陰謀の森
きぃ……
冒険者ギルドの扉が、音もなく開いた。
昼下がりの酒場では、依頼帰りの冒険者たちが酒を飲み、笑い声を上げている。
そのため、扉が開いたことに気付いた者はほとんどいなかった。
一人の壮年の男が、静かな足取りで受付へ歩いていく。
仕立ての良い濃紺の正装。
胸元には王宮の紋章。
受付嬢が顔を上げ、慌てて姿勢を正した。
「お、お客様……本日はどのようなご用件でしょうか。」
男は穏やかに微笑んだ。
「依頼をお願いしたく参りました。」
そう言って、一枚の依頼書を差し出す。
「この依頼を、高名なターケシ一行へお願いしたい。」
受付嬢は依頼書へ目を落とす。
王都北方の森巡回。七日間。
異状があれば対処されたし。
処置完了後、巡回継続不要。
報酬 金貨五十枚。
受付嬢の表情が固まった。
(金貨……五十枚?)
巡回依頼としては、あまりにも高額だった。
王都北方の森では最近、魔物の目撃情報や失踪者の噂が相次いでいる。
だが、この依頼は原因究明ではない。
討伐でもない。
七日間巡回し、何も起こらなくても報酬は金貨五十枚。
普通では考えられない条件だった。
(何かを探している……?)
(いえ、それなら探索依頼になる。)
(何かを守る?)
(それとも……。)
受付嬢は依頼書を見つめたまま考え込む。
だが、目の前にいるのは王宮の使者。
余計な詮索を口にできる立場ではなかった。
男は終始穏やかな笑みを崩さない。
「受けていただけるでしょうか。」
受付嬢は静かに頷いた。
「……承知いたしました。ターケシ様へ、お取り次ぎいたします。」
男は一礼すると、それ以上何も語らず、静かに踵を返した。
きぃ……
再び扉が開き、そして閉じる。
受付嬢は依頼書を見つめたまま、小さく息を吐く。
「……巡回だけで、金貨五十枚。」
その違和感だけが、胸に重く残った。
◇
依頼書を読み終えたターケシは、静かに紙を机へ置いた。
「……妙だな。」
ロザリアが尋ねる。
「何がですの?」
「この依頼だ。」
ターケシは依頼書の一文を指で示す。
「王都北方の森を七日間巡回。」
「異状があれば対処。」
「それだけで金貨五十枚。」
フィリアも頷いた。
「報酬が高すぎます。」
「しかも原因究明は求められていません。」
「巡回だけ。」
ターケシは腕を組む。
「王宮名義の正式な依頼だ。」
「受理された以上、断る理由はない。」
ロザリアが考え込む。
「アルフォンス殿下の依頼……ではありませんの?」
「違う。」
ターケシは即座に否定した。
「殿下なら事情をある程度は説明する。」
「今回の依頼は違う。」
「依頼主は伏せられたまま、王宮の正式手続きを通している。」
フィリアが静かに言う。
「つまり、王宮内部の別勢力。」
「ああ。」
ターケシは小さく息を吐く。
「誰かが、俺たちを北の森へ向かわせたい。」
シフォンの灰色の耳がぴくりと動く。
「何かが待ってる……ですか?」
「その可能性は高い。」
ターケシは頷いた。
「だからこそ行く。」
「正式な依頼を断れば、それだけで相手に警戒される。」
「受けるしかない。」
部屋に短い沈黙が落ちた。
誰もが理解していた。
今回の巡回は、森を歩くことが目的ではない。
誰かが仕掛けた戦場へ、自分たちが兵士として誘い込まれているのだと。
◇
「そういえば。」
森へ向かう道中、ターケシが思い出したように口を開く。
「前回の霊廟探索で、アルフォンス殿下が魔道士エドガーとして同行した理由だったな。」
ロザリアたちが視線を向ける。
「あの霊廟に死霊術の本があるという情報だけじゃない。」
「王宮内の何者かが、その死霊術の本の悪用に関わっている可能性がある、という情報も入っていた。」
ロザリアが眉をひそめる。
「つまり、王宮に内通者がいる、と。」
「ああ。」
ターケシは頷く。
「死霊術による異変を利用し、自らの勢力を広げようとしている者がいるのではないか、と疑われていた。」
フィリアが静かに続けた。
「だからアルフォンス殿下自ら、正体を隠して調査に加わったのですね。」
「そのとおりだ。」
ターケシは苦笑する。
「現場を押さえられれば、尻尾を掴めるはずだった。」
「だが、空振りだった。」
シフォンが首を傾げる。
「誰も、いなかった?」
「いや。」
ターケシはゆっくり首を振る。
「予想外の大物が出てきた。」
「あれ以上の探索は不可能だった。」
四人の脳裏に、あの巨大な魔物の姿がよみがえる。
ロザリアが静かに呟く。
「神話級の魔物……。」
フィリアも小さく頷いた。
「人の陰謀など、吹き飛んでしまうほどの存在でした。」
ターケシは森の奥へ目を向ける。
「結局、尻尾は掴めなかった。」
「だから今回の依頼には、おれたちにも意味がある。」
「今度こそ、何か手掛かりが見つかるかもしれない。」
「 例え罠が待っているとしても。」




