第三話
それからの日々はほとんどの時間を突撃隊として過ごした。家もなく職もなくやることもないエァンストにとって、ありふれた日常となるのに大した時間はかからなかった。失業給付のスタンプを押しに役所に行き、時折仕事を渡されてはそれをこなし、酒場に帰ってくる。
ある日は、仲間と共にアカの酒場に向かい罵声を浴びせ抗争したり、
「ここベルリンを第二のモスクワにするな。アカどもを追い散らせ」
ある日は、国社党の政治家先生の演説を護衛し、
「諸君、共和国は我々に何を与えた。失業か貧困か飢餓か莫大な賠償金か。その全てが労働者諸君にとっての屈辱だ。共和国の大臣諸君は今日も大変忙しくしている。ユダヤ資本家のために」
観客の中から笑いが溢れた。
「今まさに労働者諸君に今後60年の賠償金が背負わされようとしている。我々はそれを食い止めなければならない。孫の代まで屈辱に塗れさせてたまるものか。我々国家社会主義労働者党は、諸君らの味方だ労働者の味方だ。何もなせないアカどもとは違い、真にドイツを思う憂国の党だ」
ある日は、人の集まる広場に出向きビラを配ることもある。投石で怪我を負うことも珍しくない。そうした時の簡単な治療はツィータの役目だ。
「また怪我したのか、気いつけろよ。下手に当たると死ねるからな」
額にできた切り傷をアルコールで消毒し、布で押さえて固定する。
「よっ、我々の守護聖人」
「ツィータの名に恥じねえな」
「うるせえお前ら、褒められても優しく治さないからな」
1929年12月29日
「運河での荷積の仕事です。指定された時刻までに向かいスタンプを押し働いてきてください」
エァンストが役所で与えられた仕事が終わったのはすでに陽が沈んでからのことだった。クタクタの身体を引きずりながら、それでもアカに襲撃されないよう周囲を警戒し酒場に帰ってきたのは21時過ぎだった。酒場はすでに閑散とし仲間は任務に出ているようだ。奥の席で一部のメンバーとツィータとおやじと店長がだべっている。
「お、エァンストもう皆行っちまったよ」
「どこに行けばいい?」
「いやもういい、今更言っても目立つだけだ、アカの酒場で張り込んでるんだ」
「俺が銃の訓練してやったからな、エァンストお前が行ったって意味ねえ」
おやじが言った。
「銃?」
「あー、酒場の前で張り込んで襲撃するからな」
普段の任務とは違う、普段のはあくまでケンカの延長、今日のはまるで殺しだ。意気揚々と語るおやじの姿もいつもと違うように見えた。
いや別におやじはいつも通りだ。いつも戦場で敵を殺した話をしている。
エァンストは地下に向かった。
「なんだもう寝るのか?」
「明日も早い、今日は寝る」
地下室の隅の寝床に向かい横になったが寝付けない。
やがて襲撃部隊が帰ってきて、上階は話し声で騒がしくなった。ツィータや店長が酒を出しているのだろう。今日の武勇伝を口々に語り顔を赤くしているのだろう。ますます寝付けない。
突然話し声が止まった。ガタガタと椅子が鳴った後
「警察だ、そのまま動くな!」
よく通る声が響いた。
「何だよ」
「壁際に行け」
「何もしてねえぞ」
「聞いてない」
襲撃班が次々に捕らえられる声が聞こえる。あらかた上の捜査が済んだのか、下にも警官が来た。
「お前はここで何している」
「失業給付金の仕事帰りです。家がないのでここで寝てます」
「一応身体検査するぞ」
もちろん何も出てくるはずがない。
「協力感謝する」
そう言い残して地下室奥へと足を進めた。
エァンストはまだ物音のうるさい中、再び寝床についた。
この晩七人が逮捕された。これ以来エァンストは酒場に入り浸る時間が減った。地下室を借りている以上、襲撃以来アカからの反撃で激しくなった夕方から夜の任務に参加はするが、昼間は公園で時間を潰すことが増えた。人目の多い日中なら襲撃も過度に心配する必要はない。
1930年2月16日
この日もエァンストがベンチに座って暇していると、顔を真っ青にしたツィータが駆け込んできた。
「おいエァンスト、おやじさんが」
酔ったおやじがこぼした酒で足を滑らせ頭を打ったらしい。急ぎ酒場に戻ると、医師と警察が集まっていた。
「ご臨終です。説明と齟齬はありません」
おやじが死んだ。母さんに伝えなければならない。エァンストは足取り億劫クロイツベルクの南西にある実家へと向かった。
何を言われるだろう。長らく顔を見せなかったことについてだろうか。あの日の酒の肴の議題について掘り返されるだろうか。職に就いてないことだろうか、熟練工には経営不振で切られる新人の気持ちなどわかるまい。突撃隊の任務でこの付近にも来た、そのことについて詰られるだろうか。
集合住宅の狭い中庭を抜け、部屋のある棟に入る。相変わらず暗い階段を一歩一歩踏み外さないよう確認し、やがて扉のある踊り場まで上った。短い葛藤の末意を決して戸を叩く。
もしかしたらいないかもしれない。
エァンストの期待は実らず内開きの扉が鈍い音を立て開かれた。
「何、何の用?」
「父さんが死にました。そのことを伝えに来たのと、葬儀の日取りについて決めに来ました」
「そう、そっちで勝手にやって。私は関係ないから、それじゃあ」
それだけ言い残すと戸は閉じた。
エァンストはしばらくその場に立ち尽くしやっとの思いで酒場に帰った。
葬儀の手筈はツィータがやってくれた。昔よく通っていたカトリック教会に赴き話をつけてくれた。
「教会に通っているのなんて見たこともないですが、カトリックのはずです。一番簡素なのでいいのでお願いします」
「ああ久しぶりですねツィータ。あなたもまた昔のように通っていただけると幸いです」
ツィータ自身の不信心を問われながら嫌な顔ひとつせずだ。費用も半分出してくれた。
「散々世話になったからな、お前と違って職持ちだし」
簡素な葬儀に二七中隊も参列した。母の姿はなかった。
このままで良いのだろうか。エァンストに居場所はない。
教会の裏手に置かれたベンチに座り考える。凍るような風が頬を撫で思わず身震いした。冬の寒さはボロコートだけではろくに凌げない。
「あーいたいたエァンスト、しみったれてんなあ」
エァンスト同様にボロコートに身を包んだツィータが隣に座った。
「また教会こいよだってさ、ふざけてるよなあ。私の親父ん時は真相解明に動こうとしなかったくせによお」
ツィータの愚痴にエァンストは何も答えられなかった。代わりに出たのは
「なあツィータ、俺らこのままでいいのかな」
「おいエァンスト、お前突撃隊辞めようとしてるだろ」
図星だった。黙して語れぬエァンストを無視してツィータが続ける。
「年末の襲撃から距離取ってるよな。そりゃそうだ、だって人が死んでいるんだもんな。あいつら滅茶苦茶だ。でもさ、やめたらどうする気だ。正しい奴らは私らに用なんきゃねえ。こっちからも願い下げだ。突撃隊なら寝床があって飯と酒がある。私には給料もある」
それでも黙っているとツィータはコートの下から酒瓶を取り出した。
「店からパチってきた。飲もうぜ」
ツィータはコートのポケットから瓶抜きを取り出し、王冠の縁に当てた。ポンと小気味良い音を鳴らし外れた王冠はしばし地面を力なく転がってパタリと倒れた。
別に教会にだって貧民救済はある。無理に突撃隊にこだわる必要もない。ツィータだって父親のことがなければ、その道もあるはずだ。
「かんぱーい」
ツィータが声をあげ瓶を傾け直接飲む。
「ほらエァンストも、かんぱーい」
押し付けられたビール瓶を渋々口に当て軽く傾ける。冷えた液体が流れるとともにしだいに頬が熱を持つ。
「ほらもっと勢いよく」
突然ツィータが瓶底を掴み急角度で流し込んできた。当然溢れてコートを汚す。エァンストは慌てて暴れて瓶を掴むと奪い取った。気管に入ったし鼻にも入って痛い。
ケラケラと笑うツィータの口に瓶口を突っ込むと勢いよく傾けた。これも当然溢れてコートを汚す。ツィータも慌てて暴れて瓶を掴み奪い取った。
「おいいきなり何する」
「それはこっちのセリフだ」
互いに瓶を取り合い相手の口に突っ込もうと取っ組み合う。体格ではエァンストが優勢だがツィータも必死だ。押し合うたびに瓶が揺れビールがこぼれた。やがて瓶が逆さになり空になった。
「あーあせっかくの酒が」
ツィータが物惜しそうに呟く。
「こぼれたやつでも飲んでろ」
飲ませ合い奪い合いでコートとベンチと足元はビショビショになった。寒空の下降り注ぐ陽の光が水滴に乱反射して、教会のステンドグラスのようにキラキラと輝いていた。
エァンストはまた酒場に入り浸るようになった。結局自分たちの居場所はここにしかない。深く考えるたびにそう思い知らされる。悩みを忘れるには仲間と酒を飲み酔い潰れるに限る。
あれから隊員も増えた。その多くが失業者だ。去年の10月、黒い金曜日以来の経済ショックに耐えきれなかったドイツでは、続々と失業者の数が増えている。寝床に困り地下室で眠る者も増えた。部屋の隅、ツィータの寝床の隣は暗黙の了解でエァンストのものだ。
1930年5月2日
今日はベルリンに国社党総統アドルフ・ヒトラーが来た。スポーツ宮殿で15,000人を集めた大演説を催したのだ。エァンストたち突撃隊は会場の警備任務を無事こなし、今は酒場でだべっている。
会場は長方形の巨大アリーナの床一面に椅子を並べ、上階のバルコニー席以外でも観覧できるようになっていた。突撃隊は入り口や通路に並べられるが最も重要な場所、最前列の党幹部たちを客席から守る位置に大勢並ぶ。20時開始のはずが18時過ぎにはすでに満席だった。党員や支持者、招待客など、仕事帰りの労働者やスーツ姿のオフィスワーカーなどなど、老若男女問わず多様な人々が集まり、彼らは皆自らが発する熱気で額に汗を浮かべる者も少なくなかった。
刻一刻と時が進み20時になった時、突如として会場に物々しい行進曲が鳴り響いた。会場の注目は一斉に音の鳴る場所、入口へと向けられる。褐色シャツの集団の先頭に立つ黒髪を七三分けにし、ちょび髭を蓄えた、胸元に勲章を付けたヒトラーの姿が見えた。横にはベルリンで何度も演説をした議員先生ヨーゼフ・ゲッベルスもいた。二人が演壇に上ると隊列はエァンストたち同様前列の警備に加わった。
ゲッベルスがマイクに近づき口を開く。
「諸君、今晩ベルリンの同志がこれだけ集まった。赤いベルリンで我々の運動は日々成長躍進し、今日に至った。そして今、我々の総統が親愛なる同志諸君に語る。Heil Hitler!」
ゲッベルスの敬礼と共に突撃隊も敬礼した。敬礼は次々と会場中に伝染し「Heil Hitler」の大合唱となった。会場のボルテージは一斉に高まりそれに合わせてヒトラーが前に出てきた。ヒトラーは会場が静まるまで待ってから口を開いた。
「諸君らは『Die Somme』(第一次大戦が舞台のドキュメンタリー映画、公開されたばかり)を見ただろうか。そこに映る果てしない灰色の隊列は、芝居の兵士ではなく、泥に覆われた英雄だった。この映画によって、あの巨大な闘争をもう一度我々の前に通り過ぎさせ、その後に何が起こったか、どれほど巨大な変動があったかを考えるなら、現在の我々の状態がどれほど救いのないものか、よりいっそう理解ができる。
ただ一つだけ変わらなかったものがある。それは物事を動かしている勢力だ。議会にも、新聞にも彼らがいる。同じ資本、同じ顔ぶれである。何も変わっていない。新しい政党は現れた。しかし古い男たちは残った。会社の看板は変えられたが、古い勢力は残った。国民が古い姿をもはや信用しなくなると、有名人たちは新しい政党を作った」
エァンストが覚えているのは演説の冒頭部分で、映画の話から始まってにわかに会場が沸き立ったところまでだ。興奮の渦に呑み込まれ、後はただ印象的な場面が飛び飛びに残るだけだ。
「あれ覚えてるかあれ、総統が言ってたやつ。攻撃と嵐によって大きく強固にされるのだ。ってやつ」
「おう、まさしく我々だ。アカどもなんてどこからでもかかってこいや」
「よ、ドイツ一」
仲間の一人が酔った勢いで調子に乗っている。エァンストも囃し立てた。
「あれもよかったよなあ。我々の民族に空間を。6,200万の我々には狭すぎる」
「そうだ土地に歴史的権利なんてない、あるのは戦って勝ち取る権利だ。エルザス=ロートリンゲンを取られたように、我々も奪い取り返すのだ」
ヒトラーはそのために民族の力を一つに纏めるのだと語っていた。
「我々は宣言する。我々はあらゆる合法的手段を用いて、右と左の狂気を打ち砕く決意をしている」
その後のヒトラーの言葉だ。合法的手段、年末の襲撃が頭に思い浮かぶがすぐにジョッキを掴み流し込んだ。
「私には、お前に与えられるものは何もない。ただ、お前が奉仕する祖国だけである。くー、祖国もいいけどやっぱ他にも欲しいなあ」
「んだよ我々、仲間がいるだろ」
「気取るねえ」
大演説後の打ち上げは明け方近くまで続いた。
年末の襲撃で捕まった者たちの判決が出た。四人が罪に問われたが、一人は無罪となった。残りの者も傷害致死などで、誰一人殺人罪とならず三年六ヶ月の禁錮だった。
まったく馬鹿げているとエァンストは思う。班を二つに分けて計画的に店の前で待ち伏せて銃撃、結果複数の負傷者を出し一人は数日後死亡した。これで三年六ヶ月、いくらなんでも軽すぎる。この街は司法までイカれてるらしい。ヒトラーはあらゆる合法的手段を用いてと言っていたが、どうやら相当やっても違法にならないらしい。本当にイカれている。
あと、突撃隊の褐色シャツがプロイセン州で禁じられた。なかなかイカれた法律だが、突撃隊の対応もイカれてる。白シャツ、青帽、ビール瓶の輪っかを党員章代わりにシャツにつけ、4プフェニヒ硬貨を帽子に貼り付ける。ツィータに見せたら「それ正気?」と笑われた。
1930年7月2日
「ドイツ民族に代表を」
「アカい病魔から守り抜け」
複数の中隊で集まって隊列を組み、敷石を踏み鳴らし行進曲を高鳴らせその叫びを響かせる。ベルリンの街並みを褐色シャツではなく白シャツの隊列が闊歩する。やがて労働者地区赤色地区に足を踏み入れた。
「俺たちにはファシストは必要ない」
「民族じゃない、労働者の団結だ」
通りに面した窓という窓から声があがり、にわかに礫が降り注ぐ。向かう先には即席のバリケードが張られ、アカい奴らが集まって「Rot Front!」拳を突き上げた。
「Sturm! Sturm! Sturm!」
嵐を呼ぶ掛け声と共に突撃隊は突撃を開始した。それぞれ手頃な武器を持ちバリケードに襲いかかる。エァンストも発煙筒をバリケード裏へと投げ込んだ。ピストルの音が鳴り響き、怒号の中に悲鳴が混じる。それでも衝突は止まらない。
「Sturm! Sturm! Sturm!」
「Rot Front!」
それぞれの掛け声がこだまする中、バリケードを突破した。白兵戦だ。エァンストは襲いくるアカを警棒で殴り飛ばした。初めて任務で人を殴った時、割れるほどに拳も痛かったのを思い出す。武器は必須だ。
皆思い思いに暴れ叫び血を流す。エァンストのこめかみにもドロリとしたものが垂れた。拭うと赤い。興奮して気づかなかったが石でも当たったか。
突撃隊は足を進め、集合住宅の門中にも入る。アカい砦に我々の証、ポスターを貼り付けるのだ。
「出て行けテロリスト、ここは俺らの城だ」
「テロリストはお前らだ」
先陣が一通り暴れ尽くすとポスター班が突入し、意気揚々と陣取りをした。ペンキを持つ者は鉤十字でマーキングをし、通りを歓喜に震える「Heil Hitler」の叫びが押し包んだ。
「我々の勝利だ」
あれだけやって三年半だ、それならこんな殴り合いなんてことない。
「Heil Hitler」
1930年8月31日
昨夜突撃隊と国社党が激突した。突撃隊の三分の一を指揮するヴァルター・シュテンネスが、反旗を翻したのだ。
「君たちの気持ちはよーくわかる。直接血を流している突撃隊に党が報いようとしないのは当然不満だ。だが一揆はダメだ」
急遽ヒトラーが酒場に現れ説得に来た。
「んじゃ我々には何も恩恵がないのか」
血気盛んな隊員が食ってかかる。
「いやもちろんそんなことはない。党費から突撃隊の予算を増やそう。突撃隊幹部を今から議員候補に加えるのは難しいが、金なら回せる」
シュテンネスたちは突撃隊からも候補を出せと要求していたらしい。
「すまない、私は他にも酒場を回らなければならない。これで失礼するよ」
そう言ってヒトラーは去って行った。
「で、結局これどうなんだ」
「さあシュテンネス親分がこれで折れればいいけど」
「いーや徹底抗戦だ。党の成長には我々の血が不可欠だった。もっと譲歩させないと」
隊員たちは各々席に着きジョッキ片手に持論を語る。
結局シュテンネスは折れヒトラーに従った。
国会選挙では2年前に12議席だった国社党が、100議席を超えた。
「やっぱ流石だ我々の総統は」
「違いねえ、Heil Hitler」
1931年4月1日
数日前からシュテンネスが解任されるとの噂が流れていた。シュテンネスは再び反旗を翻しベルリンの党支部を占拠した。
「おい俺たちも行くぞ、シュテンネスに合流すんだ」
「待て待てそしたら総統はどうなんだ」
「そりゃもちろん総統のためさ」
急報が入った酒場ではにわかに議論が活発になる。シュテンネスに味方するかしないかだ。
「中隊ごと丸々鞍替えしたところもあるらしい、我々も続くぞ」
「お前ら止めるな、俺は一人でも行ってくる」
それに続き十人ほどの隊員が酒場から飛び出した。
「お前らはどうすんの」
カウンターからツィータが問いかけた。
「いやー、流石に身内で直接闘うのはちょっと」
シュテンネスの反乱は親衛隊と警察によって瞬く間に制圧された。中隊長や小隊長たちは文書で忠誠を誓ったらしい。シュテンネス含め反乱に加わった者たちは追放された。党の連中はやっぱり合法路線で行くらしい。エァンストとしてもあまり危ない橋は渡りたくない。
再び平和な日常が戻ってきた。
「選挙結果を見たか、民意は我々にあり」
「ふざけるな、別にお前らも第二党だろ、俺らだって第三党だ、大して変わらない」
「へ、負け犬の遠吠えはよく響くな」
相変わらずアカとはぶつかる日々だが随分と平和だ。失業者の数はますます増え、隊員の数も比例して増えた。
「Heil Hitler」
「Sieg Heil」
任務を終えると乾杯の音頭と共に仲間たちとビールで喉を潤す。
「痛ってえ」
エァンストは昼間礫が直撃した自分の肩をさすった。
「うまい具合に飛んできたな」
「ピンポイントで関節だ」
「一応包帯でも巻くか?」
ツィータが席に来た。
「いやアザだし別に大丈夫。あー、なんか冷やすやつあるといいかも」
「了解、適当な布に氷包んでくる」
そう言ってドタバタと忙しない。
「カー、献身的な嫁さんだねえ」
「あんないい娘どうやって捕まえたんだ」
「嫁じゃない、仲良くなったのはタダ飯タダ酒食わせたから」
「嫁じゃねえってんならなんだ、寝床が隣なのはどういう了見だ」
「知るか、お前らが勝手に空けてるだけだろ」
それから一年。抗争はますます激しくなり、日々生傷が絶えない。誰かが死ねば、その復讐でまた誰かが襲われる。
「旗を高く掲げよ! 隊列を固く閉ざせ!突撃隊は沈着な、確かな足取りで進む。赤色戦線と反動派に撃ち殺された同志たちも、魂となって、我らの隊列の中をともに進む」
死者を悼む歌を叫び意気高らかに隊列は進む。アカの牙城だったベルリンは相変わらず社民共産が強いものの、国社の勢いも日に日に増し、かつての小さな染みではすでにない。
1932年4月13日
突撃隊、親衛隊が国から禁止された。
「おい、どうすんだ俺たち無職だぞ」
「元から職には就いてないだろ」
やることもなく仲間たちは相変わらず酒を飲んで駄弁っている。
「というかそもそも赤色戦線も禁止されているんだし、別に俺らも変わらず闘えばよくないか」
「ダメだダメ、総統の合法路線に反するだろ」
「暇だー」
二ヶ月も経たないうちに禁止令を出したブリューニングは失脚した。代わって首相になったパーペンは突撃隊の禁止を解いた。
「やっとか!」
褐色シャツが酒場に戻ってきた。
国会も解散された。選挙が始まる。エァンストたちはまた街へ繰り出した。共産党だけではない。国旗団まで街頭に出てきて、ベルリンでは毎日のように殴り合いが起こった。
その最中、パーペンはプロイセン政府まで叩き潰した。
「共産党のテロリストをプロイセン政府の腰抜け共は抑えられないらしい」
「共産党から市民を守れるのは我々突撃隊だけだ」
1932年7月31日
「Heil Hitler」
国社党は230議席を獲得し第一党に躍り出た。圧倒的な勝利。
「我々の努力の賜物だ」
あまりのことに涙を流す者もいる。皆いつも以上にはしゃぎ叫び、表のシャッターに当てられる投石の音など誰も気にしない。誰もが党の躍進に喜び歓喜に震え、アカ共の衰退に叫んだ。
1932年8月13日
圧倒的得票数だったにも関わらずヒトラー内閣は成立しなかった。副首相の座を提示されたが、ヒトラーは拒絶した。
「くそ、我々の努力はどうなる」
「落ち着け、最大政党になったのは事実だ。ゆっくりやれば勝てるに決まってる」
「いーや蜂起だ、武装蜂起しかない。この支持率を背景にクーデターを起こすんだ」
「そーすりゃヒンデンブルク大統領も逆らえねえ」
「パーペンを追い落とせ」
以後突撃隊は反パーペン活動に精を出すことになる。エァンストにとって意外だったのは共産党と協調したことだ。
「は、なんでアカ共とおててつないで歩いてんだ」
帰ってきた隊員たちにツィータはお冠だ。
「おいエァンストどうにかなだめてくれ」
「まあまあ落ち着けツィータ、別にアカ共と馴れ合おうってんじゃねえ。それ以上の敵がパーペンってだけだ。その後は当然アカ共が相手だ」
「いーや落ち着かないね、なんでシンプルなテロリスト共に協力してるんだ」
「なんでと言われてもそれが党の方針だからとしか」
「そんじゃやっぱシュテンネスは正しかった。武装蜂起しかない」
「おおそうだそうだ、ツィータの言う通りだ。今から襲撃しに行くぞついて来い」
過激な奴らが同調して飛び出して行った。
「あいつらには酒を出してやる。お前ら腰抜けには出さねえ」
「そんな」
「後生だから頼む」
「ダメだダメ、どうせ碌に殴り合わないし怪我も治してやらねえ」
国会はまた解散され再び選挙が始まった。
1932年11月3日
「は、またアカ共と共闘?」
あれからなんとか落ち着き再び酒を出してくれたツィータが叫ぶ。
「ああ労働者のためにストライキに共闘せよとのことだ」
「労働者のため、そんなら仕方ないとなるわけがないだろ。馬鹿にしてんのか」
「俺らもそう思うけど党からの指示だ」
「頼むまた前みたいに一人ストライキしないでくれ」
「ほらエァンストお前も」
「ツィータ頼むこの通りだ。俺らはツィータがいないと何もできねえ。いつもみたいに働いてくれ。頼む」
「わーったわーったから、そんなに寄るな暑苦しい。お前らが腰抜けなのはわかりきってるから今更サボらねえよ」
「聖女ツィータ様」
「やかましい」
ツィータが抱えていたお盆が飛んだ。
選挙結果が出た。国社は変わらず第一党だったが得票率は大きく下がった。代わりに共産党や極右の国家人民党が勢力を伸ばす結果となった。
「ほらみろアカなんかとつるむから、これで党のお偉方も気づいてくれるといいな」
パーペンが辞め、代わってシュライヒャーが首相になった。だがそれも二ヶ月と続かなかった。
1933年1月30日
国社党総統アドルフ・ヒトラーが首相に任命された。副首相はヒンデンブルクの寵臣パーペンだった。
今日の酒場はいつも以上に騒々しい。皆で勝利の喜びを分かち合い、「Heil Hitler」を叫んだ。
「俺たちの勝ちだ」
「もうアカには負けないぞ」
「今度は俺たちが政府だ」




