17. 死へ続く最短の道標
扉が開いた瞬間、室内に満ちていた「死」の濃度が、肺を圧迫するほどに跳ね上がった。
特級ダンジョン『虚飾の揺り籠』。
最下層 主の間。
中央に鎮座していたのは、四肢からどす黒い霧を噴き出す巨大な骸骨騎士――『虚飾の番人』だ。
その眼窩に宿る紅い光が、獲物を定めるように細められた瞬間に、悠馬の全本能が警鐘を鳴らした。
「……ッ、花、一度下がれ! こいつは今までの奴らとは違う!」
悠馬は即座に懐から、鈍い光を放つ青い小石を取り出した。
予備として高額で入手していた、1回きりの脱出用聖遺物――『帰還石』だ。
「花、こっちへ来い! 近くに寄れ!」
駆け寄る花を片腕で引き寄せ、悠馬はもう片方の手で握りしめた石を、祈るような思いで地面へと叩きつけた。
本来なら、これで石が砕け、2人を包む転送の光が溢れ出すはずだった。
――カラン。
乾いた音を立てて、青い石は床の上を無情に転がった。
傷1つ付かず、砕けることさえ拒絶するように。
「……嘘だろ。砕けねえ……!? 空間干渉を無効化してやがるのか」
ありえない――特級のボスとはいえ、聖遺物の加護を物理的に上書きするなど聞いたことがない。
その事実が、悠馬にある最悪の結論を突きつけた。
「……そういうことか。――こいつ、希少種かよ!」
後に判明することだが、『虚飾の揺り籠』の最下層 主の間は、100%の確率で希少種が出現するという、踏み込んだ者を確実に屠るための地獄部屋だった。
当時の悠馬たちは、そんなこととは知らずに、死神の鎌の真下に自ら飛び込んだのだ。
「悠馬さん、どうしましょう……!?」
花の顔から血の気が引く。
「……クソッ、やるしかねえ。 勝ってダンジョンコアを出す。 それしかねえんだ! 仕方ねえ、俺が道を作るから……ついてこい!」
悠馬は震える手で短剣を抜き放ち、鋭い視線でボスを見据えた。
「指示を出す!一瞬の狂いも許さねえ、死ぬ気でついてこい!」
「……っ、はい!」
悠馬の視界に映る『最短の矢印』は、かつてないほど激しく明滅し、真っ赤な光となって視界を埋め尽くしていた。
「(希少種なら……。 希少種の心臓部には、稀に超高純度の聖遺物が宿る……。勝てば、今度こそ『アレ』が手に入るはずだ!)」
絶望を「欲」で塗りつぶした悠馬の指示は、もはや神の領域へと加速していた。
矢印の示す軌道は、ボスの異常な反応速度に合わせるように、一秒間に幾度変化するのか、超高速の機動を悠馬に要求する。
それは、花の限界を微塵も考慮しない、「狂戦士」にしか実行不可能な暴論だった。
「次、3秒後に左へ90度回転、そのまま3歩で背後を――」
自らも動きながら的確に指示を出す。
だが、悠馬の言葉が終わるより先に、戦場が残酷な沈黙に支配されたその時。
――花の足が、わずかにもつれた。
最適解の矢印が示す、あまりに高速で複雑な機動。
花は悠馬への絶対的な信頼を糧に、肉体の悲鳴を無視してついてきた。
だが、心臓が、筋肉が、悠馬の描く「正解」の速度に追いつけなかった。
わずかな、本当にわずかな、瞬きほどの遅れ。
希少種の黒い大剣が、花の細い体を無造作に貫き、宙へと跳ね上げた。
「――あ」
短い吐息と共に、花が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「……あ、あ、あああああああっがぁぁぁっっ!!」
悠馬の叫びは、もはや言葉の体をなしていなかった。
直後、獣のようにボスへ飛びかかった。
最短の矢印が指し示すのも無視し、自分の腕が折れるのも構わず。
ただ、目の前の怪物を肉片へと変えるためだけに、青黒く光る短剣を、己の拳を、憎悪のままに叩きつけ続けた。
――数分後。静寂が戻った部屋の中。
怪物の消滅と共に、部屋の中央に脱出用のポータルと、戦利品が姿を現した。
そこにあったのは、石などではない。
くしくも花が愛用していた武器と同じ、冷たく光り輝く一対の双剣。
「どこだ……どこにある……っアレは……石はどこだ……!」
血に濡れた手で床を掻きむしる悠馬の視界に、1つの影が落ちた。
ポータルの横に、音もなく出現した重厚な石の扉。
それは、さらなる下へ――『虚飾の揺り籠』の深層へと続く道だった。
ここにはなかった。
だが、あの扉の先ならあるかもしれない。
もしそこに『アレ』があれば、今しがた息絶えたばかりの花を、救えるのかも知れない。
そんな「希望」という名の呪いが、悠馬の目の前に突きつけられた。
――だが、もう隣に、笑顔で「信じてます」と言ってくれる相棒はいない。
ここでポータルに入れば、花の遺体と共に地上へ帰れる。
だが、彼女をこの暗闇に置き去りにして、扉の先へ行けば、実在するかも分からないが『アレ』があるかも知れない。
その場合、花の遺体はダンジョン内で消滅することになる。
「……あ、ああ……っ」
『また』、失った。
自分の「正解」が、一番近くにいた人間を殺した。
――ガタン、とフェリーが大きく揺れる。
「……結局、俺は逃げたんだ。あの扉の先へ行く勇気も、『アレ』が実在すると信じる気力も、あそこで全部使い果たした」
悠馬は空になった紙コップを、暗い海へと投げ捨てた。
ソロの探索者として、そしてただの「案内人」として。
2度と誰とも繋がらず、金輪際あんな「扉」は開けない。
人殺しという自分に自ら課した、最低でセーフティーな罰だった。
お読みいただきありがとうございます!
「最短の道標」が、愛した人を死へと導いてしまう。
案内人として、狂戦士として、最も残酷な形で「自分の正解」に裏切られた悠馬の過去。
遺体を連れて帰ることを選び「逃げた」と語る彼の慟哭が、夜の海に消えていく……。
重い回となりましたが、ここまでお付き合い頂き感謝いたします。
「悠馬の過去が辛すぎる……」「希少種の絶望感がすごかった」と思って頂けましたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】から評価とブックマークをお願いします!




