出発前夜
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宿の裏庭。
夜風が静かに吹き抜ける。
シュッ――。
ターケシは木剣を振る。
一歩踏み込み、斬る。
足を引き、構えを戻す。
呼吸は乱れない。
何百回、何千回と繰り返してきた素振りだ。
今度は左腕の丸盾を前へ押し出す。
受ける。
押す。
身体を沈める。
相手の衝撃を足から地面へ逃がす。
盾もまた、何度も身体に覚え込ませた動きだった。
黙々と。
ただ黙々と。
夜の静けさに、木剣を振る音だけが響く。
――Cランクになってから、依頼も順調だった。
薬草採取。
商人の護衛。
魔物討伐。
四人で行動することにも慣れた。
シフォンは前へ出ることを覚えた。
ロザリアは魔法とレイピアを状況に応じて使い分けられるようになった。
フィリアは誰よりも早く危険を察知し、仲間を援護する。
隊列も連携も、もう自然に身体が動く。
だから、ただの護衛なら心配はいらない。
調査団を守る。
それだけなら。
シュッ――。
木剣が夜気を裂く。
だが、ターケシの脳裏には、あの廃教会の地下室が浮かんでいた。
骨の山。
祭壇。
そして、死霊術の本。
本は回収した。
スケルトンも倒した。
依頼は達成した。
だが、一番肝心なことは分かっていない。
――誰かが、あそこで死霊術を使っていた。
誰かが、本を持ち込んだ。
何のために。
答えは一つも見つかっていない。
木剣を振る手が、一瞬だけ止まる。
「……今度こそ。」
誰に聞かせるでもない、小さな呟き。
白聖王の霊廟。
あそこへ行けば、何か分かるのだろうか。
それとも。
さらに深い闇を知るだけなのか。
ターケシはもう一度、木剣を構えた。
迷いを振り払うように。
力強く、一太刀を振り下ろした。
◇
――シュッ。
木剣が夜気を裂く。
盾を押し出し、一歩踏み込む。
剣を振る。
また構え直す。
その繰り返し。
「……ご主人様。」
小さな声に、ターケシは振り返った。
宿の扉から、シフォンが顔を覗かせていた。
灰色の耳がぴくりと揺れる。
「すまない。起こしてしまったかな。」
シフォンは首を横に振る。
「いいえ。」
「ご主人様がいらっしゃらなかったので……どうしたのかなって。」
Cランクへ昇格してから、四人は少し広い宿へ移っていた。
一つの部屋ではあるが、それぞれにベッドがあり、中央には丸いテーブルと椅子が置かれている。
簡単な作戦会議くらいなら十分にできる部屋だ。
「もう休め。」
ターケシは木剣を肩へ担ぐ。
「明日は早い。」
だが、シフォンはその場から動かなかった。
少しだけ胸の前で両手を握り、
「わたし……。」
と、小さく言う。
「訓練のお手伝い、しましょうか。」
ターケシは苦笑した。
「いや、一人で十分だ。」
「でも……。」
シフォンは一歩だけ近づく。
「お手伝いが、したいんです。」
その言葉に、ターケシはしばらく黙る。
やがて、小さく息を吐いた。
「……分かった。」
木剣を一本、シフォンへ差し出す。
「打ち込んでこい。」
「はい!」
ぱっと耳が立つ。
シフォンは木剣を受け取り、少し離れて構えた。
「では……行きます!」
小さな身体が駆ける。
「やあっ!」
カンッ!
木剣が盾へ弾かれる。
「もう一度。」
「はい!」
カンッ!
今度は木剣で受け流す。
「もう一度。」
「はい!」
何度も。
何度も。
盾で受け。
剣で受け。
打ち込み。
受け返す。
夜更けまで、二人は無言で木剣を交え続けた。
不思議と、ターケシの胸にあったわずかな重苦しさは、少しだけ軽くなっていた。




