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異世界ケアマネジメント計画書 〜ケアマネ・三十四歳、世界(ごりようしゃ)の主訴を伺います〜  作者: もしものべりすと


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12/22

第12章「教会との対立」

翌朝の会議室は明るかった。

 窓から朝の光が斜めに差し込み長い机を照らしていた。

 四人が揃う朝だった。

 ライナス。ジオ。アンナ。リフィ。


 リフィは医務室から運ばれてきた。歩くのが難しいほど衰弱していたわけではないが念のため車椅子に乗せられていた。彼女は座ったまま部屋に入ってきた。

 ライナスがリフィを見た瞬間ぱっと立ち上がった。

 リフィもライナスを見た。

 二人の目が合った。

 数秒間誰も何も言わなかった。

 それからライナスがゆっくりリフィの方へ歩み寄った。

 リフィが車椅子の上で両手を膝に置いた。

 ライナスはリフィの正面に膝をついた。

 目線が合うように。

「リフィ」

「ライナス」

 二人の声が同時に出た。

 リフィの目に涙が溜まった。

 ライナスの目にも。

 彼らは握手も抱擁もしなかった。

 ただお互いを見ていた。

 千鶴は黙って待った。

 待つこと。それが今日の仕事の半分だった。

 ジオが部屋の隅から静かに見ていた。

 アンナが車椅子の後ろから手を伸ばしてリフィの肩にそっと触れた。

 部屋に静かな温度が満ちていた。

 千鶴はバインダーを開きペンを構えた。

「お揃いになりましたので会議を始めさせていただきます」

 彼女は静かに告げた。

 四人が同時に千鶴を見た。

「これより第二回勇者パーティ・サービス担当者会議を開催いたします」

 千鶴は議事録の頭に書いた。

 〈出席者:ライナス・ジオ・アンナ・リフィ・篠原(司会)〉

 四人が揃った。

 空席はなかった。


 会議は静かに進んだ。

 千鶴はまずリフィの主訴を確認した。

 リフィの主訴は単純だった。

 〈眠れるようになりたい〉。

 千鶴はそれを書き取った。

 彼女はリフィに向き直った。

「リフィさん。あなたの不眠の原因について私の見立てを申し上げます。あくまで私の見立てですので合っていなければ訂正してください。あなたは半年前に勇者パーティに選定されてから今までずっと『役に立たねばならない』『失敗してはならない』というプレッシャーの中で過ごされた。教会の訓練はそれを強化しました。眠ることは時間の無駄であると教えられた可能性もある。結果として眠ること自体に罪悪感を覚えるようになり眠ろうとすると不安が高まり眠れなくなる。これは元の世界では『過覚醒』と呼ばれます」

 リフィは目を見開いた。

 彼女は数秒沈黙してから小さく頷いた。

「眠ろうとすると……怖くなる」

「怖いですね」

「うん」

「怖くて眠れないのは異常ではございません。多くの方が経験される反応です。回復には時間がかかりますがいくつか試せることがあります」

 千鶴はリフィに紙を差し出した。

 〈リフィさんへの当面の処方〉と書かれていた。

 ・眠れないことをご自分で責めない

 ・夜眠れなくても日中横になる時間を作る

 ・温かい飲み物を就寝前に取る

 ・眠る前に話を聞いてくれる人と一緒に過ごす

 ・ライナス様アンナ様ジオ様の誰かが交代で同室に滞在する

 最後の一行をリフィは何度か読み返した。

 彼女は顔を上げた。

「みんな……同じ部屋に」

「ご希望なら」

「いいの……?」

「あなたが希望されるならパーティの仕事です。負担ではございません」

 ジオが進み出た。

「俺がやる」

 ライナスが続いた。

「俺もやる」

 アンナが微笑んだ。

「あたしは夜中の見守りができる。腰のせいで眠りが浅いから都合がいいさね」

 リフィは両手で顔を覆った。

 肩が震えていた。

 声を殺して泣いていた。

 千鶴はそれを書き取らずに待った。

 ライナスがリフィの肩にそっと手を置いた。

 ジオも反対側の肩に触れた。

 アンナが二人の手の上に自分の手を重ねた。

 四人の手が重なった瞬間千鶴は議事録に新しい一行を書き加えた。

 〈本日決定事項:パーティ内での相互支援体制の確立〉

 書いてバインダーを閉じた。

 彼女の中で何かが温まっていた。

 元の世界でも同じ温度を感じたことがあった。

 最初に担当した利用者の家族介護者が泣きながら「ありがとう」と言った日。

 あの日と同じ温度だった。


 会議の後千鶴は宰相府に戻った。

 ヴェルナーが千鶴を迎えた。

「賢人殿。一つ厄介ごとが来ておる」

「何でしょう」

「教会本部から正式な抗議文が届いた。リフィ殿の引き渡しを再度要求しておる」

「拒否いたしましょう」

 千鶴の答えは即座だった。

 ヴェルナーは少し驚いた顔をした。

「拒否されますか」

「リフィ殿は本人の意思で王宮の保護下に入られました。本人の意思に反して引き渡すことはできません。これは元の世界の介護でも同じ原則でございます。本人の意思を最大限尊重することがケアの基本です」

「教会は強硬手段に出るやも知れぬ」

「強硬手段とは」

「破門……あるいは戦」

 千鶴は数秒沈黙した。

 破門は政治的手段だ。戦は物理的手段だ。どちらも王国にとって深刻な打撃となる。

 彼女は深く息を吐いた。

「閣下。もう一度大司教様にお目通り願います。今度は私一人ではなく閣下と陛下のご名代として参ります」

 ヴェルナーが眉を上げた。

「あなたが陛下の名代を」

「陛下から相談官の辞令を頂きました。その権限の範囲内でお目通り願います」

「危険である」

「承知の上です」

 ヴェルナーは長くため息をついた。

「あなたは……強情ですな」

「職業倫理でございます」

「面会を申し入れる」

「ありがとうございます」

 千鶴は深く頭を下げた。


 その夜千鶴は自室で次の交渉のための資料を整えた。

 大司教との二度目の対面。

 今度は決裂させるわけにはいかなかった。

 彼女は紙の上に〈交渉戦略〉と書いた。

 目標:リフィ殿の身柄保持/教会との関係維持/破門・戦争の回避。

 手段:教会の顔を立てる代替案の提示。

 代替案:①リフィ殿の身分は教会所属のまま維持/②王宮医務室を療養先とすることに教会の医師を派遣/③定期的な聖光検査を教会が王宮で実施/④治癒魔法の独占権は教会が保持/⑤勇者パーティの公的な存在は教会の祝福を受ける。

 千鶴は書き終えてからもう一度読み返した。

 これは交渉の枠組みだった。教会に最大限の顔を立てつつ実態としてリフィを王宮に置く。元の世界の介護現場でよく使った手法だった。書類の上では病院所属のまま実質的にデイサービスに通うような取り決め。

 形式と実態の乖離を許容する空間を作る。

 それが千鶴の専門領域だった。

 彼女はバインダーを閉じた。

 明日が勝負だった。


 翌日教会本部の祈りの間で再び大司教セヴェールと対峙した。

 千鶴は宰相の名代として正式に通知を受けて入室した。

 部屋の空気は前回より一段冷たかった。

 大司教は前回と同じ深紅の法衣で同じ位置に座っていた。

 千鶴も前回と同じ椅子に座った。

 形式は同じ。中身は違う。

「賢人殿。今日は何をしに参られた」

「リフィ殿の処遇について教会と王国の合意を作りに参りました」

 千鶴は資料を差し出した。

 大司教は紙を手に取らなかった。

「リフィの身柄を返さぬ限り合意はない」

「身柄は王宮医務室にて療養していただきます。教会の所属は維持いたします。ご希望なら教会のお医者様を派遣していただいて結構です。療養経過は教会と共有いたします」

 大司教は一瞬黙った。

 千鶴は続けた。

「治癒魔法の独占は教会のものとして保持していただきます。勇者パーティの公的な存在についても教会の祝福を頂きたく存じます。これらの条件で合意していただけますなら王国は教会への上納を従来通り維持することをお約束いたします」

 大司教の指がテーブルの上で組まれた。

「上納の維持か」

「左様でございます」

 大司教は長く沈黙した。

 彼の指は組まれたままだった。

 その指の組み方が前回と微妙に違うことに千鶴は気づいた。前回は警戒の組み方だった。今回は思考の組み方だった。

「賢人殿」

「はい」

「あなたは取引を持ちかけておるのか」

「取引というよりは合意でございます。お互いの主張を整理し共有できる形に落とし込むことを合意と申し上げます。私の世界ではこういう交渉を頻繁に行いました」

「介護の現場でか」

「左様でございます。家族と医師の意見が対立する場面で双方の主張を整理しお互いが受け入れられる形に書類を整える作業がケアマネジャーの仕事の半分でございます」

 大司教は乾いた笑いを漏らした。

「あなたは王国の宮廷で介護の話をする」

「申し訳ございません。それしか知らないものですから」

 大司教は数秒間天井を見上げた。

 彼の喉仏が一度動いた。

 そして彼は紙を手に取った。

 ようやく。

 彼は読んだ。

 二度。三度。

 読み終えてから紙を置いた。

「条件は受け入れる」

 千鶴は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「ただし――」

 大司教が静かに言葉を継いだ。

「一つだけわしからの条件がある」

「お聞かせください」

「あなたの〈主訴〉という言葉。あれを公の場で使うのを控えていただきたい」

 千鶴は瞬きをした。

「理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「答える義務はない」

 大司教の言葉は前回と同じだった。

 しかし今回は声に微かな震えがあった。

 千鶴はその震えを聞き逃さなかった。

 恐れ。

 大司教は何かを恐れていた。

「了解しました。公の場では控えます。ただし業務上必要な場では使わせていただきます」

「業務上必要な場とはどこか」

「アセスメントの場面と計画書の作成の場面でございます」

 大司教は深く息を吐いた。

「やむを得まい」

 彼は紙にサインをした。

 古い羽ペンで丁寧な筆跡だった。

 千鶴も副署した。

 二つのサインが並んだ瞬間二人の間に微かな緊張が解けた。

 千鶴は紙を畳んだ。

 彼女は立ち上がろうとして躊躇した。

「大司教様。もう一つだけお伺いしてよろしいでしょうか」

「申されよ」

「主訴という言葉は古い聖典の創世の書に登場するとお聞きしました。その節を読ませていただきたいのです」

 大司教の指が一瞬硬く握られた。

 彼は無言で千鶴を見つめた。

 長い沈黙が続いた。

「神殿長から聞かれたか」

「左様でございます」

「あの方は……お年を召されたな」

 大司教は呟いた。

 それから立ち上がった。

「賢人殿。聖典の写しは禁制である。王宮の図書庫にも教会本部にしか写本がない。そして教会本部の写本は大司教座の管理下にある。あなたに見せることはできぬ」

「了解しました」

「ただし――」

 大司教は数秒躊躇した。

「神殿長に〈創世の書最終節を読み聞かせる〉ことを許可する。これは口頭での伝授であり書面の閲覧ではない」

 千鶴の眉が上がった。

 大司教の目が一瞬鋭く光った。

「賢人殿。あなたが聖典に触れる以上あなたの今後の行動には責任が伴う。心しておくがよい」

「肝に銘じます」

 千鶴は深く一礼した。

 大司教は静かに部屋を出た。

 千鶴は彼の背中を見送った。

 大司教の歩き方には微かな影が差していた。

 その影の正体を彼女はまだ知らなかった。


 夕刻ガイウスが千鶴の自室を訪ねてきた。

 大司教からの伝言が届いたという報告だった。

「賢人様。聖典の最終節を読み聞かせて差し上げる準備が整いました。お時間がよろしければ今宵神殿の小聖堂にてお読みいたします」

「ありがとうございます。すぐに参ります」

 千鶴はバインダーと羽ペンと紙を持って神殿へ向かった。

 夜の神殿は昼間と違う静寂に包まれていた。

 燭台の蝋燭は半分しか灯されていなかった。

 ガイウスは小聖堂の祭壇の前で千鶴を待っていた。

 彼の手には古い革表紙の本があった。表紙に金の文字で〈創世の書〉と刻まれていた。

 千鶴は祭壇の前の椅子に座った。

 ガイウスは祭壇に本を置き静かに開いた。

 頁は黄色く変色していた。

 文字は千鶴の知らない古代文字だった。

 ガイウスはゆっくりと声を出して読んだ。

「神は世界を造り給うた。神は天と地を分け給うた。神は光と影を分け給うた。神は水と陸を分け給うた。神は獣と人を造り給うた。最後に神は世界の声をお聞きになった。世界は痛みと喜びと怒りと悲しみと祈りを神に告げた。神は世界の主訴を聞き給うた。神は世界の主訴に応えて理を授け給うた」

 ガイウスは顔を上げた。

 千鶴は紙の上に一字一字書き取っていた。

 書き終えてからもう一度読み返した。

 〈神は世界の主訴を聞き給うた〉

 〈神は世界の主訴に応えて理を授け給うた〉

「ガイウス様」

「はい」

「この『理』とは何でしょうか」

「諸説ございます。最も古い解釈では『法』。中世の解釈では『秩序』。現代の解釈では『社会の仕組み』」

 千鶴は紙の余白に書いた。

 〈理=法・秩序・社会の仕組み〉

 書きながら彼女の中で何かが繋がりかけていた。

 社会の仕組み。

 介護保険制度。

 ケアマネジメント。

 千鶴は深く息を吐いた。

「ガイウス様。この一節は古代から伝わるものですか」

「左様でございます。創世の書は最も古い聖典のひとつです。少なくとも千年以上前から記されております」

「他の聖典にも同様の記述はありますか」

「いえ。〈主訴〉という言葉が登場するのはこの一節のみでございます」

 千鶴はバインダーを胸に抱いた。

 偶然ではない。

 偶然ではあり得ない。

 彼女の世界の業界用語と千年前の聖典の言葉が一致する。

 しかも〈神が世界の主訴を聞き理を授けた〉という構造――まさに千鶴の仕事そのものだった。

 千鶴は祭壇に向かって深く一礼した。

「ガイウス様。ありがとうございました。本日のお話は私の中で大切にお預かりいたします」

 ガイウスは静かに頷いた。

 彼の目は何かを知っているような目だった。

 全部を知っているわけではない。

 でも何かを知っている。

 千鶴はそれ以上問わなかった。

 神殿を出る時夜の風が頬を撫でた。

 星が明るく見えた。

 千鶴は夜空を見上げた。

 千年前から続く何かの流れの中に自分が呼ばれている――そう感じた瞬間だった。

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