第四十九話 訣別
「みーつけた」
振り向いた先──その男はいた。
寝ても覚めても忘れなかった男が、そこにはいた。
──国王の息子、ブレイン・マレディア。
特級魔法使いがそこにはいた。
あの男が国王の息子だと知ったあと、ルシアは情報を集めた。集めることができた情報は少なかったが、ブレインが六人いる特級魔法使いの一人で、焔を得意にしていることを知った。
ここで、出会うとは──
唇を噛み締める。先程から噛み締めすぎたルシアの唇からは、血が滴っていた。
「逃げちゃ駄目じゃん、ネズミが。」
冷たい目。殺戮はただのゲームだと思っているような目にゾッとする。
人の命を人だと思わない姿は、あの日の夜と何も変わっていない。
「死ねよ」
ルシアに向かい、ブレインが大きな焔を飛ばした。その焔は即座に展開された大佐の結界に阻まれ、外壁にぶつかり粉塵をあげた。
焔がぶつかった先の外壁は溶け、何も残っていない。
これが、特級魔法使い──
暴力的なまでの魔術にルシアは初めて向き合った。
ブレインは、ルシアから結界を展開した大佐に目線を移した。
「……あんた、レオン・アルグレイじゃん。
前から嫌いだったんだよねー。いい子ちゃんしちゃってうざいじゃん。なのに父さんったら聞かないからさ。こんなことになるんだって」
楽しげな言葉とは裏腹に、火の玉を弄ぶようにしながら、告げるブレインの言葉に温度はない。まるで、魂のようにも見える焔の玉は辺りを照らし、不自然な闇を生み出していた。
「だからさ、死んでよ」
ブレインは大佐に向かって大量の炎を吐き出した。
大佐はルシアに結界を張っており、結界の展開が間に合わない。
「大佐っ」
声にならないルシアの叫びが響いた。また自分は何も救えない、誰も救うことができない。
ルシアは絶望した。覚悟が足りないばかりに、また、救うことができない。
力なら、得たはずなのに──
しかし、その焔は大佐にぶつかる直前に突如として掻き消えた。
消したのは、大きくなったフェルのひと吠えだった。
「フェルっ!」
目を見開いたルシアは叫んだ。ありがとう、ごめん。様々な感情が入り乱れる。
そんなルシアをよそに、大佐は冷静に告げた。
「逃げるぞ」
意識のないヴァイスさんを大佐が背負ったまま、特級魔法使いと戦闘を繰り返すのはまずい。
「フェル、逃げるよ!」
フェルには聞こえているはずのルシアの声。いつもなら必ず視線を寄越す気まぐれな狼は、こちらを一瞥すらしなかった。
凶悪なまでのフェルの目は、ただ対峙するブレインを捉えていた。
ルシアが繰り返し呼びかけても、フェルはこちらを見ない。
「フェル、行くよ!」
「五月蝿い……行きたければ、勝手に去れ。」
「でも!」
「いつから、我がお前たちの仲間になった」
──え?
フェルの言葉にルシアの思考が止まる。
空気が、凍りつく。
音が、色が、消えたようだった。
フェルだけが、浮いて見えた。まるで、最初からそこにいた“別の存在”のように。
何を言われたのか、分からない。理解など、したくなかった。
「お前たちが、勝手に仲間と呼んでいただけだ。
我の友は、セオドールとエリシアだけ。
お前らはその子供であって、友ではない──」
淡々と吐き出されるフェルらしくない口調に、ルシアは心臓を鷲掴みにされたようだった。心が、痛い。
今、フェルはなんと言ったのか。
いつの間にか当たり前になった頭の上の重み。鼻の頭にデザートを付けて満足げに笑っていた午後。何気ない会話に、当たり前のように混ざっていた声。
当たり前のように、助けてくれていた日々──
さっきまであんなに無邪気に笑い合ったのに。
ルシアたちは、友達だと思っていた。
だがフェルはそうではなかった……?
「こいつは、我の敵だ。誰にも渡さん
二人を殺したこいつだけは、許さん」
低く、唸るような怒りが籠ったフェルの声。
その声音は、ルシアたちに向けられたことのないものだった。
フェルが遠吠えを上げた。周囲の空気が揺れ、窓ガラスが耐えきれずに粉砕する。
それはまるで、天災だった──
「お前たちは勝手にしろ」フェルはそう言ったきり、ルシアたちを見ることは二度となかった。
ルシアが呼んでも、一瞥だにしなかった。
フェルとブレインの戦闘が開始した。
激しくぶつかり合う魔術に、周りのものは次々と破壊されていく。
「行くぞ、この隙に逃げる」
大佐の言葉を合図に、アルグレイ隊が移動を開始した。軍人たちの視線は今や一人と一匹に釘付けになっており、こちらに注目する者はいなかった。
「でもフェルが!」
「……置いていく。」
大佐の声が、こんなにも冷たく聞こえたのは初めてだった。心が凍りそうに寒い。
大佐の言葉の意味はわかる。ルシアも仕方がないことだと理解はしていた。だが、ルシアの心はそれを拒絶する。
「フェル、フェルーー!」
ノエルに引っ張られ、破壊された外壁から脱出しながら、ルシアは必死に振り返る。
最近の自分は、振り返ってばかりだ。
どうして、なんで。何を間違った?
積み重ねた日々は間違っていた?
あの日々は、嘘だった──?
最後に見たフェルの姿は──
ブレインに向かって大きく口を開け、噛み付こうとしている姿だった。
その姿はもう、ルシアの知っているフェルではなかった。
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