商業都市ダリス 恩師の生家 弐
シリアファンプ店は百年以上続く老舗の店で主に布地や皮と言った衣類関連の素材を扱っていた。先代のエーピル・シリアファンプとその妹シェリーが協力して事業を拡大し店を大いに盛り上げた。今はエーピル息子のマクスが事業を継ぎ事業を維持しながら店を守っていた。
また、この店は冒険者にとっても有名であった。単独冒険者として名高い大賢者ウォールド・シリアファンプの生家でもあった。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?」
トリスはシリアファンプ店の扉を開け声をかけた。しかし店内は不思議と他の客はおらず店員も見当たらなかった。店内には服に使う布地が綺麗に並べられており不用心だと思ったが扉の内側に書かれている魔術印を見せトリスは絶句した。
扉は書かれている魔術印は数十年前に書かれた古いものだがきちんと機能おり、扉を強硬するだけでなく、外側からは簡単に開けられるが内側からは開けることができないようになっていた。これは国の宝物庫や砦の武器庫などに書かれることが多く街にある店に書くような代物ではなかった。
「はい、いらっしゃいませ。」
トリスが扉の魔術印に驚いていると店の奥から年配の女性が出てきた。どうやら店員らしく店の名前が施されたエプロンを着ていた。トリスは扉の魔術印に驚きつつ当初の目的を果たすために店員に目的を話し始めた。
「すいません。ここで毛皮の買取はしていますでしょうか?あとエーピル・シリアファンプさんの妹シェリーさんは御在宅でしょうか?」
「はい。毛皮の買取は個人では行いませんが品物が良品であれば買い取ります。あと、シェリーは在宅しておりますが、失礼ですがどちら様でしょうか?」
「失礼しました。私はトリスと言いまして旅人です。こちらにお邪魔しましたのはシェリーさんにお渡しするものがあったからです。」
「そうですか。でしたらそちらの机の上に毛皮を置いてください。今、母を呼んできますから。」
どうやら年配の女性はシェリーの娘であったようだ。確かに言われてみると口元がウォールドに似ている気がした。シェリーの娘はそのまま奥に戻り母親のシェリーを呼びに行った。
トリスは言われた通り、机の上に五匹分のオオカミの毛皮を皮袋から取り出した。このオオカミの毛皮はトリスとクレアが旅の途中で仕留めた物で三匹はトリス。二匹はクレアが仕留めた物だ。
トリスがオオカミの毛皮をテーブルに置いて暫くすると店の奥から先ほどの店員に付き添われた老婆が出てきた。老婆がシェリーであるならもう七十歳近い年齢なのに背筋はきちんと伸びており、足取りもしっかりしていた。白髪の多い髪を綺麗に束ね品のいい老婦人といった感じだった。
「あなたがトリスさんですか?初めまして私がシェリーです。本日はどのようなご用件でしょうか。」
老婆はシェリーと名乗りトリスに挨拶をしてきた。
「初めましてトリスです。本日は突然の訪問にも関わらずお会いして頂きありがとうございます。実は本日お伺いしたのはシェリーさんにお渡ししたい物があったからです。」
「これはこれは丁重な挨拶痛み入ります。ここで立ち話もなんですから奥のテーブルで話しましょう。アンナお茶とお茶請けの用意をお願い。」
「はい。わかりました。」
「では、トリスさん奥のテーブルに。毛皮はアンナがお茶を入れ終わりましたら鑑定しますので宜しいですか?」
「はい。ありがとうございます。」
トリスはシェリーに礼をいい案内されたテーブルに着いた。アンナがお茶を用意する間トリスとシェリーは取り留めの無い話をして待つことにした。
「粗茶ですがどうぞ。お茶請けのスコーンは自家製で下味がついているのでそのまま召し上がっても美味しいですよ。ジャムや糖蜜も用意しましたのでご自由にお使いください。」
「ありがとうございます。」
トリスはアンナが用意してくれたお茶を一口飲み、用意されたスコーンを一つ手に取り、一口サイズにちぎり口の中に入れた。スコーンは砂糖のほのかな甘みと牛乳の優しい味がして、口の中に広がり何もジャムや糖蜜をつけていないがこれだけでも十分美味しいと思える品だ。トリスは手に取った残りのスコーンも紅茶と一緒に食べ始めた。
「気に入っていただけたようで嬉しいです。さて私も頂きましょうか。」
シェリーはそう言うと用意されたジャムをお茶の中に入れ、スコーンにたっぷりと糖蜜をつけて食べていた。それを遠目で見ていたアンナが母親を叱りつけた。
「お母さんまたそんな食べ方をして。もう歳なんだからあまり身体に良くない食べ方は控えてください。」
「あら、いいじゃない。あなたもこの食べ方が一番美味しい食べ方だって認めているじゃない。老い先短い老人が好きな物くらい好きに食べていいでしょ。トリスさんもそう思うでしょ。」
話を振られたトリスは一瞬困惑してしまう。両方の言い分ももっともだが他人のトリスに意見を求められても困ると思った。だが、シェリーの食べ方を見てふっと思い出したことがあった。話のきっかけになると思い、思い出したことをそのまま口にしてみた。
「確かにシェリーさんとアンナさんの言い分もわかりますが、スコーンを食べる時は紅茶にミルクを入れるのが一番ですよ。そしてスコーンは下味をつけずに木苺のジャムをつけて食べるのが鉄板です。」
「その食べ方も確かに美味しいですが、スコーンを食べるときは母がしたようにするのが一番です。ねえ、お母さんもそう思うでしょ?」
「・・・・・・。」
トリスがスコーンの一番美味しい食べ方について話すとアンナは即座に反論して否定した。同意を求めるために母のシェリーに同意を求めたが母のシェリーは驚いた顔をしてトリスを見つめていた。
トリスはシェリーの様子を見て話のきっかけを掴む事ができたと思い今日訪問した目的をシェリーに話すことにした。
「美味しいスコーンの食べ方については後で議論することにして本日の訪問したことについて先にお話しします。先程もアンナさんにお話ししましたがシェリーさんにお渡しする物があります。」
驚いているシェリーをしり目にトリスは懐から布で包んだ一束の髪を取り出しシェリーに見せた。
「トリスさんこれは?」
「遺髪です。ウォールド・シリアファンプの遺髪です。」
トリスがそう言うとシェリーは大きく目を見開いて遺髪を凝視した。白髪が多く混じった遺髪はシェリーの髪の色と似ており、元の髪の色はシェリーの兄、ウォールド・シリアファンプの色を思わせた。
「帰ってください。」
シェリーが遺髪を凝視しているとアンナが突然声を荒げ叫んだ。トリスがアンナの方を振り向くと烈火のごとく怒りを表していた。トリスは内心予想はしていたのでアンナの怒りはもっともだと理解していた。
大賢者ウォールド・シリアファンプは二十五年前に存在していた生ける伝説だった。単独で活動していたのにその実績は凄まじかった。
冒険者の単独活動はどうしても限界が生じる。『塔』の中の魔物は単独で行動する物もいるが集団で行動する魔物の方が多かった。その為冒険者も必然的にパーティーを組み活動していた。
単独の冒険者もいない訳ではないが大概は駆け出しの冒険者で実力は高くなかった。
しかし大賢者ウォールド・シリアファンプは別格だった。単独でありながらトップランカーの冒険者パーティーと肩を並べ次々と『塔』の攻略をしていた。
また、魔術に関しての知識も深く、固有魔術も数多く開発していた。一般に使われる汎用魔術と比べてみるとその威力や効率の良い術式は神業と言っても過言ではなかった。彼は富や名声などにはあまり執着せず魔術師らしく知識を求めていた。ゆえに彼を『大賢者』と周囲は呼び、その二つ名が彼に定着した。
そんな大賢者ウォールド・シリアファンプは二十五年前に行方を眩ませた。行方を眩ませた日に彼が『塔』に行く姿を何人も見ていたので『塔』の中で何かが起きたのだと誰しもが思った。目撃情報から『塔』の救出隊が組まれ、ウォールドの捜索が始まった。
しかし『塔』の中は幾階にも分かれており彼がどの階層に行ったかは誰も知らなかった。結局当時の最高到達階層から順に下の階層へと捜索が行われたが結局彼の足取りを掴む事はできなかった。
大賢者ウォールド・シリアファンプは二十五年前に『塔』の中で行方不明になり死亡した。それが世間の認識であり、家族にもそのように連絡が行っていた。妻子のいない彼には兄と妹しか身内がいない。当然彼の遺品はその兄と妹に渡された。
大賢者の遺品。それだけを耳にするととてつもなく価値があると思える。彼が見つけた『塔』の戦利品。彼が考案したである固有魔術。想像するだけで冒険者や魔術師に財宝に思えてくる品々だ。
だが実際は大賢者の遺品とは彼が使っていた生活用品だけだった。なぜか彼の家には生活用品しか残っておらず、書籍なども市販で売られている物ばかりだった。冒険者や魔術師達が想像するようなものは一つもなかった。
それでも遺族にとっては故人の思い出が詰まった品だ、生活用品だけでも十分な遺品になるがどこの世にも勘違いする者やロクでも無い事をしでかす者はいる。
大賢者の遺品と聞きつけその遺品が価値のある物だと思い彼の生家を訪れる者は大勢いた。ウォールド知り合いや仲間だと名乗り兄のエーピルや妹のシェリーを言葉巧みに誘導し彼の遺品を奪おうとする。しかし実際の遺品は生活用品しかなく誰もが落胆していった。だが諦めの悪い者も中にはおり実際に家に忍び込んでまで彼の遺品を奪おうとする者がいた。
だがそれは一度として成功したことはない。店の扉にあるようにこの店には様々な魔術印が施されている。大賢者ウォールド・シリアファンプが生家の商売を守るために施した一級品の魔術印で店はある意味強固な要塞と化していた。
だが幾ら店が強固でも中に住む人は一般人だ。さらに泥棒が何度も店に入れば店の信用問題にもなる。その為遺族は大賢者ウォールド・シリアファンプ遺品を冒険者ギルドに渡したのだ。
冒険者ギルドもダリスの領主を通してシリアファンプ店で起きたことは把握していた。冒険者ギルドは遺族の安全を考え大賢者の遺品は全て冒険者ギルドが引き取ることにした。その結果遺品が冒険者ギルドに全て渡したことによりシリアファンプ店に遺品も求める者はいなくなったが、遺族は遺品を全て手放すことになってしまった。
当時のまだ十代だったアンナにとって伯父であるウォールドは時々店に訪れる大好きな伯父であった。アンナだけではない同じ親戚にいる従兄妹達にとってもウォールドは偉大な英雄であった。冒険者を続ける伯父は何時も面白い土産話を自分達に披露してくれた。珍しい戦利品を見付ければ加工してプレゼントしてくれた。自分も含め伯父のことは親族誰もが大好きだった。
それなのに欲に目がくらんだ連中のせいで伯父の遺品を全て手放すことになった。二十五年経った今でもそのことは心に残った傷跡でもあった。長年思い出すことは無かったがトリスが遺髪も持ってきた言った時、当時のことを思い出したアンナはトリスを軽蔑した。アンナにとってトリスも欲に目がくらんだ連中と同じに見えた。
だからアンナは烈火のごとく怒りを表しトリスを追い払おうとした。だがトリスは動じることなく穏やかにしていた。そんな態度のトリスにアンナは苛立ち思わずトリスに掴みかかろうとした時シェリーが思わぬことを口にした。
「紅茶に入れるミルクは山羊ですか?」
「いいえ、山羊も捨てがたいですが一番は牛ですね。」
「木苺のジャムが無ければ何をスコーンにつけます?」
「オレンジですね。皮を細切りにして実と一緒に煮つめたのがいいです。」
「お土産に幾つか持って帰りますか?」
「是非お願いします。市販品の物は口に合わないのでシェリーが作った物が一番美味しいから。」
シェリーの質問にトリスがそう答えるとシェリーは大粒の涙を流した。その涙は絶えることなくシェリーの老いた目からあふれ出てきた。シェリーはトリスが出した遺髪を大事に受け取り両手で抱きしめ声を上げて泣いた。二十五年ぶりに大好きな兄と再会した喜びに打ち震えながら。
アンナはその母の様子を見て困惑してしまった。トリスに向けた怒りを抑え、泣き崩れる母の背中を優しくさすった。トリスはそんな母娘の姿を見てここに訪れて良かったと心の底から思った。
「お見苦しいところをお見せしてしまいお恥ずかしいです。」
「お気になさらないでください。」
一頻り涙を流したシェリーは落ち着きを取り戻した後にトリスに謝罪した。トリスは気にすることは無いと言い残った紅茶を飲みほした。
そんな二人の様子を見てアンナの方は怒りは収まったが逆に困惑していた。この目の前の青年は一体何者なのか?なぜ二十五年前に亡くなった伯父の遺髪を持っているのか?最初は詐欺師かと思ったが母の様子からそれは無いと判断している。
「トリスさん。本日は兄の遺髪を届けてくださり誠にありがとうございます。ですがどうしてあなたが兄の遺髪をお持ちになっていたのですか?見たところあなたは随分お若い気がします。兄と直接会ったのだとしたら年齢的に不自然です。」
シェリーもアンナと同じ疑問を抱いていた。二十五年も前に死んだとされる兄と目の前の青年が交流があったとはとても思えない。
「まず、私の年齢ですが今年で四十二歳になります。見た目が若く見えますが中身はいい歳です。」
「え!?」
「私の一個下!」
トリスの発言にシェリーとアンナは驚いた。二十代に見える青年がまさか四十代とは思ってみなかった。だがそれなら辻褄はあうと思ったがトリスの次の発言にさらに驚いてしまった。
「ウォールドさんとは二十年前にお会いして二ヶ月ほど前まで一緒にいました。二ヶ月前にウォールドさんが倒れそのまま亡くなりました。ご遺体は荼毘に付しこれから埋葬しようと思っています。」
「二か月前まで生きていた?」
「叔父さんは二十五年前に亡くなったのでは?」
トリスの言葉にシェリーとアンナは只々驚きと困惑を深めていった。
前回が夜中の零時に投降したので本日二回目の投稿になります。
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