11.「ただ…守りたいのです。」
何かが可笑しい。リリアナはそう思っていた。
明日から彼女の公務が始まる。初日のスタートは病院の訪問だった。普通ならば、彼女の騎士であるアラン・クロードもそれに同行するはずだったのに、昨日今日と無断で欠席している。全く連絡がつかない状況であり、他の騎士に問い質しても分かり兼ねるの一言であった。
「アニー、兄さまは今日はどうしていらっしゃるのかしら。お会いしたいのだけれど。」
「おそらく、執務室に居らっしゃるかと。訪問なさいますか?」
一度だけ頷き、立ちあがる。そして、騎士とアニーを引き連れて部屋を後にした。
数分間歩を進め、目的の部屋の前へとやってきたリリアナは、遠慮がちにノックをすると、返事がきたため扉を開ける。久々にやってきたそこは、相変わらずきれいに整頓されていた。
「やあ、リリー。お前から訪ねて来るなんて珍しいね。何かあったのか?」
リリアナはそれには答えず、まずは奇麗な所作で挨拶をする。一通りマナーに沿って行われたそれは、以前よりも板についている様に兄の眼には映った。それを褒めると、褒められた方は照れ臭そうに笑っている。それでも、嫌ではなかったようで嬉しいとの一言が返された。
それが終わると、リリアナは急にまじめな表情になる。変化を感じ取った兄は、ソファに座るように促した。
自分も向かいに座る。アニーが淹れたお茶を飲みつつ、リリアナが本題に入るのを待った。
「…アランが、」
言い難そうに切り出す。アルキナスはリリアナの口から発された人物の名前を聞いただけで、全てを理解していた。
それでも、遮ることなく最後まで聞こうとする。それは、リリアナが自分からアランの事を気にかけて、行動に出たという事実が大切だからだった。こんなことでも、以前の二人にとっては大きな進歩。アルキナスにはそれが嬉しかった。
「アランが、無断で欠席しているのです。別に、休む事は構わないのですが、せめて理由くらい伝えてきてもいいと思うのです。」
普通なら、仕事を無断で休むなど有り得ない事だ。特に王族の警護など、かなり大きな役目である仕事は休んでいいはずがない。クビは確定だ。
しかし、今の彼には正当な理由がある。それがリリアナに伝えられる事はないが、彼たっての願いであるために、表情を暗くしたままアルキナスは口を開いた。
「アランは、俺の所用で使いに出した。伝えるのが遅くなって悪かったな。数日間留守にするが、それ以降は普通にお前の公務に同行することになっている。」
「そう、だったのですか…」
そう言いつつも、リリアナはやはり違和感を抱いていた。しかし、兄が何も言わないことには理由があるのだろうと思い、それ以上は言及しない。兄は察してくれた事を有り難いと思いながら、あえて気付かれていない態で雑談に花を咲かせたのだった。
リリアナは小一時間もしないうちに、兄の執務を何時までも邪魔してはいけないと言って立ちあがる。アルキナスとしては別段構う事でもなく、むしろ妹から訪ねて来てくれた事が嬉しかったが、折角の気遣いを無駄にはできない。礼をしてから出て行く妹を、片手を上げて見送った。
それに付いて行こうとする侍女を呼びとめる。アニーは笑顔で応じた。
「リリーは、アランの事を気にしていたのか?」
「ええ、それはそれは大層心配していらっしゃいました。」
アニーの笑顔が、業務用ではなく普通になる。その姿を目にしたアルキナスは、真実なのだと理解した。
どんな様子だったのかを尋ねれば、アニーは迷うことなく話してくれる。彼女もまた、二人の事を歯痒く思い、何とかなって欲しいと思っている同志なのだ。
「はじめは怒っていらしたのですが、次第にそれが心配に変わっていったのです。」
「リリーは、自分からアランの事を話したのか?」
アルキナスが驚いているのは無理も無い。普段のリリアナがアランの事を話すと言う事を、この侍女から全く聞いたことが無かったからだ。
「いいえ。しかし、私はリリアナさまが幼少の頃から仕えています。表情や雰囲気で分かるのです。」
彼女は続けて、リリアナは分かりやすいと言った。それは、単純と言っているようにも取れるが、言葉を替えれば素直だと言いたいのだ。いくら隠そうとしても、自分の本心を隠しきれていない。アランの事を心配しているのが、アニーには手に取るように分かったのだという。
「それに、途中から口から零れていらっしゃいました。怪我をしたのではないか、マリアンヌ様のところへ行ってしまわれたのではないか。そう呟き、泣きそうになっておりました。」
―――我が妹ながら、可愛い事だ。
満足そうに頷いている彼は、言葉で言い表すならシスコンという類のものだろう。実に妹馬鹿である。
馬鹿な子ほど可愛い。この言葉から分かるように、リリアナは昔から人に可愛がられていた。それをマリアンヌが嫉妬したのだが、実際敏いとは言い難い彼女を、誰もが愛しいと感じていたからだ。
分からない事は分からないと言い、興味深そうに尋ねてくる。そして、打たれ強く、いつも心が和み、力が緩んでしまうような愛らしい笑顔を浮かべていた。
それが変化してしまったのもまた、あの日。そして、マリアンヌの長年に至る刷り込み作業が功を称した時だった。
アルキナスは知らないが、二人は約束を交わしていた。だが、それは破られることとなったのだ。アランが騎士になるためリリアナと離れた事により、マリアンヌの言葉を否定してくれる人が居なくなった。アニーが言葉を掛けるようになった頃には、完全に作業は終了しており、リリアナはネガティブになってしまったのだ。
さて、どうしたものかと思い、アルキナスは一先ず引き留めてしまったアニーを帰す。そして、書類を捌きながら、アランを訊ねようと決めたのだった。
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「…いい様だな。」
ひんやりとした空気が漂うそこで、小さく呟いた。
呟かれた方は人の気配を感じ、身動ぎをする。その際には、ガチャリと重たい金属音がした。
「…言ってくれるな。」
不本意で弱っている様を曝しているからか、自嘲気味な笑みが零れている。頬が少しこけ、不健康そうだ。髭も伸びており、清潔さに欠いている。それでも元来持ち合わせている麗しさは消えず、むしろ際立っている様にアルキナスの目には映っていた。
アランはあの後牢に入れられ、マリアンヌの指示によって罰則にあっている。結局彼女はあの誓約書にサインをしたのだから、弊害を受けている彼はとんだとばっちりだろう。かといって、王族にあのような口を聞いたのだから、仕方がない。甘んじて受けている彼は、ただ耐えるしかないのだ。
それに、彼は鍛え上げられている。ちょっとやそっとでは身体にくることはない。
そう思っていたのに、罰則は思っている以上に厳しいものだった。
騎士である彼が少しばかりきついと思うものを、他の人が受けていたのかと思うと彼は第一王女に怒りが増す。しかし、アルキナスから今回の罰則がいつもの倍のその三倍以上に厳しいものだと聞かされ、体から力が抜けるのだった。
「今はストレスのはけ口が無いからな。お前に当たったのだろう。」
本当に、とんだとばっちりだ。それでも、マリアンヌがリリアナに会っていないことを聞いてアランはほっとするのだった。
「…アランよ。我が娘が申し訳ない事をした。」
足音が聞こえ、地下へと続いている階段から壮年の男性が下りてきた。アルキナスはその人に牢の前を譲ると、その場に佇む。それに目配せをすると、男は語り出すのだった。
「今回の二人の働き、なかなか良き判断だ。余は感心したぞ。しかし、奴に反抗したのは不味かったな。」
尤もな言葉だった。アランは上の所為で体勢も整える事が出来ず、そのままの姿で謝る。それに対して王が発したのは、意外な言葉だった。
「謝罪と、そして感謝の言葉を述べたい。」
「…感謝、ですか?」
謝罪ならともかく、感謝の意を告げられる事を疑問に思った。そうでなくても、マリアンヌの機嫌を損ねてしまったのだから、彼の方からの謝罪が求められてもおかしくはない状況だ。それなのに、一国の王が感謝と謝罪をするという。普通ならあり得ない事だ。
「父上、それはよろしくないことでは。」
一国の王が謝罪をする事はいいことではない。自らの意見を早々折っては、王としての威厳が問われてしまうからだ。
「公式の場ではない。よいだろう。お前が此処で余を父と呼び、アランには幼馴染みとして話しかけた。ならば、今ここに居る余はただのオルキスだ。アランの父と親友であり、アランを息子同然に思っている男だよ。」
アランはその言葉に感謝を述べ、勿体ない心地がした。本来ならば、こんなに軽く会話が交わせるような人ではないのだ。親愛の言葉に心を震わせるのも仕方ないだろう。
優しいまなざしをアランに向けている。薄暗い牢では分からないことだろう。だが、その代わりに三人を取り巻く空気は柔らかかった。
「余は、マリアンヌを甘やかし過ぎた。考えてみれば、叱ったことなどない。今回の事で、お前が代わりに説教してくれた事に感謝している。」
だけど。そう言って話の内容が転換したのは褒められた途端の出来事で、よくないことが聞かされるのだとアランは理解した。
「お前がマリアンヌに不逞を働いたとして、彼女が嘆くようにして吹聴している。」
彼女は彼がどんな事をし、いかに王家の騎士に相応しくないかを述べて行ったそうだ。王はあったことの一部始終をアルキナスから聞いているため何とも思わないが、周囲は違う。アランがそう言う人でない事は知っているはずなのに、王女の言う事を信じない訳にもいかない。
明らかにアランに分が悪い雰囲気が漂っていた。そして、リリアナの騎士から下ろすべきではないかと、陰では囁かれていた。
王が謝っているのは、そう言った意味でこれからやりづらくなるのではないかと言うことに対して。そして、今回の罰則を取り消す事が出来なかったことへの謝罪だった。
「私は、」
アランは言葉に詰まる。考えている事は、リリアナの事だけだった。自分の事などどうでもよい。兎に角、リリアナが第一なのだ。
「ただ…守りたいのです。リリアナさま以外に付く気などありません。あのお方の傍に、居たいのです。」
アランの言葉に、王はただ一言、分かっているとだけ言った。もちろん、アルキナスもその気持ちを分かっている。そもそも、彼が騎士になったのはそのためだ。任を解かれたら意味がないだろう。
「…お前の気持ちはよく分かった。この件は余が何とかしよう。」
「父上、今回の事は俺に任せてもらえるのでは?」
「マリアンヌはお前の言葉を聞かない。今回は誓約書を書かせたから良かったが、それ以外では聞く耳も持たんだろう。」
一理ある。アルキナスは考え込むようにして黙り込んだ。
「…有り難うございます。」
その言葉に、王は優しく微笑んだ。
「二人とも、和やかにしている場合じゃない。アランを此処から出す理由と、リリアナに知られないようにするために根回しが必要だ。」
そう言われて、アランは初めて自分が何も言わずに仕事を休んだ事に気付いた。急に顔を顰めたことで、幼馴染みには伝わったらしい。どんな言い訳をしたのか聞かされ、ほっと溜息を吐いた。
「安心している場合ではない。その傷、どうやって言い訳するんだ。」
アランの身体には沢山の傷が付いていた。痣や、擦り切れ、そして鋭利な何かで切り付けられたような傷まである。到底、ただ遣いに出されただけとは言えないであろう傷だ。
今のアランは自分の身体の状況が分かっていない。それは薄暗い地下牢にいて、しかも錠に繋がれている所為だ。
「…何かがあったと分かるような傷か?」
「ああ、明らかに何かがあったと分かるだろうな。だいたい、お前強いだろう。そのお前が作るような傷ではない。言い訳を考えるんだな。」
さっきとはまた違う感じの和やかな雰囲気になり、王は微笑ましく二人を見ていた。久しぶりに見た、本気で幼馴染みに戻っている二人の様子が嬉しいのだ。
「…人助けをしたとでも言っておこう。」
「俺の可愛いリリアナはそんなことでは騙されないと思うぞ。」
「そんなことはないさ。俺に差して興味も無いだろう。」
それは違う。そう言おうとして、アラン以外の二人は言葉を飲み込んだ。
二人は傍目から見れば、逆に意識をし過ぎているように映り込む。知らないふりをしながら、知りたいと思っている。何も見ないように意識しながら、お互いに互いが知らないうちに相手を見つめていたりするのだ。
だからこそ、周囲は歯痒い。二人の和解を望んでいる。しかし、長い事意地を張り合っている二人は、折れ所が分からなくなっていた。
そもそもの始まりは、ご存知の通りリリアナが特殊な治癒魔法を使えるようになったことである。そこから、アランは彼女に対して気易くできなくなり、何時でもすぐ傍にいられ、守る事が出来る騎士の道を選んだのだった。
それはつまり、あの時に守れなかったという、後悔の念だ。そんな自分では彼女の傍に立てないと、アランが頑なになっている。それは態度に表れ、リリアナは感じ取っているのか、態度の変化が気にくわないのか、騎士の誓いをした日以来アランを真っ直ぐ見つめようとはしないのだ。
アランはどうやってもリリアナの傍に居たいはず。そう思って止まない二人に、お互いがどう思っているのかを教えてやる事はせず、ただ自然に寄り添う事を期待していた。




