15.「決してそこから動かないで下さい」
―――…ここは、どこかしら。
意識が浮上してきたリリアナは、掠れた視界をはっきりさせようと眉を顰めながら何度も瞬きをした。次第に開けてくる視界に飛び込んできたのは床だ。そして、冒頭の疑問に戻った。
身動ぎしようにもできない。手足が拘束されているようだ。彼女は此処まで理解して、あえてそれ以上動かないようにする。そして、頭の中を整理した。
まず、どうしてここにいるのか。―――それは、連れ出されたからだ。
意識を奪われ、おそらくここまで誰かの手によって運ばれた。手足を拘束して逃げ出さないようにしたのだろう。
次に、どうして連れ出されてしまったのか。―――おそらく、治癒の力のせいだ。
他国にも知れ渡るほどの有名なことであり、周りの人が口を揃えて言うには珍しい力の中でもさらに珍しいという自分の治癒魔法が今回の事を招いた。その可能性が一番考えられるだろう。
―――魔法で拘束を解いたところで逃げ切れるかしら?
固く目を閉じながら頭の中で必死に考える。そして、結論は否と出た。リリアナはさっきの病院で何十人と言う人間と接した。この小さな国に急患などそうない。彼女は病気の人間と対峙し、癒しを与えてきたのだった。
病気の身体を癒す事は、止血や軽傷の治癒よりも力を浪費する。何十人と言う患者に自分の力を分け隔てなく与えた彼女の体は、岩のように重い。逃げ出そうとしたところで、逃げ果せる可能性は低いだろう。
ならば、どうするべきか。それはもちろん、このまま気を失ったふりをして、犯人と対峙する事を先送りにした方が良い。最悪殺される可能性もあるのだ。治癒を誰かに施して、はい、さようなら、もあり得る。兎に角時間を稼ぎ、助けを待つしかない。
彼女が冷静なのは、こう言うことに備えていたからだ。そして、絶対に彼が来てくれると信じているからだ。
―――早く来て…
彼女は心の中で、切実にそう願っていた。
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駆け抜けたその先には、荷馬車が沢山停車し、人が行き交っていた。そこにはやはり見た事が無い顔ばかり。ここまできて、八方塞だ。
しかし、不意に直感のようなものが働く。
―――…こっちだ。
何故か確信を持って、アランは不審に思われない程度に足早に馬車の間をすり抜ける。彼には確かにリリアナがこっちに居ると分かったのだ。感覚でしかないそれを、アランは信じて進んで行く。
さらに進んで行った出口に近い位置に、最新デザインの荷馬車があり、そこに目がいった。天井だけ布が張られた馬車や、荷台がむき出しになっている馬車がほとんどだと言うのに、その馬車は御者席以外の場所が四角く覆われているのだ。
この小さい国との取引で、これだけの車を使うのはおかしい。そう感じたらしい。
そっと数メートルも無いところまで近づく。半分ほど開かれたところから見やると、中は布で覆ってあるせいか薄暗い。余計に怪しさを増させていた。
この国で大きな貿易が執り行われる事はない。それは国が小さい事もあるのだが、重要なのは内容だからだ。
食糧などの輸入をし、シュトラエネーゼ王国は代わりに魔力を他国に与えていた。各国その力を欲しがるものであり、この国での貿易は<浅く、広く>がモットーである。
わざわざ小国に対しての輸出でここまでの馬車を使うことはあり得ないため、余計目立っていた。そして、何よりもの確信をアランが持ったのは、風が吹き、仄かな香りが漂ってきた事だ。
もしかしたら、どこかの荷馬車からの香りかもしれない。それでも、アランはその匂いに覚えがあった。
甘い、リンゴのような香り。小さな花が可憐で、香りもその花も彼の人によく似合っている。思わずマリアンヌが奪うのを止めてしまうほど、リリアナにぴったりな花だ。その香りが、している。
アランは周りに怪しい人間が居ないことを確認してから、荷馬車へさらに近づいた。
が、耳元で何か金属が音を立てた。カチャリ、と鳴った音はアランにとって訊き覚えがあるもの。いつも傍らに装備しているものだった。
「…随分と駆け付けるのが早いな。奴はどうした。」
「お前の仲間か?来ないと言う意味を酌めばわかるだろう。」
首をほんの少し回すことで、横目で何が自分に向かっているのか彼は確認できた。剣だ。きらりと日光が反射するそれは、丁寧に磨かれており、非常にキレ味がよさそうだ。アランはそれから一瞬で体勢を整え、剣を抜いた。
何度も打ち合いが続く。その様子を見た商人たちは慌てて逃げ出して言った。車だけがそこに残り、普段にぎわっている場所は酷く閑散としている。だからこそ、余計に剣の音が響いていた。
アサニッシオの男は、騎士の実力に驚いている。彼のいる世界は弱肉強食。力のある者が食と金を得、そうでないものは野垂れ死ぬ。たとえ同じ暗殺集団と言えども、騎士などとは違って忠誠を立てる相手などいない。仲間意識など存在しないのだ。
アサニッシオ同士での無駄な闘いはオキテとして決まっているためにできない。彼にとって強さは全てであり、闘いこそが快楽だった。本人自身も自分がいかに暗殺集団に向いているか分かっている。だからこそ、単なる一介の騎士だと思っていた相手が、思いもよらぬ力を持っていた事が嬉しいのだ。
それまでの対象者は、実力などと言うものが存在しない。久しぶりに楽しめそうだと思い、ニヤリと不気味な笑みを浮かべながら只管剣を振っていた。
一方のリリアナは、手足を拘束されたまま、急に消えた外の喧騒を不思議に思っていた。そして、喧騒が無くなった途端に聞こえてくる金属がぶつかり合う音。もしやと思った彼女は、身体を置き上がらせる事が出来ないため、転がるように這って光が覗いている場所へと近づいて行った。
薄暗い場所に居たせいか、すぐには目が慣れない。顔をしかめながらも入ってきた光景に、身体を緊張させた。
アランが商人とやり合っている。商人の格好ではあったが、相手は彼が苦戦するほどの力の持ち主。リリアナは心配になり、咄嗟にアランを呼んでしまった。
アランは驚いた表情を見せたが、視線はすぐに相手に戻される。押し合っていた剣を振り払うと、リリアナが怪我をしていなことを確かめた。
「決してそこから動かないで下さい。」
それだけの注意をすると、彼女にしていた分の心配を心から消し去り、男の事だけに意識を集中させた。
「…そんな小娘に、どいつもこいつも熱くなりすぎじゃないのか?全く、身分が高い奴ほど分からん人種はいないな。」
相手が本気になったと分かると、アサニッシオの男はアランを嗾けに掛かる。それには乗らないと意識しながらも、自分の大切な人を馬鹿にされたという事柄が印象に強過ぎて、自分の中を滾る血がさらに熱くなるのを彼は感じた。
そこから会話が続く訳も無く、二人は剣を交え合う。
リリアナは自分が馬車の中に居ると、このとき初めて気づいた。それはいつも公務の時に使うようなものではなく、座席が無い板張りの床で、後ろには布が張ってある。彼女はそこから顔を何とか覗かせている状態だ。
嫌な予感がしたリリアナは、いつでもすぐに動きだせるように魔法で拘束を解いた。体裁だけは捕まったままという態を整え、二人の戦いを見守った。
見ていると、どうやらアランが押されている。リリアナは手を合わせて祈っていた。爪が刺さるほど強く握りしめられたその手は、彼女の不安が如実に表れている。その手は次第に震えて行った。握りしめる力が段々強くなっているのだ。
―――お願いだから無事でいて。怪我なんてしないで。
只管そう願う。しかし、鍛錬を重ねに重ねた暗殺のプロに、一介の騎士が敵うはずもない。押されている様子は、一目で分かるほどになっていた。
こうなったら自分が応戦するしかない。アランは魔法が使える余裕も与えられないほど打ち込まれているのだから。そう思ったリリアナは右手に力を込める。と、その動きは一瞬で叶わなくなった。
「…油断も隙も無い。大人しくして居てもらおうか。」
気付かないうちに目の前で闘っている男と同じ服を着た男が、彼女の首筋に短剣を構えていた。その隙の無さは、只の商人ではないことを明らかにしている。
いきなりの事に混乱しながらも危険を察知した彼女は、魔法を浮かべていた手を下ろし、抵抗する意思がない事を示した。
「リリアナさま!」
「そっちを構っていられる余裕があると思っているのか?」
もう一人居たことに驚いたアランは、急に不安に掻き立てられる。意識をそっちに持っていかれたところをついて、男は剣に力を込めてアランを吹き飛ばした。
「アラン!」
「動くな!」
手を伸ばしたリリアナに、男はさらに近く短剣を向ける。その剣先がリリアナの頬を掠り、微かだが傷がついた。
「おい、傷つけるなよ。」
「こいつらの麗しい情のせいでついた傷だ。俺のせいじゃない。」
その会話の隙をついて、アランはリリアナに剣を突き付けている男を魔法で吹き飛ばした。一瞬のことで、何があったのかは攻撃された本人すら気づいていない。気付く前に気絶した。
アランは吹き飛ばした男に素早く近づき、気を失っているにも拘らず剣をつきたてた。
「リリアナさまを傷つけましたね。」
剣をつき上げる。とどめを刺そうと言うのだ。―――その時。
「アラン後ろ!」
その声に彼は反応したが、少し遅れた。
身体を捻らせ、剣で突く。その瞬間に、その場が鎮まった。男たちが皆倒れたのだ。リリアナはアランの名を叫び、慌てて近寄った。
状況は極めて悲惨だった。アランの剣は目の前の男の腹部を貫き、男の剣はアランの横っ腹を深く貫いた。彼が避けたために最悪は回避できたが、その剣が後ろに倒れていたもう一人のアサニッシオの男を貫き、二人は絶命している。
アランは重なるように倒れ、出血多量でその命の灯が消えそうになっていた。
「しっかりしなさい!」
駆けよったリリアナはアランを重なり合っている男の間から引き抜く。
「アラン!」
意識を失おうとしている彼を必死に揺する。パニック状態になった彼女は、どうしていいのか分からなかった。
ただ只管彼の名前を呼び続ける。彼女は光を帯びていた。その光は彼女が名前を呼ぶたびに強くなる。
そして―――。
彼女が叫んだその時、光が満ちた。
それは数年前に起きたものと同じ。国に居た誰もがその光に驚き、昔の事を思い出した。
光が収まるのと同時に、彼女はアランの上に倒れ込む。その数分後に、騎士たちが駆け付けた。
血にまみれたそこに、生きている人がいるはずもないと誰もが思ったが、こちら側の二人にはまだ息がある。焦りながらも、先の光がリリアナによって施された治癒魔法だと確信し、二人を急いで城まで運んで行った。




