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18. 「…お目覚めになられて、本当に良かった…っ……!」


「…やつはお前にしか話さないと言っている。訊いて欲しいことの要点は覚えたか?」

「はい。一応は覚えましたが、個人的にも聞きたい事もあるので、少々時間を要すると思います。」


 半歩先を歩くアルキナスは、男がアランをどう思っているかということを伝えるべきかどうかまだ悩んでいた。

 あの男が彼のことを観察対象だと言っていた事も、若干引っ掛かっている。だから、ここで話すのはあの男にとってもアランにとっても早計過ぎると思っていた。


 それに、そう言う事を告げると、アランに先入観を与えることになると思い、黙っている。だからと言って、この重い空気感に堪える事も出来ず、後で話そうと思っていた事を先に持ってきたのだった。


「朝は驚いたぞ。」

「…申し訳ありません。無事だと分かってはいても、中々目を開けないリリアナさまが心配で、心配で……」


 朝のこと、とは数十分前のことである―――。




******




 アランは隣で寝ているリリアナのことが心配で、寝付けずにいた。少し横になってみても目を瞑ってみても、やはり気になってしまう。だったらいっそのこと、目を覚ます目で付いていようと思い、ベッドの間に置いてあるシングルソファを彼女の方へ向けてそこに腰掛けた。


 ―――ただ眠っているだけだ。

 いくら自分に言い聞かせて見ても、そのまま目を開ける事が無いのではないかと、彼の心を苦しめる。目を覚ましている時は何を言われるか分からないが、寝ている時なら少しくらい許されるだろうと思い、アランはリリアナの右手を取り、両手で包み込んだ。


 そこに額を当て、早く目覚める事を祈る。そうすることで、彼は自分の不安が少しだけ緩和されるような気がしていた。


 そうし始めてからどれほど時間が立ったのだろうか。窓の外が白み始めている。朝の訪れを知らせていた。

 アランは額を手から外し、リリアナを真っ直ぐ見つめる。そして、彼女が成人してからこれまでのことを考えていた。


 成人の儀の時の彼女の麗しさは、数多の男を魅了し、またアランをも魅了した。「白の姫君」と呼ばれるには相応しくないほど、輝いていたのだ。


 その時のアランは気が気ではなかった。普段なら聞く彼女の命令に背いて、クロード家の一員としてパーティーに参加してしまうほど、心配だったのだ。

 変な男に言い寄られたりしないか。妬んだ女に苛められないか。…不安要素が多くあり過ぎて、どうしても傍に居たかったのだ。


 その予想は見事的中。いろんな男がリリアナを狙っていた。それをアランは視線だけで牽制し、面倒な女は自分が会話することでリリアナから意識を逸らさせたのだ。この時だけは彼は自分の容姿に感謝していた。

 しかし、それなりの爵位にある家に生まれた彼にも止められない人物が居た。彼女の姉であり、第一王女であるマリアンヌだ。


 ―――彼女はどこか間違っている。

 アランのマリアンヌに対する印象はそれだった。


 全てを意のままにできると思っていることから始め、自分よりも弱いと思った人間に対する態度は、驚くほどに酷い。アランも噂には聞いたことがあったが、それよりも酷い人物だった。


 そもそも彼はマリアンヌにあの時初めて会ったのだが、それはアルキナスに会うなと命令されていたからだ。だからこそ、危ない時間帯、特にお茶の時間には他の騎士と交代して稽古に行っていたのだが、リリアナが成人の儀を迎えるまで忙しくしていた彼は失念していた。

 その所為で彼女は余計に傷つき、辟易していたのだが、それが分かっていながらもアランは彼女の傍から離れることなど出来なかった。


 リリアナが襲われた事件は、自分の所為だと彼は責任を未だに感じている。マリアンヌの言葉を聞かずにリリアナの傍にいる事を選んだため、余計に彼女を傷つけようとする心に火を点けてしまったのではないかと思っているのだ。


 彼女にそれを問えば違うと言われるだろうが、それでも責任感の強い彼はそれを自分の胸に刻み込んで、彼女の騎士として一層力を入れて働いていた。だのに、今回また酷い事件が起こってしまった。


 アランが彼女から離れた、ほんの数分の間に起きた事件だった。リリアナの命令に背くことなど彼には到底出来るはずもないが、時間を戻せるのならば逆らってでも傍に居るだろう。


 彼が自分で強くなると決めたあの時とは違い、敵を自分の力で倒すことはできた。しかし、命に関わるほどの大怪我をしてしまったのは、あの時と同じだ。その所為で今彼女はまだ目を覚まさずにこうして寝ているのだから、彼の心が落ち着かないのは当たり前だろう。


 どれほど強大な力をこの小さな身体に宿し、どれ程の苦痛をこの小さな身体で耐えてきたのだろう。

 図り切れない強さを持った彼女をアランは尊敬し、誰よりも傍に居たいと思っていた。喩え自分が彼女に嫌われようとも、傍を離れることなどできない。それが彼の心にある一つの信念だ。


 またしばらく経つと、彼女は身動ぎした。しかし、まだ目を覚ましそうにない。アランは手を外そうとはせず、彼女の顔を見つめ続けた。


 飽きもせず眺め続ける事二時間近く。完璧に太陽が昇り、城内も仕事に勤しむ者たちでざわめいていた。

 その時、可愛らしい口から呻くような小さい声が出た。どうやら魘されているらしい。アランはその手を握りながら、必死にリリアナの名前を呼んだ。


「…んっ、うぅ……」


 そう零し、リリアナはゆっくりと目を開けた。半眼で少々焦点があっていない様子なのは、寝起きだからだろう。だから仕方ない行動だと言えるのだが、それさえも彼の心配を掻きたてる要素になった。


 一方のリリアナは状況が理解できずにいた。目を開けるとそこに人が居たのだが、その人物に見覚えがあった。漸く視点があってくると、なんとアランが手を握って、見つめて来ているではないか。


 驚いて手をのけようとしたのだが、力強いその手を振り切る事が出来ない。彼の表情を見ていると、どうしてもいたたまれなくなってリリアナはそのうち抵抗を止めた。

 アランはそのままその手を握り締め続けていたが、その瞳にはうっすらと涙らしきものが見える。彼女が目を覚ました事は、それくらい彼にとっては安堵できる出来事だった。


「…お目覚めになられて、本当に良かった…っ……!」


 詰まった言葉は、彼の焦り具合をよく表している。そして、思わず抱きしめてしまったために、彼女は身体を固まらせることになった。


「痛いところはありませんか?」

「…ないわ。」

「身体の調子はいかがです?」

「…少し寝過ぎたみたいでだるいけれど、それ以外はなんとも……」


 ―――それよりも、アランの腕の方が痛いわ……

 その言葉がなぜ出てこなかったのだろうか。彼女がそう言えば、簡単に開放してもらえたはずだ。しかし、リリアナは自分が誘拐された所為でここまでアランを心配させてしまったと思い、彼の思うままにさせようと諦めた。


 だが、その考えは少々甘かったようだ。いくら時間が経とうとも、彼はリリアナを解放する様子を見せない。辺りは静かで、二人の呼吸さえよく聞こえてしまうほどだからこそ、リリアナは声をかける事が憚られた。


 そんな時―――。


「…あ、すまない。」


 開かれた扉から入って来た男は、目の前に広がる光景に驚き、すぐに部屋から出た。信じられないような画だったため、頭を冷やそうと思ったのだが、後を追いかけるように聞こえた声に導かれて、医務室へ入ったのだった。


「おはよう、リリー。体調はどうだい?」


 その男とは、アルキナスだった。いち早く事を進めようと思い、アランの体調を確かめてアサニッシオの男の元へ連れて行こうとしたのだが、まずは自分が冷静になるべきだと思ってしまう事が起こった。


 顔を可愛らしく染めている妹に、先の話は触れてやるまいと思い、話題にあげないように気遣うことにしたのだった。兄としては隣に居る男が憎らしいが、親友だったからこそ、睨みつけるだけに留まった。

 その視線をバツの悪そうな顔で受け流していることに満足して、しばらく威圧してやろうと只管笑顔でいるのだった。


「昨日よりは顔色もいい。今日は自室で休みなさい。」

「でも、今日は国立図書館の視察が……」

「ダメだ。休みなさい。今日は一日ベッドから出る事を許さないよ。今日は体調不良ということにして、別の日に予定を組むようにさせるから。」


 その申し出にリリアナは渋々承知した。そして、彼女は自室へと戻り、アランはアルキナスと共に例の男へ面会に行くところで、先の場面に戻るのだった。




******




「心配なのはよく分かる。しかし、お前でなければ、俺は剣を向けていたぞ。」


 その言葉に対し、アランはただ謝罪の言葉を申し上げた。

 彼は自分の愚かな行動を反省していた。だが、後悔はしていなかった。あの行動で、リリアナの無事が分かり、安心感を得られたのだ。あそこでアルキナスに刺されても本望…いや、彼はずっとリリアナの傍に居る事を望んでいるだろう。


「…いや、今はその話はやめだ。とりあえず、あの男に話を聞くぞ。」


 そう言って、また半歩先を足早に進んで行った。アランは了解のポーズをとってから、同じように付き従って地下牢へと進んで行った。


 そこは薄暗く、靴の音が響く。それが不気味なほど広がりを見せて、奥まで続いていることを示していた。

 しかし、そこはほとんど使われる事は無く、今は不法入国してきた輩と、シュトラエネーゼで事件を起こした者、そして、今回の誘拐事件に関わった者というごく少人数が入れられている。今はそこを目的地として向かっていた。


 アランが病院で捕らえたアサニッシオの男。彼は掴めない。そう感じさせる雰囲気を持っていた。

 今、目の前に居る彼も、昨日と同じ雰囲気をまだ持ち続けていた。そして、変わったことと言えば、アランを見る目だった。


 その視線を向けられている本人は分かっていない様子だったが、ある事を暴露されていたアルキナスはその視線の意味が何となしに分かっている。言及しようと一瞬魔が差した彼だったが、そんな暇はないと思い、一度だけアランの名を呼んで先を促した。

 それだけで分かったアランは先程覚えた事を、ゆっくりと質問し始めたのだった。


「…今回のこと、誰に頼まれた?」

「アサニッシオが答えると思うかい?」

「思わないな。」


 いつもなら笑顔を浮かべているアランは、リリアナの前じゃない所為か無に近い。一方のアサニッシオの男は、嬉しそうにしていた。

 アルキナスは二人から少し離れたところで、じっとしている。ただ、アサニッシオの男から目を離す事は無かった。


「お前たちが用意していた馬車の出発地点はカタルータだった。そこの皇子に頼まれたのだろう?お前はすぐに姫を殺さなかった。ただ単に姫を誘拐するように言われたからだろう?」


 あの時アランが問うた暗殺集団が何故何でも屋のような行動を取ったのか。何故、リリアナをすぐに殺さなかったのか。その答えはアランが男に聞いたそれだからだとシュトラエネーゼ側は判断していた。


「ほぼ確信を得ている状態で聞くのはおかしいんじゃない?」


 たきつけるような言い方だったのに、アランは決して動じなかった。確かに、分かっている状態で聞いたのだから、彼らの方が分が悪いというものだ。


「お前は情報をくれると言うことで取引をしたはずだ。それを拒否したと捉えてもいいのか?」

「確かに約束はしたさ。だけど、それが君たちが今すぐに欲しい情報とは限らないよ。今日は諦めた方が良い。これ以上何も喋る気はないから。」


 そう言うと、男は頭の下に手を入れ、脚を組むようにして寝転がった。牢に居ると言うのにお気楽な様は彼の大物さ加減を表している。


 アランとアルキナスは目だけで会話すると、今日は諦めることに決めたらしい。当初考えていたはずの質問はすべて取りやめ、来た道を戻って行った。

 と、思いきや、先にアランを行かせて、アルキナスはその場に残っていた。それは男が寝転がる少し前に意味有り気な視線を送って来たからだった。


「ああ、この国の人は理解力があって嬉しいねえ。どこぞの国のアホ皇子とはレベルが違う。」


 起き上がり、鉄格子のぎりぎりまで歩いてきた男と、アルキナスは真正面から顔を合わせた。

 何の用かと問うと、男はただ礼を言いたかったからだと述べたが、彼はそれを疑問に思った。礼を言われるような事をした覚えはないからだ。むしろ、牢に入れた相手に、喩え本人に非があったとしても文句を言うのが正常だろう。


「あの男に俺が昨日言っていた事を言わないでくれたろう?」

「…先入観を与えかねん。それよりも、ちゃんとした情報が得られる事を俺は選ぶ。」


 腕組みをし、視線を逸らしながら言う。やはり、そう言う嗜好の男と分かっていると、喩え趣味じゃないと言われようとも気まずいのだろう。


「それにしても、アサニッシオがよく情報を漏らすと決心したな。」


 彼らは金だけに執着し、それだけに忠誠を誓って働く。だからこそ、今回のこのアサニッシオの男の行動は意外だった。


「確かに、変に映るかもしれない。だけど、俺からしたら、正常な行動だよ。」


 どこか遠い目をし、愁いを帯びた表情でそう述べる彼から、アルキナスは目を離せなかった。どうやら、何か事情があるらしい。


「物心ついた時から、何の迷いも無く人を殺すようになっていた。それが異常だと気付いた時には、もう手遅れさ。そこから手が引けなくなっている。」


 アルキナスは男の独白にただ耳を傾ける。男は彼のことなど気にしていないと言う様子で、ぽつりぽつりと溢していた。ただ、誰かに聞いてもらいたいと思っているように、意味も無く語っているようだった。


「俺たちは他人に対して何の情も無い。だけど、あの時見たあの男の目には明らかに誰かへの思いが込められていたんだ。あの視線に射抜かれた時、ぞくぞくしたよ。力は俺の方が上なのに、負けると思っていないあの目。アサニッシオに対して好戦的なあの目は、その人への情が起こさせていたものだったよ。」


 愁いを帯びた表情から、少しだけ微笑みを浮かべる。それは、暗殺者とは思えないほど優しい笑みだった。


「俺は君のことを趣味じゃないと言ったが、そもそもそんな気は無い。ただ、あの男のこと、あの男が想っている人のことを知りたいと思ったんだ。そんなこと、初めてだったよ。」


 それほど人とは無縁の世界に居たのだろう。それが、アランの影響で人に関わりたいと思うようになったらしい。今彼の中にある感情は、コミュニケーションに対する一つの成長だろう。


「…そうか。」


 長々と話を聞いて、アルキナスが答えたのはその一言だった。しかし、男は然して気にした様子も無い。ただ、喋りたかったのだろう。


「君に、ひとつプレゼントをあげよう。」


 そう言って、ポケットから何かを出した。それは、麻の紐に赤く丸い石のようなものが付けられたものだ。

 いきなりプレゼントと言われても困ってしまうのが定石だろう。アルキナスはクエスチョンマークを浮かべながら、それを受け取った。


「これはなんだ?」

「さあね。世界でも有数の情報力を持つシュトラエネーゼの次期国王なら、すぐに隠密から情報を得られると思うよ。」

「…っ!何故それをっ!?」

「はははっ。アサニッシオには裏世界で知らないことなんてないのさ。まあ、少しだけ気持ちを軽くしてもらうために言える事は、アサニッシオしか知らないし、俺たちは他国に喋る気も無いよ。」


 そう言われたものの、アルキナスは呆然としてしまった。そして、そのままその場を離れる。後ろからは笑い声が聞こえていた。そして、またね、という言葉もかけられたのだが、最大の秘密とも言われる事を知られているという事実は、アルキナスに大きなショックを残したのだった。


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