第31話 真似される側
「公開時期は三日前の深夜。運営会社は、中堅のポータルサイトを運営しているIT企業です。彼らの既存会員に向けてメールマガジンで一斉告知をかけ、初動のトラフィックを強引に流し込んでいます」
登録者の増加が続き、連日熱気に包まれていたネクサスのオフィスに、その日ばかりは微かな動揺が走っていた。
朝の陽射しが差し込むフロアの一角。成瀬は手元のキーボードをせわしなく叩き、いくつかの画面遷移を悠のモニターへ映し出した。画面には、携帯電話のブラウザを模したエミュレータが表示されている。
成瀬の報告を聞きながら、周囲のデスクでは、数人の社員たちが不安げにこちらへ視線を送っていた。自分たちが苦労して作り上げ、少しずつ軌道に乗せてきたサービスを、既に多くの会員を抱える他社がそっくり真似しているのだ。社員たちが不安を覚えるのも無理はなかった。
成瀬は苛立たしげに画面を切り替えた。
「配色こそ変えていますが、ボタンの位置やページ間の遷移構造まで、ピクセル単位で似せてきています。単なる参考ではなく、意図的な模倣と見て間違いありません」
その横で、結城が印刷した資料の束をテーブルに置いた。画面のスクリーンショットを並べ、それぞれの類似点を赤いペンで囲んである。
「画面構成はかなり似ていますね。規約にも、うちの文言をそのまま使っている箇所があります。ただ、これだけで法的措置が取れるとは限りません。どこまで共通しているのか、もう少し詳しく調べる必要があります」
結城は手元の書類へ視線を落とした。著作権や不正競争防止法の侵害を問うには、単に似ているという主観だけでなく、客観的で法的な根拠の積み上げが不可欠だ。
二人の報告を聞き終えた悠は、画面のクローンサイトを数秒間見つめただけで、ふっと短く息を吐いた。
「表面を真似することはできても、こちらが積み上げてきた利用データや権利者との関係まで簡単には真似できません。向こうの内部構造はまだ分かりませんが、今のところ、こちらの方針を変える必要はないでしょう」
悠のまっすぐな返答に、成瀬が頷いた。
「ええ。現時点では、向こうの内部構造までは分かりません。ただ、画面の動きを見る限り、処理に無理が出ている箇所もあります。利用者が増えたときに、今の動作を維持できるかは疑問ですね」
「なら、問題ありません。携帯電話向けのエンターテインメント・コミュニティという新しい市場を開拓している以上、参入者が現れるのは想定内のことです。放っておきましょう」
悠の言葉を聞き、近くで様子をうかがっていた社員たちも、幾分か表情を和らげてそれぞれの仕事へ戻っていった。
「法務上の確認も止めるということですか?」
結城が確認を求める。
「いいえ。画面や規約のコピーについては、証拠を残して調べてください。ただ、こちらから機能競争を仕掛けるつもりはありません」
「分かりました。それなら、まず模倣箇所を整理します」
結城が頷くのを確認し、悠は二人をまっすぐに見据えて次の指示を出した。
「相手が消耗している間に、我々は本来の強みをさらに伸ばします。結城さん、先日お話しした件です。神宮寺響さんというアーティストの楽曲を、ネクサスで配信したいと考えています。まずは、彼女が所属する中堅レコード会社の契約書面や業界の慣例を徹底的に調査してください」
「音楽配信、ですか。既存の原盤権や専属実演家契約が絡んでくると、一筋縄ではいきませんが」
「ええ。単曲での配信と、アルバム単位での配信、それぞれの許諾範囲をどこまで引き出せるか。彼女の音楽性を守りつつ、レコード会社にも明確な利益が出る分配ロジックを組みたいんです。単なる楽曲のダウンロード販売ではなく、ネクサスが今後展開していく世界観と彼女の音楽をどう結びつけるか、その布石になります」
「分かりました。まず既存契約を確認します。そのうえで、レコード会社が受け入れられる条件を考えてみます」
結城が即座に手帳へメモを書き込む。
「頼みます。成瀬さんは、引き続きインフラの安定と、今後の拡張に向けた準備をお願いします。来週には、個人でフラッシュゲームを制作している開発者との再面談も控えている。今後、コンテンツの供給量は増えていきますから」
「了解です。アクセスが急増しても対応できるように、データベースの調整を進めておきます。必要な増強も早めに判断できるようにしておきます」
成瀬は頷き、再びモニターへ向き直った。
八月中旬。お盆を過ぎても一向に衰える気配を見せない強烈な日差しが、東京の街を容赦なく照らしていた。
悠は、東京駅の東海道新幹線ホームに立っていた。
周囲には、大きなお土産袋や旅行カバンを持った帰省客、家族連れの姿も多い。プラットホームの電光掲示板には、行き先を告げるオレンジ色の文字が流れている。まだ折りたたみ式の携帯電話を片手に、アンテナを伸ばしてせわしなくメールを打つビジネスマンたちとすれ違いながら、悠は自身の乗車口へと向かった。
今日の目的は、関西に拠点を置く有力なコンテンツ企業との商談である。関東での大手企業との交渉が結城の主導で進む中、悠は並行して西の強力なIPも早い段階から押さえておく必要があった。日本のゲーム産業を牽引してきた関西の企業群には、長年にわたって蓄積された独自の資産がある。
やがて、滑り込んできた「のぞみ」号の指定席に乗り込むと、悠は窓側の席に腰を下ろした。発車のベルが鳴り、列車が静かに動き出したのを見届けてから、座席の前の小さなテーブルを広げる。
カバンの中から取り出したのは、乗車前に東京駅の構内で購入したフランスパンのサンドイッチセットと、紙コップに入った温かいブラックコーヒーだ。
早朝からの移動と、これからの重要な交渉に向けて、質の高い燃料補給は欠かせない。
透明な包みを開けると、香ばしく焼き上げられたバゲットの小麦の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。こんがりと色づいた表面の切れ目から、具材が顔を覗かせている。
一つ目のバゲットには、薄切りにされたハムとチーズ、そして新鮮なレタスがたっぷりと挟まれている。悠は大きく口を開けてかぶりついた。
パリッ。
歯切れのよいパンの皮と、しっとりした内側の食感を楽しみながら噛み締める。ハムの塩気にチーズのコクが重なり、噛むたびにレタスがシャキッと音を立てる。マスタードもよく効いていた。
もう一つは、ふんわりとした卵とマヨネーズを合わせたサンドイッチだ。卵のサンドイッチは、先ほどのバゲットより柔らかく、マヨネーズの酸味も控えめだった。悠は温かいコーヒーを一口飲み、残っていたパンを平らげた。
食後、悠はカバンから煙草の箱を取り出した。悠が乗車しているのは、まだ座席で煙草を吸うことのできた喫煙車だった。肘掛けの小さな灰皿を引き出し、煙草に火をつける。
チッ、という微かな音とともに煙草の先端が赤く燃え上がった。悠は深く煙を吸い込んだ。
細く紫煙を吐き出しながら、窓の外へ視線を向ける。夏の田園風景が広がり、青々とした稲穂の向こうに巨大な入道雲が浮かんでいる。猛スピードで過ぎ去っていく景色を眺めながら、悠はゆっくりと一服の時間を楽しんだ。
煙草が短くなったところで灰皿でもみ消すと、悠はカバンから関西のコンテンツ企業の資料を取り出し、保有作品の一覧をめくった。
特に目を引いたのは、長年のシリーズ展開で熱心なファンを獲得してきた対戦格闘ゲームだった。個性豊かなキャラクターたちの衣装をアバターアイテムに採用するだけでも、十分な需要が見込める。
ただ、絵をそのまま切り売りするだけでは長続きしない。アバターの衣装と連動させて、世界観を反映したミニゲームの特別ステージを用意する。そうすれば、ファンが自らのアバターを通してその作品世界を体験し、掲示板やコミュニティで他のユーザーと交流する場になる。彼らが熱狂できる『遊び場』を提供することが、プラットフォームとしての価値を高める。
問題は、版元である関西企業が、どこまでデザインの使用やデフォルメを認めるかだった。自社の大切なキャラクターが、意図しない形で改変されることを版元は最も嫌う。商談では、ネクサス側がどのようにブランドを保護し、監修プロセスを挟むのかを具体的に提示し、納得してもらう必要があった。
視線を資料から上げ、悠は窓の外へ流れる景色をぼんやりと見つめた。
競合他社の動きが頭をよぎる。
すでにユーザーがサービス内を回遊する仕組みは機能している。競合他社がその表面的な導線を模倣してきたとしても、そこに集まる熱量までコピーすることはできない。
メールマガジンで既存会員を呼び込めば、初動の登録者数は伸びるだろう。だが、その利用者が翌日も戻ってくるかは別の問題だった。
競合他社はまだ、「何十万人の登録者を集めたか」という、表面的な初期の数字ばかりを競っている。一時的に大量のトラフィックを集めることは、ある程度の資本力があればできる。しかし、ユーザーが自分のアバターに愛着を持ち、掲示板で新しい人間関係を築き、次に追加されるコンテンツを心待ちにするようなサイクルは、一朝一夕の模倣では作り出せない。
悠は資料の余白に『定着率』と書き込んだ。
登録者を何人集めたかだけでは足りない。一度訪れたユーザーが一日に何回ログインし、翌日も、一週間後も戻ってくるか。その連続性こそが、プラットフォームの本当の力を示す。
会社に戻ったら、成瀬にその数字を詳しく集計させよう。表向きの会員数ではなく、生きたユーザーの動きを正確に把握しておく必要がある。
悠はペンをしまい、関西企業の保有作品一覧に目を戻した。




