大都市アルカリス 観察と蟻闘
ジョセフ達の訪問から三日後、トリスは指定された場所に訪れていた。朝の三つ目の鐘はまだ鳴っていないので時間まではもう少し時間がある。『塔』の入り口の傍にある柱に寄り掛かり瞑想しながらトリスは朔夜が来るのを待った。
『ゴーン、ゴーン、ゴーン』っと朝の三つ目の鐘が鳴るとトリスは自分に近づいてくる人の気配に気が付き目を開けた。褐色の肌に烏の濡れ羽色の髪。凛々しい目元と自信に満ち溢れている口元。槍の様な長い得物を携えた女性が真っ直ぐにトリスに向かって歩いて来る。
女性はトリスの目の前に立つと不敵な笑みを浮かべトリスに話しかけてきた。
「あんたがトリスかい?」
「はい、そうですがそちらは朔夜さんで宜しいですか?」
「ああ、私が朔夜だ。エル達から聞いたけど本当に若作りだね。あたしと同い年に見えるよ。」
「恐縮です。」
「まあいいさ。それよりその丁寧な口調は止めてくれないか。あんたの方が歳上なんだから砕けた口調でいいよ。」
「判った。それで鍛冶師の情報を教えて貰うにはどうすればいい。一緒に『塔』を攻略すればいいのか?」
「半分正解。あんたはこれからあたしと二百九十六階層に行って貰う。そこである魔物と戦って貰い、その戦いをあたしが観察して合否を決める。あたしの目に適ったら鍛冶師の情報を教える。それでいいかい?」
「条件に問題はないが俺はまだC階級だからそんな上層には行けない筈だが。」
「あたしのサポートとして動向して貰う。あたしはB階級だから『塔』の制限は受けない。」
朔夜はそう言うとトリスに付いてくるように言いうと『塔』に向かい、トリスも一先ず朔夜に続き二人は『塔』に入って行った。
冒険者組合では冒険者を階級で分けて『塔』の攻略に制限を掛けている。これは実力が伴わない冒険者が無理をしないようにするために処置である。だから原則としてC階級以下の冒険者は『塔』での行動に制限がされるがそれは絶対ではない。朔夜がトリスに行ったように階級の低い冒険者をサポートとして同伴させることについては認められている。
自分のサポートとして事前に組合に申請し、受理されれば階級が低い冒険者も上層に行くことが出来る。階級の高い冒険者が難しい攻略をする時に荷物持ちや地図の作成など戦闘に関わらない面を効率化させるための制度だ。
戦闘に関しても前衛などでなく援護、回復といった補助をさせるのを目的とした場合にも許可が下りる。但しサポートに連れて行った冒険者の安全は同伴者が責任を持つことになっており、もしサポートの冒険者が死んだ場合や大怪我をした場合の責任は全て背負わなければならないリスクもある。
そう言った制限はあるがこの制度は『塔』の攻略では有効であるので、数多くの冒険者が利用していた。今回朔夜はその制度を利用してトリスを上層に連れて行きトリスの実力を測ろうとしていた。
「さて、あそこの洞窟の手前が今回の目的の場所さ。」
目の前に洞窟の手前を指差しながら目的地に着いたことをトリスに告げた。洞窟は人の身長程の横穴の洞窟で小高い丘の根元に洞窟があり、洞窟の前は拓けており障害物などは一切なかった。
「あそこで魔物と戦うのか?」
「そうだ。あそこの洞窟には蟻の魔物がいる。十歳くらいの子供と同じ大きさの蟻があの洞窟を住処にしている。洞窟に近づく者は攻撃され、死んだり弱ったりすると巣に持ち返られ食料にされる。危険な場所だがあんたの技量を測るには丁度いい。」
「判った。」
「この砂時計の砂が全て落ちるまであそこで蟻と戦って貰う。砂時計の砂が全て落ちる時間は鐘の時間の半分だ。」
「つまり、規定時間内に蟻を何匹討伐出来るかを見定めるんだな。」
「その通り、討伐した蟻の数やあんたの立ち居振る舞いから判断させてもらう。何か質問はあるかい。」
「回復薬の使用について制限はあるかのか?」
「特にないよ。普通に戦闘して貰っていい。危険を感じたら撤退しても構わない。あたしはあくまで冒険者としての技量が観たいだけさ。他に質問は?」
「無いな。」
「なら、一つアドバイスとしてあいつらの蟻酸は毒性がある。もし誤って飲んだ場合は直ぐに引き返し来な。即効性の毒では無いから解毒剤を飲めば命は助かる。」
「判った。その場合は不合格になるのか?」
「いいや、それまでの経過をみて判断する。」
朔夜はそう言うと近くにあった岩に腰を下ろした。トリスもこれ以上朔夜に聞くことは無かったので自分の魔導鞄から一振りの剣を出した。その剣は長年トリスが使っていた愛剣では無くジョセフととの買い物で見つけた長剣だ。
巨大猪の戦闘で使った物とはまた違う剣で形状はトリスの愛剣に酷似している。トリスが所持している剣の中で愛剣に次いで手に馴染む業物である。
「聞いていた剣と違うがそれは予備の剣かい?」
「ああ、蟻の魔物の身体は大概は固い甲殻で覆われている。剣に負荷がかかるから予備の剣を使う。」
トリスはそう言うと長剣を携えて洞窟に向かった。朔夜はそんなトリスを見ながら満足そうにしていた。
朔夜はトリスに今回の条件を出した理由は単純に興味が湧いたからだ。トリスが巨大猪を討伐した時に真っ先に駆け付けた冒険者の一人が朔夜だ。最初に手傷を負わせようと意気込んで現地に向かったが朔夜だったが着いた時には巨大猪は討伐されていた。
悔しさや憤りはあったがそれ以上に興奮していた。十年間多くの冒険者が苦戦していた巨大猪を単独で倒し、しかも無傷で勝利したことを知った時はどうしようも無く興奮した。
朔夜は最近自分の実力が向上していないと感じていた。朔夜はB階級の冒険者だが戦闘面での実力では既にA階級に達しており、都市にいる前衛職の中では十人以内に入れる程の実力があると自負していた。それ故か人としての限界も感じていた。
何度かA階級の実力者の戦闘を観て自分との実力の差を測ったことがある。技術面や戦闘での駆け引きなどは確かに自分よりも上だが身体能力は歴然とした差は無かった。どの実力者も人としての限界は既に達しておりこれ以上の身体能力の向上は無いと思っていた。
だがそんな時に巨大猪を単独で倒したトリスの話しを聞いて朔夜は思った。トリスの戦闘を直接見れば自分はもっと強くなれるのではないかと期待していた。
巨大猪と何度も対決した事のある朔夜には判る。あの魔獣の皮膚や毛皮は通常の攻撃では弾かれてしまうほど強固だ。朔夜の渾身の一撃で何とか傷を与えることが出来る代物だ。それを足場の悪い場所で剣を突き立て致命傷を与えるなど普通の人間には出来ない。エルが話しをしていた魔術を使った身体強化の方法で行っていたならそれは朔夜自身も学んでみたい技術だ。
だが、本当にそんな技術あるのか朔夜は半信半疑だった。だからトリスをこの場所に連れてきた。あの洞窟に住む蟻の魔物は好戦的で得物を見つけると集団で襲ってくる。トリスの予想通り固い甲殻に覆われてかなりの実力が無ければ単独で挑むのは自殺行為だ。朔夜でも苦戦するほどの魔物でその魔物に対してトリスがどのように対峙するか朔夜は楽しみで仕方がなかった。
砂時計が砂が半分落ちたがトリスは問題なく蟻を討伐していた。戦闘を開始してから蟻を倒した数は百を超えていた。次々に襲ってくる蟻に対してトリスは的確に対処していた。その光景に朔夜は魅入っていた。
朔夜も以前に同じように討伐した時の蟻の数は四十匹前後だった。それなのにトリスは半分の時間で倍以上の蟻を討伐していた。しかもトリスが使っている武器は予備の剣で本来の剣ではない。今だ実力を全て出していないのにトリスは既に朔夜の実力を大きく超えていた。
(ようやく八割を倒したか。)
トリスは自身が討伐した蟻の数が八割を過ぎてようやく一安心した。自身の体力にはまだ問題はないが剣の負荷が予想よりも大きかった。蟻の甲殻は思っていたよりも強固で剣に蓄積されたダメージと蟻の数を考えるとギリギリだった。
トリスは戦闘が始まる目を閉じ探索魔術と周囲の気配に神経を使った。多数との戦闘を行う場合この戦術が最も適しているとトリスは『迷宮』での経験から学んでいた。
人間の視界は前面しか見えず後方に対しては意味をなさない。多数の敵と対峙する場合は背後にも気を配る必要があるので視界からの情報はあまり役には立たない。ならば目を閉じて探索魔術と周囲の気配に神経を使い周囲の状況を確認するのが最も適しているとトリスは考えた。
この戦術は見事にトリスの戦闘スタイルにはまり、多数の敵との戦闘では目で見るよりもずっと効率が良かった。敵の動きや周囲にいる敵の数は探索魔術で正確に認識でき、目を閉じたことで周囲の気配を敏感に察知するのだ。
そして、探索魔術でトリスは洞窟の内部にいる残りの蟻の数も正確に把握していた。その数残り三十匹。それを全て斬り伏せても剣は致命的な破損することは無いと予想していた。トリスは慎重に洞窟にいる残りの蟻にも注意しながら次々に襲ってくる蟻を討伐していった。
『ギィシャァァァ』
突然洞窟の奥から悍ましい叫び声が聞こえた。朔夜は瞬時に自分の得物を取り周囲を警戒した。今まで聞いたことなの声に朔夜は驚いたが、トリスはそうなることが判っていたのか落ち着いて洞窟から離れ朔夜の傍に戻ってきた。
「何が起きたんだい。」
「女王蟻だ。兵隊蟻はあらかた討伐したから危険を感じた女王蟻が出てくる。朔夜は戦ったことはあるか?」
トリスの問いかけに朔夜は首を横に振った。そもそも蟻をここまで追い詰めたことは無かった。『塔』の攻略にも関係のない場所にいる蟻達は腕試しに使われていたが本格的に討伐されることは無かった。トリスが九割以上の兵隊蟻を討伐したので危険を感じた女王蟻が巣から出て来たのだ。
『ギィシャァァァ』
先程のよりも大きな声が洞窟から聞こえ、トリス達が身構えていると巨大な蟻が洞窟から出てきた。大きさは人間の身長の三倍はあり、赤紫色の甲殻に真っ赤な複眼、獰猛な顎を携えた女王蟻が洞窟から出てきたのだ。
女王蟻は自身に周りに五匹の蟻を携えており、その蟻達は今まで蟻よりも二回りも大きく、女王蟻と同じ姿をしていた。この蟻達は女王蟻の護衛であり、次世代の女王蟻だとトリスは推測した。
「大物が出て来たね。あんたはあれに勝てるかい。」
「どうかな。無理とは言わないが楽勝ではない。」
「はははっ。無理じゃないのか。」
朔夜はあの蟻を見た瞬間から震えが止まらなかった。朔夜の直感では女王蟻の強さは巨大猪よりも強く凶暴な魔物と判断したからだ。あんな魔物のいる傍で腕試しをしていた自分達が酷く滑稽に思えてくる。
そんな魔物を目の当たりにしてトリスは勝てないとは言わなかった。楽勝ではないが勝てる見込みのある敵だと認識していたのだ。
トリスは久しぶりに歯ごたえのある魔物と対峙して薄笑いを浮かべていた。『迷宮』を出てからのトリスの相手はいまいち歯ごたえが無かった。そこに思いもよらぬ凶暴な魔物が出て来たことによりトリスの戦士としての琴線に触れたのだ。
「朔夜、俺は今から女王蟻を追い払う。ここで待機していろ。」
トリスはそう言うと朔夜の返答を聞かずに女王蟻に攻撃を仕掛けた。トリスはまず女王蟻と一緒に出て来た蟻を攻撃した。走って距離を詰めながら得意の釘状の指弾を放った。指弾は蟻達の甲殻に刺さったがあまりダメージを与えた様子では無かった。
トリスはその様子を逐一観察して蟻達の甲殻の強度を推測した。蟻達との間合いを詰めたトリスは手始めに一匹の護衛蟻を斬りつけた。トリスの剣は護衛蟻の甲殻を見事に切り裂き、護衛蟻の肉までをも切り裂いた。
耳障りな悲鳴を上げる蟻をトリスは再度斬りつけ絶命させた。仲間の蟻が瞬殺され護衛蟻達は一斉にトリスに襲い掛かった。だが連携が取れていない蟻達の動きはトリスには通じずトリスは難なく回避し、トリスは回避する際に一匹の護衛蟻を斬りつけ手傷を負わせた。
傷を負った蟻はその場に蹲ると違う蟻が手傷を負った蟻を庇うようにトリスとの間に入った。
(狙い通り。)
護衛蟻達は手傷を負った仲間を守る行動に出た。これにより護衛蟻達の関心がトリスと手傷を負った仲間、そして女王蟻に向けられている。トリスは手傷を負った蟻を再度攻撃しようと仲間を守る為に護衛蟻達は行動した。護衛蟻達の意識が女王蟻から離れた瞬間であった。
トリスは手傷を負った蟻を攻撃すると見せかけて女王蟻に飛び掛かった。義肢と風の魔術を使い一気に女王蟻の頭部まで接近して女王蟻の頭部を斬りつけたのだ。
『ギィシャァァァァァァァァァ!』
トリスの剣が女王蟻の頭にあった触角の一本を切り捨てた。二本あるうちの片方を失った女王蟻は悲鳴を上げ暴れ出した。トリスは女王蟻が暴れ出したの隙をついて撤退した。思った以上に女王蟻の触角は固く剣に思った以上のダメージを与えてしまったからだ。
今日トリスがここに来た目的は蟻の討伐では無く、朔夜がトリスの実力を測る為だ。トリスの実力は十分に朔夜に見せた。これ以上は戦闘は無意味と判断して朔夜の下に戻った。トリスは朔夜に撤退することを伝え朔夜もそれに同意した。
二人は背後に気をつけながら女王蟻達から撤退し、『塔』から脱出した。
本文に出て来た時間について簡単な説明です。
鐘の時間とは鐘と鐘との間の時間で二時間を指します。
朔夜が持ってきた砂時計は鐘の時間の半分なので一時間です。
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