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異世界ケアマネジメント計画書 〜ケアマネ・三十四歳、世界(ごりようしゃ)の主訴を伺います〜  作者: もしものべりすと


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第8章「最初のサービス担当者会議」

夜明け前に雨が降った。

 石畳が濡れて光っていた。

 千鶴は早朝の王都の南区へ向かう道で何度も足を滑らせかけた。

 目的地はアンナという引退した僧侶の家だった。


 南区は職人街のさらに南。海沿いの古い住宅地。家々は石ではなく木造が多く屋根は赤い瓦で葺かれていた。漁師の家もあるらしく軒先に網が干してあった。

 アンナの家は通りの一番奥にあった。小さな庭がついていて庭にはハーブのような植物が植えられていた。雨に濡れた葉が緑を濃くしていた。

 千鶴は扉を叩いた。

 数秒の間があってから扉が開いた。

 扉の向こうに小柄な老女が立っていた。白髪を首の後ろで一つに束ね茶色のドレスの上にエプロンを締めていた。年齢は六十代後半。腰がやや曲がっている。立ち姿だけで慢性腰痛があると千鶴にはわかった。

「どちら様」

 声は嗄れていたが芯がしっかりしていた。

「アンナ様でいらっしゃいますか。冒険者ギルドより参りました篠原と申します」

 アンナは千鶴を上から下まで見た。

「あんた異界から来た人かい」

「噂が早うございますね」

「南区にも噂は届くよ。何の用かい」

「お話を伺いたく参りました。ライナス様のことで」

 アンナの表情がわずかに動いた。

 彼女は少し沈黙してから扉を開け放った。

「お入り。ちょうどお茶を淹れたところさ」

 千鶴は外套を脱いで一礼してから入った。

 居間には大きな暖炉と古い揺り椅子と低いテーブルがあった。テーブルの上に陶器のティーポットと二つのカップ。アンナは千鶴の来訪を予期していたのかもしれない。

「お座り」

 アンナは揺り椅子に腰を下ろし千鶴に向かいの椅子を勧めた。

「ライナス坊や。生きてるかい」

「生きておられます。三日前に保護いたしました」

「保護」

「ご本人と相談の上。今後の方針を決めるための面談を続けております」

 アンナはカップに茶を注ぎ千鶴の前に置いた。湯気が立った。茶は薄い緑色だった。乾いたハーブの香りがした。

「あの坊やはな」とアンナは静かに言った。「半年前に教会本部に連れてこられた時から見ていられなかったよ。ありゃ勇者じゃない。ただの十六の百姓のガキだ。あんな子に剣を持たせて訓練と称して殴りつけて……あれは虐待だよ」

 千鶴はメモを取った。

「アンナ様」

「アンナでいい。ばあさんに様もないさ」

「ではアンナさん。あなたが教会を引退された理由を伺ってもよろしいですか」

「治癒魔法を使い続けるのに体が持たなくなったのさ。腰が壊れた」

「現在のお体の状態は」

「立つのも座るのも痛い。歩くのは三十分が限界。夜中に痛みで目が覚めることが週に三回。湿布を貼って凌いでる」

 千鶴は書いた。

 〈アンナ/六十六/元僧侶/引退/慢性腰痛・夜間覚醒〉

「治癒魔法はまだ使えますか」

「使えるよ。けど自分の腰には効かない。治癒魔法は他人にしか効かないんだ。神様の意地悪さ」

 アンナは皮肉に笑った。

「アンナさん。一つお願いがございます。ライナス様のために勇者パーティを編成しています。あなたに僧侶として加わっていただきたいのです」

 アンナは茶を一口飲んだ。

 ゆっくり時間をかけて飲んだ。

「あたしを呼ぶってのは坊やの希望かい」

「ライナス様の希望です。彼はあなたに何度も助けられたと申しておりました」

 アンナは目を閉じた。

 しばらく沈黙した。

 彼女が再び目を開けた時瞳が湿っていた。

「あたしを覚えていてくれたかい」

「はい」

「あの坊や」

 アンナは指で目元を拭った。

「あたしが教会で誰にも看取られず死ぬんだろうと思ってた時にあの坊やだけがあたしの腰を心配してくれたんだ。新人なのにな。湿布を取り替えてくれたり水を運んでくれたりした。教会の人間は皆あたしを見下してた。役に立たなくなった僧侶として。坊やだけが――」

 アンナの声が震えた。

 千鶴は黙って待った。

 待つこと。聞くこと。それが千鶴の仕事だった。

 しばらく沈黙が続いた。

 アンナは深呼吸をしてから千鶴を見た。

「条件を申していいかい」

「もちろんでございます」

「一つ。長距離の移動は無理だ。腰がもたない。荷馬車での移動なら何とか」

「了解しました」

「二つ。戦闘の最前線には立てない。後方からの支援治癒のみ」

「了解しました」

「三つ。坊やを守ること。これだけはあたしの絶対条件だ」

 千鶴は少し笑った。

「それは私からも同じお願いをするところでした」

 アンナも笑った。

「じゃあ加わるよ」

「ありがとうございます」

 千鶴は深く頭を下げた。

 アンナは千鶴の前に手を差し出した。

 千鶴はその手を取った。

 骨ばった皺の多い手だった。

 元の世界で何度も握った利用者の手と似た感触だった。

 千鶴は仕事の手応えを掌に感じた。


 アンナの家を辞してから三日の間に千鶴は残り二人の所在を突き止めた。

 戦士のジオは脱走して王都へ向かう途中で野盗に巻き込まれた末王都の貧民街に潜り込んでいた。冒険者ギルドの主任が情報網を駆使して見つけ出した。千鶴が直接会いに行くと彼は最初警戒したが「ライナスの友人を集めている」と告げると拒絶を取り下げた。

 ジオは大柄で寡黙な青年だった。父親との関係を聞き出すのに千鶴は二時間を要した。彼の父親は地元の村の長で「家を継げ」と圧力をかけ続けていた。ジオは継ぎたくなかった。教会への入隊は逃げの選択だった。逃げた先で勇者パーティの戦士に選ばれてしまったことが彼の不運だった。

 千鶴は彼の主訴を整理した。

 〈ジオ/二十二/戦士/真の主訴:父親の期待から自由になりたい〉

 千鶴の提案は単純だった。

 「あなたの実家にケアマネジャーを派遣する仕組みは私の世界には存在しますがこの世界にはまだありません。ですので私が代わりに手紙を書きます。あなたの父上にあなたの現状をお伝えする中立的な書簡です。あなたの代弁者として書きます」。

 ジオは目を見開いた。

「あんたが俺の親父に手紙を書くって……?」

「あなたが直接書くのが本当はいいのですが今のあなたにはまだ難しい。代わりに私が書きます。あなたが認めた内容のみを書きます」

 ジオは長く黙ってから頷いた。

 千鶴はその場で手紙を書きジオに読ませて修正を加えた。修正後の手紙にジオが署名した。手紙は宰相府の公的な郵送網に乗せて発送された。


 最後の一人魔法使いリフィの所在は判明していたが接触が難しかった。

 彼女は教会本部の療養室に隔離されていた。

 外部からの面会は教会の許可が必要だった。

 千鶴は神官長ガイウスを通じて面会申請を出した。

 返事は二日後に来た。〈面会許可。ただし神官同席のもとで一刻以内〉。

 厳しい条件だった。

 千鶴は受け入れた。


 教会本部は王都の北区にあった。白い石造りの巨大な建物だった。塔が三本そびえている。中央の塔の鐘楼から正午の鐘が鳴り渡った。千鶴はその鐘の音を聞きながら本部の正門を潜った。

 療養室は本部の裏手の小さな建物にあった。

 神官の若い男が千鶴を案内した。彼は終始無言だった。

 扉が開いた。

 部屋の中は薄暗かった。

 窓のカーテンが閉められていた。

 ベッドの上に痩せた少女が座っていた。

 黒髪を肩まで切り揃え膝の上に開いた本を置いていた。本を読んでいるのではなく開いたまま視線が定まっていなかった。

 リフィだった。

 年齢は十六。ライナスと同い年。

 千鶴は彼女のベッドの傍らに置かれた椅子に腰を下ろした。

 神官は部屋の隅で腕を組んで立っていた。

「リフィさん。はじめまして。篠原と申します」

 リフィは千鶴を見た。

 彼女の目は光を吸い込まなかった。死人のような目だった。元の世界で何度か見たことのある目だった。長期の睡眠剥奪と社会的孤立による抑うつ状態の典型的な眼差しだった。

「ライナス様のご友人として伺いに参りました。ライナス様がお元気でおられること。あなたの安否をご心配されていることをお伝えしたく参りました」

 リフィの瞳がわずかに動いた。

「ライナス……」

 声は掠れていた。

「お元気です。今は王都の宿に滞在しておられます。あなたに会いたいと申しております」

 リフィは目を伏せた。

 長い沈黙の後彼女は呟いた。

「あの子……生きてたんだ」

「生きておられます」

 リフィは小さく笑った。それは笑みというより痙攣に近かった。

「私はもう……眠れない。三十日以上眠れない。魔法使いは眠らないと魔力が枯れる。私はもう魔法使いとしては終わりだ」

 千鶴は静かに言った。

「リフィさん。今ここでお話を続けるのは難しいですか」

「難しい」

「では今日は短くお伝えするだけにします。ライナス様があなたに会いたいと申しています。あなたが望むなら私たちは会えるよう手配いたします。望まなければ無理強いはしません」

 リフィは目を閉じた。

 それから低く呟いた。

「会いたい」

 千鶴はそれを書き取った。

 部屋の隅の神官が小さく咳払いをした。

 千鶴は神官に視線を投げた。

「ありがとうございます。本日はここまでで十分です。後日また伺います」

 千鶴は立ち上がり一礼した。

 部屋を出る前にリフィに小さな声で告げた。

「リフィさん。眠れない夜にできることをいくつかご紹介できます。次回お持ちします。失礼いたします」

 リフィは微かに頷いた。

 千鶴は部屋を出た。


 本部を出てから千鶴は深く息を吐いた。

 あの療養室は治療の場ではなかった。

 隔離の場だった。

 元の世界で千鶴は何度かそういう場所を見た。

 精神科の閉鎖病棟。施設の身体拘束。あれと同じ匂いがした。

 彼女は早足で本部の裏門を出た。

 頭の中で交渉の段取りを組み立てていた。

 リフィを連れ出すには教会と正面から交渉する必要があった。

 神官長セヴェールに会わねばならなかった。

 会いたくない相手だった。

 でも会わねばならない相手だった。

 千鶴の手はバインダーを強く握っていた。

 雨が再び降り始めていた。


 その夕刻千鶴は宰相府の小会議室を借りた。

 集まったのは三人だった。

 ライナス。ジオ。アンナ。

 リフィは欠席。

 千鶴は椅子を四脚並べた。一脚は空席のままにしておいた。

「ご欠席のリフィさんの椅子です。彼女がいずれ加わる前提でこの会議を進めます」

 三人は空席を見た。

 ジオが静かに頷いた。アンナが小さく目を伏せた。ライナスが胸の前で両手を握った。

「これより第一回勇者パーティ・サービス担当者会議を開催いたします」

 千鶴は告げた。

 彼女は議事録用の紙を手元に置いた。

 元の世界で何百回と書いたあの第四表だった。〈開催日〉〈開催場所〉〈出席者〉〈議題〉〈発言要旨〉〈決定事項〉。

 彼女は一つずつ書いていった。

「本日の議題は三つです。一つ目――各メンバーの自己紹介と主訴の共有。二つ目――パーティの当面の目標設定。三つ目――次回の会議までの行動計画」

 千鶴は顔を上げて三人を見た。

「順番にお話しいただきます。発言の途中で他の方が遮ることはご遠慮ください。皆様の主訴はそれぞれ大切です。順番にお伺いします」

 ライナスが最初に口を開いた。

「俺は……ライナス・コラルド。十六歳。シェロ村の百姓のガキだ。眠りてえ。家族に会いてえ。誰にも期待されたくねえ。それが俺の――」

 彼は千鶴をちらりと見た。

「主訴だ」

 千鶴は頷いた。

 ジオが続いた。

「ジオ・ヴァロー。二十二。北方の戦士。父親の期待から自由になりたい。そんで――ライナスを守りたい」

 ライナスが顔を上げた。

 ジオは少し照れたように視線を逸らした。

 アンナが続いた。

「アンナ・モリス。六十六。引退した僧侶。腰が痛い。けどまだ治癒魔法は使える。あたしは坊やを守りたい」

 ライナスがまた顔を上げた。

 千鶴は議事録に三人の主訴を書き取った。

 彼女は静かに笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。皆様の主訴を伺いました。共通項があります。お気づきでしょうか」

 三人は首を傾げた。

 千鶴は紙の隅を指で示した。

「ライナス様を中心とした〈守り合い〉の関係です。あなた方は既にチームになっておられます。形式化するかどうかが問題なだけです」

 三人がそれぞれの隣の人を見た。

 ライナスが小さく頷いた。

 ジオが頷いた。

 アンナが頷いた。

 千鶴は議事録に〈本日決定事項:勇者パーティの結成。リフィ救出を最優先課題とする〉と書き入れた。

 最初のサービス担当者会議は十五分で終わった。

 時間は短かったが内容は十分だった。

 四脚並べた椅子の一つはまだ空席のままだった。

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