表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/23

第十八話 納言さんと夏休み

 今週から、夏休みに入った。

 今日は、夏休み初の家庭教師の日だ。


「そうです、だからエックスイコール五になります。この問題は難しいのに、さすが定子さまです」


「褒めすぎじゃない? ふふ、ありがとう」


 今日は、定子さまと方程式の特訓だ。

 教えている側も新しい発見があって、とても勉強になる。

 定子さまのお側で勉強ができるなんて、私はなんて幸せ者なのだろう。

 そんなことをいつもいつも噛み締めながら、私はいつも家庭教師をしている。


 定子さまのお部屋の扇風機から出た風が、私のノートの端を揺らす。

 夏休みだから当たり前なのだが、季節はすっかり夏だ。

 でも、私は夏らしいことを全然していない。

 夏休みの宿題は、着々進んでいるのだけどね。


「定子さまは、宿題はやりました?」


「少しね。私は計画的に進めるタイプだから、夏休みが終わる一週間前には絶対に終わる予定よ」


「さすが定子さま! 私は、前半に終わらせてしまうタイプですね」


 夏休みの宿題のタイプには、三つあると思う。

 計画的タイプ、前半に終わらせるタイプ、最後まで終わらないタイプ。


「私の弟、隆家は、いつも最後の方にやり始めるの。本当に、自業自得だと思う」


「ふふっ、隆家さまらしい」


 定子さまの弟さま、藤原隆家(ふじわらたかいえ)さま。

 少ししか会ったことはないが、破天荒な印象だ。


 そんな雑談をしていると、


 ドタドタドタドタ!


 階段を駆け上る、大きな足音が聞こえた。

 そして、部屋の扉が大きく開かれた――!


「姉ちゃん! 俺、ゲームクリアしたよ!」


「噂をすれば……」


 定子さまは、眉毛を少し下げた。

 そう、噂をすれば、隆家さまだ。


 定子さまは、隆家さまに強めの口調で言った。


「私、今勉強しているの。邪魔しないで」


「えー? なんだよつまんなーい!」


 定子さまと隆家さまは、いつもこのような感じだ。

 いつも、隆家さまが叱られている。

 実は、私も上に兄が二人いる。

 だから、私は隆家さまに少しだけ共感した。


 突然、空気がふわりと柔らかくなった。


 その空気の出所は、隆家さまの後ろから。

 部屋の扉には、いつのまにか伊周さまがいた。


 伊周さまは、ただ立っているだけでもキラキラと輝いている、ように見える。


「隆家、お兄ちゃんとあっちでゲームしようか」


「兄ちゃん! 俺クリアしたから!」


「そうかそうか」


 伊周さまは、本当にいいお兄さまだ。

 あっというまに、隆家さまの機嫌が直ってしまった。

 伊周さまと隆家さまは、リビングへ向かうべく階段を降りていった。


「ごめんなさい、騒がしい兄弟で」


「いえいえとんでもない! とてもよいご兄弟だと思いますよ」


 私は、シャーペンをクルクルと回した。


「私も兄がいるのですが、定子さまたちのように上手くいっていませんよ。喧嘩や言い合いをしてばかりです」


「私も、隆家とは本当に合わないの。いつも、兄がなんとかしてくれているのよ」


 どこの兄弟も、こんなものなのかな。

 私は、定子さまとの新たな共通点を見つけ、密かに微笑んだ。


 ―――


 一週間後。

 今日はなんと、一条さんも定子さまのお家にいらっしゃって、一緒に勉強をするのだ。

 定子さまのいつものお部屋には、私と一条さんがいた。

 私なんかがお二人の時間を邪魔していいのだろうかと悩んだが、定子さまは受け入れてくださった。

 ということで今は、三人で宿題をしている。


 一時間ほど経ったとき、優しいノックの音が聞こえた。


「どうぞ」


 定子さまが返事をすると、ガチャリと扉が開いた。


「伊周さま!」


「フフフ、勉強は捗っているかな?」


 部屋に入ってきた伊周さまは、夏休みの宿題の冊子を持っていた。


 さすがは伊周さま、私服も洗練されている。


「僕も、一緒に勉強してもいいかな?」


「いいわよ」


「もちろんです」


 定子さまと一条さんが、快く頷く。

 私も、ウンウンと首を縦に振った。


 伊周さまは、テーブルを囲むように座る我々の輪に入り、一条さんの向かい、私の隣に座った。

 チラリと隣を見ると、伊周さまは考えるような表情をしていた。

 考える姿も様になっている。

 今すぐ写真に収めたいくらいだ。


 少し経ったころ、


「あ、そういえば」


 と、伊周さまは突然部屋を出て行かれた。

 なんだろう?

 どうなされたのかな?


 しばらくすると、伊周さまは二冊のノートを持ってやってきた。


「そこのかわいい恋人たちに、プレゼント。このノートをあげよう」


「お兄さま……」


 定子さまと一条さんは、わかりやすく頰を赤くした。

 フン、別にいいですけれど。

 一条さんばかりずるい、と少し思ってしまった。


「ありがとうございます。……では、書写でもしようかな」


「うんうん、勉強を頑張っているみたいだからさ。これからも頑張ってね」


「何を書写するの?」


 定子さまが、一条さんの方へと身を乗り出す。

 一条さんは、うーん、と少し考えるようにうつむいたあと、「そうだ」と口を開いた。


「史記を書こう」


「史記……って、中国の?」


 私は、目を見開いた。

 史記って、あの中国の古典?

 司馬遷という人が書いた、あの?


 一条さんは、古典の教養もあるのか。

 さすがは、理事長の息子。


「すごいわ……。私は、何を書こうかしら。何がいいと思う、納言さん?」


 定子さまは、小さく首を傾げて私を見た。

 私は、「そうですねぇ」と少し考えた。

 史記、しき、指揮、四季、敷……。


 そうだ、敷物とかけてみよう。


 私は、定子さまに向かって微笑んだ。


「枕がよろしいかと」


 定子さまは、私の言葉の意味を考えるように沈黙し……頷いた。

 くすりとした笑い声を添えて、


「さすがは納言さんね」


「だから、褒めすぎですって」


 いつものやりとり。

 でも、今日はいつもと違う気がした。


 わかりやすく言うと、ギャグをわかってくれた、ということだ。


「え、え? ごめん、何もわからなかったよ」


 伊周さまが、混乱したように口を挟む。

 私と定子さまは、顔を見合わせて笑った。


 説明したい気もあるが、今は二人だけで共有するのも悪くないと思った。

 定子さまと私にしかわからなかった、ある意味秘密のような、暗号のような。


「敷物には、枕でしょう?」


 私は、伊周さまにドヤった。


 そしてまた、定子さまと笑い出した。


 それがおかしくて、また笑うんだ。


「はあ、おもしろい。そうだ、納言さん」


 定子さまは、ノートを手に取った。

 シンプルな無地の、桔梗色のノート。


 それを、定子さまは――私に、差し出した。


「これは、あなたにあげる」


 私は、息を呑んだ。

 受け取れない。

 伊周さまが、定子さまにプレゼントしたものなのに。

 なにより、私にそれを受け取る価値が、あるのだろうか。


 困って眉を下げる私に、定子さまは優しく微笑んだ。


「納言さんが想像しているようなものは、私じゃ書けない。だから――」


 定子さまの白い腕が、私の方に伸びる。

 気がつけば、桔梗色のノートはもう目の前にあった。


「納言さんが書いて。――枕を」


 その瞬間、私の中で何かが蠢いた。

 私の中で、私の中の何者かが。


「そんな……。私に、できるでしょうか」


「納言さんなら、きっとできるわ。だって、学園祭の劇は大成功だったじゃない」


 私の中で蠢くもの。

 それは、創作意欲……なのかもしれない。



 私の手は、気づけばノートに伸びていた。


 そして、私はそのノートを、大切に大切に、胸に抱いた。



 絶対に、定子さまを満足させるようなものを書いてやる。


 無駄になんてするものか。


 私は、定子さまに大きく頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ