14. 「…リリアナさまを、どこへやった?」
カタルータから使者が来てから一月が経った。何かがあるとほのめかせていたくせに、何も動きはない。王家のものは警戒しつつも、公務をこなしていた。
リリアナは今日、病院を訪れている。病院には、医者が居て当たり前だが、此処シュトラエネーゼでは治癒師も居る。
彼らは命に別条のないような傷なら治す事が出来、大きなけがや病気などは癒す事が出来る。この国だけでなく、他国にとっても重要な存在だ。
その中でもリリアナは特異な性質を持っていた。普通ならば治癒には痛みが伴うにも拘らず、リリアナの治癒魔法には痛みが無い。それどころか、どこか心地良いと言うのだ。
そんな彼女の力は重宝されながらも、視察と言う一種の行事での使用は許可されていなかった。と、言うのも、治癒魔法は体力と精神力を異常なまでに使用し、疲労で倒れてしまう事もあるからだ。
しかし、実は頑固者で誰かの役に立てる事を喜ぶ彼女が守るはずもない。こっそりとその力を使って、患者たちを癒していた。要は王家の人間に治癒魔法の使用がばれなければ問題ないのだ。
リリアナは今日の日程に定められたように、一室一室を見回っている。患者と触れ合い、治療の改善点などを訊ね、時折談笑に耳を傾けていた。
ある人は彼女の手を取ってお礼を言い、ある人は共にお茶を楽しむ。彼女にとってもとても心に優しい時間となっていた。
リリアナは、幼いころから姉に自分がいかに必要のない人間かを吹き込まれていたが、この時だけは自分が必要とされているようで嬉しかったのだ。胸の中が温かくなるような感覚は、強ち間違ってはいないだろう。
可愛いおばあちゃんと話をし、何だかほっこりした気分になった彼女は、また来ると言う約束を残して退室した。その時――。
「ああっ、すすっ…すみません!」
手に飲み物を持った患者が通り、彼女にぶつかった。咄嗟にアランがその身を引き寄せたが、手にはお茶が掛かってしまっている。この国に居て彼女の顔を知らないものは、成人を迎えたために最早いない。
王女にお茶を掛けてしまった当人は、顔を真っ青にさせていた。
王家の者に、無礼を働いたのだ。その身だけでなく、その家族でさえ危うい間も知れない。顔面蒼白になるのは、当然だ。
男は怒られると思った。しかし、リリアナは表情に怒りを浮かべる代わりに、笑顔を浮かべた。
「どうか気になさらないで下さい。私こそ、前を確認する事も無く部屋から出てきて、すみませんでした。」
王女のその優しい対応に、男は冷汗を浮かばせながらも安心した表情を浮かべた。それにリリアナも安心すると、一度だけ軽く頭を下げて歩き始める。騎士はそれに付き従った。
「…アラン、お手洗いへ行ってくるわ。」
他にももう二人騎士はいるのだが、リリアナはアランに声を掛けた。
「どうぞ、こちらをお使いください。」
行動の意図が読めたアランは懐からハンカチを取り出す。リリアナはそれを素直に受け取った。
「さっきの方、お怪我はなかったかしら。アラン、確かめて来てもらえる?」
「畏まりました。」
アランは忠誠のポーズをとり、リリアナの願いを聞き入れ、彼女を見送る。他の騎士が付き従うのを目で追いかけると、方向転換をして、自分は逆の方向へと進むのだった。
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「…少し、熱かったわ。やけどなんてしてなければいいけど。」
桶の水に手を付けて、冷やしている。その手は少し赤かった。
不意に、人の気配を感じ取る。扉が開いた音はしなかった。リリアナは自分より前に居た人だと思い、手洗い場をすぐに開けると言ったが、それに返事はない。
不思議に思って振り向くと、そこには見た事も無い男が立っていた。
「……っ…!」
声を出す事も出来ず、鳩尾を殴られた彼女は、その意識をブラックアウトさせられた。
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「…リリアナさま、遅くないか?」
「そうだな。もう十分も経つ。手を洗うだけなら、それほどかからないはずだが…もしや、火傷でもなされているのか?」
己の力を自身に使う事は出来ない。二人の騎士は戸惑っていた。
トイレは、男女別だ。入ることを躊躇うのは仕方がないだろう。しかし、覚悟したように二人は中へと声を掛ける。
…返事はなかった。
二人は剣を引きぬき、構える。目で合図をすると、もう一人が勢いよく扉を開けた。順に中に突入をする。しかし、そこは蛻の殻だった。
人が誰もいない。そんな事、在る筈がないのに。
焦りながらも、二人は中の観察をする。窓があけ放たれ、桶のすぐ傍に、ハンカチが置かれていた。これは、先程アランがリリアナに渡したもの。事を理解した二人は、早速行動に移した。
「お前は城に知らせに行ってくれ。俺はアラン殿に伝えてくる!」
「了解した!」
トイレから勢いよく飛び出すと、二人は別々の方向へと進んで行く。アランの方に伝えに行った騎士は、謝りながら病院内を駆けていた。
アランはリリアナにお茶を掛けてしまった男を追ったのだ。その人がどこに居るか分からない限り、彼を見つけることは不可能。しかし、その男を見つけるよりも、容姿に特徴があって目立つアランの事を訊ねる方が早いと思った騎士は、看護婦や医師に聞いて回るのだった。
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アランはさっきの現場に戻り、男を探していた。それほど経ってはいない。すぐに見つけられるだろうと思い、男が向かって行った方向をたどった。
男の特徴は、少し禿げた頭に、茶髪に白髪が多くある髪。服は病院服だが、やせ型で棒のようだった。
その特徴を頼りに進むと、アランの前に一人の男の背が映る。あの人物だと再認識すると、声をかけようとしたその時、ふとした違和感でアランはそれを止めた。
左右を見渡し、様子を確認している。アランは咄嗟に身体を角に隠した。
男が人通りの少ない薄暗い一室に身体を滑り込ませたのだ。明らかな怪しい行動に、アランは眉を顰めて扉に忍び寄った。
耳をピタリとくっつける。中には、先の禿げた男とは別の人物が居るらしい。話し声は複数人のものだった。
「…ちゃんと、誘導しただろうな?」
「ああ、これで、解放してくれるんだろう?」
「そうだな。あの姫さまが、ちゃんと例の場所に着いたと知らせがあったら解放してやる。」
アランの頭には一瞬にして血が上った。今の話は何だ、と。
今の会話で分かる事は、先の男がリリアナに会った事は偶然ではないと言う事。そして、リリアナがどこかに連れ出されたと言う事だ。しかし、そんなはずはない。彼女自身が魔法を使えるはずだし、優秀な騎士が二人も付いている。
だが、男によればリリアナはどこかへ連れて行かれていると言うのだ。事実がはっきりしない。ならば分かる者に訊くのみ。
アランは扉から耳を離し、剣を引き抜く。しかし、これを使う気はない。彼にとっては保険だ。魔法で先手を打つ。そう決めて扉を一気に開いた。
中に居たのは男二人だ。一人は禿げたさっきの男、そして、もう一人は黒尽くめの格好をした男だった。
暗室に居た二人は、外からの光に驚いて目を見開いている。黒尽くめの男が何かを起こそうとしたが、アランはそれよりも早かった。
「<捕縛>!」
彼の手から光が放たれる。男二人はあっという間に光の縄で縛られてしまった。
呆気ない捕まり方は、アランの気が抜けてしまうほど。それでも、アランは気が気でない。現実にリリアナがどこかへ連れて行かれてしまっていたら、と不安で仕方ないのだ。
一歩ずつ近づく。剣は前に向けられていた。逆光になって二人にはその顔が見えていない。だが、目の前から来る男がいかに怒気に溢れていて、いかに殺気に満ちているかは分かる。それが、今の話を聞かれた所為だと言う事も分かっていた。
「…リリアナさまを、どこへやった?」
そう問うた時、微かではあるが走る足音が彼の耳に届いてきた。アランにはそれが誰かがすぐに分かった。足音が小さいのは訓練されたものだからだ。
予想通り、駆けこんできたのは騎士の一人だった。
「…このご様子では、報告する必要はないようですね。私どもの不注意で、誠に申し訳ありません。」
付け足された謝罪は、リリアナを易々と連れ去られてしまった事へのものだった。アランは一瞥もくれることなく、男たちを睨みつけているままである。駆け付けた騎士も、何も言われないことを気にする事も無く、状況を読む事だけに気を配っていた。
剣はもっと二人に突き付けられる。禿げた男はガタガタ震え出し、顔を真っ青にしていた。非戦闘要員のようだ。
その一方で、黒い服に身を纏い、顔の半分を黒い布で覆っている男は、剣を突き付けられても青ざめたりはしていない。むしろ、真っ直ぐアランを見やって、目を三日月形にするほどだった。
「…黒い服、黒い覆面。お前、アサッシニオか。」
「ご名答!」
ケラケラと笑い、馬鹿にしたように言った男は、確かに強者らしかった。
アランが言ったアサッシニオとは、暗殺集団である。各国の王家とも関わりが深いと言うほど、歴史において活躍してきた集団だ。表舞台には出ず裏世界でのみ生活し、何でも金さえ弾めばやってのける。しかし、それが問題でもあった。
依頼主の命令で動いていながら、その対象者に金で買われる事もある。いつ寝返ってしまうか分からないのだ。そして、彼らは常に殺しのプロフェッショナルである。毒、剣、体術、槍、弓…全てを扱う事が出来るのだ。
「…暗殺集団が、リリアナさまをどうするつもりだ?」
「おや、殺したとは思わないのかい?」
馬鹿にしたような笑顔を浮かべている事は、空気と目で分かる。アランは剣を振り上げそうになりながらも、重要な情報源をなくさないために我慢していた。
「殺すなら、その場で殺ってるはずだ。」
「またまたご名答!」
アランの後ろに控えていた騎士は二人の会話で、何故男たちが暗い部屋で彼の上級魔法によって捕まっているのかを理解した。
「お前たちは暗殺集団だろう?何時から何でも屋になったんだ。」
アランのその一言で、男の目から笑みが消えた。
彼の一言が、男の琴線に触れたのだ。それくらい、男にとっては屈辱的な言葉だった。アランはそうなる事を分かってて言ったのだ。頭に血を上らせることによって、思わぬ事を言ってくれるかもしれない。そう考えたのだった。
「…お得意様からの依頼でねえ。断れなかったんだ。」
どうやら嘘はついていないらしい。目しか見えていないが、眉間皺を寄せ、苦渋の表情をしている。本当に不本意ながらも受けた仕事の様だ。不本意ならば、愚痴りたくもなるだろう。そして、断れないほど大物からの依頼だとアランは記憶に留めておくことにした。
「それで、リリアナさまを何処へやった?」
「…簡単に言うとでも思うかい?」
質問に質問を返され、アランは苛立った。煽るように男が言うから尚更だ。
「思わないな。ならば、力ずくで答えさせるだけだ。」
魔法を使って拷問でもするのか問われ、アランは例の冷たい笑みを浮かべた。それはアサニッシオの男が身震いするほどで、彼は思わず息を呑んだ。
「残念ながら、魔法に抗う力は持っていない。だけど、お前は俺を殺せない。そうだろう?」
そうだ。彼は大事な情報源。決して殺す事は許されないのだ。
しかし、彼はアサニッシオ。優秀な殺し屋。寝返る事はあっても、契約を結んでいない相手に情報を明かす事はしない。彼らは生に固執しながらも、それ以上に金に固執している。自分にとって分が悪い場合、自ら命を絶つ事さえあるのだ。
「お前と取引をしろとでも?」
会話は淡々と続いているようで、実はそうではない。明らかに話しあっている二人の心情が変化していた。
アサニッシオの男は、今の状況を逆手にとり、金蔓を変えようとしている。アランはリリアナを助ける手がかりを得ようとしている。これは心理戦だ。
一方で、捕らえられたもう一人の男はどうやって逃げ出そうかを考えていた。入口は二人の騎士に塞がれており、魔法で捕縛を解いたとしても逃げられる可能性は低い。自分は脅されただけだと弁明すれば、情状酌量の余地はあるかもしれない。
こんな考えに埋め尽くされ、状況が状況だけに男は異常なほど汗をかいていた。そろそろ精神的に限界がきてもおかしくない。そんな彼を置いて、二人の会話は進んでいた。
「取引するかどうかはそっち次第。ま、さっき誘拐した犯人を信じろと言うのも、無理な話だろうけどね。」
明らかにお茶らけた態度は、この雰囲気に合っていない。アランとの温度差も気になるところだ。しかしながら、言葉には含みがあった。
「取引をする前に、証拠を見せてもらおう。まずはリリアナさまを助けるのが先決だからな。」
「あんたが話の分かる人間で良かったよ。」
意図を簡単に読み取ってくれた事に安心し、アサニッシオの男は緊張させていたからだから力を抜いた。
「どこに行ったかは確実な事を言えない。ただし、そちらの姫さんは荷物のように運ばれた。それは確かだ。」
「…それだけでは情報が少な過ぎる!」
アランの後ろに控えていた騎士が、二人の会話を始めて遮った。それを片手で制すると、アランはアサニッシオの男と再び対峙する形に入った。
「リリアナさまを連れ去った人物さえ特定できれば、お前は必要なくなる。その可能性はないのか。」
「そうなったら殺せばいいさ。この国は人口が少ない。早いところ行けば、見知らぬ顔が通ったと分かるんじゃないのか。」
男の目は、嘘をついてはいなかった。それほど確信的な何かを持っているのか、はたまたトチ狂ったか。おそらく前者だろうと考えたアランは、右の掌を二人にかざして睡眠の魔法をかけた。
現実から解放された二人は、幸福そうな顔をして眠りについている。こうすれば、魔法で逃げられる事も無いだろう。
アランはそこをもう一人の騎士を説き伏せて任せると、自分はリリアナを探しに行くのであった。
―――どうか無事で…
祈りながら、道を駆けて行く。必死な様子はこの平和な国には似つかわしい光景だ。周りの人は不思議に思いながらも、美丈夫な騎士が駆け抜けて行くのを傍観していた。
しかし、それを注目されている当人が許すはずもない。病院からの一本道を駆け抜けてきた彼は分かれ道で立ち止まり、近場に居た果物を売っているおばさんに話しかけた。
ここら辺では見た事が無い男が、大きな荷物を運んでいなかったか。そう問われた女性は、しばらく考えている。と、すぐに思いだしたようで顔を上げた。
「いた、居たわよ!ここら辺じゃ見かけない顔だったからねぇ。大きな袋を背負っていたし、目立っていたわ。商人か何かと思っていたけど…何かやらかしたの?」
興味津々に聞かれたが、ここで話し好きの井戸端会議に参加するつもりなどない。アランは礼だけ言うと、女性が教えてくれた方の道をたどった。
その方向は他国の商人の荷馬車が集う場所である。荷物として運ばれたのならば、そこへ男がいくのも分かる。連れ出す方法にも見当がついた彼は、さっきよりもスピードを上げて走っていった。




