澪と100年後の王都ルヴィエールの歴史──終幕前
それは、“記録者”が最後に残した小さな希望だった。
──百年後の未来に、もし誰かが“あの物語”を覚えていてくれるなら。
──私は、もう一度だけ、あの世界を見に行きたい。
そんな、あり得ない夢を。
春野澪は、大学生の頃に小さな紙に書いて、書棚の奥にしまっていた。
けれど、それは夢ではなかった。
いや、むしろ“記録者”である彼女だけが辿り着けた、唯一の道だったのかもしれない。
◆
図書館の閉館時間。
誰もいない館内。窓の外は星が瞬き、静寂が満ちる。
澪はひとり、地下書庫の鍵を開けた。
そこには、誰にも知られていない“記録者専用”の閲覧室がある。
──古文書も、写本も、真偽不明の異世界記録も、すべてが眠る空間。
そして、中央の机の上に置かれていたのは、一冊の本だった。
『継承記録・新王歴101年』
編纂者:記録庁ルヴィエール中央局
……見覚えのある章立て。記録の文体。
そして、“あの世界”の名――
──王都ルヴィエール。
◆
気づけば、澪の意識はページの中へと沈んでいた。
次に目を覚ました時、そこには見覚えのない空の青と、見違えるほど美しくなった王都の街並みが広がっていた。
──百年後のルヴィエール。
城は修復され、街道は整い、市民たちは笑顔で暮らしている。
澪は、自分が見知らぬ旅人の姿で街に立っていることに気づいた。
「……ここが……未来の……」
◆
やがて、澪は王都の中央広場へと辿り着く。
そこでは今まさに、記念式典が行われていた。
《魔王グラディウスと記録者ミオ》を祀る百年記念の祭礼――
壇上には、次世代の王である若き男女が立っていた。
「……我らは、先代王リアムと女王フィリアの意思を継ぎ、
“記録”と“命”を守る国をさらに紡いでまいります──」
澪は思わず、息を飲む。
──リアム、フィリア……彼らが……あの子たちが、王となって。
──そして今、百年の時を越えて、まだこの世界は生きている……
その光景に、澪は言葉もなく、ただ立ち尽くす。
──これが、私が“記録したかった未来”なのだと。
◆
その夜。
澪は再び、双月の丘へと足を運んだ。
百年前と変わらず、二つの月が夜空に浮かぶ。
風が優しく吹き抜ける中、澪は静かに目を閉じ、そっと呟いた。
「……私は、ここに戻ってきました」
声は、風に溶けるように消えた。
だが、次の瞬間、ふわりと風が巻き起こる。
そして、その中に微かに聞こえた声――
『お前は……やはり我が花嫁だな』
「……本当に、まだ言うんだから。魔王様」
涙が滲む。
けれど、それは悲しみではなかった。
百年を経て、澪は自らの“役目”が果たされたことを知った。
記録は生き続けていた。
人々の記憶の中に。街の営みに。誰かの名のなかに。
ミオという存在は、物語ではなく、“歴史”として刻まれていたのだ。
◆
そして、再び本のページが閉じられる。
図書館の地下書庫。
澪はゆっくりと目を開け、本を閉じる。
机の上には、ただ静かに――
『新王歴101年 王国記録』
【編纂注記】記録者・春野澪(名誉)
そこに名は、確かに刻まれていた。
──春野澪、記録者として名を遺す。
そして、彼女は立ち上がる。
もう、“記録の向こう側”に行く必要はない。
なぜなら彼女の名前は、もう“物語”ではなく、“歴史”となったのだから。
そうして、春野澪は図書館の鍵を閉めた。
静かに、けれど確かに、未来へと物語を渡しながら。
──終幕前、最後のページは、微笑みと共に綴られた。
◆【記録、ここに終幕前完結】──




