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異世界ケアマネジメント計画書 〜ケアマネ・三十四歳、世界(ごりようしゃ)の主訴を伺います〜  作者: もしものべりすと


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第9章「計画書を盗む者」+A10A9A10:A14

会議の翌朝。

 千鶴の自室の机から書類が一枚消えていた。

 〈勇者パーティ・サービス計画書(暫定第一表)〉。

 誰かが昨夜の間に侵入したのだ。


 千鶴は部屋を一通り見回した。窓は閉まっていた。扉に鍵をかけるのを忘れていた。痕跡らしきものはほぼ皆無だった。プロの仕業だった。盗まれたのは計画書一枚のみ。他の書類――契約書も議事録も支援経過記録もすべて元の場所にあった。

 千鶴は冷静にバインダーの中身を点検した。盗まれたものとそうでないものの差を観察する。これも仕事の癖だった。

 計画書だけが標的。

 誰かが千鶴の作る計画書そのものを欲しがっている。

 あるいは計画書の内容――勇者パーティの結成情報とリフィ救出の優先順位――を知りたかった。

 千鶴はゆっくりと椅子に座った。

 頭の中で容疑者を絞り込んだ。

 動機を持つ者は限られていた。

 第一容疑者は教会だった。リフィを保護下に置いている教会は彼女の救出計画を察知すれば妨害に動く。

 第二容疑者は王国内の対立勢力だった。千鶴の存在を疎ましく思う貴族や派閥がいてもおかしくはない。

 第三容疑者は外国の諜報員。アルディラ王国の動きを探る他国がいる可能性は十分にあった。

 千鶴はペンを取り紙に〈侵入事案報告書〉と書き始めた。

 侵入の事実。盗まれた書類。発見時刻。気づいた経緯。これらを整理して宰相府に報告する。

 報告書を書きながら千鶴の指先がわずかに震えていた。

 怒りでも恐怖でもなかった。

 仕事に対する集中の震えだった。

 元の世界で利用者の個人情報を載せたファイルを車内に置き忘れた事業所が大問題になった事案を彼女は知っていた。情報は人を守ると同時に人を傷つける刃になる。情報管理の甘さは命取りだった。


 報告書を持って宰相府を訪ねたが応対したのは宰相ではなくカリス・ヴェレだった。書記の若い文官。彼は千鶴の話を聞いて顔色を変えた。

「賢人様。これは重大な情報漏洩でございます。直ちに閣下にお伝えします」

「お願いします。それと――今後私の部屋には鍵を二重にかけていただきたいのです。それと書類の保管場所を分散させたい」

「了解いたしました」

 カリスは即座に動いた。

 彼は宮廷大工を呼びつけ千鶴の部屋の扉に新しい錠前を取り付けさせた。さらに鉄製の小さな金庫を運び込ませた。重要書類はすべてそこに収めることになった。

 千鶴は感心した。事務官同士の連携は迅速だった。

 その日の昼にヴェルナーから千鶴を呼ぶ伝言が来た。

 千鶴は宰相の執務室に向かった。


 ヴェルナーは険しい顔をしていた。

「賢人殿。今朝の侵入の件を伺った。心当たりは」

「複数あります。ただ確証はございません」

「教会か」

「可能性が高いと存じます」

 ヴェルナーはため息をついた。

「教会の動きが先日から不穏である。神官長セヴェールが宮廷外交官を通じて陛下への謁見を再三申し入れている。何かを察知しておられるようだ」

 千鶴はメモを取った。

「閣下。私は近いうちに大司教様にお目にかからねばなりません。リフィ殿の救出のためです。事前に情報を整理しておきたいのです」

「危険である」

「承知の上です」

 ヴェルナーは長く沈黙した。

「賢人殿。一つお願いがある」

「はい」

「大司教との会談には私も同席させていただきたい。あなたに何かあれば王国の損失となる」

「閣下」

 千鶴は静かに首を横に振った。

「私一人で参ります」

「なぜ」

「閣下が同席されると政治的な交渉になります。私と大司教の対面はあくまで一個人と一個人の対面とする必要があります。リフィ殿の救出は政治案件ではなくケアの案件です。閣下の介入は逆効果になりかねません」

 ヴェルナーは長くため息をついた。

「あなたは……強情ですな」

「強情ではございません。職業倫理でございます」

 ヴェルナーは小さく笑った。

「わかった。あなたの判断に従う。ただし――何かあれば即座に駆けつける態勢は整える」

「ありがとうございます」

 千鶴は深く頭を下げた。


 大司教セヴェールとの面会は三日後に設定された。

 千鶴はそれまでの間に資料の整理を済ませた。

 リフィの病状報告。勇者パーティ結成の必要性。教会への配慮事項。交渉の落としどころ三案。すべてを書面化した。

 その間も千鶴は普段の業務を続けた。

 マルタ宅のレナさんへの見守りも続けた。レナさんの状態は少しずつ落ち着いてきていた。「お父さんは今夜は街で泊まりだそうです」という言葉が効いていた。

 ライナスの読み書き練習も続けていた。彼は早朝と夕方に千鶴の部屋に通って文字を練習した。一週間で名前以外にも基本的な単語を二十ほど覚えた。

 日々は忙しかった。

 忙しさが千鶴を保たせていた。


 大司教との面会の前日の夜。

 千鶴は自室で資料の最終確認をしていた。

 扉を叩く音がした。

 千鶴は警戒した。

 しかし叩き方が知っている人物のものだった。

「ガイウス様」

 千鶴は扉を開けた。

 神殿長ガイウスが立っていた。

 彼は外套のフードを深く被っていた。誰かに見られないようにしている動作だった。

「賢人様。一つお伝えしたきことがあり参りました」

「お入りください」

 千鶴はガイウスを部屋に入れて扉を閉めた。

 ガイウスはフードを取った。

 彼の顔はいつもより沈んでいた。

「賢人様。明日の大司教との面会において一つ気をつけていただきたきことがございます」

「は」

「大司教は……あなたの仕事に過度な関心を抱いておられます」

「と申しますと」

「あなたの計画書に。あなたの方法論に。あなたが使われる〈主訴〉という言葉に」

 千鶴は瞬きをした。

「主訴という言葉に」

「左様」

 ガイウスは声を低めた。

「主訴という言葉は古い聖典に一度だけ登場いたします。創世の書の最後の節。〈神は世界の主訴を聞き給うた〉と記されております。これは神学的に解釈の分かれる一節でございますが――大司教はその一節を非常に重視しておられます。あなたが日常的に〈主訴〉という言葉を口にされることが大司教の警戒を呼んでおります」

 千鶴は背筋を伸ばした。

 主訴という業界用語が古い聖典の中に存在する。

 偶然か。

 偶然ではない可能性がある。

「ガイウス様。その聖典の一節を後ほど見せていただけますか」

「もちろんでございます。ただし――明日の面会では決して〈主訴〉という言葉を多用なさらぬよう。大司教を刺激しすぎると交渉が決裂します」

「了解しました。ご教示ありがとうございます」

 ガイウスは深く頭を下げた。

「あなたは我らの希望でございます。どうかご無事で」

「希望ではなく担当者です」

 千鶴は静かに答えた。

 ガイウスは小さく笑って部屋を出た。

 扉が閉まったあと千鶴はしばらく立ち尽くしていた。

 〈神は世界の主訴を聞き給うた〉

 彼女はメモにその一文を書き留めた。

 書き留めたあとペンを置いた。

 部屋の燭台の炎が揺れた。

 炎の影が壁の上で長く伸びた。

 千鶴は影を見つめながら考えていた。

 もしかすると――

 彼女がこの世界に呼ばれた本当の理由は計画書を書くことではなく〈主訴〉という言葉そのものを運ぶことだったのではないか。

 その仮説はあまりに大きすぎた。

 千鶴は仮説を頭の隅に置いて寝床に入った。

 眠りは浅かった。


 翌朝千鶴は最も地味な茶色の外套を選んだ。

 貴族たちがまとう色彩豊かな衣装ではなく事務官の格好に近い装いを選んだ。これは交渉の戦術だった。

 大司教との面会は教会本部の応接室ではなく中庭に面した「祈りの間」と呼ばれる小さな部屋で行われた。

 千鶴は予定の時刻ちょうどに本部の正門を潜った。神官の若い男に案内されて長い回廊を進んだ。床は磨き上げられた大理石で歩く度に靴の音が反響した。窓には聖典の場面を描いたステンドグラスが嵌め込まれていて朝の光が床に色を落としていた。

 元の世界の市役所の長い廊下とどこか似ていた。けれど威圧感は何倍も強かった。

 祈りの間は意外に質素だった。中央に楕円形のテーブルがあり両側に椅子が三脚ずつ並んでいた。壁には十字でも円でもない奇妙な紋章が一つだけ掛けられていた。

 千鶴がテーブルの手前で待っていると反対側の扉が静かに開いた。

 大司教セヴェールが入ってきた。

 六十代後半。背は高くないが姿勢が異様に良い。痩身。白髪を後ろで束ねている。深紅の法衣の上に金糸の縫い取りが施された外套を羽織っている。胸元には大きな宝石の嵌った首飾り。

 顔は無表情だった。

 無表情でいながら強烈な存在感を放っていた。

 千鶴は深々と一礼した。

「お初にお目にかかります。アルディラ王国宰相府助言官の篠原千鶴と申します」

「セヴェールである」

 大司教は短く名乗りテーブルの向こうに座った。

 千鶴も座った。

 数秒の沈黙があった。

 大司教が先に口を開いた。

「異界の賢人よ。あなたが我が教会の療養室を訪ねたことは存じております」

「左様でございます。ライナス殿の友人として魔法使いリフィ殿の安否を確認に伺いました」

「目的は」

 千鶴は資料を取り出した。

「リフィ殿のお体の状態をご報告いたします。私の判断ではリフィ殿は深刻な睡眠剥奪と社会的孤立による抑うつ状態にあります。このまま療養室での隔離を続けると――」

「異界の医術での判断ですな」

 大司教が遮った。

「我らには我らの医術がございます。リフィの状態は教会の医師が把握しております。あなたの所見は不要でござる」

 千鶴は表情を変えなかった。

「では本題に入らせていただきます。私はリフィ殿の身柄を勇者パーティに移していただきたく参りました」

「却下する」

 大司教の答えは即座だった。

「リフィは教会の財産である」

 千鶴の眉が一瞬動いた。

「失礼ですが――リフィ殿は人間でございます」

「言葉の綾だ。リフィは教会に保護されている。そして勇者パーティと申されたか。そのような組織は教会の許可なく結成できぬ」

 千鶴は資料の二枚目を取り出した。

「大司教様。一案ご提示いたします。勇者パーティを教会の公式組織として位置づけ大司教様に名誉総裁の地位をお願いするという案でございます。これにより教会のお顔は立ち実態としてはリフィ殿を含む四人が共に行動できます」

 大司教は紙を一瞥もしなかった。

「却下する」

「では二案。リフィ殿を療養目的で別の場所――王宮の医務室など――に移送する案。教会の所属は維持したまま療養環境を改善いたします」

「却下する」

「三案。私が個人的にリフィ殿の主治医として教会本部に通う案。これは私が出向く形ですので教会の管理は維持されます」

「却下する」

 大司教は同じ言葉を繰り返した。

 声に温度がなかった。

 千鶴は紙を畳んだ。

 彼女はゆっくりと顔を上げた。

 大司教の目を見た。

 大司教の目は青くて深かった。深いというより遠かった。何を見ているのかわからない遠さだった。

「大司教様」

 千鶴は静かに告げた。

「私の三つの案をすべて却下されました。理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「理由を答える義務はない」

「それは交渉の拒絶でございますね」

 千鶴の声に微かに鋭さが混ざった。

 大司教の眉がわずかに動いた。

「賢人殿。あなたは王国の助言官という地位にあるのみで教会に対する権限を持たぬ。交渉の場に座る資格をお持ちでない」

「資格は……関係ございません」

「ほう」

「私はリフィ殿の主訴を聞きました。リフィ殿はライナス殿に会いたいと申されました。それが彼女の主訴です。私は彼女の主訴を実現する手立てを講じるためにここに参りました。資格の有無ではなく必要があるから参りました」

 大司教の表情が初めて動いた。

 ほんの僅かだったが――目元が震えた。

「主訴」

 大司教は呟いた。

「あなたは……それを口にするのか」

「業界用語でございます」

 千鶴は静かに答えた。

「私の世界では介護支援専門員が利用者の主訴を聞き取ることから仕事を始めます。聖典に同じ言葉があると神殿長様より伺いました」

 大司教の指がテーブルの上で一度だけ硬く握りしめられた。

 硬く握ってからすぐに開かれた。

 彼は深く息を吐いた。

「異界の賢人よ。あなたとの面会はこれで終わりとする」

「リフィ殿の件は」

「不可」

「また伺います」

「来ても無駄である」

 大司教は立ち上がった。

 千鶴も立ち上がった。

 大司教は出口へ向かいながら最後にもう一度振り返った。

「賢人殿」

「はい」

「あなたが使う言葉は危険である」

 彼はそう告げて部屋を出た。

 千鶴はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 大司教の最後の言葉が頭の中で反響していた。

 〈あなたが使う言葉は危険である〉

 危険――何にとって危険なのか。

 教会にとってか。

 大司教個人にとってか。

 あるいはこの世界全体にとってか。

 千鶴は資料を畳んでバインダーに収めた。

 彼女の手は震えていなかった。

 冷静だった。

 冷静すぎるくらい冷静だった。

 危険な言葉。

 危険な仕事。

 危険な仕事をする以上は退けないというのが千鶴の職業倫理だった。

 彼女は祈りの間を出た。

 長い回廊を一人で歩き戻った。

 ステンドグラスの色が床に落ちていた。

 千鶴の靴がそれを踏みつけた。

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