剣道、銃剣道、生存
地下格闘技大会が終わってから二日後。
王宮の訓練場には、朝の澄んだ空気が流れていた。
ターケシは木剣を一本手に取り、シフォンとロザリアの前へ立つ。
「今日からは剣だ。」
シフォンは木剣を受け取った。
「地下闘技大会では素手でした。」
「だからだ。次は王宮公認闘技大会だ。木剣が使える。」
ロザリアも木剣を握る。
「わたくしたちは、また剣士に戻るのですね。」
「いや。」
ターケシはシフォンを見る。
「お前は相撲も柔道も覚えた。」
「だが、それを使えとは言わん。」
次にロザリアを見る。
「お前も打撃を覚えた。」
「だが、それに頼るな。」
二人が首を傾げる。
「相手を見ろ。」
「一番効く答えを選べ。」
ターケシは正眼に構えた。
「そのために今は剣道を教える。」
足を前後に開き、膝を軽く曲げる。
シフォンも真似るが、足幅が広すぎた。
ターケシは木剣の先で足元を示す。
「広すぎる。これでは踏み込めない。」
シフォンが足を寄せる。
「今度は狭い。」
「うぅ……難しいです。」
「木剣を持った状態で、自分の重心がどこにあるかを意識しろ。」
続いて足さばき。
「歩くな。滑るように動け。」
ターケシは床を撫でるように進んだ。
すっ。
すっ。
「送り足。剣道の基本だ。」
シフォンが真似る。
ぎっ、と足裏が鳴った。
「力が入りすぎ。」
「はい!」
ロザリアは慎重に足を運ぶ。こちらは音がしない。
「いい。そのまま続けろ。」
前へ。
後ろへ。
左右へ。
剣を振らず、ただ構え、ただ歩く。
その地味な稽古が一時間近く続いた。
「退屈か?」
ターケシが尋ねる。
シフォンは息を弾ませながら首を振った。
「いえ。前より疲れます。」
ターケシは満足そうに笑う。
「戦いは腕じゃない。足でやる。」
その後、ようやく素振りが始まった。
「面。」
ぶんっ。
「小手。」
ぶんっ。
「胴。」
ぶんっ。
「肩に力を入れるな。腰で振れ。腕だけで動かすな。」
何百本も振るううち、二人の腕は震え始めた。
「今日はここまで。」
シフォンはその場へ座り込む。
「つ、疲れました……。」
ロザリアも苦笑した。
「剣の稽古とは、もっと華やかなものだと思っていましたわ。」
ターケシは木剣を肩へ担ぐ。
「試合で見えるのは一瞬だ。だが、その一瞬は何千回と振った一本でできている。」
王宮公認闘技大会まで、時間は多くない。
だからこそターケシは焦らなかった。
華やかな技より、確実に踏み込める足。
速さより、正確に当てられる一太刀。
その積み重ねこそが、強者との差を埋めると知っていた。
◇
数日後。
ターケシが訓練場へ持ち込んだのは、剣よりも長い木製の武器だった。
シフォンが灰色の耳を傾ける。
「今日は槍ですか?」
「厳密には違う。銃剣だ。」
「じゅうけん……?」
ロザリアが目を瞬かせる。
「俺のいた国の武術だ。本来は長い武器の先へ刃をつける。短槍術に近いと思えばいい。」
ターケシは木銃を構えた。
右手を腰の近くへ。
左手を前へ。
先端は相手の喉元へ向ける。
「今日は突く稽古だ。」
一歩踏み込む。
「やあっ!」
どん、と木銃が藁束の中央へ突き刺さった。
「ただ腕で突いたんじゃない。足、腰、肩、腕。全部を同時に前へ出している。」
二人にも構えさせる。
左足が前へ。剣道より足幅を広くし、腰を落とす。
「長い武器は、先端が下がると死ぬ。」
ターケシはシフォンの木銃を指で押した。
わずかに先が沈む。
「これだけで相手は入ってくる。」
ロザリアは腕だけで木銃を支えていた。
「力を抜け。」
「落としてしまいそうですわ。」
「腕で持つな。体で支えろ。」
肘と腰の位置を直すと、ロザリアの構えが安定した。
「先ほどより軽く感じますわ。」
「それが構えだ。」
次は踏み込み。
シフォンは上体だけを先へ出し、ターケシの木銃で胸元を軽く突かれた。
「頭から入るな。足から入れ。」
「はい!」
後ろ足で地面を押し、腰ごと進む。
「今のはいい。」
続いて藁束への突き。
最初のシフォンは腕だけで突き、先端が中央から外れた。
「足と一緒に出せ。」
腰を落とし、後ろ足へ力をためる。
「やあっ!」
どん。
今度は藁束の中央へ深く入った。
「さっきより、力が……。」
「お前の腕力じゃない。地面を押した力だ。」
ロザリアの突きは正確だったが、威力がない。
「きれいすぎる。」
「きれいでは、いけませんの?」
「当てるだけでは足りない。相手の構えを壊せ。」
ロザリアは踏み込みと同時に腰を送り込んだ。
どん、と藁束が後ろへずれる。
「それでいい。」
午後、ターケシは木盾を構えた。
「次は相手を押し崩す。俺を突け。」
シフォンが何度突いても、ターケシの足は動かない。
「先端だけで押すな。相手の体ごと動かせ。」
シフォンは低く構え、突いた後も足を止めなかった。
ターケシの足が半歩滑る。
「動きました!」
「ああ。防御を破れないなら、その防御ごと押し崩せ。」
次はロザリア。
彼女は盾の中央ではなく、端を押した。
ターケシの体がわずかにひねられる。
「正面から動かせないなら、向きを変える。」
ロザリアが言う。
「柔道の崩しと同じですわね。」
「そうだ。武器を持っていても、やっていることは変わらない。」
ターケシは木銃を脇へ抱えたまま、シフォンの腕を取った。
足をかける。
シフォンの体が傾く。
「突いて、押して、崩して、近づく。そこから柔道にも、相撲にも、日本拳法にもつなげられる。」
シフォンは踏みとどまりながら言った。
「武器と格闘技は、別々じゃないんですね。」
「ああ。剣を持っていても、お前たちの足と腰は残っている。」
夕方。
木銃が盾を打つ重い音が、訓練場へ響き続けた。
剣道で学んだ間合いと足さばき。
銃剣道で学んだ突きと前進。
二人は遠い間合いから、自分たちの得意な距離へ入る方法を身につけ始めていた。
◇
剣道と銃剣道の稽古を始めてから、二週間近く。
ターケシは木剣を拾った。
「今日は武器を使う。だが、最後は武器を捨てる。」
シフォンとロザリアが顔を見合わせる。
「戦場では、武器を落とすことも折られることもある。その時に負けるようでは、武器に頼っているだけだ。」
ターケシはシフォンの打ち込みを受け流し、木剣を払った。
石畳へ木剣が転がる。
「しまっ……!」
ターケシはすぐに懐へ入った。
肩を当てる。
腕を取る。
腰を沈める。
「柔道だ。」
シフォンの体が浮き、受け身を取りながら転がる。
続いてロザリア。
ターケシは木銃で突き、払われるとすぐに手放した。
拳突き。
肘打ち。
肩で押す。
そこから腕を取り、膝車で倒す。
「今、何が起きた。」
「武器を捨てました。」
シフォンが答える。
ターケシは首を振った。
「武器を捨てたんじゃない。武器術から体術へ移った。」
ターケシは木剣を拾う。
「剣道。」
打つ。
「銃剣道。」
突く。
木剣を放す。
「日本拳法。」
拳、肘、膝。
「柔道。」
崩し、投げる。
「相撲。」
前へ押し込む。
「全部、同じ流れだ。」
午後からは、その流れを何度も繰り返した。
最初は技のたびに動きが止まった。
だが反復を重ねるうち、技と技の境目が消えていく。
打った木剣で相手の武器を押さえる。
その腕を取って崩す。
突いた勢いのまま体当たりへ移る。
倒れなければ、そのまま押し切る。
シフォンは汗を拭った。
「もう、何の稽古をしているのか分からなくなってきました。」
ターケシは笑う。
「それでいい。技の名前を思い出してから動いていたら、間に合わない。」
「相撲も柔道も覚えた。」
「打撃も覚えた。」
「使うかどうかは、その時決めろ。」
夕暮れ。
木剣の乾いた音が、受け身の音へ変わる。
ターケシは腕を組んだ。
「これでようやく、王宮公認闘技大会の稽古になる。」
シフォンは手の中の木剣を見つめた。
「最初は、剣を持ったら柔道はできないと思っていました。」
ターケシは笑う。
「今は?」
シフォンも笑った。
「剣でだめなら、他にもやり方があると思えるようになりました。」
だが、すぐに困ったように首を傾げる。
「でも逆に、押すのか、投げるのか、突くのか……何を選べばいいのか分からなくなってきました。」
ターケシは頷いた。
「考えるようになった証拠だ。」
今度はロザリアが口を開く。
木剣を静かに構えた。
「剣も盾も、ただ打つためではなく、相手を崩すために使ってもいいのですね。」
「ああ。」
ターケシは二人を見渡した。
「目の前の相手を見ろ。」
「状況を見ろ。」
「その時、一番効くことをやれ。」
ロザリアが静かに頷く。
「武術を選ぶのではなく、答えを選ぶのですね。」
「そうだ。」
ターケシは木剣を拾い上げた。
「剣に頼るな。」
木剣を地面へ置く。
「拳にも、柔道にも、相撲にも頼るな。」
二人が首を傾げる。
「頼るのは、自分の頭だ。」
ターケシは二人の目を順に見る。
「剣も拳も、武術も、すべて道具だ。」
「生き残るためのな。」
少し間を置く。
「道具に使われるな。」
「お前たちが道具を使え。」
そして、静かに告げた。
「生きろ。」
子オーガのフウを抱いたフィリアが訓練場へ顔を出した。
「……晩ごはん、できたよー。」
三人の表情を見て、少し微笑む。
「なんだか、みんないい顔をしているわね。」
夕日が窓の外を赤く染めていた。




