第六十四話 崩れゆく均衡の中で
光の届かない地下牢。
その静寂を破る声があった──
「おい、起きろ、ルシア……ルシア」
「ん……」
「起きたか……?」
「アッシュ……?」
「ん、おはよう。早く起きろよ。」
まるで学生時代のような気軽さで、アッシュがルシアの前に立っていた。
昔のアッシュの姿と重なったが、焦点を結んだ先にいるアッシュが着ているのは、軍服だ。
「早く起きろよ。気づかれる前にここを出るぞ」
「え……え?」
「え、じゃねえ!もういい!意識はっきりするまで抱えるからな!時間がないんだ!」
怒り始めたアッシュに、ルシアは抱きかかえられた。
……そんなに怒ることないのに。
相変わらずの気の短さに、アッシュだな……という謎の実感が湧いた。
「なんで……?」
抱きかかえられたままアッシュを見上げると、変わらない姿に胸を撫で下ろす。マレディア王の前で見たあの切なげな姿が、見間違いだったのではないかと思うほどだ。
「俺とリオは王都の騎士になったんだよ。
ルークたちが反逆したって聞いた時にリオと決めたんだ。それなら、俺たちは中に潜もうって。
こっちに居たら俺たちでも何か役に立てるかもしれないと思ったんだ。」
「結果的に今役に立てたから良かった。」
そうはにかむアッシュに、ルシアは目を見開いた。
──裏切られたと……
一瞬でも疑ってしまった自分に嫌気がさす。こんなにもアッシたちは想ってくれていたのに。連絡もできない自分たちのことを。
「リオもいるの……?」
「今は外で見張ってる。見張りの飲み物に睡眠薬を混ぜたんだ。騒ぎになる前に出るぞ」
地上へ通じる扉を開くと、物陰からリオが見張りをしているのが確認できた。
「……なんでお姫様抱っこ?」
「しょうがないだろ。ルークがいつまでものろのろしてんだから」
「ふーん。良かったね、役得で」
「……リオが毒舌になってる……」
「え、久しぶりの再会の言葉がそれ?相変わらずだね。」
ルシアに対しても変わらず毒を飛ばすリオは、この二年間で色々あったのかもしれない。後で必ず話を聞こう、とルシアは心に誓った。
「早く逃げるぞ!」
駆け出そうとしたとき、覚えのある悪寒が背筋に走った。
「伏せてっ!」
ルシアの叫び声に反射でアッシュとリオが地面に転がった。
「みーつけた。どこ行くの?」
言葉と同時に火の玉が飛び、"ドンッ"と、地下牢に続く建物が吹き飛んだ。
地面から顔を上げたルシアたちが捉えたのは、国王の息子
――ブレイン・マレディアの姿だった。
「やっぱり君たちか。父上も甘いよね。だから言ったのにさ」
世間話でもするような気軽さで炎の玉を投げつけてきた。
地面から立ち上がったアッシュとリオが、爆炎を剣で弾き飛ばし、衝撃が周囲を震わせた。
「アッシュ!リオ!どいてっ!」
「ミア、いくよ!
──アイスコールド!凍り付け!」
いつまでも足手まといでなんていられない。
すぐに立ち上がったルシアは、ブレインに向かって氷柱を打ち出した。
「あれれ、今日はやるの?妖精姫ちゃん」
「そこまで分かっているなら、あなたのことを許さないことは分かってるよね?」
「あー。なんか魔獣が言ってたね。村だっけ?
でもあのとき、金髪なんて居なかったはずなんだけどな?」
「あなたに説明する必要なんてないっ!」
会話をしながらも魔術のぶつけ合いは止まらなかった。
互いに一歩も引かない魔術の応酬に、ルシアの背筋に、じわりと嫌な汗が滲んだ。
妖精魔法を操る私たちと互角に張り合うなんて……何者なの?
それに、ブレインが生きているってことは……フェルは……?
前回、一歩も譲る気配のなかったフェルが負けるなんて、あるはずがなかった。
「フェルは……どうしたの!?」
敵だと分かりながらも疑問が口に出てしまう。
「フェル?あーあの魔獣?尻尾まいて逃げたよ」
「そんなことっ」
「ほんとほんと。君たちがいなくなったすぐ後だよ」
「――え?」
私たちが去ったあとにすぐに退却した……?
そんな……だってじゃあ、なんでフェルは……?
ブレインから告げられた事実に、一瞬ルシアの気が緩んだ。
拮抗していたぶつかり合いは、その瞬間に破られた。
「ルシアッ」
「ルークッ」
重なったミアとアッシュたちの叫びに、はっと意識を取り戻したルシアの目の前には、巨大な炎の渦が、すぐ目前まで迫っていた。
頬が、焼けるように痛んだ。
その感覚には覚えがあった。
はるか昔の記憶。懐かしい母の温度とともに蘇る轟音と温度。
避けようのない炎の塊を前に、ルシアはそっと目を閉じた──
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