過去と現在と意思
静かな森を巡回していく。
「ここ、ウサギさんがいたところです。」
「あの時は面白かったですわね。」
「あれから、みんな成長した。すごい。」
「そうだな。」
ウサギがいたところ、クマが出たところ、鹿を見かけたところ。
花が咲いていた。毛虫がいた。小さな蝶が舞っていた。
最初の冒険の記憶を辿る。懐かしいが、今はどこか寂しい。
季節が、春から夏へ移りつつあるから、だけではない。
大量絶滅でもない。
「みんな、どこへ行っちゃったんでしょうか。」
耳をしょんぼりと下げてシフォンがつぶやく。
「シフォンは優しいな。」
ワシャワシャと頭を撫でた。
◇
砦跡の石垣は半ば崩れていたが、高台からは森を一望できた。
風が吹き抜ける。
ロザリアは遠く北の森を見つめたまま、黙っていた。
その横顔を見て、ターケシが静かに口を開く。
「ハリントン家……俺は詳しく知らないが、北部では有名な子爵家だったそうだな。」
ロザリアは少し驚いたように振り返り、小さく頷く。
「はい。」
「父は誇り高い人でした。」
「間違ったことを、何より嫌う人で。」
少し微笑む。
「母は私が幼い頃に亡くなりました。」
「だから十歳離れた姉が、母の代わりでした。」
「勉強も、剣も、礼儀作法も……全部、姉が教えてくれたんです。」
風が髪を揺らす。
「質実剛健。」
「それがハリントン家の家風でした。」
「歴史はありましたけれど、裕福ではありませんでした。」
「それでも父も姉も、私を王都へ騎士見習いとして送り出してくれました。」
「だから私は……。」
そこで声が止まる。
「騎士見習いを終えたら、父や姉の力になろうと思っていたんです。」
沈黙。
「なのに。」
「父が軍資金を横領し、王家へ反逆したなんて……。」
ロザリアはゆっくり首を振る。
「今でも信じられません。」
「……いいえ。」
「信じていません。」
唇を噛み、小さく笑う。
「でも、もう過去のことです。」
「私は、ただのロザリア。」
「奴隷ですから。」
ターケシは静かに首を横へ振った。
「違う。」
その一言に、ロザリアが顔を上げる。
「奴隷である前に、お前はロザリアだ。」
「ハリントン家の娘であることも。」
「騎士を目指したことも。」
「仲間のために戦ってきたことも。」
「全部、お前自身だ。」
「努力してきたこととやってきたことは消えない。」
ターケシは穏やかに笑う。
「だから、自分がどうしたいか。」
「どうなりたいか。」
「その望みも光も消えてない。」
「希望を持つ資格は、誰にも奪えない。」
ロザリアは何も答えなかった。
ただ、潤んでいた瞳が少しだけ前を向いた。
「努力の女神は、平等じゃない。でも、努力をやめた者には絶対に微笑まない。」
「努力を止めないロザリアを、おれは応援しているよ。」
◇
砦跡を後にして、森の巡回を続ける。
異変がないことが異変と言えるような森。
とりあえず今日のことは、ギルドとアルフォンスに報告しておこう。
明日も巡回をしよう。
と、その時、
グオオオオオ……
クマともオオカミとも違う。
いや。
ただの獣ではない。
ターケシの表情が変わる。
「……危険だ。」
「予定を変更する。」
「砦跡へ戻る。」
「ええっ!?」
三人の声が重なった。
ターケシは短く続ける。
「高所から正体を確認する。」
「日が暮れる前に位置だけでも掴みたい。」
シフォンが驚いたように耳を立てた。
「で、でも……。」
「依頼に夜の巡回なんてありませんよ!?」
「ああ。」
ターケシは静かに頷く。
「依頼は関係ない。」
「放っておけば、人が死ぬかもしれない。」
「王都へ向かえば、街道を通る旅人や薬草採取の冒険者もいる。」
「危険と分かっていて見過ごすわけにはいかない。」
そう言うと、三人へ向き直る。
「お前たちは一度ギルドへ戻れ。」
「今日の状況を報告して、応援を要請する。」
「俺一人で様子を見てくる。」
「いいえ。」
答えたのはシフォンだった。
灰色の耳をぴんと立て、まっすぐターケシを見つめる。
「わたしたちも行きます。」
ロザリアも一歩前へ出る。
「もう、守られるだけではありません。」
「仲間ですもの。」
フィリアも静かに弓へ手を添えた。
「偵察なら、私も必要です。」
三人の瞳には迷いがない。
ターケシは少しだけ困ったように笑い、頭を掻いた。
「……まったく。説得される立場になるとはな。」
小さく息を吐く。
「分かった。」
「ただし、無理はするな。」
「危険だと判断したら、俺の指示で即座に撤退する。」
「はい!」
三人の返事が、静かな森へ力強く響いた。




