商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか⑰
「夜明けまで残り三時間、ってところか。期待はしてなかったけどさ、結構頑張ったんじゃないかい?ベオ」
其処から外界を眺めれば、闇夜でも電光にその腹を照らされて未だ燻る黒煙と、根元には炎の赤。戦いの余韻は残響となって、昼間に目にしたそれとは全く姿を変えたそんな夜の街の光景が、窓の向こうに広がっている。
しかしやはりこの場は天上の世界。下界の喧騒は彼方へと遠のき、過去の世界では当たり前の、本来のそうあるべきその姿、取り戻された静謐で満たされた夜。
そういえばドウケンの言葉は正しくシズマが本当に最後の関門であって、後は最後のエレベーターに乗り、照明の落とされた最上階フロアを進み、その終着地点である会長室では宣言の通り、何も変わらぬ姿でベルが待っていた。
「まあ、あんまり褒められるような道中じゃあ無かったけどな」
数時間前、三上に抱えられて地上へと投げ落とされた後。あの悪趣味な防衛兵器、バルバロイとある意味では可哀そうな守備隊を突破し、アリスの無事を確認して。最も高い壁であったエインヘリヤルとの戦いでは、ドウケンには送り出され、シズマとの対峙では、オルターより背を押されて。
そうして、決して一人の力では無く。多くの助けを得て、俺は辿り着いた。
「いや、本当だよね。全部が全部ギリギリ。何か一つでも欠けていればまるで足りていない、今までもそうだったけど、これからも君は、そんなつもりで生きていくつもりなのかな?」
「ああ、そりゃあそうだ。これか俺が選んだ生き方だからな」
今までもそうだった。これからもきっと、そうなのだろう。独りでなく、誰かと共に在る為に。そんなこの生き方を押し通す為に、俺は此処まで来たのだ。今更、違えるつもりはさらさら無い。
「なら、後はどうすれば良いのか。分かっているね?」
「・・・ああ、分かってる」
これから、今夜最後の戦いが始まる。
この世界が辿る終焉、それを受け入れるのか、抗うのか。それだけを決めるための戦いが。
その結果に何が待っているのかは未だ分からないまま、分からなくても、失う事が嫌だというわがままで、これに抗うと決めたのだから。先ずはその第一歩、目の前に在る、九界の支配者にして、黄金の王。ベル・バルドルを、俺は納得させなければならないのだ。
「初めに、ルールを決めておこうか。君は、持てる限りの全ての力を振り絞って、僕に向かって来るといい。その結果に僕が安心を得る事が出来たら、君の勝ちだ」
「何だよ、安心って」
「安心は、安心さ。何時だか、君に話した事が有っただろう?人間が最も必要とするモノ。それが安心だって」
ああ、そういえば数か月前、オルターとの戦いの後で、ベルがそう言っていた。
安心が無ければ人は生きていけない。安心する事こそが、人にとっても最も高価な、他に類のない必要な事なのだと。
「相変わらず、訳の分からんことを言うよな、お前は」
「一万年も生きてみれば分かるさ。まあ、君は生まれたばかりだからさ。何時かきっと、僕の言っている意味が分かると思うよ」
「ああ、そうかい」
真っ直ぐに前を見る。其処にはやはり、何時もと変わらない、ちょっとイラつくにやけ面を浮かべたベルが立っている。やはりその心に浮かべる匂いは分からないので、一体どういう心境で、コイツが此処に在るのかは分からない。今更ではあるがやはりそれは、何故か寂しく、少しだけ残念に想ったから。
「・・・なぁ」
だから一つ。始める前に、聞いておきたいことが有る。
「そういえばさ、前に言っていたよな。お前はもう、自分の一番やりたかった事を終えていて、後の事はどうでも良いって。結局、その一番やりたかったことってのは、一体どんな事だったんだ?」
「そうだね」
其処には、どんな意味が在ったのだろうか。
瞬きの様な刹那、俺の問いに本心から応えようとしたからなのか。何時もの人をからかう様な嫌な顔でも、時折見せていた冷徹で残酷な支配者のそれでもなく。
初めて見せたその表情を、俺は何と呼べば良いのか知らない。だけど、間違いなく同じその感情を、安心の意味について知った朝と、そう遠くない時に目の当たりにしたのだ。
「うん。これについても、僕を安心させる事が出来れば、そのついでに答えを教えてあげるよ」
まるで誤魔化す様に、それでも楽しそうに笑いながら、ベルが乾いた音で指を鳴らす。
その瞬間、世界は別の世界によって浸食された。
格調高い調度品で纏められた、近代的な会長室は内側から弾けた。足を踏みしめていたカーペットは燃え尽きて、現れたのは赤い岩と、砂で全てが占められた、果てしない荒野。
雲一つない、黎明の空には瞬く星は無く。ただ銀の真円が浮かび、地平線の彼方には明けきらぬ日の光が滲む。永遠にその瞬間が固定された世界には、天と地の二つしか存在していない。
そして、其処に立つ者は二人。俺ともう一人、その真なる姿で目の前に立ちはだかる男。
「さて、この姿を目の当たりにする人間は、随分と久しぶりになる。僕は暫くこの鎧を纏う事は無かったし、だからこのほしが神から、人によって紡がれる事となって二千年。広く狭い人の世界には何もかもが大きすぎる故に、その間に示される事の無かった、僕という存在がどういったモノなのかという事について、少しだけ説明しておこうか」
この地球上に存在する全ての宝物を集めたとしても、これ程に輝く事は無いだろう。照らす光なくとも、己が内から放たれた光で。一人どれ程に暗い、果ての無い深淵に堕ちたとしても。その地の底であってもきっと、最も強く、まばゆい程に瞬く。それは正に、黄金の星。
「この輝きは、『王』の権能の極地。何者にも侵される事の無い、絶対の王権と、本来の人間が持っていた、ほしのひかりの欠片の集合体。さて、この一万年の間で、他から僕が呼ばれた名は幾つかあるけれど。その中でも最も古いその名と、光の王、バルドルの名を合わせて、この身が何なのか応えよう」
どの様な神話でも、物語であっても必ず其処に在る存在。
それは最大にして最強の絶対者。唯一無二、頂点の一。人はこのカタチを、王と呼ぶ。
「『バァル・バルドル』それが、僕が誰なのかという一つの答えさ」
黄金に輝く鎧を纏った光の王は、そう宣言して一歩を踏みしめ、久しく無かった主の顕現を言祝ぐ様に赤の荒野を揺らした。
「ベオくん。王という存在はどういうモノで、一体何時頃から存在しているのか。君は知っているかい?」
それは数日前。対バルドルの作戦が煮詰まりつつある最中でマナから問われた問いだ。
「確か人類の黎明期、確立や自然環境に左右される不安定な狩猟・採集生活を中心とする家族単位での生活形態から、より大きな集団での共同作業が必要だけど、ずっと安定した食糧確保を可能とする農耕生活への移行と共に、それが必要となった際に発生した、集団を統率するリーダーが原型とかってドキュメントか何かで見たような気がする」
「うん。君が生まれたばかりで、ニヴルヘイムへとやってきてすぐ。引きこもり生活中に一緒に見た、『良い子も悪い子もすごく分かる人類のあけぼの』で見た内容だね」
「ああ、そんな番組だったな」
それは国家という概念すら生まれていない時代、群という少数単位で人類が暮らし始めた遠い過去のお話。
より安定した、より安全な生活。それを求めた結果、この星に良くて数千というか弱い存在の生き物でしかなかった人類は、飛躍的に数を増やしていく。その結果に集団同士の生活圏の拡張、その摩擦の増加。その果てに互いの土地、資源を奪い合うこととなり、他の生物では見られない同種、それも集団同士の争いが発生した。
加えてイデオロギーや思想など、元々は生きる事に必要でなかった理由も追加し、複雑化する事によって、より明確に人間同士で命を消費する戦争が発明されたのだという。
生きる為に群れる事にしたのに、そのせいで争いの規模が多く、そして大きくなってしまったという事は、なんというか、皮肉以外の何物でもない気がする。
そしてその先導者とは、姿かたちは時代によって異なろうと、何時も王と呼ばれる存在である。
「それは表側、というよりは現在の世界が選択され、拡張する際に採用された、一つの小さな世界での顛末なんだ。マグノリアさんが言っていただろう?過去、この星の上には複数の世界が在って、その全ては別たれていた。それが人類という全体意識の芽生えと、単純に数の増加。そして何より科学技術の発展により、世界は互いの存在を認知して、広く繋がっていった。それは先程君が言っていた、人類の、国家としての萌芽。最小単位である群の発展と、その結果に発生したそれ同士の戦争という衝突、そして融合と統合という過程と結果に良く似ているね」
その統合される前の一つ。今より一万年前、これはベルの在った世界で起きたお話である。
「さて、そんな分かたれていた世界の一つであった、ベルの居たという世界。それがどんなモノであったかは、今では何も分からない。その全ては収穫されてしまい、世界からも失われてしまったそれを覚えているのは、もうベルだけだ。問題はその後、その世界で最後の一人となったベルに起きた変化の話だよ」
其処に残った余計、生まれてもいない俺はともかく。全てが滅んだ世界で、最後に其処に残ったベルは。唯一、たった一人の人間となったのだ。
「皮肉な話だけどね。それまで世界が滅んだ事なんて有っただろうけど、その滅んだ後に、たった一人誰かが残るだなんて事は無かった。その為に、その世界に在る全ては、其処に在るたった一人、生き残ったベルに所有権が発生してしまったんだ。だからこそ、彼はその誰も居ない世界での王となった。唯一にして絶対の権力者と言えば聞こえはいいけれど、要は他に誰も居ないからという理由で、彼は治める国も、民も居ない世界で、只一人の王様になってしまったんだよ」
それだけで終わっていれば、ベルは一人きりの世界の、孤独な王としてその生涯を終えていたのだろう。しかし、そうならなかった理由は、そもそもの滅びの元凶、世界を収穫した存在、今は黄昏と呼ばれるそれに在る。
「その黄昏の勝手なルール。生きてもいなければ死んでもいない君という余分のせいで、最後の一人になっていない、そんな理由でベルは死ぬことを許されなかった。たった一人残った孤独の王は生き続け、人の身を越えて、意図せずその身に、ほしの塵を集め続ける事になる」
ほしの塵、それは今、魔素と呼ばれている。つまり魔術の基となる、秘められていた元素である。
魔素による生物への影響、その結果が過去に在った英雄、半神。そして怪物たちであったというのは今の常識である。
それが遥かな過去、今よりも大気に満ちる魔素の量が多く漂っていた、神秘の時代。その時代に生きた、数十年、又は数百年という時間。神話に在る登場人物はその時代で活躍して名を残し、今に語り継がれる存在となっている。過去に在った、今はもう無いソレとして。
「けれど、ベルは、ベルだけはその時代を超えて今も生き続けている。そしてその間も魔素をその身体に取り込み続けて、一万年という永い時間を越えた、唯一の生物に成り果てた。それはつまり、彼よりもその身に在る権能を育て、磨き続けた存在は居ないという事実を示しているのさ」




