22. 「……目を、逸らすの。」
体調を整えるための外出禁止令が出てしまったため、リリアナは自室において読書をしていた。
窓際にシングルソファを寄せ、サイドテーブルに紅茶を置いている。時々飲みながら、本に目をやる。外は快晴だ。出られないことが悔やまれる。
傍らにはアニーが立ち、その様子を観察とまではいかないが気に掛けていた。
「――…ふ――……。」
長いため息をついた。部屋には二人しかいない。彼女の疲れた表情を見て、アニーは彼女のお気に入りであるカモミールのミルクティーを用意した。
甘いリンゴのような香りが辺りに立ちこめる。その香りにほっと今度は安堵のため息をついた。
「…いい香りね。」
「落ち着かれましたか?」
にこやかなアニーにリリアナは苦笑気味だが、ええ、と答えた。
そもそも、彼女がここまで憔悴しきっているのは、体調を整えろと言われて外出できないからだ。
最初の二、三日はよかった。もともと政務に勤しみ過ぎていたのか、体調不良とは違う疲れが残っていたらしい。ほとんど寝て過ごした。
おかげで身体のだるさは残りつつも、疲れ自体はとれたように感じていた。が、それが過ぎてしまえば、あとはやることもない。
政務の書類を眺めようとするも、いつもながらの王子張りの輝きを放つ笑顔を浮かべるアランに無言の威圧を与えられるのがオチだった。
つまり、仕事はだめ。他に何か好きな事をしろ。そう言う事だ。
だが、やることなど特にない。以前は本を読み、庭を散歩する。そして、飼っていたネコと戯れ、時折刺繍をする。そんな日常だった。
しかし、現在は政務に勤しむことと、自分の能力を上げるために魔術書を読むことしかしていない。今は魔法力を取り戻す為の休暇でもあるので、それも許されていない。
猫は姉に取られてしまった。
読書も数冊で飽きてしまった。成人する前に小説などの蔵書はほとんど読んでしまい、残るは専門書。魔術書は禁止されているため、残るは研究者が読むような難しいものだ。手が付け難く、理解するのが大変である。そんな物に手を付けるほど、リリアナに勇気はない。
勿論刺繍にも手を出したが、二日で飽きてしまった。
「そんなに苛ついているように見える?」
「はい。」
リリアナの問いにアニーは即答した。そのことで、彼女は再び苦笑する。目に見えて自分の態度がそうだったのかと思うと、少し情けなかった。
「暇ねえ。何かやることはない?何でもいいの。」
主の言葉に、アニーは困った顔を見せた。もちろんリリアナ自身もこんな反応をされることが分かってはいた。しかし、本当にやることが無いのだ。
「そうだ。アランも鍛錬に行った事だし、魔術書を読んでいいかしら。」
「申し訳ございません。」
アニーの謝罪は、言い遣っていることがあるからだ。つまり、それはさせられない、の意である。
「誰に言われたの?」
「…アランさまですわ。」
今日何度目かになる深いため息をついた。ここまで徹底的に過保護だと、ため息もつきたくなるだろう。
リリアナは背もたれに頭を預け、身体の力を抜いた。
「…それにしても、アランの最近の様子、おかしいと思わない?」
思い立ったように身体を起こし、背もたれに両手をついてアニーの方を向く。行儀が悪いと注意されたが、彼女は全く気にしていなかった。王族の娘とは思えないふるまいだ。しかし、いつものことだと思い、アニーはそれ以上注意しなかった。
「そうですね。先日からご様子がおかしいと思います。」
ふふ、とゆったり笑うアニーにリリアナは鋭い視線をぶつけた。
彼女がこんな含み笑いをするときは、いつでも理由を知っている時だ。リリアナはそれにすぐさま気付いたが、彼女に問っても絶対に教えてくれないことも分かっている。ヒントは彼女と交わして行く会話で掴むしかない。
「何か嫌なことでもあったのかしら。」
ちらっとアニーの方向を見て様子を伺ったが、動じる様子はない。どうやら外れたらしい。
そうやって確かめようとしたのもつかの間、すぐに止めざるを得なくなった。
「私は喋りませんよ。」
一蹴されては、これ以上の質問はできない。やはり、拗ねるリリアナにアニーはお代わりのミルクティーを注いだ。
機嫌を損ねるリリアナ。そうでなくてもやることが無くて不機嫌だ。しょうがないと言った様子でアニーは彼女に話しかけた。
「……どうやら、何か悩んでいるようでございます。」
彼女が再び振り返ると、アニーはそれ以上は言えないと言った。
「知っているのなら、教えてくれてもいいのに。」
「本人に確認した訳ではありませんし、他人のことを私が勝手に語るのはおかしい事だと思いますわ。」
正論だ。こう言われてしまえば、リリアナはそれ以上は聞けなかった。しかし―――。
「おねーさま!それはわたくしたちがご説明いたしますわ!」
急に扉が開き、女の子が二人飛び込んできた。先程アニーが説明することを断ったはずなのに、その解説をして見せると言って目をキラキラさせている。二人は、リリアナの下の姉妹である、レニーとサリーだった。
前回同様テンションの高い二人にリリアナは押されている。聞くのを諦めたと言うことを伝える隙さえ与えてもらえなかった。
「アランさまはお姉さまにベタ惚れですわ。ねえ、レニー?」
「そうね、サリー。それに、嫉妬深いわ。お姉さまのことなら何でも知ってるようにひけらかすのよね。」
リリアナは、あまりのテンションの高さについて行けずに、固まってしまっていた。勿論、話半分だ。
アニーは注意しようとしたが、相手は王族。マリアンヌのようにならないとは思いながらも、口答えをすることは憚られた。それに、二人が居れば主のヒマもつぶれると思ったのだ。
「それにしても、お姉さま。アランさまの様子のどこが可笑しいんですの?」
身を乗り出して聞いてくるレニーによって、リリアナは意識を正面のことに戻された。
視点を合わせてみると、目の前に妹二人の顔が興奮で赤らんでいる。どうやら、話さなければ解放はされないらしい。アニーを横目で見ても、お茶を淹れていてどうやら助ける気が無い。
逃げ道がないと理解したリリアナはため息をついて二人に向き直った。
目がキラキラしているあたりが、好奇心しかないことを彼女に教えている。しかし、それに気づかないふりをして、リリアナは部屋に訪れた二人を歓迎した。
「「で、どうですの?」」
誤魔化されてはくれないようだ。挨拶をすることで話がそれると思ったのは、浅はかだったらしい。やっぱり声をそろえて聞いてくる様子は、双子のようだ。
仕方なしに口を開く。その様子を二人は好奇心旺盛な瞳で見つめていた。
「……目を、逸らすの。」
リリアナの話によれば、いつも笑顔でいるはずのアランが時折表情を曇らせる。それに気づいたリリアナがじっと顔を見つめると、さらに辛そうな表情を見せ、視線を逸らせてしまうのだと言う。
それだけではないらしい。手が触れれば弾くように避け、だのに今まで以上に近いところにいたりもする。そんな不可解な行動が最近多いのだと言った。
そう告げたことで、リリアナの心はすっきりした。アランの心情を聞きたくない訳ではないのだが、とりあえず自分のもやもやした思いを誰かに言いたかったようだ。
しかし、二人がリリアナのそんな気持ちを酌むはずもない。
「「まあまあまあまあっ!」」
二人の目はよりいっそう輝いた。
「アランさまって意外とヘタれなのね。」
「そうね。顔だけみれば百戦錬磨そうなのに。」
いったいどこでそんな知識を得てきたのか、ただ聞いているだけのアニーは少々呆れた。
そう思われている二人の情報源は、昨今流行っていると言う恋愛小説である。そうとは知らないリリアナは驚きながら、言葉の意味を考えていた。
―――二人は何を言っているのかしら?
結局分からない様子だ。
「こうなったら、本人に直接心境の変化を聞くしかないわね!」
「そうね!」
二人は手を取り合って、駆けだして行った。
残された二人は呆然とする。勿論それは妹たちが訳の分からない行動に出たからだったが、その勢いに圧倒されたと言うことでもあった。
「……お茶のお代わりは如何でしょう。」
「ええ、いただきます。……あの子たち、放っておいていいものかしら?」
「……おそらくアランさまのところへ行ったのでしょうから、任せておけばよいのではないでしょうか。」
リリアナはお茶を一口啜ってから、そうねと溢した。
******
アニーとサリーは急いで廊下を歩いていた。急いでいるがそうは思われないスピードを維持して、二人はアルキナスの部屋へと向かっていた。
アランはリリアナの部屋にはいなかった。ならば、アルキナスの部屋だろうと踏んだのだ。
しかしながら、その予想も外れていた。
飛びこんで行った先の部屋には、その部屋の主しかいない。目的の人物が居る気配は毛頭なかった。
「……どうしたんだい、二人とも。」
驚いた様子で聞いてくる兄に、二人は同調してアランはどこにいるのか聞き返した。
「リリアナの部屋にいなければ、鍛錬に行ったんだろう。何か用でもあったのかい?」
「「ありますわ!」」
すごい勢いに押されて、アルキナスは上手く反応できなかった。それでも、迫る勢いで二人はやってくる。彼はどうどうと鎮めるように宥めながら、状況を理解するために話を聞くことにした。
「お姉さまが悩んでいらっしゃるのを知っていますか?」
「……リリーは何かを悩んでいるのか?」
アルキナスは妹のことを思い、思わず顔を顰めてしまった。
今でさえ心配事が多いはずだ。それを差し置いて彼女が一番悩んでいる事とは何か。早くそれを知りたかった。
「アランさまの行動が気になるそうです。」
サリーはその詳細をリリアナに聞いたとおりに話した。それを聞く兄の顔はどんどん笑いを堪えるものになっている。何かを理解したようだった。
それもそのはず。先日アルキナスがアランに言ったのだ。
自分がたきつけたことにそのまま素直な反応を見せたことが面白い。そして、彼自身とても嬉しかった。
―――…葛藤しているのか……、見ものだな。
不敵な笑みを浮かべる兄を、二人の妹はじっと見つめている。わけがわからないと言った様子だ。
理由を聞きたがる二人。しかし、いくらせがまれても、アルキナスは話そうとしなかった。後は彼の問題だからだ。
彼のリリアナに対する気持ちは、向けられている本人以外には駄々漏れだ。そして、気持ちが膨れ上がって、もうどうしようもないこともわかっている。それだからこそ、アルキナスはアランにああ言ったのだ。
「お兄様、お一人で納得しないでください。」
「まあ、気にするな。後は本人たちに任せた方がいい。変に介入してこじれても嫌だろう?」
「「……ええ、そうですね。」」
何とか二人を納得させ、アルキナスは二人を帰した。そのあと、自分は動きやすい格好に着替え、剣を腰に携えて執務室を後にした。
着替えたのは、アランの鍛錬に付き合うつもりだからだ。鍛錬上に行くと、彼は何人もを相手にしながら、押されることもなく淡々と倒していた。
その表情を見たアルキナスは、もう一度含み笑いをする。幼馴染みだからこそ、彼が葛藤している様子がわかったのだ。それはもちろんリリアナのことだろう。
彼の周りには何人もの男たちがへばっていた。アランよりも体格がいい人間が多い中、彼は疲れているような様子を見せていない。
アルキナスは剣を抜き、近寄って行った。
彼を見た騎士たちは片膝をつき、最大級の礼を見せる。同じようにそれをしようとしたアランに、彼は剣を向けた。つまり、自分と戦えと言う意味である。理解したアランは同じように剣を向けた。
それを見ていた周りの騎士たちは内心ホッとしている。自分たちの体力は限界だったのだ。彼の相手をしてくれる人が他に居ればいい。それがかなりの剣の腕の持ち主であることが余計に安心感を与えていた。
打ち合いが始まる。練習用の刃先が潰してある剣とは言え、金属音はかなり激しい。周りにいる者はみな、固唾を飲み、手に汗を握りしめて二人の戦いを見ていた。
「お前、リリーの前で挙動不審なんだって?」
「……お恥ずかしながら、」
彼は言葉を詰まらせた。
「我が妹をあまり困らせてくれるなよ。」
「申し訳ありません。」
「謝るな。俺としては嬉しい。」
激しい打ち合いは続いている。二人の会話はまるで日常会話のような雰囲気を臭わせていた。
周りには聞こえない。しかし、二人にははっきりと聞こえる会話だった。
「俺の言ったことをきちんと考えているのだろう?時間をかけて悩めばいいさ。」
軽く言われ、アランはむっとした。彼の言ったことのせいで余計に悩んでいるのだから、仕方ないだろう。
打ち合いはより激しくなる。それは、アランが押していた。
「そうムキになるな。」
笑いながら、剣を交わして行く。押されてはいるものの、余裕があるのはアルキナスの方だった。
「俺の妹達の話によれば、リリーはお前の不可思議な様子に頭を悩ませているらしい。身に覚えはあるか?」
「……恥ずかしながら。」
彼は自分の行動を省みた。
近づいたり、触れたり。なのに、離れたり、避けたり。
矛盾のある行動ばかり繰り返している。それを自覚しているものの、どうにも分からないが、コントロールできないのだ。
こんなことは初めてで、彼も混乱している。それをどうにか紛らわせる為に剣を只管振るっていたのだ。
―――…苛々する。
どうしてそう思ってしまうのか、アラン自身もわからないでいた。ただ、アルキナスに言われること、わかっているからこそ頭にきてしまうのだ。
アランは交えた剣でアルキナスを押し、足をかけて倒す。そして、喉元に剣を突き付けた。
誰もが一瞬息を飲んでしまうほど見事な流れ。まるで剣舞でも踊っているかと思われるほど見事なものだった。
「……足をかけるのは反則じゃないか?」
「闘いに反則も何もありません。」
ご尤もな言い分に、アルキナスは苦笑いを浮かべた。
二人の戦いは終わった。その場に剣を使うものは誰一人としていない。
それに気づいたのは、騎士団団長。アランが荒れているのをいいことに、訓練を丸投げした人物だ。
「お前ら、いつまでも寝てんじゃねえ!おら、さっさと通常訓練に戻れっ!」
鬼の一声に、誰もが肩を落とす。しかし、後が怖いのか、逆らうものは誰一人としていなかった。
「アラン、お前もだ。いい加減、姫さんの護衛に戻れ。」
腰に手を当てて、いかつい顔を更にしかめている。体格が人一倍いい彼は、その通りの性格を持っていた。
「さっきまで黙認してくれていたじゃないですか。」
「それはこっちの事情だ。」
気持ち良く昼寝ができた、と呟く団長にアランは嘆息した。
この人物の性格がわかっているとは言え、どうも扱い難い。そう思っているアランは少々失礼な部下だ。だが、それを直接言われても笑って許してしまう、団長の懐の大きさは彼もわかっていた。
「もう少しくらい、いいじゃないですか。」
「そう言ったらお前はいつまでも戻らんだろう。気になるのなら、目の届くところに居ればいい。違うか?」
真っ直ぐな視線を向けられたアランは、再びため息をつく羽目になった。
それを見ていたアルキナスだけが、面白そうに目を細めている。そして、ついに口を挟んだのだった。
「団長、もっと言ってくれ。こいつにはそうやってはっきり言ってくれる人間が必要だ。」
「案外こいつは優柔不断で臆病だからな。」
「確かに。」
二人は頭に特定の人物を思い浮かべ、その人物の前だけで上手くいっていない彼を思いだした。
「……やめてください。」
考えが読めたのか、すごく嫌な顔をしている。それを見た二人はまた面白そうに笑った。いつも涼しい顔をしている奴をからかうのが、二人の常で楽しみだ。
幾分趣味の悪い楽しみだが、本人が本気で嫌がっていないのをいいことに、楽しんでいるのだ。
「まあ、今は悩み時だ。団長、もっと面白くなりそうだよ。」
「そのようですね。まあ、俺はそうでなくてもこいつの面白い面が見られればいいからな。」
「…団長、王子の前で口調が崩れていますよ。」
注意された団長は、気にするなと豪快に笑い、アランの背中を叩いた。
痛いと言うアランに、もっと強い衝撃が加えられる。そして、彼はもう何も言うまいと閉口した。
しばらくすると、アランは二人を残して歩いて行く。それは主の元へ行くと言う意志だった。




