21. 「私は、心配なのです。」
昨夜、ユリウスと別れた後、職務に追われていたアルキナスも元に、彼から手紙が届いた。それは、伝え忘れたことがあったとのことで、そこにはあまりにも衝撃的なことが書かれていた。
しかし、それは賢者の石ほどではない。だが、それなりに問題になるものだ。
本来ならば王に確かめるところだが、それよりも怒りが勝ってしまったため、今現在廊下を闊歩しながらその人物がいるであろう部屋へと向かっている。彼の表情は、まさに鬼の形相だった。
「失礼する!」
目の前に居る騎士を無視し、扉を乱暴に開け放った。あまりの行動に騎士たちは止めようとしたが、その人物に対抗できるはずも無く、主のいる部屋への侵入を許してしまった。
「まあ、朝から騒がしいこと。本当に失礼ね。」
悠々と紅茶を飲み、ソファーに寛いでいる。その姿は優雅ではあったが、先の言葉を吐いているととても傲慢に見えた。
今日も豪奢なドレスと宝石を身に付け、髪型も化粧も完璧だ。彼女は高貴な身分だと一目見て分かる姿と雰囲気を持っていた。
「呑気にお茶をしている場合ではない。マリアンヌ、お前はカタルータの皇子に手紙を出しているな?」
威嚇するような、低い声だった。しかし、口調は酷くゆったりしている。アルキナスは怒り押さえ込んでいた。
「それがどうしたと言うの?別に問題ないでしょう。他の国の皇子と個人的に文を交わすことなど、珍しくも無いこと。それよりも、姉に向かってお前とは本当に愚かな弟ね。」
アルキナスは茶器が置いてある机を思い切り殴った。おかげで、ティーセットはぐちゃぐちゃだ。いつもならば、マリアンヌは文句の一つでも言っただろう。しかし、今回ばかりはアルキナスの怒り方が尋常ではないと気付き、閉口していた。
「事実を言え。カタルータに手紙を出したな?」
「…ええ。」
「何を書いた?」
「他愛もないことよ。内容まで聞くのは流石に次期国王とも言えども、プライバシーの侵害だわ。」
やはり、彼女は減らず口だ。先程彼を怒らせたと悟ったくせに、もう高慢さが元に戻っている。しかし、アルキナスは気にすることなく話を進めた。
「お前、リリーの予定を漏らしたな?」
「な、何のことかしら……わたくしはリリアナとの接触を禁止されているはず。どうして関心を持つと言うの。」
そう言っている時点で、関心を持っていると言ったも同然だ。それに、口調にも態度にも焦りが出ている。目をうろたえさせ、口はどもっている。間違いなく自分の非が分かっている様子だ。
「リリーが誘拐されかかったことを聞いただろう。お前がした事のせいで、リリーは命を狙われたんだ!」
「わたくしの知ったことではないわ!それに、あの男はリリアナが欲しいと言うから……利害が一致したから手を組んだまで。危険な事は何もないと分かっていたのよ!」
それは明らかな肯定だ。アルキナスはもう一度机を殴った。興奮しているマリアンヌを抑えるため、そして、自分の怒りを抑えるため。
拳には擦り傷が付いていたが、彼は痛がる様子を見せなかった。それよりも、表情は怒りに打ち震えている。前から気に入らないと思っていた姉の愚行に、とうとう声を荒げてしまったのだから、その怒りの具合は相当なものだろう。
「…皇子との手紙を出せ。証拠として押収する。」
「そんなっ…!」
「身から出た錆だろう!」
急に焦りを見せる彼女に、アルキナスはついに怒りを真っ直ぐに向けた。その威圧感、次期王としての厳格さ。彼女を怯えさせるには充分なほどの空気を纏っていた。
「あの夜会の時とは違う。猶予など与えない。」
後で王の元に届けるように言うと、アルキナスはそこを後にした。残されたマリアンヌは、悲痛そうにその美しい顔を歪めていた。
******
王の元へ向かう前に、やらなければいけないことがある。アルキナスは歩を地下の方へ向けていた。
そこに居るのは、もちろんアサニッシオの男だ。彼には聞かなければならないことがある。
「…やあ、来たね。」
思っていたよりも遅かったと言われ、アルキナスはムッとした。昨日の今日だと言うのに、酷い言い草だ。褒められてもいいくらいの早さだと思った彼だが、アサニッシオの男にしたら遅いらしい。
「お前がプレゼントと言って渡した物には、この国の人間の血液が含まれている。」
「ああ、そうだったね。」
悠長な雰囲気を醸し出し、アルキナスが来たと言うのに簡易ベッドの上から起き上がらない。手癖が悪いのか、爪を弾いて遊んでいた。
「…これがあればお前は魔法からすり抜けて逃げられたはずだ。そもそも、アランの魔法に捕まることなく、リリアナを誘拐して逃げ果せたんじゃないか?何故そうしなかった?」
そうなのだ。彼は賢者の石を持っていれば、この国からリリアナを馬鹿皇子に渡し、莫大な報酬を得られたはずだ。それをしなかったのは、やはりアランが原因だろうか。
そう問うと―――。
「ああ。あの視線で射抜かれて、ぞくぞくしたよ。人のためということが原動力になって、暗殺集団の人間に無謀な戦いを挑んでくるなんて想像できるかい?」
その表情はどこか恍惚としている。何かに憑かれたようにも見えたが、一瞬で元に戻ったため、アルキナスは気にするのを止めた。
「それに言ったろう?殺しには飽きた。それが当たり前だと言う感覚も、今すぐにでも失いたい。普通の人間になるならば、平和な国が一番いいだろう?」
つまり、この男は一般人としてこの国で暮らしたいと言うのだ。そのために、情報を渡すと言う約束を取り付けたらしい。
アルキナスは他に得られる情報が無いか試みたが、小出しにする目的でもあるのか、今は教える時じゃないと言った。それに―――。
「もう教えなくても、あんたは得られているはずだ。俺は情状酌量の余地があればいいだけのこと。」
それだけ言うと、後は何処吹く風。寝そべったまま目を瞑ってしまった。
こうなってしまえば、話を聞き出すのは無理だ。拷問をしようにも、相手がアサニッシオでは慣れ過ぎている。無駄な労力で終わってしまうだろう。
アルキナスはまた来ると言い、そこを後にした。後ろからひらひらと男が手を振ったのには、勿論気付かなかった。
来た道を戻って行く。漸く冷静になってきた頭で考えれば、マリアンヌに一人で話を聞きに行ったのは少々早計過ぎたと思っていた。
しかし、過ぎたことを考えても仕方ない。事後報告にはなってしまうが、彼は一応王の元へ行こうと歩を進めた。
******
「だめです。今日も安静にしていてください。」
起き上がろうとしたリリアナを、アランはすぐさま制した。その目力の強さ。彼女も一瞬後退りしてしまいそうになるほど、それは威圧的だった。
彼女の怯えた表情に気付いたアランは、すぐに視線をそらせる。自分がリリアナを怯えさせていると分かったからだ。
「とにかく、今日外出することはお勧めしません。」
彼に言えることはそれだけだ。だが、拘束力はない。彼女の命令が出てしまえば、それに抗うことはできない。つまり、彼女が出掛けるからつき従えと命を出せば、アランは従うしかないのだ。
「アランの言う通りだな。」
「お兄様!」
彼女の部屋を訪れたのは、アランの言葉に助け船を出せる者だった。
アルキナスが歩いて来ると、皆頭を下げる。それをしないのはリリアナだけだ。同じ王族の彼女だけが、その態度を許されていた。
「だって、約束は昨日だけのはずでしょう?」
「だけど、まだ顔色が悪い。」
頭を撫でられているリリアナは俯いた。
確かに、自分でもまだ体調が悪いことを理解しているのだ。正直に言えば、彼女は体のだるさを感じていた。しかし、以前感じた以上のだるさのため、単なる体調不良だと思い、別に視察に行っても問題ないと思っていた。
「医者に言われただろう?しばらくは魔力の低下で体に不調が出ると。だから、回復するまでは外出は許さない。」
ぴしゃりと言われ、リリアナは余計に拗ねた。だが、一方のアランは嬉々とした様子だ。それもそうだろう。自分の願っているようになったのだから。
アルキナスはアランに後で自分の執務室に来るように告げ、リリアナの頭を撫でてから出て行った。
「リリアナさま、今日も大人しく寝て下さい。くれぐれも書類をベッドの上に持ち込まないで下さいね。」
今日もまた一段と麗しい笑顔でそう告げた。それを直視できず、拗ねたような態度を見せるリリアナに、もう一度いいかどうかを聞く。答えを迫られたリリアナは焦って、分かったと告げていた。
そう言ってからもう一度渋るような態度を見せる。そんな彼女に、アランは有効的な攻撃を仕掛けた。
「私は、心配なのです。」
強調された言葉に、そしてぐっと近づけられた顔にリリアナは俯いてしまう。その顔は真っ赤に染まっていた。更に可愛らしいことには、耳までも赤くなっている。俯いて表情が確認できない彼にも、今のリリアナがどんな表情をしているのか容易く想像できた。
リリアナが折れたのはすぐだった。彼女は今、心配という言葉に弱い。
一昨日の出来事でアランがリリアナのすぐ傍に居ることを望む理由が分かっている。そして、かなり心配をかけたことも。
だからこそ、弱いのだ。彼に心配を駆けさせてはいけないと思っている分だけ、その言葉が効力を発揮した。
これからアランはアルキナスの元へ行く。リリアナの傍を離れるのだ。だからこそ、心配が倍増するのだと思い、彼女は了承せざるを得なかった。
アランは彼女の恥じていながらも了承してくれたその姿を好ましく思い、主に対して失礼かとも思っ
たが、その頭を撫でる。リリアナは、さらに顔を真っ赤にさせていた。
その二人の様子をアニーだけが見ており、アランが退室する際には見て見ぬふりを決め込んだ。そのことにアランは密かに感謝し、久しぶりに触れたリリアナのことを想った。
部屋を出てすぐ、扉の前でその右手をきつく握りしめる。しかし、思い立ったように歩きだした。
すぐ近くにあるアルキナスの執務室に用向きがある。ノックをして中に入ると、すでに仕事をしている部屋の主がいた。
最大級の礼を取り、遅くなったことに謝罪をする。しかし、面倒なことはなしだと言われ、すぐに本題に入った。
「報告では、この国の城下にカタルータの者が潜伏している。」
アランは言葉を失い、何も言うことが出来なかった。それを見たアルキナスは必要事項だけを述べていく。彼はその話に耳を傾けるだけだ。
「奴らはリリアナの有価に関わった奴らからの連絡が無いことから、その状況を知るために来たらしい。しかし、どんな暴挙に出るか分からん。もしかしたら、隙をついて再度誘拐を試みる可能性もある。」
つまり、公務は難しいと言う事だ。先のアランを擁護する言葉は、彼女のことを想ってのことだったらしい。外出すれば、何が起こるか分からない。次も助かる確証は何もないのだ。
「しかし、リリアナさまは何も知らないのでしょう。何時までも部屋に閉じ込めておくことはできないと思いますが?」
「そうだな。だからといって、易々とリリーを奴らに渡すわけにはいかない。」
彼女の公務のことは、国の人間ならば誰もが知っている。以前のように前もって情報を得ることはできないが、当日のことは国の人間に訊けば分かるだろう。
計画は杜撰になるかもしれないが、数日間この国に居るのだ。逃走ルートをあらかじめ企てることも可能になる。そうなれば、今度こそリリアナを助けることはできなくなるのだ。
「あと、一昨日の事件の日の予定を漏らした者がいる。きつく言っておいたが、手助けする可能性が無きにしも有らず、なのでな。城内においても、その警護を絶やすな。絶対にリリーから目を離してはいけない。」
アランは忠誠のポーズをとり、その命を受けた。
「それにしても、またマリアンヌ様ですか。」
顔を上げて彼がアルキナスに問えば、肯定と取れるため息が聞こえた。そして、困った事だとぼやいた。
アランが何故それに気付いたのかというと、何ら罰を与えた様子が言葉から伺えなかったからだ。まだ暴挙に出る可能性がありながら野放しにしていることを告げていたため、それがマリアンヌだと把握したのだった。
「折角引き離したと言うのに、無駄だったのか……」
「いえ。前よりも落ち込むことが減りましたし、良かったのではないかと思います。」
アランの言葉に、アルキナスは少しだけ安堵した。だが、攻撃方法が変わっただけで、マリアンヌがリリアナに手を出しているのには変わりない。しかも、誘拐の手伝いをするとは。
だが、国王陛下は罰を与えることにうんとは言わなかった。時が来れば話すと言っていたが、それがいつになるかは分からない。それに、別のことでも心配がある。
アルキナスはリリアナの部屋を訪れる前に行った父の執務室での会話を思い出し、嘆息した。そして、暗い気持ちになる。先行きが不安だった。
「どうかなさいましたか?」
まだそこに居たアランに現実に戻され、彼は何でもないと答えた。それに怪訝そうな表情を見せたが、アルキナスは話を逸らしたのだった。
「お前、そろそろ俺の元へ来ないか?」
話を逸らす口実ではあったが、これはアルキナスにとって本心からの言葉だった。
すぐに拒否しようとするアランを彼は遮る。喋る隙を与えないかのように、語り出した。
「リリーの成人式の後の夜会でとったお前の行動は、主を想ってのことだけではないと自覚しているはずだ。」
―――…図星だ。
先は拒否しようとする言葉がすんなり出ようとしたのにも拘らず、今度は否定の言葉が出てこない。アランはアルキナスから視線を逸らした。
人は本心を当てられると、それから目を逸らしたくなるものだ。見事にそれを具現化した行動に出た彼を、アルキナスは面白そうに微笑みながら見ていた。
「お前は自分がリリアナの隣に立つには相応しくないと言っていたが、相応しくなればいい。それに、お互いにそれを望んでいると言うのに一緒にならないと言うのは、辛くて仕方がないことだろう。」
アランは険しい表情をしている。彼のこんな表情をアルキナスの他に見た者はいないだろう。それくらい、今の彼の表情は珍しいものだった。
「他の男を牽制するためにお前はあの夜会に出席した。しかし、いつかリリーも恋をするだろう。それがなくとも、結婚するだろう。想像できるか?傍に居ることだけを望んだお前だが、それを一番近くで見守れるか?他の男と手を取り合い、愛し合っているリリーを。」
痛いところを突かれたのだろう。先の表情に、更に険しさがプラスされていた。顔を顰め、痛みを堪える表情を見せている。握りしめた手には、力が入っているのか震えていた。
「しかし、私は……」
「お前は今回、昔のような状況においてリリーを救った。そろそろ過去の柵から解放されるべきだよ。」
驚いて顔を上げたアランが見たのは、優しい笑顔を浮かべるアルキナスだった。
その表情の柔和さにアランはまたも驚き、バツの悪さで再び俯く。またも当てられてしまった本心に背くなと言われた気がしたのだ。
「俺はリリーには幸せになって欲しいんだよ。それに、俺の理解者でいてくれるお前にも。」
アランは答えることは無かったが、その言葉を重く受け止めたのだった。




