第25話 口コミの火
一般公開から半月。成瀬が追い続けていた外部流入の正体が、ようやくログの中から浮かび上がった。
登録者数が大台を突破した後も、ユーザー数の増加曲線は勢いを落とすことなく右肩上がりを維持している。
デスクのモニターで集計を走らせていた成瀬が、ふうと息を吐いて振り返った。
「神崎さん。ここ数日、トップページを経由しない外部からの直接流入が増え続けている件ですが、発生源が特定できました」
悠は手元のキーボードから手を離し、成瀬のモニターを覗き込んだ。
成瀬がリストアップされたリファラデータをもとに、該当するサイトのキャッシュをいくつか開き、画面に並べた。
フレームで分割された簡素な構成のテキストサイト。アクセスカウンターが回り、淡い背景色の上に並んだ文字の羅列。携帯電話向けのレンタル掲示板の過去ログや、色とりどりの文字装飾が施された趣味系フォーラムのスレッド。
そこには、『このイラストがすごい』『無課金でもミニゲームが面白い』『このアバターのパーツが欲しい』といった、ユーザー自身の熱を帯びた言葉が並んでいた。彼らはネクサスで見つけた面白いものを、ネクサスへの直接リンクとともに、自分のテリトリーにいる友人たちへ嬉々として共有している。
「口コミ、ですね」
傍らで流入元一覧へ視線を走らせていた結城が言った。
悠は画面の文字列を見つめ、静かに頷いた。
「この熱を利用します。結城さん、以前検討していた招待機能ですが、本格的なフレンド登録などの重い仕組みは後回しにして、紹介用のURL部分だけを先に切り出せませんか」
結城は手元のノートへ素早くペンを走らせた。
「ええ。招待の入り口を作るだけなら、規約面でのハードルは下がります。インセンティブの付与条件さえ明確にすれば問題ありません」
成瀬が即座に意図を汲み取り、実装の算段を口にした。
「ユーザーごとに固有の紹介用URLを発行する形なら、既存の仕組みに少し手を入れるだけで実装できます。そのURL経由で新規登録があった場合、システム側で紹介者と新規ユーザーを紐付けて判定する」
「それでいきましょう。そして、紹介した側とされた側の双方に、特典として限定のアバターアイテムを付与します」
悠は制作スペースの奥でペンタブレットに向かっている雫へ声をかけた。
「天海さん、少し良いですか。以前話していた紹介機能の特典として、非売品の限定アイテムを描き下ろしてほしいんです」
「限定、ですか?」
雫が振り返り、少し不思議そうな顔をした。
「ええ。普通には買えない、紹介コードを使った人だけが手に入る特別な衣装や背景です。あなたのデザインしたアバターを着てミニゲームのランキングや掲示板へ行けば、まだそれを持っていないユーザーの目を強烈に引き付ける。それが次の紹介を呼ぶ起爆剤になります」
雫は少しだけ目を丸くした後、真剣な表情で頷いた。
「……分かりました。ただの色違いじゃなくて、見た瞬間に『それが欲しい』って思わせるようなデザインにします。少しだけ、時間をください」
「頼みます」
悠は結城と成瀬へ視線を戻した。実装と規約改定のスケジュールをその場で詰め、即座に次の作業へと入っていく。
数日後の夕方。
珍しく早めにオフィスを出た悠は、自室の小さなキッチンに立っていた。
まな板の上には、新鮮な鶏挽肉と、泥を落とした馬蹄クワイが置かれている。
悠は包丁を素早く動かし、クワイを均等な細かいみじん切りにしていく。サクサクとした小気味良い音が狭いキッチンに響く。
ボウルに鶏挽肉を入れ、刻んだクワイ、生姜の搾り汁、酒、醤油、ごま油を加え、そこへ片栗粉を少し多めに振る。指先を立て、空気を巻き込むようにして手早く、かつ力強く練り上げる。肉の粘りが出て、クワイが均一に混ざり合ったところで、一口大の美しい球体に丸めていく。
フライパンに多めの油を熱し、肉団子を転がすようにして表面を香ばしく焼き上げる。外側がカリッと色づいたところで、あらかじめ合わせておいた黒酢、醤油、砂糖、鶏ガラスープの餡を一気に流し込む。
ジュワッという高い音とともに、黒酢の芳醇な酸味が立ち上る。フライパンをあおり、とろみのついた餡を肉団子全体に艶よく絡めれば、メインの一皿の完成だ。
並行して、別の鍋で火の通りを見極めながら仕上げておいた根菜たっぷりの筑前煮を小鉢に盛る。市販の質の良いイカの塩辛を添え、もずくのみそ汁を椀に注ぐ。最後に、パックの納豆にたっぷりの刻んだ万能ねぎを乗せ、石垣島ラー油を数滴垂らして混ぜ合わせる。
黒酢の効いた熱々の肉団子を口に運ぶ。表面の香ばしさとクワイのシャキシャキとした食感の後に、鶏肉の旨味と黒酢の深いコクが押し寄せる。間髪入れずに白米をかき込み、根菜の滋味で口の中をリセットする。
あっという間に平らげた。
悠は空になった食器をシンクへ運び、手早く丁寧に洗い流す。水気を拭き取って定位置へ戻し、キッチン周りを整えると、そのまま寝室へ向かいゆったりとしたルームウェアへ着替えた。
午後十時。
リビングのソファに深く腰を下ろし、ローテーブルに置いていた買い置きのビターチョコレートをひとかけら口に放り込む。カカオの強い苦味が舌の上に広がるのを感じながら、携帯電話を取り出した。
結城から送られてきた明日の規約資料の文面を、小さな画面でスクロールさせる。抜けがないことを確認すると、灰皿を引き寄せて煙草に火をつけた。
深く紫煙を吐き出しながら、思考を明日の実装作業へと向ける。紹介コードの導入によって、トラフィックの質と量がまた別のフェーズへ変わる。悠は携帯を閉じ、しばらく静かに煙を燻らせた。
また別の日。
都内にあるアパレルブランドの展示会。ネクサスの広告関連で接点を持った代理店からの招待で、悠は莉子とともに会場を歩いていた。
一般客は入らない関係者向けのプレオープン日とはいえ、華やかな空気が漂うフロアには、業界人らしい洗練された服装の男女がひしめき合っている。
莉子は、上質な薄手のニットにシンプルなスカートという、少しリラックスした私服姿だった。
「神崎さん、このジャケットなんてどうですか?」
莉子が、ハンガーにかかった細身のテーラードジャケットを手に取り、悠の肩幅へ軽く当てた。
「悪くないですね。ただ、少し俺にはフォーマルすぎるかもしれません」
「そうですか? 私はすごく似合うと思いますけど」
莉子は少し不満げに唇を尖らせ、ジャケットをラックへ戻した。
ネクサスの広告塔としての起用を見据えた打ち合わせはすでに大枠で合意し、今は契約に向けた細かな調整が結城と事務所の間で進んでいる。今日の展示会巡りは、そうした仕事の枠を少し離れた、純粋なプライベートに近い時間だった。
一通りフロアを見て回った後、二人は会場の奥にある、エスプレッソが振る舞われる小さなカフェスペースのハイテーブルへ移動した。
周囲の会話にかき消される程度の控えめなBGMが流れる中、莉子がペーパーカップから立ち上る湯気を見つめながら、ぽつりとこぼした。
「……神崎さんといると、仕事じゃない私でいられるんですよね」
それがどれほど心地よいことか、莉子は以前二人で食事をした時から、少しずつ感じ始めていた。
少しの間の後、莉子はカップから視線を上げ、悠の顔を見つめた。
「……悠くん、って呼んでもいいですか?」
少し上目遣いに尋ねてくる莉子の瞳には、拒絶されることへの微かなためらいが滲んでいる。
「お好きにどうぞ。俺も、莉子さんと呼ばせてもらいます」
「ふふ、言いましたね。じゃあ、これからはプライベートの時はそう呼びますから」
莉子の表情から緊張がふっと抜け、年齢相応の無防備で柔らかな笑顔が広がった。
七月七日。
紹介コードと、雫が描き下ろした限定アバターアイテムの実装から数日が経過していた。
ネクサスのオフィスは、異様な緊張感に包まれていた。
「神崎さん、登録の増加速度が、公開直後のピークを完全に超えました」
成瀬の声には、エンジニアとしての興奮と、迫り来る危機への警戒が入り混じっていた。
雫が描き下ろした限定アイテムの存在は、ユーザーの自己顕示欲を見事に刺激した。掲示板やランキングで誰も見たことのない美しいアバターパーツを目にしたユーザーたちは、紹介コードを求めてネット上のコミュニティを駆け回った。そして、アイテムを手に入れた者は、さらに次の友人へと紹介の輪を広げていく。
フロアの奥で、これまで静かに稼働していたサーバー群から、警告を知らせる電子音が微かに鳴り響いた。
成瀬がコンソール画面に張り付きながら、額に滲んだ汗を乱暴に拭う。
「データベースの書き込みキューが、捌ききれずに詰まり始めています。ロードバランサへのリクエストも、設定していた閾値の上限に触れそうです。このままだと、夜のピークタイムにサービスが落ちるかもしれない」
悠は立ち上がり、警告音を鳴らすモニターを見据えた。
「追加増強の手配は進めています。ですが、この伸び方では間に合わない可能性があります」
成瀬の指先がキーボードの上で目まぐるしく動き続ける。
「……それまでは現行構成で耐え切るしかありません」
フロアに響くサーバーの排熱ファンの唸りが、一段と高く、耳障りな音へと変わっていく。限界に近いトラフィックの波状攻撃を前に、悠はモニター上に表示される赤い警告表示から目を離さなかった。




