祈りの歌
爆炎を浴びた石造りの祭壇の上には、一冊の本が静かに置かれていた。
ロザリアの放った炎で表紙は煤けている。
だが、不思議なことに燃えた形跡はなかった。
ターケシはゆっくりと祭壇へ歩み寄る。
そっと本へ手を伸ばく。
以前、廃教会の地下礼拝堂で見つけた死霊術の書に触れたときは、肌を刺すような禍々しい魔力を感じた。
だが、この本から伝わってくるのは違う。
どこか悲しく。
どこか寂しく。
長い年月、誰かの帰りを待ち続けていたような――そんな静かな気配だった。
ターケシは振り返る。
「フィリア。」
「教えてくれ。」
「これは……本来、どう扱うのが正しいんだ?」
フィリアは祭壇の前まで歩み寄ると、本を静かに見つめた。
「ご主人。」
「この書に溜まっていた『淀み』は、おそらくジャイアントワームとジャイアントスパイダーへ流れ込んでいました。」
ターケシは黙って耳を傾ける。
「魔物は淀みを宿し、異常な魔力を得た。」
「ですが、ご主人たちが二体を討ったことで、その淀みは流れ去りました。」
フィリアは胸に手を当て、小さく目を閉じる。
「今ごろは、世界樹へ還っているはずです。」
「だから、この書はもう……」
そっと表紙へ指先を添える。
「ただの鎮魂の書に戻っています。」
礼拝堂に、幽かに静かな風が吹き抜けた、気がした。
祭壇の蝋燭はとうに燃え尽きている。
それでもターケシには、一瞬だけ誰かが安堵して微笑んだような気がした。
「……そうか。」
ターケシは本を両手で抱え上げる。
「長い間、ご苦労だったな。」
フィリアは祭壇の前に立つ。
ターケシの持つ鎮魂の書へそっと手を添え、静かに目を閉じた。
やがて、小さく息を吸う。
そして、誰も聞いたことのない言葉で歌い始めた。
「Lúmea sil ar venel... Astera noel il fana... Lúm en sel, lúm en aria... Elda mira... Elda mira...」
澄み切った歌声が、崩れかけた礼拝堂に静かに響く。
戦いの音が消えた石造りの空間に、その歌だけが優しく溶け込んでいく。
シフォンは耳をぴくりと動かし、思わず息を呑んだ。
ロザリアも、いつもの気丈な表情を忘れて聴き入っている。
歌が終わる。
しばらく誰も口を開かなかった。
ターケシが静かに尋ねる。
「……今の歌は?」
フィリアは少し照れたように微笑み、答えた。
「エルフに古くから伝わる鎮魂歌です。」
「意味は――」
彼女は祭壇の書を見つめる。
「『迷える魂よ、安らかな森へ還れ。悲しみも憎しみも置いてゆけ。あなたは独りではない。世界樹は、いつでもあなたを迎えてくれる。』」
礼拝堂を、確かに静かな風が吹き抜けた。
まるで、その歌に応えるように。
「おれたちも帰ろう。飯と報酬と寝床が待ってる。」




