第7章「パーティ・アセスメント」
翌日の昼ライナスは食堂の隅で麦粥を食べていた。
昨夜の麦酒で青白かった顔色が少しだけ戻っていた。
千鶴は彼の前に座り三枚の紙を並べた。
〈第一案〉〈第二案〉〈第三案〉と頭に書かれていた。
「ライナスさん。今日はあなたの今後について三つの選択肢をお見せします。それぞれの利点と欠点を説明します。私はどれがいいかは申しません。最終的な決定はあなたご自身にしていただきます」
ライナスは口の中の麦粥を飲み込んでから頷いた。
昨日の彼とは別人のような態度だった。話を聞いてくれる相手がいるという事実が彼の中で何かを建て直したらしい。これは元の世界でも何度も見た現象だった。
千鶴は〈第一案〉を指で示した。
「第一案。教会に戻る道です。利点は身分の安定。食事と寝床と訓練が保障されます。欠点はあなたの主訴と乖離していること。眠る時間も家族に会う時間も期待されない時間も与えられません。再度逃亡するリスクが高い」
ライナスは無言で聞いた。
千鶴は〈第二案〉に移った。
「第二案。シェロ村に帰る道です。利点はあなたの主訴に最も近いこと。家族と会えます。欠点は政治的リスク。教会は〈勇者〉という地位を取り消すことを認めません。あなたが帰郷した場合教会は村ごと圧力をかける可能性があります。ご家族にも累が及びます」
ライナスの顔が曇った。
「家族に……迷惑かけんのか」
「可能性があります。確実ではありませんが想定はしておくべきです」
千鶴は〈第三案〉に進んだ。
「第三案。中間の道です。あなたは〈勇者〉の身分を保ったまま王都の教会本部から離れた拠点を持ちます。仲間と共に行動しご家族とも定期的に手紙のやり取りをします。訓練は最低限に抑え休息を確保します。これは交渉次第で実現可能です。欠点は交渉が決裂する可能性と――仲間が必要なこと」
「仲間」
「はい。あなたが一人で動くと教会は管理を理由にあなたを呼び戻そうとします。仲間――勇者パーティと呼べる集団――があなたの周囲にいれば教会は強硬手段を取りにくくなります」
「仲間なんて……俺にはいねえよ」
「これからお作りします」
千鶴の答えは即断だった。
ライナスは目を瞬かせた。
「作る……?」
「ええ。仲間というのは降ってくるものではなく作るものです。元の世界でも私は地域の支援者ネットワークを作る仕事をしてきました。同じことです。あなたの主訴に共感し共に動ける人々を集めます」
「そんなことできんの……」
「やってみないとわかりません。ただ私の経験からするとできる確率は半分以上です」
ライナスは長く沈黙した。
彼は麦粥の残りをゆっくりと食べた。
食べ終えてから紙を見つめた。
「俺が選ぶのは……第三案が一番いいんだよな」
「私は選択肢を申しません。あなたが選ぶのです」
「いや。あんたが書いたんだろ。あんたの推しはどれだ」
千鶴は少し笑った。
「私の推しと申し上げると差し出がましいですがあなたの主訴と整合性が高いのは第三案です」
「じゃあ第三案で」
「了解しました」
千鶴はその場で〈第三案〉を選択する旨をライナスに署名させた。彼は文字を書くのが拙かったが丁寧に書いた。〈ライナス・コラルド〉。
千鶴も助言官として副署した。
契約成立だった。
元の世界の介護保険サービスの利用申込書と同じ形式だった。
午後は交渉のための準備に費やされた。
千鶴は宿の二階の小部屋を借りて作業した。
ライナスを「中間の道」に乗せるために必要なものは三つあった。
一つ――勇者パーティの編成。
二つ――教会との交渉文書。
三つ――拠点の確保。
最初の一つから手をつけた。
ライナスを呼んで彼の知る限りの「気の合いそうな人物」を聞き出した。意外なことにライナスには一人だけ友人がいた。教会の訓練生として一緒に半年を過ごした魔法使いの女性だった。
「リフィって名前だ。俺と同じ十六歳だ。算術が得意で物覚えがいい。けど夜はずっと不眠で悩んでた」
「現在の所在は」
「教会本部にいるはずだ。俺が逃げてからどうなったかは知らねえ」
千鶴はメモを取った。
〈リフィ/十六歳/魔法使い/不眠/教会本部所属〉
他には」
「あと……戦士のジオって兄ちゃん。あいつは家族のことで悩んでた。父親と仲悪くて訓練に身が入んなかった。俺がたまに話聞いてやってた。ジオは確か北方の駐屯地に派遣されたって言ってた」
「お年は」
「二十二だったかな」
千鶴はメモを取った。
〈ジオ/二十二歳/戦士/父親との関係不和/北方駐屯地所属〉
「もう一人……僧侶の婆ちゃんがいる。アンナさん。六十くらい。腰が悪くてしょっちゅう湿布貼ってた。けど治癒魔法は確かだった。俺の傷は何度もアンナさんに治してもらった」
千鶴はメモを取った。
〈アンナ/六十前後/僧侶/慢性腰痛/所在不明〉
四人。
ライナスを含めて四人。
パーティとしての最小単位は揃う。
千鶴は紙を整理しながら気づいた。
ここに並んだ四人は全員が「課題」を抱えていた。
不眠。父親との関係不和。慢性腰痛。そしてライナス自身の過剰負荷。
元の世界の介護保険利用者と並べても遜色ない多疾患併発状態だった。
〈勇者パーティ〉という名前の集団は実際には〈要支援者集団〉だった。
千鶴はそれをどこか皮肉に感じた。
でも皮肉ではなかった。
むしろ彼女の専門領域だった。
多疾患併発の利用者群を抱えるのが居宅介護支援事業所の日常だった。
千鶴はライナスに向き直った。
「ライナスさん。お三方の所在はこちらで調べます。所在が判明したら順番に面談します。面談の上で本人がパーティに加わることに同意した場合――集まっていただきます。同意がなければ強制はしません」
「同意しなかったら」
「別の方を探します」
ライナスは頷いた。
千鶴は椅子から立ち上がった。
「今夜はこれで終わりです。明日王都へ戻ります。あなたも同行してください。教会との交渉のためあなたの所在は把握しておく必要があります」
「教会に連れ戻すのか」
「いいえ。王都の宰相府の近くに別の宿を取ります。教会本部には戻しません」
「……わかった」
ライナスは深く頷いた。
千鶴は紙束を畳んだ。
彼女の頭の中ではすでに次の段階が組み上がっていた。
最初のサービス担当者会議をどこで開催するか。
誰を司会にするか。
議事録をどう取るか。
元の世界の業務がそのまま異世界に移植されていた。
移植したのは千鶴自身だった。
翌朝早くライナスを伴って王都へ戻った馬車の中で千鶴は手紙を三通したためた。
一通目は宰相ヴェルナー宛。〈勇者ライナス殿の所在および現状ご報告と教会本部所属の魔法使いリフィ殿の所在確認願〉。
二通目は将軍ロランド宛。〈北方駐屯地に派遣中の戦士ジオ殿の所在確認願〉。
三通目は冒険者ギルドの主任宛。〈僧侶アンナ殿(六十代女性)の所在確認願〉。
いずれも公式の照会文書だった。元の世界の介護業界で千鶴が何百回と書いた書式と全く同じ手順だった。情報収集は組織的なルートを通じて行う。一人の人間がすべての情報を抱え込むと結局回らない。
馬車の隣でライナスが千鶴の書く紙を覗き込んでいた。
「あんた何でも紙に書くんだな」
「書くのが私の武器ですから」
「武器」
「ええ」
千鶴は静かに答えた。
「ペンと紙だけが私の唯一の武器です。剣も魔法もありません」
ライナスは少し考え込んだ。
「俺もペンと紙が武器だったらよかった」
千鶴は手を止めた。
「ライナスさん」
「ん」
「もしあなたが望むのであれば文字の読み書きを教えます。仕事の合間にではありますが」
ライナスはぱっと顔を上げた。
「マジか」
「マジです。文字を書けるということはあなたの主訴を自分で記録できるということです。あなたの世界では字が書ける十六歳は珍しいのですか」
「百姓だからな……読み書きはほとんどしてこねえ。教会の訓練でちょっとだけ習ったけど書くのは難しい」
「でしたら手始めにあなたの名前から練習しましょう」
千鶴は紙の隅に大きな字で〈ライナス・コラルド〉と書いた。
「これを真似て書いてみてください。十回」
ライナスは紙とペンを受け取って真剣な顔で書き始めた。
馬車の振動で線が歪んだが彼は気にせず書き続けた。
千鶴は彼の手元を見守った。
元の世界の利用者にも字を書く練習を勧めることがあった。脳の機能維持のためだ。意外なほど効果があった。書くという行為は思考を整理する効果も持つ。
ライナスにとってもそうなるかもしれない。
千鶴はそう願った。
王都に戻った日の夕刻には宰相府からの返信が早くも届いていた。
ヴェルナーは仕事が早かった。
返信には三つの情報が記されていた。
・魔法使いリフィ:教会本部内に滞在中。三十日前から夜間の不眠が悪化し療養室に入っている。教会側は外部接触を制限している。
・戦士ジオ:北方駐屯地より十日前に脱走。所在不明。脱走兵として手配中。
・僧侶アンナ:王都南区にて引退生活中。健康状態は不明。
千鶴は三つの情報を見比べた。
最も難しいのはリフィだった。教会の管理下にいる。
最も急ぐのはジオだった。脱走兵として手配されているということは見つかった瞬間に処罰される可能性がある。
最も話が通じやすそうなのはアンナだった。引退している僧侶は基本的に誰にも縛られていない。
千鶴は明朝にアンナを訪ねることにした。
順序は重要だ。
最も話が通じやすい相手から始めて足場を作る。これはケアプラン作成の基本中の基本だった。
彼女は自室の机に向かい〈勇者パーティ・サービス担当者会議の開催に向けた工程表〉という見出しの新しい紙を一枚作った。
第一段階――各メンバーの面談(個別アセスメント)
第二段階――各メンバーの所属組織との交渉
第三段階――会議の開催
第四段階――合意形成と契約締結
第五段階――モニタリング
書きながら千鶴は息を吐いた。
元の世界では一人の利用者と家族のための会議を一度開くのに二週間から一ヶ月かかった。
今回はそれを四人分同時並行で進める必要があった。
しかも所属組織との交渉まで含めて。
仕事量は途方もなかった。
千鶴はそれでも一行ずつ書き進めた。
書くという行為が彼女の手と頭を繋ぎ留めていた。
窓の外は再び夜だった。
星は元の世界とは違う配置で瞬いていた。
千鶴はその下で彼女の世界の仕事を続けた。
深夜近く千鶴はベッドの脇に座り込んだ。
体は重かったが頭はまだ動いていた。
彼女はバインダーから昨日の馬車の中でライナスが書いた練習の紙を取り出した。
〈ライナス・コラルド〉と書かれた十行。
最初の三行は線が歪んでいた。
四行目から少しずつ整っていた。
最後の十行目は完璧と言えるほどきちんと書かれていた。
馬車の振動の中でこれだけ書けるなら早晩読み書きはできるようになる。千鶴はそう確信した。
そして気づいた。
彼女はもう一人の利用者を抱えていることに。
ライナスは勇者である以前に十六歳の学習意欲のある利用者だった。
千鶴は紙を丁寧に畳んでバインダーの内側に挟んだ。
明日からは彼の文字練習も日課に組み込もうと思った。
仕事は増えていく。
仕事は増えていくが彼女の中で何かが温かくなっていた。
久しぶりに感じる温度だった。
元の世界の事業所では感じたことのない温度だった。
いや――感じたことはあった気がする。
新人だった頃。
最初の利用者を担当した日。
あの利用者は半年後に亡くなったが千鶴は今も彼女の名前を覚えていた。
吉村ハツさん。八十九歳。要介護四。
あの日の感触に似ている。
千鶴は目を閉じた。
今夜は眠れそうな気がした。
眠る前に千鶴はもう一度自分のメモを見返した。
〈母に手紙を書く〉と書かれた一行。
書いていなかった。
書く時間が今日もなかった。
明日には書こう。
明日明日と先送りにしてきたのが千鶴の人生の癖だった。
その癖を異世界に来てまで持ち越したのかと思うと笑えた。
彼女は紙を伏せた。
窓の外で梟が鳴いた。




