主人公になれなかった男
夜の王都を、一人の青年が歩いていた。
白いマントを翻し、石畳を踏みしめる。
アルセイン。
王国最強の若手騎士。
騎士学校首席。
王宮公認闘技大会優勝候補。
誰もが羨む栄光を手にした男。
だが。
その表情を知る者は少ない。
「私は、あなたを許しません。」
先ほどの言葉が、何度も脳裏をよぎる。
当然だった。
四年。
あまりにも長い時間だ。
許されるなどと思ってはいなかった。
「……。」
思っていなかったはずなのだが。
ふと足を止める。
広場では、子供たちが木剣を振っていた。
「俺がアルセインだ!」
「じゃあ私はロザリア・フォン・ハリントン!」
「負けないぞー!」
無邪気な声。
思わず苦笑が漏れる。
「違うよ。」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
「負けたのは、俺の方だ。」
◇
四年前。
ハリントン家没落の日。
「アルセイン様! お止めください!」
「放せ!!」
まだ少年のアルセインは、館の厩で兵士たちに取り押さえられていた。
「ロザリアが!!ロザリアが死んでしまう!!」
「王命です!!」
「知るか!!」
「アルセイン様!!」
「放してくれ!!」
泣きながら叫ぶ。
叫んで。
暴れて。
それでも。
結局、彼は行けなかった。
父に止められたから。
王命だったから。
騎士学校の学生だったから。
理由はいくらでもある。
だが。
ただ一つだけの大きな理由。
彼自身が、一番よく知っていた。
怖かったのだ。
全てを捨てて、ロザリアを連れて逃げる勇気がなかった。
もし。
もし、あの日。
「ロザリア、行くぞ。」
そう言えていたら。
今頃、自分はどこで何をしていたのだろう。
「……。」
考えない日は、一日もなかった。
◇
「ありがとうございました!」
北部の村。
盗賊に襲われていた村娘を助けた時だった。
「おかげで助かりました!」
少女が笑う。
アルセインは、その笑顔を見て思った。
ロザリアは。
ロザリアは、誰かに助けてもらえただろうか。
◇
「若き英雄、アルセイン!」
「ワイバーン討伐、お見事でした!」
歓声。
拍手。
称賛。
だが。
彼の耳には何も届かなかった。
英雄。
違う。
本当の英雄なら。
あの日。
たった一人の少女を救えていた。
◇
「あなた、いつまで死人に恋をしているの?」
数年前。
酒場でそう言ったのは、一人のエルフだった。
「……。」
「図星ね。」
エルフィナ。
長い緑髪。
翠の瞳。
どこか達観したような笑み。
「何も答えないのね。」
「……ロザリアという。」
「へえ。」
「そういう名前だったの。」
アルセインは答えない。
エルフィナは肩をすくめた。
「馬鹿な人。」
それが、彼女との出会いだった。
◇
気付けば。
エルフィナは、いつも隣にいた。
盗賊退治。
魔獣討伐。
ダンジョン探索。
彼女は何も聞かなかった。
ただ。
時々、思い出したように聞くのだ。
「まだ忘れられないの?」
その度に。
アルセインは答えられなかった。
◇
宿へ戻る。
部屋の灯りはまだ点いていた。
扉を開く。
「おかえりなさい。」
エルフィナだった。
彼女はベッドに腰掛けたまま、小説を読んでいた。
「振られた?」
「……ああ。」
「そう。」
驚くほど淡々とした返事だった。
「許してもらえた?」
「いや。」
「でしょうね。」
ぱたん、と本を閉じる。
「四年よ?」
「……。」
「四年間待たせておいて、許してもらえると思ったの?」
人間の四年間の重さを、既にエルフィナは知っている。
「思っていない。」
「でしょうね。」
「思っていなかったはず。なんだけど。」
エルフィナは小さく息を吐く。
「でも。」
「?」
「あなたも、四年間苦しんできたことくらいは知ってる。」
「エルフィナ。」
「だから。」
彼女は真っ直ぐアルセインを見る。
「明日は勝ちなさい。」
「……。」
「そして。」
「ちゃんと終わらせてきなさい。」
部屋に沈黙が落ちる。
やがて。
アルセインが小さく呟いた。
「もし。」
「何?」
「もし、あの日に戻れるなら。」
エルフィナは何も言わない。
「俺は、今度こそロザリアを連れて逃げれるだろうか。」
しばしの沈黙。
そして。
「馬鹿ね。」
「……ああ。」
「本当に馬鹿。」
エルフィナは苦笑する。
「でも。」
「?」
「だから、私はあなたを好きになったのかもしれないわ。」
アルセインは目を見開いた。
「そんな顔しないで。」
「今さら気付いたの?」
「……。」
「鈍感。」
エルフィナは立ち上がる。
「さあ、寝なさい。」
「明日は決勝よ。」
扉の前で立ち止まる。
「アルセイン。」
「うん?」
「今度こそ。」
「?」
「前を向きなさい。」
扉が閉まる。
一人になった部屋。
アルセインは窓の外を見た。
王都の夜景。
あの日、守れなかった少女。
守れなかったまま終わった初恋。
どれだけ後悔しても。
やり直すことはできない。
苦い後悔を抱えたまま、生きていくしかない。
それでも。
生きている限り、未来だけは変えられる。
「……そうだな。」
明日。
アルセインは、もう一度ロザリアと剣を交える。
それは。
彼らには、王国最強を決める戦いではない。
四年間に決着をつける戦いだ。
人は時に、自分の人生の主人公になれない。
あの日。
ロザリアの手を取れなかった少年もまた、その一人だった。
だからこそ。
せめて明日だけは。
彼は、自分の人生と向き合おうと思った。




