挨拶はただで人間関係を円滑にする
宿を出たターケシたちは、朝の王都を歩いていた。
石畳の道には露店が並び始め、商人たちの威勢のいい声が響いている。
シフォンはきょろきょろと辺りを見回し、ロザリアは平静を装いながらも懐かしそうに王都の景色を眺めていた。
フィリアだけは落ち着いている。
やがて冒険者ギルドの建物が見えてきた。
厚い石造りの二階建て。
朝から多くの冒険者が出入りしている。
ターケシは迷わず扉を開けた。
途端に酒と汗と革の匂いが鼻をつく。
まだ朝だというのに酒を飲んでいる者までいる。
いかにも冒険者ギルドらしい光景だった。
ターケシは受付を素通りし、奥で帳簿を眺めていた大男を見つける。
傷だらけの顔。
熊のような体格。
この街の冒険者ギルドを束ねる男。
ターケシは迷わず声をかけた。
「おはようございます。ギルドマスター」
元気よく挨拶する。
挨拶はただで人間関係を円滑にする。
前の世界で学んだ数少ない真理の一つだ。
ギルドマスターは顔を上げた。
そしてターケシを見る。
さらに後ろの三人を見る。
もう一度ターケシを見る。
「……朝から厄介事を連れてきたな」
第一声がそれだった。
ターケシは首を傾げる。
「そうか?」
「そうだ」
即答だった。
周囲の冒険者たちもちらちらと視線を向けている。
獣人の少女。
珍しい金髪碧眼の少女。
これまた珍しいエルフの少女。
目立たないはずがなかった。
ギルドマスターは大きなため息を吐く。
「地下闘技場の借金を返したと思ったら奴隷を買ったとか聞いたぞ」
「買った」
「否定しねえのか」
「事実だからな」
ギルドマスターは少し頭に手をやる。
ターケシは続ける。
「今日は仲間登録に来た」
「……は?」
「Cランク依頼を受けたいんだが」
「お前まだDランクだろうが」
「だから仲間を集めた」
ターケシは後ろを指差した。
三人もつられて軽く会釈する。
ギルドマスターは三人を見る。
シフォンを見る。
ロザリアを見る。
フィリアを見る。
そしてターケシを見る。
「お前、もしかして」
「なんだ?」
「仲間集めってそういう意味だと思ってるのか?」
「違うのか?」
ギルドマスターは天を仰いだ。
近くの受付嬢が吹き出している。
ターケシは本気で分かっていないらしい。
やがてギルドマスターは諦めたように椅子から立ち上がった。
「まあいい。まずは登録だ」
そう言って三人の前に立つ。
意外にも声は優しかった。
「名前は?」
シフォンがびくりと肩を震わせる。
奴隷商人や監督官に呼び止められた記憶が蘇ったのだろう。
だがギルドマスターは急かさなかった。
「……シフォンです」
「歳は?」
「十五です」
「よし」
帳簿に書き込む。
次にロザリア。
「ロザリア・フォン・ハリントンですわ。十八歳。」
手を軽く口元に添えて話す。
ギルドマスターの眉が少し上がる。
その名を知っているらしい。
だが何も言わない。
ただ静かに書き込んだ。
最後にフィリア。
「…フィリアです」
「以上か?」
「…以上です」
「まあいい」
書き込みが終わる。
ギルドマスターは帳簿を閉じた。
そしてターケシたちを見渡す。
「さて」
その顔が少しだけ真面目になる。
ギルドマスターが依頼書を取り出そうとした時、ターケシが手を挙げる。
「待ってくれ」
「なんだ?」
「まずはDランクの依頼を受ける」
ギルドマスターが目を瞬く。
「は?」
「薬草採取とか」
食堂で酒を飲んでいた冒険者が吹き出した。
「おいおい、地下闘技場帰りが薬草採取だとよ」
「腰抜けか?」
そんな野次が飛ぶ。
ターケシは気にしない。
ギルドマスターだけが少し笑った。
「理由を聞いていいか?」
ターケシは後ろの三人を見る。
シフォンは緊張している。
ロザリアは気丈に振る舞っている。
フィリアは平然としているが、本当の実力はまだ分からない。
「この三人の実力を知らない」
ターケシは率直に言った。
「武器もない」
さらに続ける。
「連携も知らない」
ギルドマスターは黙って聞いている。
「俺は死ぬ気はないし、死なせる気もない」
ターケシは依頼掲示板を見る。
「まずは薬草採取だ」
「薬草採取で実力を見るのか?」
「見えることもある」
ターケシは指を折った。
「体力」
一本。
「注意力」
二本。
「荷物運び」
三本。
「道中の警戒」
四本。
「指示を聞くか」
以上。
「それだけ分かれば十分だ」
ギルドマスターは思わず笑った。
周囲の冒険者たちはぽかんとしている。
だが経験豊富な者ほど気付く。
今ターケシが挙げたものは、実は冒険者に必要な資質そのものだった。
剣が強いだけなら山ほどいる。
だが仲間と生きて帰れる者は少ない。
「なるほどな」
ギルドマスターが頷く。
「じゃあこれだ」
掲示板から依頼書を一枚剥がした。
『月涙草採取 王都南の森 銀貨三枚』
ごく普通の依頼だった。
「初心者向けだ」
「十分だな」
ターケシは依頼書を受け取る。
すると横からロザリアが口を開いた。
「わたくしを信用しておりませんの?」
少しだけ不満そうだった。
元貴族として騎士教育を受けてきた自負もある。
ターケシは首を横に振った。
「違う」
「では?」
「君たちが怪我をしたら嫌だからだ」
あまりにも自然な口調だった。
ロザリアが固まる。
シフォンも耳をぴんと立てる。
フィリアは少しだけ目を細めた。
ターケシ自身は特別なことを言ったつもりはない。
前の世界で娘たちを公園へ連れて行く時と同じ感覚だった。
泳げるか分からない子供をいきなり深い川へ連れて行く親はいない。
まずは浅瀬からだ。
それだけである。
しかし三人にとっては違った。
奴隷として扱われてきた彼女たちは、
「商品が壊れると損だから」
ではなく、
「怪我をしたら嫌だから」
と言われた経験がほとんどなかった。
シフォンが小さな声で呟く。
「……優しいですね」
ターケシは聞こえなかったふりをした。
「よし。出発するぞ」
そう言ってギルドを出る。
後ろから三人が続く。
王都の門の向こうには、春の陽光に照らされた森が広がっていた。




