そんなことは関係ない。絶対に意見は合わない。
リリアナは本能的にそう感じていた。
「お教えしましょう。これはカタルータの成せた業なのです。魔力を含んだ血液によってもたらされる賢者の石。錬金術です。」
彼女は驚いた。昔、カランから習ったことだ。錬金術は空想の産物だと。そう教えた人物がそれは存在していると言うのだ。以前はどちらかと言うとその空想さえにも否定的で、リリアナは夢がないと言って拗ねた。それさえも笑っていた彼が言うのだ。冗談ではないのだろう。
「この力で、カタルータは世界一の称号を手に入れられる!ひよった考えのシュトラエネーゼとは違う。」
「それで、何故私をここへ連れてきたのですか。勉強するとはどういうことですか?私が来たらこの争いが終わるとはどういうことですか?」
質問攻めだ。普通ならば、あまり嬉しいことではないだろう。しかし、カランは満足げに頷いている。そして、一つずつ答え始めた。
「貴女を連れてきたのは、この世界で一番魔力が強いからです。勉強すると言うことは、錬金術です。魔法が使える人物は錬金術の才能もある。そして、もしなくとも、その素晴らしい力から賢者の石が生成できる。そうすることによって、シュトラエネーゼなど更に取るに足らない存在になるでしょう。貴女を手に入れれば、それらのことが可能になる。そして、ランス様が貴女を大層気に入っていらっしゃる。二人がご一緒になれば、世界の頂点にたつにふさわしい存在になり得ましょう。」
長々として説明の三分の一も、リリアナは消化できなかった。カランが早口で述べたこともあるが、頭が考えることを拒否しているのだ。
何も言わなくなったリリアナを、カランは感情が読めない表情で見つめていた。
そこに新たな人物がやって来た。先にも話に上がっていたカタルータの皇子、ランスルートだ。
カランはその人物を見ると、自国の王にさえも見せたことがないような深々とした丁寧なお辞儀を見せ、熱い眼差しを送った。
「お待ちしておりました。丁度、こちらのことを説明したところでございます。」
ランスルートは満足げに頷き、柔らかい微笑みを浮かべる。それに対して、カランは感動したように目を潤ませた。
「御苦労だったね、カラン。よく連れてきてくれた。説明が済んだならば、後は姫の返事を聞くのみ。ですよね、姫?」
答えが一つしかないと言わんばかりの視線。リリアナは黙るしかなかった。
すると急に態度が悪くなるカタルータの皇子。彼女が何も答えないのが気に障ったらしい。
「姫さまと言えども、ランス様のご機嫌を損ねることは許されません!」
息を荒げるカランを、ランスルートは手だけで諭した。そうすれば彼は止まるしかない。後は二人を見守るだけに徹した。
ランスルートはさらにリリアナに近づく。彼女は逃れるかのように視線をそらした。
「…状況は理解したのでしょう?そろそろ僕のモノになる決心を固めても良いのでは?」
彼の右手は彼女の顎を掴み、無理矢理自分の方に向かせている。それでもリリアナは目だけを背けていた。
「そして、カタルータに貴女の全てを捧げるのです。」
あまりにも釈然とした態度をとる皇子に、リリアナは奥底から怒りが沸々と湧いてくるのを感じた。
彼女が断れないと分かっていて言っているのだから、言葉に刺があると感じられても仕方がないのかもしれない。だが、それでももっと違う言い方ができるのではないのかと、リリアナは憤然とした。
「貴女さえこの手を掴めば、全てが収束する。分かっているでしょう?」
「……ええ。だけど、」
彼の手を祓い、今度は自ら真っ直ぐに視線をぶつけた。その態度の変わりように、ランスルートが驚いたほどだ。
「その終わりと同時に、大きな破滅も始まるわ。」
大声ではない。だが、耳朶に真っ直ぐに響いてくる。そんな声だった。凛とした空気を纏う彼女は、さっきまでの彼女ではない。
「言わんとしていることの意味が、僕には分かり兼ねます。姫、変なことを言うのも大概にして下さい。」
見逃せなくなる、と小さく付け足したのを、リリアナは聴き逃さなかった。
「貴方は、私を手に入れることでこの戦いを終わりにするといいました。けど、結局のところ、もっと大きな諍いが起きる序章に過ぎません。だって、貴方は訳の分からない力で、世界のトップに立つつもりなのでしょう。」
つまり、リリアナが言わんとしているのはこういうことだ。
彼女は今回の争いを止めるためにやって来たが、結局のところ最初から目的は自分だった。そして、自分がカタルータに渡ることでこの戦争の当事者である両国間だけでなく、世界に多大なる影響を与えてしまうと言うことなのだ。
今では口車に乗ってここまで来てしまったことを彼女は悔いているが、それはもう後に立たない。ならば、兄やアランを信じて自分が気丈に振る舞って時間稼ぎができればいいと思ったのだ。きっと助けに来る、と。
「そんなことの為に、私は自分の力を絶対に使いたくはありません。ならば、死を望みます!」
「自分が何を仰っているのかお分かりですか?!」
急に距離を詰め、カランがリリアナの肩を掴み、大きく揺すった。彼にとっては、それほど重大なことを言ったのだ。
「カタルータを侮辱し、自らの力を無に返そうなど!何を言っているのかお分かりか?!」
彼女は十分に理解している。カランの方がそれを理解したくないと言う思いから、彼女に詰め寄った。
それが分かったランスルートは、カランとリリアナを引き離した。
「貴女のせいでこの争いが起きていることは知っているのでしょう?」
「……分かっています。」
「この無駄な争いを止めたいのでしたら、僕に従うべきです。」
でも、それはとりあえずのことでしかない。結局自分は世界を掌握するための道具にされてしまう。
リリアナは言葉に迷い、答えられなかった。
「僕としては構わないんだよ。こんな戦い、大した損害はない。」
その一言が、リリアナに触った。沸々と怒りがわき上がる。
「大した損害はない?!よくもそんなことが言えますね。」
最後は、絞り出すような声だった。怒りが如実に表れている。ランスルートの言い分や言い方が気にくわなかったようだ。
その様子の変化に、ランスルートは訳が分からないと言ったようにキョトンとしている。その顔をリリアナは真っ直ぐに睨みつけた。
「……損害がない?沢山の人が傷つき、亡くなっているというこの状況で大きな損害がないと言うのですか?!」
「もちろん。民は王に尽くす為にいるのです!」
何と言うことだろう。リリアナは衝撃を受けていた。
ここまでくると見事だと言わざるを得ない程の言い分だ。ある意味感心してしまう。だが、それはあってはならない考え方だ。彼女の眼光はさらに強くなった。
―――それは愚王のすることだわ!この人はそれが分かっていない。
「民には民の生活があり、家族が居る。彼らは王の所有物ではないわ!」
「何を言っているのか分かり兼ねますね。」
それは自分の台詞だと思ったが、彼女は敢えて言うのを止めた。豚に説教をしても意味がない。彼が分かってくれるはずはないと、早々に諦めたのだった。
「その視線は気に喰わないが、貴女の選択肢はひとつしかないと言うことを早々に理解していただく必要があるようだ。」
ランスルートは身体を反対へと向け、歩きだす。もうここに用はないらしい。
「早く決断するべきだ。貴女が大切にしているその民とやらの命を救いたければ、貴女の発言一つでこの戦いが終息すると言うことを頭の片隅に置いておくといいでしょう。」
二人は立ち去った。リリアナは一人になり、その場に座り込む。そして、自分の膝に顔を埋めて、また考え込むのだった。




