一計を案ず
しばらくぶりに、昔の夢を見た。
地下闘技場で戦っていた頃の夢だ。
あの頃のことは、いつしか思い出さなくなっていた。
昨日の夢を思い返しながら、坑道をゆっくりと上っていく。
もうすぐ、ドワーフの世界と人の世界との境界だ。
「ここに残ってもいい。」
そんなことを言われたから、少し感傷的になっていたのかもしれない。
それとも、久しぶりに酒を飲んだからか。
どちらでもいい。
ターケシは一度だけ息を吐いた。
前方には暗い坑道が続く。
その先には、旧礼拝堂。
鎮魂の書。
そして、ジャイアントスパイダー。
そろそろだ。
また戦いの準備をしよう。
ジャイアントスパイダー。
地下闘技場の大男より強い。
だが、オーガほどではない。
勝てる。
そう判断すると、ターケシは背中の盾の位置を確かめ、何事もなかったように歩き始めた。
朽ちた礼拝堂へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿っている。
それだけではない。
長い間、風が通っていないような淀んだ空気が肺にまとわりつく。
壁を覆っていたはずの聖人画は、白い糸に幾重にも包まれ、その姿は判別できない。
祭壇へ続く赤い絨毯はとうの昔に朽ち、代わりに床一面へ蜘蛛の糸が張り巡らされていた。
細い糸。
太い糸。
人の腕ほどもある縄のような糸。
それらが柱と柱をつなぎ、天井の梁から幾重にも垂れ下がっている。
まるで礼拝堂そのものが、巨大な繭になってしまったかのようだった。
天井は高い。
だからこそ見えない。
松明の明かりは梁まで届かず、黒い闇だけが広がっている。
何かが潜んでいても、おかしくない。
床には獣の骨。
ネズミ。コウモリ。モグラだろうか。
そして、人間。
乾いた白骨が糸に絡まり、宙吊りになっているものもある。
頭蓋骨には、大きな牙で穿たれた穴。
肋骨は内側から砕かれ、一本一本が散乱していた。
どれも、逃げ切れなかった者たちだ。
どこかで糸が軋む。
ぎし……
風ではない。
何かが動いた。
だが姿は見えない。
静かすぎる。
鳥の声も。
虫の羽音も。
ただ、自分たちの足音だけが礼拝堂へ吸い込まれていく。
ターケシは立ち止まった。
視線は自然と天井へ向く。
「気を付けろ。」
低い声だった。
「ここは向こうの縄張りだ。」
三人が息をのむ。
「視界が悪い。柱が多い。糸も邪魔になる。」
ターケシは天井の暗闇を見たまま続ける。
「一番警戒するのは、不意打ちだ。」
盾を少し持ち上げる。
「正面から来るとは思うな。横から、後ろから、あるいは――」
視線が真上で止まる。
誰も反射的に天井を見上げる。
そこには何もいない。
「それと毒。」
ターケシは静かに言う。
「少しかすっただけでも動きが鈍るかもしれない。噛まれても刺されても終わりだと思え。」
ロザリアがレイピアを握り直す。
フィリアは矢をつがえたまま、暗い梁を一つずつ見渡す。
シフォンの耳がぴくりと震えた。
「……います。」
小さな声だった。
ターケシは頷く。
「俺も気配は感じる。」
しかし姿は見えない。
見えているのは、巣だけ。
だからこそ恐ろしい。
獲物は、すでに巣の中へ足を踏み入れていた。
「ここは向こうの縄張りだ。」
主人公は礼拝堂の奥を見据えたまま言った。
「だから焼け。ロザリア。」
きょとん、と整った顔が一瞬固まる。
「……え?」
「火だ。中央から向こうを焼き払え。蜘蛛は出てくる。」
ロザリアはすぐに意図を悟った。
巣を残したままでは、敵はこちらを好きな場所から襲える。
ならば、巣そのものを奪えばいい。
「……はい!」
レイピアを掲げる。
「火よ!」
掌ほどの火球が生まれ、一直線に礼拝堂の中央へ飛んだ。
ぼっ――。
乾ききった蜘蛛の糸は、油を染み込ませた綿のように一瞬で燃え広がる。
白い巣が黒く縮れ、炎は柱から柱へと駆け抜けた。
次の瞬間。
ドォンッ!!
礼拝堂の奥で火球が炸裂する。
爆風が燃えた糸を吹き散らし、熱風が主人公たちの頬を叩いた。
その直後だった。
ギィィィィッ!!
耳障りな鳴き声が高い天井から響く。
梁が大きく揺れ、焼かれた巣が雨のように降り注ぐ。
そして暗闇から、八本の巨大な脚がゆっくりと姿を現した。
「……来たぞ。」
主人公は静かに盾を構えた。
「予想どおりだ。」




