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第12話 封鎖壁の秘密

編集東の分水路で回収した壺を布に包み、私は村人たちとともに北の溢水路へ向かった。壺の中から出てきた乳白色の玉は、掌に載せると見た目より重い。表面には細い溝が一周しており、ただの飾りには見えなかった。だが、今は正体を決めつけるべきではない。灰野水利網の管理図には、北の溢水路の脇に小さな丸印が描かれていた。玉と同じ形に見えたのは、偶然かもしれない。すでに水を取り戻した貯水槽を背に、私たちは乾いた水路沿いを進んだ。北へ行くにつれて地面は緩やかに下がり、背丈ほどの雑草が道を塞いでいる。村人たちは鎌で草を払い、私は管理図と周囲の地形を見比べた。「ここから先は、昔もほとんど使わなかった」先頭を歩いていた年配の村人が、崩れた石垣を指した。「大雨のときだけ水が流れる場所だと聞いてる。子どもの頃には、もう埋まりかけていたよ」溢水路は、貯水槽や分水路に水が集まりすぎたとき、余分な水を村の外へ逃がすための道だ。普段は乾いていても不思議ではない。しかし管理図では、北の溢水路だけが他より太い線で描かれていた。単なる排水路なら、ここまで目立たせる理由が分からない。石垣の切れ目を越えると、土に埋もれた浅い溝が現れた。幅は大人二人が並べるほどある。底には枯れ葉と泥が積もり、その上を細い木の根が這っていた。私は溝へ下り、杖の先で泥を探った。数歩進んだところで、硬いものに当たる。「石か?」村人の一人が鍬を持って下りてきた。「待ってください。表面を傷つけないように、周りから掘りましょう」三人で泥をすくい出すと、平らな石板が姿を現した。長方形で、片側に鉄の輪が付いている。輪は赤く錆びていたが、完全には朽ちていない。石板へ手を触れ、意識を集中させる。【北側溢水路・流量調整板】

【状態:固着】

【欠損:浮き錘一個】

【注意:閉鎖状態での通水は、上流部の水位上昇を招く】「調整板だ」私は思わず声を上げた。「調査板じゃなくて、水の量を調整する板か?」村人が首をかしげる。「はい。今は閉じたまま固まっています。この状態で貯水槽へ大量の水が入れば、逃げ場を失った水が上流に溜まる。最悪の場合、せっかく直した水路が壊れます」喜びかけていた村人たちの表情が引き締まった。貯水槽に水が戻ったことだけを見て、問題が解決したと思い込んでいた。だが水利網は、取水、貯水、分配、排水が一つにつながっている。どこか一つだけ直せばいいわけではない。私は布包みから乳白色の玉を取り出した。鑑定には「浮き錘一個の欠損」と出ている。玉の溝は、紐や金具を掛けるためのものにも見えた。「その玉が、足りない部品なのか?」「可能性はあります。でも、まだ断定できません」玉を調整板のそばへ近づけると、表面に付着していた泥の一部が、かすかに震えた。見間違いかと思い、もう一度離してから近づける。今度は鉄の輪の奥で、小さく金属が鳴った。村人たちも息を止めた。「反応したぞ」「中に仕掛けが残っているようです」調整板の端をさらに掘ると、石の下から細い青銅の管が現れた。管は脇の小さな箱へつながっている。箱の蓋には、壺の玉と同じ幅の円い窪みがあった。私は玉を窪みに置こうとして、手を止めた。鑑定結果には、この部品を戻せば安全だとは書かれていない。固着した調整板に無理やり仕掛けを作動させれば、急に水が流れ込むかもしれない。上流の水量も、下流の状態も確認できていない。「今日は動かしません」期待を込めて見ていた村人たちに告げると、一人が不満そうに眉を寄せた。「ここまで来て、試さないのか?」「壊れている仕掛けを、正しい部品らしいというだけで動かすのは危険です。下流が塞がっていれば、水が村へ逆流します」「だが、鑑定で分かるんだろう?」その言葉に、私は一瞬だけ返答を詰まらせた。鑑定は万能ではない。物の状態や価値は見えても、周囲で何が起きるかまで教えてくれるわけではない。城の者たちは私の職業を役立たずと決めつけたが、反対に、今の村人たちが鑑定を何でも解決できる力だと思い始めるのも危険だった。「分かることと、分からないことがあります」私は玉を布へ戻した。「だから、分からない部分は自分たちで確かめます。下流を調べて、板の構造を確認して、それから動かす。急いで壊せば、直す前より悪くなります」しばらく沈黙が続いた。やがて、年配の村人が鍬を肩へ担いだ。「湊の言う通りだ。水は待ってくれんが、失敗した水はもっと待ってくれん。まず先を見よう」その一言で、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。村人たちは二手に分かれ、一方は調整板の周囲を掘り、もう一方は下流の溢水路を確認することになった。私は下流側へ向かった。溝は北の斜面に沿って曲がり、やがて岩壁の前で途切れていた。管理図では、その先にも線が続いている。岩壁は自然に崩れたように見えたが、近づくと石の大きさが揃っている。誰かが意図的に積んだ跡だった。「塞いだのか?」村人が石を叩く。乾いた音の奥に、わずかな空洞の響きがあった。私は壁面を鑑定した。【北側溢水路・封鎖壁】

【施工目的:逆流防止】

【状態:一部劣化】

【警告:壁面奥に滞水あり】「下がってください!」声を上げた直後、石の隙間から細い水が噴き出した。村人たちが慌てて後ろへ跳ぶ。水はすぐに止まったが、壁の内側から低い震動が伝わってきた。耳を澄ますと、岩の向こうで水が動く音がする。下流は乾いていると思っていた。だが封鎖壁の奥には、今も水が溜まっている。「この壁を崩したら、一気に来るかもしれないな」「はい。調整板より先に、こちらの水を逃がす方法が必要です」私は管理図を開き、北側の線を指で追った。封鎖壁の先で溢水路は二つに分かれ、一方は村の外へ、もう一方は北山の地下へ伸びている。だが、分岐点の記号だけが泥で擦れ、読めなくなっていた。そのとき、壁の近くを調べていた村人が声を上げた。「湊、ここにも丸い穴があるぞ」崩れかけた石の陰に、拳ほどの円孔があった。縁には青銅の枠が残り、乳白色の玉とよく似た溝が刻まれている。壺の玉は、調整板の浮き錘ではないのかもしれない。あるいは、一つの部品が複数の仕掛けを連動させていた可能性もある。私は玉を取り出した。円孔へ近づけると、壁の奥で、今度ははっきりと何かが動いた。ごとり、と重い音がした。直後、足元の水路へ一筋の水が流れ出した。流れ出した水は泥の上に細い筋をつくり、斜面の方へ吸い込まれていった。私はしゃがみ込み、指先で水の匂いを確かめる。濁りは薄く、腐った臭いもない。長く閉じ込められていた水にしては澄みすぎていた。「壁の向こうで、今も水が入れ替わっているのかもしれません」「じゃあ、ここを開けば使える水が増えるのか?」「増えるとは限りません。地下へ抜ける水を無理に引けば、北山の地盤を崩す可能性もあります」期待を抑える言葉になったが、村人たちは不満を口にしなかった。壁の震えと、噴き出した水を自分の目で見たからだろう。私は円孔の周囲を洗った。泥の下から三本の短い線と、一つの矢印が現れる。矢印は下を向いていた。管理図の分岐点にも、同じ形の記号がかすかに残っている。「これは開閉の印じゃない。水位を逃がすための点検口です。玉を近づけたことで、奥の弁が少し動いたんだと思います」「なら、玉をはめれば完全に開く?」「その可能性はあります。でも、今ははめません」誰もが見落としてきた価値を見抜く力が、私にはあった。だが、価値を見つけることと、安全に使うことは別だ。急いで役立てようとすれば、それ自体を壊しかねない。「今日は周囲に印を付けます。明日は上流と下流の高さを測りましょう。水位の差が分かれば、水の動きを予測できます」「測る道具はあるのか?」「真っすぐな棒と紐、水を張った細い管があれば作れます」村人たちは顔を見合わせ、必要な物を口にし始めた。長い紐なら納屋にある。竹筒は畑の脇から切り出せる。目盛りを刻む板には、壊れた柵を使える。少し前まで、調査は私が答えを示し、村人たちが半信半疑で手を貸す形だった。今は私が危険を伝えると、彼ら自身が確かめる方法を考え始めている。日が傾き、溢水路の底へ長い影が落ちた。私たちは調整板と封鎖壁の周囲に杭を打ち、赤い布を結んだ。最後に、細い水の行方を追うため、小さな木片を浮かべる。木片は斜面へ流れると思った。だが数歩先で向きを変え、封鎖壁の脇にある石の隙間へ吸い込まれた。そこには、管理図にない細い水路があった。私は泥を払い、石の縁に刻まれた文字を読む。――北山導水路・第二取入口。村人たちの間から、どよめきが上がった。北の溢水路は、余った水を捨てるだけの道ではない。この先には、まだ別の水源が眠っている。

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