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異世界ケアマネジメント計画書 〜ケアマネ・三十四歳、世界(ごりようしゃ)の主訴を伺います〜  作者: もしものべりすと


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第16章「敵兵にもケアプラン」

拓也が部屋を出た後午後遅くに再び扉が叩かれた。

 ミラだった。

 彼女は今度は一人ではなかった。

 後ろに小さな少女が一人立っていた。


 少女は七歳か八歳くらい。

 頭の側面に小さな角があった。

 ミラと同じ角持ちの種族だった。

 少女は大きな目で千鶴を見つめていた。

 ミラが小さな声で告げた。

「賢人様。差し出がましいのですが――この子のお話を聞いていただけませんか」

「もちろんです」

 千鶴はベッドの端を指で示した。

「お嬢さん。お座りください。ミラ様もどうぞ」

 少女はおずおずとベッドの端に座った。ミラは扉を半ば閉じて千鶴の後ろに立った。

「お名前を伺ってもよろしいですか」

「ティナ……」

 声は小さかった。

「ティナ様。私はシノハラと申します。よろしくお願いします」

 ティナは小さく頷いた。

 千鶴は彼女の手元を見た。

 左手に小さな布の包みを握っていた。中身は何かの石らしかった。

「お困りごとがあるのですね」

 ティナは黙って頷いた。

 彼女は布の包みを千鶴の前に差し出した。

 千鶴は受け取った。

 包みを開くと中には小さな白い石が入っていた。

 よく見ると石ではなかった。

 歯だった。

 子供の乳歯だった。

 千鶴は息を呑んだ。

「ティナ様。これはあなたの歯ですか」

 ティナは頷いた。

「お母さんが……抜いた歯は屋根の上に投げると次の歯が早く生えるって言ってた。でも――屋根の上に投げたくない。お母さんが――」

 ティナの声が震えた。

 ミラが小さな声で補った。

「賢人様。この子のお母様は半年前に亡くなりました。教会の襲撃で。父親は戦地でまだ無事ですが城を離れています。今は私が世話をしております」

 千鶴は深く頷いた。

 彼女は歯をそっと包み直した。

 ティナの目を見た。

「ティナ様。お母様はどんな方でしたか」

 ティナはしばらく沈黙した。

 それから小さな声で答えた。

「優しかった……髪を結ってくれた。歌を歌ってくれた。私が泣くと抱きしめてくれた」

「素敵なお母様でしたね」

 ティナは小さく頷いた。

「ティナ様。一つご提案してもよろしいですか」

 ティナは目を上げた。

「歯を屋根に投げなくて結構です。歯はあなたが大切に持っていてください。お母様が言われた言葉は呪いではなく『あなたが新しい歯で大きくなってほしい』というお気持ちです。屋根に投げる行為が大事なのではなくお気持ちが大事なのです」

 ティナの目から涙がこぼれた。

 千鶴は布の包みを彼女の手に戻した。

「次の歯が抜けた時もご自分で大切に保管してください。抜けた歯は時間が経つと小さくなりますがあなたの中の『大きくなりたい』という気持ちは大きくなり続けます」

 ティナは深く頷いた。

 頷いた拍子に涙がさらにこぼれた。

 彼女は小さな声で言った。

「ありがとうございます」

 ミラが背後で小さく息を呑んだ。

 千鶴はティナを抱きしめなかった。

 元の世界でも初対面の利用者を抱きしめることはほとんどなかった。距離感を保つことが信頼の基盤になる。八年で身につけた職業倫理だった。

 ティナはしばらく座ってから立ち上がった。

 ミラに手を引かれて部屋を出ていった。

 扉が閉まる前にミラがもう一度頭を下げた。

 千鶴は静かに扉を見送った。


 夕方になって今度は若い兵士が訪ねてきた。

 黒い軽装の鎧。

 角はなかった。

 人間の青年だった。

 二十歳前後。

「賢人様。失礼いたします。ヴォルクと申します。侯爵様より――賢人様にお話を聞いていただきたく参った次第でございます」

「お入りください」

 千鶴はテーブルを示した。

 ヴォルクは鎧を音立てて部屋に入り椅子に座った。

 彼は緊張していた。両膝の上で拳を握りしめていた。

「ヴォルク様。お困りごとはどのようなことでしょうか」

 ヴォルクは深く息を吐いた。

「俺は……元はアルディラ王国の北方駐屯地の兵でした。三月前に脱走しました。家族が辺境の村にいて魔物の襲撃で危険な状況にあったからです。家族を救いに帰ろうとしました。でも村に着いた時にはもう遅かった。家族は全員死んでいました」

 千鶴は黙って聞いた。

「行き場を失った俺は荒野を彷徨いました。そこで黒翼侯爵様の部下に拾われました。侯爵様は『食事と寝床と仕事を与える』と言われた。俺は受け入れました。今は侯爵様の麾下の兵として働いております」

「ヴォルク様。お話を伺います」

「俺は――王国を裏切ったのでしょうか」

 ヴォルクの声が震えた。

「俺は脱走兵です。家族を救えなかった愚か者です。今は王国の敵側の兵となっています。俺は――」

「ヴォルク様」

 千鶴は静かに遮った。

「お話を整理させてください。あなたは脱走されました。理由は家族を救うためでした。これは脱走ではなく緊急対応です。元の世界では家族の介護のために仕事を辞める方を多く見ました。誰も彼らを裏切り者とは呼びませんでした」

 ヴォルクは目を見開いた。

「あなたが王国の敵側に立っているのは結果論です。意図ではありません。意図は『生き延びること』『どこかに居場所を見つけること』でした。これも自然な選択です」

「でも俺は……」

「ヴォルク様。あなたが本当に問うべきは『俺は王国を裏切ったか』ではありません。『俺は今この場所で何を望んでいるのか』です」

 千鶴は紙を一枚取り出した。

「あなたの主訴を伺います。今あなたが一番望んでいることは何ですか」

 ヴォルクは長く沈黙した。

 彼は涙を流さなかった。

 兵士として涙を見せるなと教育されているのだろう。

 でも目は赤かった。

「家族の墓を……作りたい」

 千鶴はそれを書き取った。

「他には」

「家族の墓に……定期的に参りたい」

「他には」

「俺は戦闘で……人を殺したくない。でも仕事だから殺してきた。これ以上殺したくない」

 千鶴は三つを書き取った。

 〈ヴォルク/二十歳/元アルディラ兵/真の主訴:家族の墓を作る/墓参の継続/戦闘の回避〉

「ヴォルク様」

「は」

「あなたの主訴は決して恥ずかしいものではありません。これは尊い主訴です。私はあなたのために計画書を書きます。明日までに完成させます」

 ヴォルクは目を見開いた。

「俺のために……ですか」

「はい」

 千鶴は頷いた。

「一つお願いがございます。明日も同じ時間にお越しいただけますか。計画書をお見せして一緒に内容を詰めましょう」

 ヴォルクは深く頭を下げた。

 彼の頭は床に着くほど深く下がった。

「ありがとうございます……ありがとうございます」

 千鶴はそれ以上何も言わなかった。

 ヴォルクは部屋を出ていった。


 夜遅くまで千鶴は紙にペンを走らせていた。

 拘束されている部屋の中で。

 敵側の兵士のためにケアプランを書いていた。

 元の世界の千鶴がこれを聞いたら笑うだろう。

 〈黒翼侯爵麾下兵ヴォルク様サービス計画書〉

 〈第一表〉

 〈総合的な援助の方針〉

 彼女は書きながら気づいた。

 彼女がここで書く計画書はいずれ何かの形で生きるかもしれない。

 あるいはこのまま彼女のバインダーの中で眠るかもしれない。

 どちらでもよかった。

 書くこと自体が仕事だった。

 書かなければ彼女は彼女ではなくなる。


 深夜に再び扉の前で足音が止まった。

 今夜は誰も叩かなかった。

 ただ静かに立ち止まり静かに去った。

 千鶴はその気配を感じながらペンを動かし続けた。

 窓の外で月が高くなっていた。

 月は元の世界と同じ形をしていた。

 不思議とそれが千鶴を励ました。


 翌朝早くまた別の人物が部屋を訪ねた。

 今度は四十代の女性だった。

 角があった。茶色のスカーフで頭を巻いていた。

 彼女は給仕の制服ではなく古い灰色のドレスを着ていた。手には小さな籠を抱えていた。籠の中には包帯と小瓶が入っていた。

「賢人様。失礼いたします。私はソフィと申します。城の医務室の助手をしております」

「お入りください」

 ソフィは扉を半ば閉めて千鶴の前に座った。

「侯爵様より聞きました。賢人様は人のお話を聞いてくださると」

「左様でございます」

 ソフィは籠を脇に置いた。

「私の話ではなく――医務室で寝ている兵士たちの話を聞いていただきたいのです」

「兵士たち」

「治癒魔法では治らない傷を抱えた者たちでございます。心の傷でございます。彼らは戦地から戻ってきても眠れず昼間も虚ろな目をしております。食事を取りません。何度言っても入浴もしません。私は医療の知識がございますが心の傷の治療法を存じ上げません」

 千鶴は深く頷いた。

 元の世界で言うところの〈戦闘ストレス反応〉――心的外傷後ストレス障害――の典型例だった。

「ソフィ様。心の傷は治癒魔法では治りません。それは間違いございません。けれども別の方法で症状を和らげることはできます」

「教えていただけますか」

「もちろんです」

 千鶴は紙を取り出した。

「まず最初に必要なのは『安心できる場所』です。彼らが眠れないのは脳が常に警戒態勢にあるからです。警戒を解くには『この場所は安全だ』と脳が認識する必要があります。具体的には――」

 千鶴はソフィに対して三十分かけて説明した。

 元の世界の地域包括ケアで学んだ知識だった。認知症の周辺症状を和らげる手法は心の傷を抱えた人にも応用できる。環境の整備。決まった日課。穏やかな会話。否定しない聞き方。

 ソフィは熱心にメモを取った。羊皮紙に角ばった文字で千鶴の言葉を書き留めていた。

「賢人様。これを実践するのに何か必要なものはございますか」

「特別なものは要りません。ただし時間と人手は要ります。一人の兵士に対して最低でも一日三回声をかけられる人員が必要です。短い声かけで結構です」

「人手は……何とかします」

 ソフィは深く頷いた。

「賢人様」

「は」

「失礼ですがあなたは異界からいらしたのに我ら角持ちと普通に話してくださいます。教会の方々は我らを〈魔〉と呼び目も合わせません」

 千鶴は少し考えてから答えた。

「私の世界では〈魔〉という分類はありませんでした。年齢と病気と障害と――それくらいしか分類するものがございません。あなた方は私にとって角の生えた人間でございます。それ以上でもそれ以下でもございません」

 ソフィは深く頭を下げた。

 彼女の角がスカーフの下で揺れた。

 千鶴はそれを見た。

 ふと思った。

 角はあるけれど髪の毛もある。スカーフを巻く必要があるのは寒いからだろうか。それとも角を隠したいのだろうか。

 文化の違い。

 でも体は同じ生き物だった。


 ソフィが部屋を出ていった後千鶴はバインダーを開いた。

 今日一日で書いた計画書は三人分になった。

 ティナ。ヴォルク。そしてソフィに伝えた兵士たち向けの一般指針。

 〈黒翼城滞在中サービス計画書集〉

 彼女はそう題名を打った。

 拘束されている部屋の中で書かれた書類だった。

 でも書類は書類だ。

 書類が動けば人が動く。

 拓也が彼女のペンを取り上げなかった意味が今になってわかってきた。

 あるいは拓也自身がそれを知っていた。

 あるいは魔王ハルディスが指示したのかもしれなかった。

 千鶴はバインダーを閉じた。

 明日の朝が魔王との面会の予定だった。

 準備は十分だった。


 夜更けに再び廊下を歩く足音がした。

 今夜の足音は二人だった。

 一人は重い足音。鎧の音。拓也かもしれなかった。

 もう一人は軽い足音。鎧ではない。誰かわからない。

 二人は千鶴の部屋の前で立ち止まり扉を叩かなかった。

 数秒後彼らは去った。

 千鶴は耳を澄ませた。

 足音が遠ざかってから彼女は呟いた。

「明日のお会いはそういうことなのですね」

 誰にともなく呟いた言葉だった。

 部屋の燭台の火が小さく揺れた。

 千鶴はその火を消さずに眠ろうとした。

 火の存在が彼女を落ち着かせた。

 夜は長かった。

 長い夜の途中で千鶴はもう一度起き上がりバインダーを開いた。書きかけの計画書の続きを書いた。書きながら気づいた。敵側で書かれた計画書が後で味方側でも有効になるかもしれない。境目は薄い。境目の薄さを彼女は元の世界の現場でも見ていた。家族と他人の境目。利用者と支援者の境目。書類はその境目を超える時に役立つ道具だった。彼女はそれを今再び確認した。

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