第11話 東の分水路に到着
編集集会所の長机いっぱいに、貯水槽の底から見つかった灰野水利網の管理図を広げた。古びた羊皮紙には、村を中心に何本もの線が走っている。太い線は本流、細い線は分水路らしい。ところどころに水門や貯水池を示す印があり、東の端には見慣れない丸印が三つ並んでいた。窓の外からは、水桶を運ぶ村人たちの声が聞こえる。昨日まで一杯の水にも気を遣っていた村で、今日は井戸端に笑い声が戻っていた。その変化を目にするたび、貯水槽を開けた意味を実感する。「地下水脈の位置は、ここで間違いない」私は貯水槽の位置を指で示した。調整板を直したことで水量は安定し、当面の水不足は解消できた。だが、管理図を見るかぎり、あの貯水槽は水利網の一部にすぎない。集まった村人たちが、机を囲んで図面をのぞき込む。「こんなに水路があったのか……」レオが低くつぶやいた。「今使っている南の水路しか残っていないと思っていた」村長も険しい顔で図面を見つめている。紙の端は腐食し、文字の半分はかすれていたが、村の東西へ伸びる線だけは判別できた。年配の村人が、東側の線を見て眉を寄せた。「子どもの頃、あっちの林で石の溝を見た覚えがある。親父には近づくなと言われたが……あれが水路だったのかもしれん」「今も残っている可能性があります」私が答えると、周囲から小さなどよめきが起きた。以前なら、私の言葉に耳を貸す者は少なかった。けれど今は、少なくとも最初から笑い飛ばされることはない。それだけでも、貯水槽の調査は水以外のものを村にもたらしたのだと思えた。そのとき、帳簿を抱えた優菜さんが私の隣に立った。彼女は村の記録係を手伝っており、祖父の代から残る古文書にも詳しい。「東の分水路、この印が気になるわね」優菜さんは丸印の一つを指した。「昔の作業記録に、『第一沈砂池』という名前が何度か出てくるの。場所までは分からなかったけれど、この印がそうかもしれない」「沈砂池?」「水に混じった砂や泥を沈める場所よ。そこが詰まれば、下流の水路も使えなくなる」私は図面の線を目で追った。東の分水路は第一沈砂池を通り、その先で畑へ向かう水路と、村外れの建物へ向かう水路に分かれている。「次に調べるなら、ここだと思います」私が言うと、ダレスが腕を組んだ。「水はもう出た。わざわざ崩れた水路まで調べる必要があるのか?」「今の地下水だけに頼れば、また詰まったときに村全体が困ります。それに東の水路が使えれば、畑まで水を運ぶ手間も減らせるはずです」「だが、畑仕事を止めて人を出す余裕はないぞ」「だから、最初は少人数で状態だけ確認します。使えないなら戻ればいい。直せる状態なら、必要な人数と材料を調べてから相談します」すぐに賛成の声は上がらなかった。水不足が解消したばかりで、村人たちが新しい作業に慎重になるのも無理はない。壊れた設備に時間を使い、何も得られなければ、その負担は村全体に返ってくる。私は管理図の端に書かれた小さな文字を指した。「ここに『共同倉庫』とあります。水路の先に倉庫があったなら、補修用の石材や道具が残っている可能性もあります」優菜さんが頷いた。「調べる価値はあると思う。水路をすぐ直すと決めるわけではないわ。判断するための情報を取りに行くのよ」村長はしばらく黙っていたが、やがて図面から顔を上げた。「日が高いうちに戻ること。崩れた場所へ無理に入らないこと。その二つを守れるなら行ってこい」結局、翌朝に私とレオ、優菜さんの三人で東の分水路を見に行くことになった。翌日、私たちは縄、短いシャベル、油を入れた灯りを背負い、村の居住区を抜けた。人が暮らしている家々の先には、屋根の落ちた廃屋や崩れかけた石垣が残っている。足元には、ひび割れた石畳が森の方角へ続いていた。「この道、昔は荷車が通っていたみたいね」優菜さんが屈み、石畳の轍をなぞる。道の脇には、扉の外れた小さな倉庫があった。中を確かめると、腐った木桶と折れた柄しか残っていない。だが壁には、水門の形を描いた薄い墨書きが残されていた。「管理用の小屋だったのかもしれません」私は墨書きの形を紙に写した。今すぐ役に立たなくても、先で同じ水門を見つけたときに手掛かりになる。管理図と方角を照らし合わせながら進むと、やがて土砂に埋もれた石組みの溝が見つかった。幅は人一人がまたげるほどで、底には枯れ葉と泥が厚く積もっている。私は溝の縁に手を置き、鑑定を使った。『東第一分水路』
『状態:閉塞』
『主因:上流部の沈砂池崩落』
『残存価値:高』
『備考:水門機構の一部は再利用可能』胸の奥が熱くなる。「当たりです。この先に沈砂池があります。水門も完全には壊れていません」「本当に分かるのか?」レオが溝の先を見た。「少なくとも、この水路は捨てるしかない状態ではありません」「それなら、来た意味はあったわね」優菜さんは素直に笑った。私の鑑定結果を鵜呑みにするのではなく、図面や記録と照らして価値を確かめてくれる。その姿勢がありがたかった。私たちは枝を払いながら上流へ進んだ。しばらくすると、半円形に積まれた石壁が姿を現した。だが中央は崩れ、大きな石と土砂が水路を塞いでいる。雨水が染み出した跡はあるものの、流れは完全に止まっていた。壁の脇には、錆びた鉄の取っ手が突き出していた。「これが水門かしら」優菜さんが土を払う。私は取っ手の周囲を調べた。無理に動かせば折れそうだったが、根元の石枠はまだ保たれている。近くに落ちていた木片で泥をかき出すと、取っ手の下から歯車の一部が見えた。『沈砂池排砂門』
『状態:固着』
『修復条件:堆積物の除去、軸受けの洗浄、欠損歯車の交換』「直せます。ただし、先に中の土砂を出さないと危険です」レオが石壁を叩き、音を確かめた。「三人では無理だな。村から人を呼ぼう」私は頷きながら、必要な作業を書き留めた。土砂を運ぶ籠、石壁を支える木材、歯車を作れる鍛冶職人。修復できると分かっても、すぐ水が流せるわけではない。価値を見つけることと、実際に使える形へ戻すことは別の仕事だ。そのとき、優菜さんが崩れた石の隙間をのぞき込んだ。「待って。奥に何かある」私たちは慎重に小さな石を取り除いた。すると、壁の内側に人の腕が入るほどの空洞が現れた。そこから冷たい空気が流れ出してくる。灯りを近づけると、空洞の奥に白い陶器の縁が見えた。私は手を伸ばし、泥に埋もれた小さな壺を引き出した。表面には、管理図と同じ三重丸の印が刻まれている。蓋は蝋のようなもので固められ、中には何も入っていないようだった。「水路の標識でしょうか」泥を拭うと、壺の側面に細かな文字が浮かんだ。優菜さんは目を細め、指先で文字を追った。「古い水利組合の記号ね。たぶん、作業員への注意書きだわ」そして、ゆっくり読み上げた。「『東門を開く前に、北の溢水路を確かめよ』……」レオの顔から血の気が引いた。「北の溢水路? そんなもの、誰も聞いたことがないぞ」私は管理図を広げ直した。北側の線は大きく破れており、その先が何につながるのか分からない。東門を開けば増えた水が北へ逃げる仕組みなのか、それとも北の水路が塞がれていると別の場所が溢れるのか。警告だけでは判断できなかった。だが、壺に刻まれた言葉が正しいなら、東の水門を直す前に確認すべき場所がある。「先に北を調べます」私が言うと、優菜さんも真剣な顔で頷いた。「ええ。これは昔の人が残した手順よ。意味が分からないまま無視するべきではないわ」レオは森の北側へ目を向けた。「あっちは崖地だ。行くなら、もっと長い縄と案内できる者がいる」水不足は解決した。けれど、村の地下には、まだ誰も知らない水の道が眠っている。私は壺を抱え、破れた管理図の北端を見つめた。




