02-20 如月ユースケ
「ユースケ、俺は仕事行くからな」
「うん、行ってらっしゃい」
(おい、ノロマ! 1時間前には出社しろって言っただろ!)
ボクは引き籠りだった。
「ただいま。もう、メシは食ったのか?」
「先に食べたよ」
(仕事できねえのに、なに昼飯食べてんだよ!)
新卒で入社した会社がいわゆるブラック企業で、毎日怒鳴られてばかりなうえにサービス残業も当たり前だった。たくさんいた同期がほとんど辞めても、ボクは勇気が無くて残っていた。
――今でもたまに、あの時の光景が蘇ってくる。
「すまん。風呂の栓が抜けてた」
「大丈夫。シャワーで済ますよ」
仕事の日はコンビニの弁当や外食でやり過ごし、数少ない休日は料理にのめり込んだ。とにかく食べたい物を買って、作って……食べる事でストレスを発散していた。
「今まで全部母さんがやってたから、ユースケが料理できて助かるよ」
「良いって、そのくらいはやるから」
(お前の代わりなんて、いくらでもいるんだよ!)
長く続いた理不尽な生活も、母さんが急病で入院したことで終わりを迎えた。連絡があってすぐに初めて休暇を申請したが、拒否ばかりか休日出勤まで押し付けられた。
「ユースケ、明日は母さんの墓参りに行くぞ」
「……うん、分かった」
母さんはそのまま入院先の病院で亡くなり、ようやく実家に帰った時には既に葬式も終わっていた。その後は父さんの前でずっと泣いていた。
ただひたすら、泣いて……泣いて……涙が枯れて心が折れた。
「「……」」
仕事は辞めて部屋も引き払った。そして実家に戻って再就職先を探した時……ボクは他人が怖くなって何もできなくなっていた。
面接官もお店の店員も街中ですれ違う人でさえ、次の瞬間には罵倒されるのではないかと……そう思えて仕方がなかった。
「なあ、いつまでああしてるつもりだ?」
「都会で頑張って働いてたんだ。しばらく休ませてやれよ」
「そう言って3年だぞ。30もとっくに過ぎて――」
「ユースケが作ってくれたメシを食いながら文句言うな」
家の中の家事は全てボクがやっている……けど、買い物は父さんに頼んでいる。父さんは庇ってくれるけど、集まった親戚たちの言うことはもっともだ。
その自覚はある。でもどうしても、その先へ踏み出すことが出来なかった。
「ユースケ、出かけてくるから夕飯頼むぞ」
「うん、蕎麦と天ぷら作っとくよ」
今日は大晦日だから年越しそばを作る。今日は父さんと一緒に食べよう……確か、そんなことを考えていたと思う。
――天地が揺れるまでは。
……
…………
『汝の願いを見た。転生先で叶えると良い』
真っ白な空間……目の前には法壇があり、中央に座った人物から厳かな声で転生を告げられた。その人は厳格な雰囲気である事しか分からないが、それよりもボクは“次”があることに意識が向いていた。
「それは、天国に行けると言うことですか?」
『そうではない。これまでとは別の人間道……汝の認識に沿うなら、異世界だ』
(異世界……ボクが?)
苦痛のない世界を想像したが、帰って来たのは意外な答えだった。その人はボクが困惑しているのを察したのか、反応を待たずに説明を続ける。
『誰の目にも映らなくなる力を授けよう。悪意から逃れた先に、汝の願いがある』
(ボクの願い……これが、それを叶えるための力)
『判決は出た。次の人生を歩むが良い』
こうしてボクは異世界に転生した。姿を完全に消す魔法【フルステルス】を授かったおかげで、魔物に襲われることもなくアキト君たちと出会うことができた。
猪の姿で野生を生きた期間、人間として異世界の生活に順応する期間……目の前の事に必死だったおかげで、過去の感情に支配されることはなかった。
「ほらほら、早く立てよ」
「あ、ああ……」
「立てないなら、大人しくしてな!」
だけどそれも、カナさんが誘拐された時に全て吹き飛んだ。暴行を受けたうえに罵倒されたことで、蓋をしていた過去が溢れ出して止まらなくなる。
(貴方が反抗すれば、この体を使った生贄召喚を行います)
その時、ボクの中に誰かの意識が入り込んでくる感覚があった。それと同時に心臓を鷲掴みにされたような痛みに襲われ、抵抗することもできずに身体を明け渡した。
(ピョートル伯爵が奪還に動いた。“私”も戻りましょう)
命令のまま身体を動かし、別荘には誘拐犯の仲間として招き入れられた。そして皆を裏切ることだと分かっていながら、ボクはエントランスにアキト君たちを誘導した。
――そして罠に嵌めた瞬間に、ボクの意識が薄い膜に押さえつけられる。
『ユースケさん、目を覚ましてください!』
『お願いです。ユースケさん!』
しばらく膜の中で眠っていた意識が、カナさんとアキト君の声で目を覚ます。そして目の前に迫るロッシュ君を見て、“自分”が殺意の籠った悪意を発していることに気付く。
(それだけは……それだけはダメだ!)
この時、ボクは初めて憑依に抵抗した。意識を纏っている膜を破ろうと足掻き、それを押さえつけようと“自分”の動きが一瞬止まる。
『2人の言う通りだ。戻って来い』
ロッシュ君の声に背中を押してもらい、ボクは意識を押さえつけていた膜を破くことができた。
(ボクはまだ見捨てられていない。また、もう一度……かつてのように、ちゃんと自分の足で歩かなきゃ)
全身の倦怠感と重力に引かれる感覚が、ボクの意識を現実に戻していった。
――――――――――
ユースケが徐々に覚醒していく意識の中で見たのは、それぞれの決意を通そうとする者たちの姿だった。
「カナさんたちを守りつつ、ここから脱出する」
「せっかくだ。グリドリンまで巻き込んだツケも払わせてやるぜ」
「ふざけるな。もう俺たちから……爺ちゃんから何も奪わせるかよ!!」
アキトはシュヴァルツシルトを修復してカナを守るように立ち、ロッシュはエスクードとエイビスを再生成して気合を入れる。そして、ジェニスも両腕に魔力を纏わせながら啖呵を切った。
「ハハッ……ハハハハ!!」
(コッチ男爵、いったいどうしたんだ!?)
若者たちが今まさに戦いの火蓋を切ろうとする中で、コッチ男爵の大きな笑い声がエントランスに響く。それにはユースケだけでなく、この場にいた誰もが困惑していた。
『この期に及んで何を』
「ボケておった、ボケておった! 紛う事なく平和ボケであった!」
グリドリンの念話がコッチ男爵の力強い叫び声でかき消される。それと同時に彼の老体から魔力が溢れ出し、着ている服を突き破りながら肉体が膨張していく。
「何を遠慮する必要がある。始めから全て潰してしまえば良かったのだ!」
異体化したコッチ男爵は黄色い毛に覆われた3メートル級の巨大なサル【猩々】となり、アキトたちを見下ろしながら解放された衝動を吐き出す。
そこにはもはや、冷静な老紳士の面影はなかった。
『まずはカナ・C・バーストンを奪い返す。イイ、付いて来い!』
『了解、援護します』
カナを守るアキトに迫るコッチ男爵に少し遅れて、イイと呼ばれた管狐も動き出す。
「グガアア――ッ!!」
「ぐっ、なに……この音……」
自らの怒りと魔力で強化した猩々の拳【怒咆拳】が、怒号に似た音を上げながらシュヴァルツシルトに叩き込まれた。その音には怒りの感情を伝播する精神波が含まれており、アキトは精神障壁が軋む圧迫感に耐えながら拳を受け止める。
(怒っている人は怖い。だから“目を付けられない”ための魔法を授かった)
「あ……」
繰り広げられる戦いの光景を見て、ユースケの意識が完全に覚醒する。そして自らの足で立ち上がった時、カナの元へ回り込もうとしているイイの姿に気付く。
「カ、カナさんに近づくな!」
(でもそれは自分だけじゃない。同じように“悪意の目”を向けられた人を逃がすためにも、使えるはずだ)
思考よりも先に、ユースケが声を張り上げて走り出した。突然の出来事に騒然とする周囲をよそに、彼は猪の姿に異体化してカナを狙うイイに体当たりを敢行する。
(ぐぅ……やってくれる)
「まずい、ユースケさん!?」
勢いと質量差で吹き飛びながらも、イイは狐の尻尾を振り抜いて青い炎【狐火】を矢のように飛ばす。コッチ男爵の拳を受け止めていてアキトが動けない中、黄色に光るシールドが狐火を弾いて軌道を逸らした。
『僕が守るべきなのに、先を越されてしまったな』
(あ、ありがとう)
シールドを使用したのは、カナの肩から飛び降りたグリドリンだった。ユースケは彼に感謝しながらも、彼女に近寄って背中に乗るようにジェスチャーする。
『ユースケ、屋敷内に君たちの仲間がいるはずだ』
『シーリスたちに会ったのか?』
『姿は見ていない。でも、ここに来る途中で“斬られた”警備員を見つけた』
『その情報だけで十分だ』
グリドリンはイイを警戒しながら、ユースケに屋敷内に逃げるように告げる。それを聞いたロッシュは両方の翼からダウンバーストを放ってジェニスたちを牽制しつつ、掌から1羽のカーディナルを飛ばして最寄りの扉を破壊する。
『ユースケさん、お願いします』
『ここは僕たちが押さえます。カナさんを連れて行ってください』
(分かった。それが、今のボクにできる事なら)
カナが背中に乗ったことを確認すると、ユースケは2人の言葉に力強く頷いてフルステルスで透明化する。アキトとグリドリンがコッチ男爵たちの攻撃を防ぐ中、彼は皆の期待を背負って通路へと抜けて行った。
(あのステルス魔法、強化探知にもかからないのか!?)
「カナさんはもう渡しません。貴方たちの負けです」
「そういうことだ。諦めて投降しな」
カナごとフルステルスで隠れたユースケを捉えることができずに、イイたちは彼らを完全に見失う。すぐに追いかけたいところだが、目の前の2人がそれを阻む。
「言ったはずだぞ。全てを潰すと!!」
降伏勧告を拒み、コッチ男爵が体内の魔力を練り上げる。全身の毛から赤色の魔力が排出されて緋色に染まった姿は、まさに憤怒の化身だった。
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