1:夏が君を連れ去ったと知った日
蝉が煩く鳴き喚く真夏日のこと。甲高い悲鳴で叫んだ電話が俺を呼ぶ。共に住んでいる両親が不在なので出られるのは俺一人。面倒くさいと思いながらも足を進めたのは、何かの予感を感じていたからか。
未だに主張激しく俺を呼び立てる電話の受話器を手に取り、耳に当てた。
「はい、日下部ですが」
「――あ、亮君?」
「はい、そうっすけど……」
「突然ごめんなさい。あの、私、浦辺啓輔の母親です。息子のこと、覚えているかしら?」
受話口から俺の耳に届いたのは四、五十代くらいの女性の声だった。
一発で俺の名前を当てたことに警戒心が顔を出したが、次いで告げられた名前を聞いてすぐに引っ込むことになる。
啓輔――それは俺の親友の名前だ。保育園で出会い、小学校、中学校とずっと一緒に過ごしてきた。家族ぐるみの付き合いもあった程に仲は良好だったのだが、中学三年の頃に俺の父親が仕事で急遽転勤しなくてはならなくなり、俺もそれに合わせて引っ越すことが決定したのだ。
三年に上がって夏休みに入る前の出来事で、突然すぎると反抗期も相まって俺は反対したが、当時の家に一人残ることは当然許されることはなく、渋々と県外へ移ることとなった。
啓輔とはそこで別れてから一度も会ってはいない。何度かSNSを使ってやり取りをしていたけれど、高校受験に差し掛かる頃から会話は途切れがちになり、そのまま自然消滅。
落ち着いた頃にまた声を掛ければいいか、と目の前の自分の進路に集中していたら意識から消えてしまった親友の影。
それが今ひょっこりと顔を出し、啓輔の母親の手によって繋げられることとなる。
「覚えてますよ。受験を境に連絡は途切れてしまったけど、忘れたことはありませんから」
半分本当、半分嘘の二色の色を混ぜ込んだ言葉に啓輔の母親は安堵したようで、微かに吐息が零れる音が擦れて響いた。
「よかった。覚えていてくれて本当にありがとう」
「いえ……ところで、今日はどうしたんですか? あ、母さんに用事なら今は」
「啓輔が、死んだの」
啓輔の母親とは言えそこまで俺は関わったり話したことはないので電話してきた要件としては母親が目当てだろうと、タイミングの悪さに苦い顔をしてしまうが、そんな俺を裏切って口早に告げられた命の終わりに、すべての音が消え去った。
啓輔が、俺の親友が、死んだ。突然の訃報に頭が真っ白になる。
この人は、今、何と言ったんだ?
啓輔が死んだ?
はくりと動いた俺の唇は、まともに息を吐き出すことができなくて、喉を締め付けるように逆流していく。
嘘だと言いたかった。咄嗟に否定してそんなことはないと言い切りたかった。でも、俺はどこかでその言葉が嘘じゃないと知っていた――気がする。
するりと滑りおちる受話器。ぶらんとぶら下がり、離れた場所から聞こえてくる啓輔の母親の声は、もう、俺の中には入ってこなくて。
「亮」
代わりに、俺の名前を呼ぶあいつの穏やかな声が聞こえたような気がして。ようやっと、途絶えていた音が元に戻ったような、世界が色を取り戻し始めたように、現実へと帰ってきた俺を嘲笑うかのような蝉の鳴き声だけが、鼓膜を震わせるように木霊する。
汗ばんだ手が落としてしまった受話器を手に取り、もう一度耳元へと置き直す。不安そうに何度も俺を呼んでいたのだろう啓輔の母親の声に、俺はどうにかして謝罪の言葉を吐き出した。
「すみません、気が、動転して、その、」
「いいのよ。気持ちはよく分かるから」
「……」
「本当に、突然ごめんなさいね。どうしてこんなことになったのかとか、まだ、私達も何も分からなくて」
「いえ……」
お互いに交わす言葉は上滑りするように軽く。未だ現実を受け止めきれていないことをまざまざと見せつけてくる。
母親の言い方で、啓輔の死亡理由がなんとなく予想できてしまう。これは嫌な予想だ。是非外れてほしいと願うが、こういう時に限って予想は外れてくれない。
「あの子、ね――自殺したの」
「………っ!!」
「いつも通りだったのよ。いつも通りに朝起きて、挨拶して、笑顔で学校に行って、そのまま、あの子、その日の屋上で、屋上から、身を、投げて」
当たっても嬉しくない予想が的中した。淡々と教えてくれる母親は、けれど、声の震えが止まらず今にも泣き出しそうな感情の高まりが電波に乗って俺に感染する。
腹の奥底がぐらぐらと熱で滾り、せり上がる胃液が食道を焼いてそのまま吐き出してしまいそうだ。
「ねぇ、なんで? なんであの子が、啓輔が、自殺なんて――何か、何か、貴方はあの子から聞いてたりしない? 学校で虐められてるとか、脅されてるとか、なにか、その、」
「……すみません。俺は、何も……」
「そ、う……」
「すみません。受験シーズンの頃から、連絡しても返信がないことが多くて、今年の頭に新年の挨拶した後から、既読もつかなくて」
「……」
「忙しいのかと思ってそのまま――すみません」
「……ううん、いいの。いいのよ。貴方が悪いわけじゃないし、謝らないで。寧ろ、こちらこそごめんなさいね。突然こんなこと聞いちゃって」
「いえ、そんな、」
早口でなんで、どうしてと繰り返す慟哭を受け止めることしかできない。受け止めたところで受け入れることなんてできやしないのだけど。
ぐるぐるグルグル回る胃の不快感に無意識に伸びた手が心臓のあたりを強く握りしめる。皺を寄せながら一つに集まる服が自然と湧き出た汗に濡れて気持ち悪い。
夏のカラッとした空気は今や熱気に蒸らされ、とうに過ぎたはずの梅雨のじめじめ感が舞い戻ってきたようだ。
滲む汗の量が増えて止まることを知らない。そして俺の眼からも汗は零れていくものなのだな、と普通ではない考えを普通のことのように錯覚していた。
「あの子の、啓輔のお通夜が明後日あるんだけど、良ければ、来てもらえないかしら? きっと、啓輔喜ぶと思うの」
こちらに吐き出すことで少しは落ち着いたのだろう。最初よりも震えが消えた声音は、俺に最後の別れの時間を提案してくれた。
「是非、行かせてください」
俺は断る理由などないと即答で頷く。冷静さなんて持ち合わせておらず、勢いのままの答えではあったが、後悔はない。
どんな用事が組まれていたとしても、俺は啓輔に会えるチャンスを逃したくはなかった。
例えそれが、死に顔を見る為の再会だったとしても。




