壁と大樹
休憩が終わると、リディアが訓練場の中央へ進み出た。
「ここからは地稽古です。」
近衛騎士たちの表情が引き締まる。
ターケシは右手に木剣、左手に木盾を取った。
近衛騎士たちも次々と木剣と木盾を手に取る。
ターケシの前にも、一人の若い騎士が進み出た。
二人は向かい合う。
木剣を胸の前へ立て、軽く頷く。
「よろしく頼む。」
若い騎士は自信に満ちた笑みを浮かべる。
ターケシは何も言わず、静かに構えた。
次の瞬間。
ターケシが踏み込む。
予想をはるかに上回る速さで振り下ろされた木剣が、若い騎士の兜を強かに打った。
乾いた音が訓練場に響く。
「……っ!」
若い騎士は目を見開く。
「も、もう一度!」
今度は自ら打ち込む。
しかしターケシの木剣が体の中心線から騎士の木剣を弾き、そのまま兜を打ち据えた。
「くっ……!」
三度目。
騎士はターケシの打ち込みを警戒し、盾を前へ押し出す。
だが、ぶつかってきたのは木剣ではなく木盾だった。
鈍い音が響く。
盾同士が激しくぶつかり、騎士の体勢が浮く。
その隙を逃さず、木剣が兜を打った。
若い騎士は木剣を下ろし、小さく息を吐く。
「……参りました。」
木剣を胸の前へ立て、深く頷く。
ターケシも同じように木剣を立てて応じた。
若い騎士は道を譲るように下がる。
「次を頼む。」
前へ出た別の近衛騎士は、先ほどまでとは違う表情をしていた。
ターケシと向かい合う。
木剣を胸の前へ立て、静かに頷く。
「……お願いします。」
ターケシも頷く。
再び木剣が激しくぶつかり合った。
相手が替わっても展開は変わらない。
打ち込めば打ち負かされる。
守れば盾で崩される。
迷えば先を取られる。
ターケシは終始、自ら攻め続けた。
一歩前へ。
さらに一歩。
決して下がらない。
その姿は、まるで自らが壁となって立ち塞がっているかのようだった。
若い近衛騎士たちは、木剣を交えるうちに気付く。
この男は、勝つために前へ出ているのではない。
守るために前へ出ているのだ、と。
どれほど押されても。
どれほど傷つこうとも。
最後まで盾を捨てず、仲間の前に立ち続ける。
そんな生き方が、そのまま剣と盾に表れていた。
ターケシは始終、自ら攻め続け、正面から相手を圧倒していった。
だが、それは力を誇示するためではない。
ただ、もう二度と誰も失わないために。
その執念だけが、十年という歳月を生き抜いた男を、今も前へ進ませていた。
◇
一方、少し離れた場所では、フィリアが静かに木剣を構えていた。
向かい合うのは若い近衛騎士。
互いに木剣を胸の前へ立て、軽く頷く。
「お願いします。」
「お願いします。」
近衛騎士を相手に正面から圧倒するターケシを見ている。
では、このエルフはどう戦うのか。
若い騎士は慎重に間合いを測る。
フィリアは動かない。
静かに立っている。
いや、立っているようにしか見えなかった。
先に動いたのは近衛騎士だった。
上段から振り下ろす。
その瞬間。
フィリアが半歩だけ動く。
木剣が交差する。
乾いた音。
気付けば、木剣の切っ先が騎士の胴で止まっていた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
「もう一度。」
フィリアは微笑み、木剣を胸の前へ立てた。
再び構える。
今度は騎士が慎重に攻める。
一歩。
また一歩。
木剣を下から跳ね上げるように打ち込む。
フィリアは木剣を添えるように受け流した。
騎士の木剣は空を切る。
返す木剣が喉元で止まる。
「なっ……!」
三度目。
近衛騎士は深く息を吸う。
今度は盾を前へ出し、一気に距離を詰めた。
ならば逃げ場はない。
そう考えた。
だが、フィリアは下がらない。
木盾がわずかに傾く。
身体が半歩だけ流れる。
気付けば盾の外側へ回り込まれていた。
木剣が兜を軽く叩く。
「……参りました。」
若い近衛騎士は木剣を下ろした。
木剣を胸の前へ立て、深く頷く。
フィリアも同じように木剣を立てる。
「ありがとうございました。」
微笑む。
それだけだった。
相手が替わる。
また替わる。
しかし、結果は変わらない。
誰一人として、フィリアへ満足に一撃を届かせることができなかった。
打てば返される。
攻めれば受け流される。
守れば崩される。
まるで、こちらの考えが読まれているかのようだった。
若い近衛騎士たちは木剣を下ろし、小さく息を吐く。
「……何なんだ、あいつは。」
「エルフだとは聞いていたが……。」
一人が言葉を探すように口を開く。
「まるで、何百回も戦った相手と立ち合っている気分だった。」
誰も笑わない。
ターケシが横目で見る。
フィリアは、ただ静かに微笑んでいる。
その姿は、森に根を張る古木のようだった。
長い時を生き、多くを見て、多くを失い、それでもなお立ち続ける者。
若い近衛騎士たちは知らない。
彼女がこの王国の表も裏も見てきたことを。
人質となり、奴隷となり、それでもなお、この国の行く末を見つめ続けてきたことを。
知らなくていい。
ただ一つだけ、彼らにも分かることがあった。
このエルフは、あまりにも遠い場所から、自分たちを見ている。
だが、その瞳は不思議と冷たくなかった。
むしろ――。
「……よく、笑う方なんだな。」
誰かがぽつりと呟いた。
フィリアは、その言葉に気付いたのか、小さく目を細めた。
その微笑みだけは、長い年月ではなく、この数か月が彼女にもたらしたものだった。




