タイム・トゥ・イート・ザ・カリー・オブ・黄泉
ハチオウジギアの世界観で起きる短編です。
野球部員が体験する怪異
隔週日曜日20時に更新。作成状況によっては不定期になります。
※ハチオウジギア、ハチオウジ鬼譚と同じ世界観で起きる出来事です。独立して読めます。
ページ下部にも関連作品リンクあります。
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ハチオウジ市立日野石田高校の校舎を淡い夕日が照らしている。グラウンドの照明がパッと落ちた。
バックネット裏で古田トウヨスケは同じ一年の勝マタキと背筋を伸ばして立っていた。古田の視線はベンチに座る前田ミヤユキに向う。
二年の前田は最後のトンボを引き終えたあとも、なぜか帰る気配がなかった。野球部の他の部員はロッカーに引き上げている。大柄な前田が腹を掻いて前のめりになった。
「なあ」
前田がニヤリと笑った。
「お前たち家庭科室の噂知ってるか?」
「放課後の家庭科室で男の幽霊がカレーを作ってるっていう内容ですよね」
勝が阿るように言った。古田はこれから面倒臭くなりそうだとうんざりした。
「ある生徒が放課後、忘れ物を取りに戻ったらしい」
前田は声を落とした。
「家庭科室からカレーの匂いがしてな。覗いたら誰もいない。おかしいと思って奥の調理台に行くと突然、Tシャツの男が現れたんだってよ。しかも、カレーの鍋をかき混ぜながらな」
「突然ですか?」
勝がすぐに言う。
「そうだ、しかも暗闇の中で淡く光ってんだとよ」
前田はそこで間を作る。
「で、そいつがゆっくり振り向いた。目が合った」
照明の落ちた校舎が、やけに黒く見える。
「次の瞬間、悲鳴を上げて家庭科室から外に逃げた。気持ちが落ち着くといつの間にかカレーの臭いも消えていて、恐る恐る家庭科室を覗くと男も鍋、全部消えたらしい」
古田は前田の話に合わせて驚いたふりをした。話を合わせておかないと前田の機嫌が悪くなる。
「どうせ誰かのイタズラだ。正体を突き止めてやろうぜ」
「先輩、面白そうですね! 行きましょう!」
勝が持ち上げた。古田も一応乗っておく。練習の疲れで身体がだるい。早く終わらせて家に帰りたかった。
「良し! 早速行くぞ」
前田が立ち上がり、校舎に向かいズンズンと歩いていく。古田は勝と共に後ろからついていった。
校舎の中はしんと静まり、廊下の灯りだけを頼みに先を進む。家庭科室は一階の廊下の奥にある。通りすぎる教室は消灯されていて暗闇が広がっている。
カッ、カッ、カッ、カッ、三人の足音が廊下に反響する。古田は昼間の喧騒とのギャップに居心地の悪さを感じていた。その時、先を進む前田が立ち止まった。
「おい」
振り返った前田の顔には不安そうに見えた。
「なんか臭わないか?」
鼻を利かせると独特な臭いを微かに捉えた。
「カ……カレーですよね」
古田はおずおずと答えた。勝も同意するように頷く。市販のカレーのように個性のない臭いであり、どこか馴染み深い。
「面白くなってきたな。行くぞ」
前田が緊張気味に呟いた。廊下を進み家庭科室に近づくにつれてカレーの臭いが強くなる。
「着いたな」
前田が立ち止まる。家庭科室は当然消灯しており、廊下に面した曇りガラスにより、中の様子が見えない。
「古田、お前が開けろ」
「えっ? は……はい」
カレーの臭いがキツくなる中、古田は嫌々引き戸に手を掛けた。
ガラッ、引き戸が開いた。暗い室内が広がっているだけで誰もいない。ただ、強烈なカレーの臭いが漂っているのみだ。
「お前らから入れ」
古田は勝と共に前田に後ろから押されながら家庭科室に入った。強烈なカレーの臭いが襲う。古田は臭いの元に向けて暗い室内を進んだ。光源は廊下の灯りのみ、淡く照らされた調理台の隙間を縫っていく。後ろからは二人の息遣いが聞こえる。奥の調理台に近づくと臭いが一際強くなった。
「あ」
後ろから勝が呟いた時、調理台の周囲が朧気に光った。古田は突然、全身に鳥肌が立ち、息苦しくなる。恐怖感が押し寄せた。逃げたい。だが、足が固定されたように動かない。後ろの二人の息遣いも荒くなり、自らと同じなのがわかる。その間にも光は人のような姿に変化してきていた。
グニャ、人型の光が歪み、赤いTシャツを着た若い坊主頭の男が現れた。男はカレーの入った鍋をレードルでかき混ぜている。鍋をかき混ぜる手をふと、止めてこちらに振り向いた。瞳のない白眼で男がこちらを無表情で見つめた。
「ギャァァァァァァァァァァァァァ」
後ろで勝が大声を上げた。横目で勝が家庭科室を駆けながら、出ていくのが見えた。古田も逃げたいが足が動かない。前田も荒い息を吐いている。自分と同じく動けないのだ。
男はレードルで鍋からカレーを掬った。
『タベマスカ?』
無機質な声が聞こえた。古田は逃げ出したい恐怖と同時に猛烈にカレーが食べたくなる気持ちが芽生えた。ジュル、後ろから前田の涎の垂れる音が聞こえた。
「早く食わせてくれ」
声が聞こえたと思うと古田の横を前田が通り過ぎて男に向かっていく。前田の眼はトロンとして焦点が定まってない。男がレードルを前田に向けて近づけていく。レードルにのっているカレーは焦がし玉ねぎや肉のうま味なのか濃い茶色をしている。美味しそうだ、古田もカレーの臭いと相まって、唾を飲み込む。前田が口を開けた。
『ハイ』
男がレードルで前田の口にカレーを流し込んだ。んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、前田がカレーを飲む音が響く。
「げぇっぷ!?」
前田が突然カレーを吹き出した。
「辛い! 辛い、がらぁい、いやぁ、がらぁぁぁぁぁぁあぁあ」
前田は顔が真っ赤になって、絶叫した。尋常じゃない汗が出ている。
『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ』
男の笑い声が響き渡る。次の瞬間、前田が白眼を剥き、後ろにバッタリと倒れた。
「ひ!」
古田は倒れた前田を見やると眼を見開いて、口から異様な物を垂らしている。それはカレーではなく、暗い紫色をしたドロドロの液体が口から溢れていた。さっきまでの食べたいという欲求が恐怖で吹き飛ぶ。
『タベマスカ?』
男がレードルを古田に差し出した。そこにあるのはカレーではなく、前田の口から出ていたのと同じ暗い紫の液体だ。
「嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
古田は絶叫すると固定されていた足がようやく動き、出口に向けて走った。
『タベマスカ?』
背後から男の声が聞こえた。
『タベマスカ? タベマスカ? タベマスカ?』
壊れたレコードのように男の声が響き渡る。古田は振り向かずに無我夢中で走って家庭科室を飛び出した。
『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ』
背後から男の笑い声が聞こえるが無視して廊下を駆る。
すると廊下の向こうから、男性教師が走ってくるのが見えた。男性教師が古田を抱きとめた。
「何があったんだ!」
「男が! カレーを先輩に!」
古田は混乱した頭で事態を伝えようとしたが口が回らない。
男性教師が首を振って家庭科室に駆けていった。古田は極度の緊張でその場にへたり込むと目の前が真っ暗になり、意識が途切れた。
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この後、古田は保健室で眼を覚ました。翌日、話を聞くと血相を変えた勝から男性教師は内容を聞いて家庭科室に駆けつけたとのことだった。家庭科室では意識を失った前田が倒れていて、救急車で運ばれたという。古田が見た男もカレー鍋も痕跡は残っていなかった。
一時は古田と勝が前田に何かしたのではと疑われたが、警察と学校が話し合い嫌疑なしとなった。前田は原因不明の病気として処理された。
その前田は酷く衰弱していたものの一命は取り止めた。しかし、当日の記憶もなく、呆けたようになり、野球部を辞めた。
事件のすぐ後に家庭科室は設備の老朽化を理由に封鎖されて、開かずの教室となっている。
古田は時々、開かずの家庭科室の近くからカレーの臭いを感じることがあった。勿論、無視している。




