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リライト・ザ・ワールド ~2004年から創るエンタメ帝国~  作者: 伊達ジン


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第34話 才能が向こうから来る

 深夜の名古屋・栄エリア。

 九月に入ったとはいえ、まだまとわりつくような湿気が夜の空気には残っていた。色鮮やかなネオンの明かりが絶え間なく瞬く繁華街を、悠は少しだけ足元をふらつかせながら歩いていた。通りを行き交う酔客たちの笑い声や、居酒屋の呼び込みの声が、どこか遠くの出来事のように耳の奥で反響している。


 関西・中京圏の実力者たちとの会食では、異例の若さで新興企業を率いる悠の存在が面白がられ、次々と酒を勧められた。最初こそ品定めするような視線を向けられていたが、悠が現在の利用データとプラットフォームの今後の展望を淀みなく提示すると、座の空気は明確に変わった。彼らの警戒を完全に解き、懐へ入り込むために出された杯をすべて干した結果、今夜は珍しく泥酔していた。


 酒が回り、首筋から顔にかけて熱を持っているのが自分でも分かる。スーツのネクタイはすでに緩め、ジャケットのボタンも外しているが、それでも体にこもった熱はなかなか逃げていかない。頭もどこかぼんやりとしており、歩幅が一定にならなかった。


 やがて、コンビニエンスストアの横に置かれた灰皿を見つけると、悠はそこに足を止めた。

 少し重たい動作でスーツの内ポケットから煙草の箱を取り出し、一本を唇に咥える。続けて百円ライターを取り出したが、酒の回った指先が普段のように器用に動かなかった。着火用のローラーを回そうとしても、親指が空振りをして火花すら散らない。

 二度、三度と弾くように回し、ようやく小さな炎が立ち上がった。

 火をつけ、深く煙を吸い込む。


「……少し、飲み過ぎたな」


 誰に言うともなく小さく呟き、悠は短くなった煙草を灰皿に押し当ててもみ消した。

 ネクタイの結び目をもう一度軽く引き下げてから、通りかかった空車のタクシーに向かって手を挙げる。後部座席に乗り込み、滞在先のホテル名を告げると、悠はシートの背もたれに深く体を沈め、静かに目を閉じた。


★★★★★★★★★★★


 数日後、東京。

 ネクサス・エンターテインメントのオフィスは、これまでにないほどの活気に包まれていた。ウェブ媒体に先行掲載されたインタビュー記事の反響は凄まじく、連日のように届く履歴書やポートフォリオの束がデスクの上にいくつもの山を作っている。問い合わせをしてきた技術者やクリエイターたちの選考が、本格的に始まっていた。


「神崎さん、問い合わせてきた技術者たちですが、すでに何人かの一次面談を済ませました」


 ホワイトボードにネットワークの構成図を書き込んでいた成瀬が、マーカーを置いて報告にやってきた。その声には、優秀な人材が集まりつつあることへの確かな熱がこもっていた。


「レベルはどうですか」


 悠が視線を向けると、成瀬は手元の資料を軽く叩いた。


「全体的にレベルは高いですね。ただ、実際にどこまで任せられるかは別です。利用者が急増した場合まで考えて設計できるか、一人ずつ確認しています」


 成瀬が自分のデスクへ戻ると、入れ替わるように結城が分厚いバインダーを手に歩み寄ってきた。


「クリエイター陣の審査も進んでいます。有望な人間にはテスト制作の依頼を出しました」

「権利関係の懸念はありますか」

「契約条件への反応は良好です。ただ、応募作品の権利関係は個別に確認する必要があります。そこさえ整理できれば、交渉は進めやすそうです」


 結城はバインダーを閉じ、自分の席へ戻っていった。


 成瀬には技術者の実力評価を、結城にはクリエイターの作品や権利関係の確認を任せつつ、悠自身も連日、有望な応募者との面談を重ねていた。履歴書の華やかさや所属企業の知名度ではなく、将来大きな価値を生む本質的な能力があるかどうかを見極めるためだ。


 午後になり、悠はオフィスの一角に設けられたミーティングスペースで、一人の応募者と向かい合っていた。

 片桐涼という名の、二十代半ばの青年だった。少し疲れたような顔つきで、着ているシャツもどこかよれ気味だ。専門学校を卒業後、現在は小さな下請けの開発会社に勤務しているという。


 悠の視線は、片桐の履歴書ではなく、彼が持ち込んだノートパソコンの画面に向けられていた。


「これは、PC上のシミュレーターで動かしているんですか」

「はい。あくまで業務とは関係ない、将来こんな風に動かせたらいいなと思って、趣味で作ったプログラムです。実際の携帯端末ではまだ動かせないので……」


 片桐はマウスを操作し、画面上に表示された仮想の端末インターフェースを動かして見せた。

 現在のフィーチャーフォンに見られるような、十字キーをポチポチと押して項目を一つずつ移動させる動きではない。マウスカーソルで画面の余白をクリックし、そのまま上へ引き上げる。すると、画面全体が滑らかにスクロールし、クリックを離した後も物理的な慣性が働いているかのように少しだけ進んでから止まった。


 その直感的で吸い付くような動きを見た瞬間、悠の脳裏に、ある未来の記憶が鮮明にフラッシュバックした。

 片桐涼。

 のちに、スマートフォン普及期において世界的なモバイルOSのユーザーインターフェース設計を主導し、数々の特許と業界標準の操作体系を確立することになる天才デザイナー兼エンジニアだ。悠は、彼が過去に個人で立ち上げていたポートフォリオサイトから、この「慣性スクロール」の源流とも言えるコードの動きを知っていた。

 画面上のオブジェクトが、まるで物理法則を持った本物の物体のように反応する。何億台もの端末に搭載され、世界中の人々が当たり前のように指で画面を滑らせる未来。その源流が、今目の前にある不格好なノートPCの中で動いている。


 悠は逸る気持ちを抑え、技術的な意図を確認するように声をかけた。


「画面を直接触って操作することを想定しているんですね。スクロールの止まり方も自然です。端まで動かすと、どうなりますか」


 悠が静かに尋ねると、片桐はマウスを操作してリストの最下部まで勢いよくスクロールさせた。


「少し戻るようにしてあります。あと、次に表示する部分も先に読み込ませていて……」

「なるほど。そこまで考えているんですね」


 悠のまっすぐな肯定に、片桐はびくっと肩を揺らし、信じられないものを見るような目で悠を見つめ返した。


「……分かるんですか? 休日の時間を削って、自分が触って気持ちいいと思えるものを作り続けてきました。でも、今の会社ではこんな凝った作りにしても処理が重くなるだけだと怒られて……。仕様書通りに、ただ十字キーで動けばいいものを作れと言われ続けてきました。誰も、人間の指の動きや触り心地なんて気にしてくれませんでした」


 片桐の言葉の裏にある不満と、クリエイターとしての純粋な欲求。自分の生み出したコードが理解されず、仕様書という枠に押し込められてきた屈託。


「今の携帯電話では、まだ難しいでしょうね。でも、端末の性能はこれから大きく変わります。数年先を考えれば、この技術には十分な価値があります」


 それを解放できる場所がここにあると示すため、悠は手元にあった書類の束から、一枚の条件提示書を取り出した。


「ネクサスに来てください。現在の年収の二倍を提示します。さらに、ユーザーインターフェースに関する設計と、フロント側の技術提案に関する裁量は、あなたに一任します」


 提示書に記載された金額と条件を見た片桐は、言葉を失ったように目を見開いた。


「……俺に、そこまで任せてもらえるんですか。でも、裏側のサーバーやデータベースの仕組みについては、俺はそこまで明るくありません」


 片桐が技術者としての懸念を口にすると、悠はまっすぐに彼を見た。


「そこは成瀬さんと相談してください。基盤のことは彼に任せています。必要な設備も用意しますから、今の端末でどこまでできるか、一緒に詰めていきましょう」


 片桐は条件提示書へ目を落とした。しばらく同じ箇所を見つめてから、顔を上げる。


「……やらせてください。今の会社には、すぐに退職の意向を伝えます」

「ええ。引き継ぎの期間も考慮して、入社日は柔軟に調整しましょう。焦る必要はありません、あなたの席は必ず空けておきます」


 そう言って片桐と固い握手を交わした。


 片桐のように現職の退職手続きが必要な正社員候補たちとは入社時期の調整を進める一方で、即座に合流可能なフリーランスのエンジニアや契約クリエイターたちは、すぐさまネクサスの開発・制作体制へと組み込まれていった。


 オフィスのフロアでは、新しく合流したインフラエンジニアたちが成瀬の指示のもと、利用者の増加を見越したサーバーの冗長化やデータベースの最適化を猛烈な速度で進めている。これまで成瀬が一人で抱え込んでいたタスクが分散され、ロードバランサーの設定見直しやレプリケーションの構築など、飛び交う技術用語の密度は日に日に高まっていた。


 制作スペースでは、雫が描く新しいアバター素材の世界観に合わせて、新規に参加したクリエイターたちが連動するデジタルアイテムやミニゲームの背景を次々と生み出している。雫の描く幻想的で繊細なタッチを基準に、パーツ分けや彩色を担当する人員が増えたことで、コミュニティ内の視覚的な豊かさが凄まじい速度で構築されていく。雫自身も、自分と同じ熱量で世界観を広げてくれる仲間ができたことで、これまで以上に生き生きとペンを走らせているのが分かった。


 悠はフロアを見渡した。成瀬の周囲では新しいエンジニアたちが作業を進め、雫の制作スペースにも人が増えている。

 これなら、以前は人手が足りずに見送った案件にも手を伸ばせる。

 悠は次に交渉する企業の候補を頭の中で整理し始めた。

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