商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか⑬
「バルドルと本格的に争う前に。ベオ様に一つ、最も注意すべき対象について説明しておくべきですわね」
ヴァルハラへと招かれる前日、分かれて潜入する段取りであったため、予め幾らかの対策をまとめた作戦会議を終えたところで俺一人呼び止められ、神妙な面持ちでそう言ったのはマグノリアであった。
「勿論、九界最強の戦力と目される戦乙女は最大の脅威でしょう。ですが、あくまで最大の脅威の一つ、であると断言させていただきますわ」
「その言い方だと最大の脅威ってのが、複数存在する様に聞こえるんだけど」
「残念ながら仰るとおりなのです。戦乙女が人の力の最たる先端で在るとすれば、それとは全く逆の方向に存在する存在、つまり連盟の騎士たる私たちの様な。それは神秘の理において、その先端に在る者たち」
その存在を、『伝承保持者』と呼ぶという。
「伝承体が、このほしに刻まれた伝承という記憶の再現という幻影で有るのならば。伝承保持者とは、伝承をそのままのかたちで、過去より今に至るまで保持し続けている実像なのです。その程度や、権能に違いは有るとしても、明らかに通常の伝承体と比べてその全てを凌駕するという、何もかもが規格外の存在なのですわ」
それは特殊な家系に流れる血統や、一つの宗教体系などに連綿と受け継がれて来たというおとぎ話。人の身でありながら自らを伝承の再現体として、超常の奇跡を引き起こす規格外なのだ。
「連盟においてもごく少数の騎士のみがこれを保持し、他にも記録に残る実例は極僅か。鹿島の長や幹部クラス、神域解放戦線という神代の残り香を保つ人外が該当いたしますが、殆ど表立って現れる事の無い埒外の存在なのです」
「その説明を今するって事は、まあ、そういう事だよな」
「ええ、間違いなくバルドルには存在しています。特にエインヘリヤルと呼ばれる特務に数名と、バルドル本社社長である三上氏。そして、今は事実として判明してしまいましたが、人間でありながら一万年の時を生きているというベル・バルドル氏。彼らについては間違いなく、伝承保持者であると、この場で断定してもよろしいでしょうね」
数か月前に争ったパズズという伝承体、あれだけでも相当の被害と、放置していればこの九界自体を滅ぼしかねない災厄で有ったが。つまり下手をすれば、あのパズズよりももっと厄介な連中がバルドルには控えているのだという事か。
「ですので、これに対しての対策は必須となります。月夜見様のムナカタが通常兵装や物理的な効果に対抗する護りの極みであるなら、神秘に対する有効策はやはり神秘。元より貴方様にお預けしています『嵐の抱擁』は一級の伝承兵装であり、伝承保持者との戦いでも大きく役立ってくれるでしょう。ですが、これだけでは、まだ足りません」
そう言って目の前に、マグノリアが小さく音を立てて置いたのは小さな箱であった。
始めは真剣な面持ちの彼女であったが、それが続く言葉を待って見つめていると、何故なのか真っ赤に赤面して、少し顔を逸らして今までの様子とは違った様子でたどたどしく述べる。
「ですからその、これは緊急避難的な方法と言いますか。その、こういった順序はもっと時間をかけて段階を踏むべきであると理解しています、ええ。しかし最早、他に備えるための有用な策も、時間の猶予も有りません、はい。しかし、ベオ様は私の想定していた以上に幼く、いえ、だからといって私の想いは、微塵も揺らぐ事の無い真実でありまして、その」
何に対する言い訳なのか、しばらくまごまごして、意を決したようにマグノリアがその小さな箱を開くと、其処に収められていたのは、黒く錆びついた、小さな指輪であった。
「ああもう、当たって砕けろですわ、私。さあベオ様。その指輪を、貴方様の、その」
ふるふると震えるマグノリアの指先が示したのは、俺の左手である。
「・・・その左手の薬指に、通してくださいませんか?」
「うん、これで良いのかな?」
「ああ、そんないきなり!やはり心の準備が!」
何故だか慌てているマグノリアだったが、俺の勢いは止まらず、そのままその指輪を指に通すと、始めは少し大きめに感じていたそれが、事前にサイズでも合わせていたのかの様にピッタリと収まった。
「うぉ、眩しい!」
そして一瞬、まばゆく輝いたと思うと、あれ程黒く錆びついた指輪は。今は別物の様に、明るく白銀に輝いている、それを身に付けているだけなのに、何処か暖かさすら感じられる様だ。
「・・・これは、すごいな。まるで磨き上げたみたいにピッカピカだ」
「ああ、やりましたわ!その輝きは間違いなく、誠心の証!それこそが『乙女の護り』の発現であり、つまり私とベオ様は相思相愛、ですわ!」
いやっほう、と小躍りしながらはしゃいでいるマグノリアの、その後の説明はとても簡素なモノであった。しかしそれが、本命のベルと対決する前から早々に大きな助けになってくれるとは。
「成程。バルドルを敵に回すにあたって、準備は万全という事か、ベオ!」
「そういう事だ!借り物ばっかりで、ちょっと恰好はつかないけどな。その辺は勘弁してくれ!」
目の前の空間に、突き出された巨木の一撃。触れただけで五体を砕くであろうその明王の拳を阻み、止めているのは三鼎の様に組み合わされて、白から今は白銀に輝く三枚の羽。
指輪を指に付けた瞬間から、元々淡く白いムナカタは指輪に感応する様に強く白銀に輝き、より機敏に、そして今も。前言の通り、律儀に徒手のみの攻撃方法で、それでも俺などはその一撃で簡単に再起不能にしてしまう威力を秘めた明王の拳を、確かに受け止めてくれている。
マグノリアの鎧に秘めた力の一つ。対象の人物が条件を満たす事により、聖堂たる鎧と同じ守護の力をその身に宿らせる、『乙女の護り』というものだ。
その条件というのがどういったモノなのかは、何故なのかはぐらかされて教えてはくれなかったが、マグノリアが託してくれた物だ。きっと悪い事ではないのだろう。
「ははは、謙遜は止せ!それ程の宝具を託す相手と見込まれる、という事も立派なお前の能力の一部。人を束ねる力は、その極致たる黄金の王、ベル・バルドルへと抗う為の第一歩と知れ!」
「ご教授、どうも!」
防御は強化されたムナカタに任せきりで、攻撃に専心してどうにか互角。
いや、ドウケンは本当に俺を試すつもりの様で、顕現した明王の化身はその名を示す烈火の権能を少しも使用していない。つまり加減されていて、それでやっと拮抗といったところか。
「ああそうだ。だからこそ、ここからもう一歩、更なる一手を引き出さなければ、お前にこの先は無いぞ!」
「分かってんだよ、そんな事は!」
赤黒く、鎧の様な筋肉で覆われた腹を殴り、手に伝わる岩でも殴ったかのような痺れで目の奥を白くさせながらも、朝のあの場ではまだ効果が見られたミョルニルの雷撃を放つ。
高電圧のスタンガンどころでは無いそれも、この相手には全くの無傷。その肌を焦がす事すら出来ずに、逆に手首に痛みを残す始末。
「全く、出鱈目だなオイ!」
躊躇わずハティの弾丸をばら撒くが、後に残るのはその音だけ。視界の端には床に潰れた弾丸が転がる様だけが見え、やはり対する明王は少しもその身に傷は無い。
「すまんがこうなった俺に銃弾の類は意味が無いぞ」
「ああ、そうだろうよ!」
言いつつ迫る拳をムナカタで防ぎ、後に続く横薙ぎの蹴りを思い切りしゃがんで前に。
振り切って棒立ちの軸足に今度はこちらからだと蹴りを入れてみるが、胴を殴った時以上に堅く、そして重い反動を喰らうばかり。やはりドウケンの言う手数が、俺には全く足りていない。
この状況が続く場合、悪く言って千日手、そのまま夜明けを迎えて時間制限になってしまえば、全てがおしまいになってしまう。
加減をしてもらっている身分で情けないし、本当に申し訳ないが、今はとにかく一刻も早くにこの場を切り抜ける必要が有るだろう。多少、卑怯な手を使う事になったとしても。
交わす数合、タイミングを見計らう。チャンスは一瞬、明王の、見上げるその体躯故に、死角となるコンマ数秒、振り下ろしの左を躱した瞬間に。
「ここ、だぁ!」
「何と!?」
スライディングで股下を抜けながら、嵐の抱擁の刃から発せられた風圧を利用して跳躍する。
俺の背を追って下方、上空へと追うドウケンの視線は僅かに遅れて、無防備な背に上方から、右肩に打ち下ろした斧の一撃は、やはり骨に響くような鈍い手ごたえで。
しかしその刃に太古の嵐の記憶を刻む斧槍は期待に応える形で鉄壁の肌を薄く裂き、重さで肉を割り。ようやく目に見えた有効打、半ばその険峻に踏破の足跡を刻み、その標が埋まる様に明王の赤黒い肌に刺さる。
「っつ!」
一瞬、その刃が届いた肌の隙間から、真っ赤な炎が吹き上がる様に煌めいた。
火焔の尊格、不浄を焼き払うという神格の本質。紅き烈火はその意図が無くとも、触れた全てを焼き払い、篝火に誘われ不用意に近づいた虫けらをその熱と炎にて灰と成すだろう。
しかしそれは僅かな数秒で、炎は俺を焼く前に、それを自ら抑える様に内側へと引き込んだ後。代わりに流血の様に、明王を構成する魔素の奔流が迸る。
「・・・悪いな、ホントにさ」
言いながら、切り札の一つ。斧槍に蓄えていた最大の容量の半分、そうせねばこの相手は倒れぬと判断して。嵐の抱擁の刃から、差し込んだ火焔渦巻く肉体の内側へ目掛け。遥か太古、この星で起こった嵐の再現、その極大の暴風を叩きこんだ。
「ははは、見事、見事よ。ご覧の通り、俺はもう、指一本も動けんわ」
その身は元の姿へと戻り、燃え尽きた様に仰向けに倒れたドウケンは、実際にかなりの熱傷を負っている。
火焔を司る明王の権化が火傷とはおかしな事かも知れないが、見の内に渦巻く炎を嵐によって過剰に増幅させ、膨大な熱を発生させればその中心であるドウケンにダメージを与える事が出来るという予見はある意味で成功して当然であった。それも、この坊さんの手心あっての事ではあるが。
「肩に切り込んだ時、内側から漏れ出た炎を抑えたろ。あの時の炎で反撃されていたら、正直どうなってたか分からなかったよ」
「何を、最初に炎を用いないと言い出したのは俺の方からだ。先を急ぎ焦るお前の心持を考えれば、条件としては五分。その上で俺が敗れたのであれば、お前がそれを誇る事は有っても、苦に思う所は何一つ無いさ」
全く、朝のあの出会いから考えれば本当に不思議な事だが、何だかコイツには挑発されたと思えば諭されたり、変に励まされたり。試された後には、清々しく送り出されようとしている。
「俺は、これからベルの野郎をとっちめてやるよ。その後に何が待っていたとしても、世界を収穫するっていうそいつもまとめて、どうにかしてみせる。それは勿論、俺の大切な人たちや、帰りたいと思える場所を守るためなんだが。一つ、其処に今、加わった想いが増えた」
それが正しいか、間違っているかなんて事は今は分からない。それでもきっと、俺が一番に、そう求めている事だから。
「良いか悪いかじゃなく。俺は、俺の欲する所を叶えてみせる。だから、ありがとな、へんてこな坊さん。そう考えるきっかけになったアンタの風変わりな説法ってやつ、今度はちゃんとした機会に聞かせてくれよな」
「・・・はは、良いさ。腹を下すくらいに聞かせてやるよ。ほら、もう行け。石動は俺と違って加減なんぞしてくれんぞ。どうにか良い方法を考えて、俺の代わりにあのクソ真面目に一つ。あんまり思い悩むのも程々にしろと、渇を入れてやってくれ」
その言葉に、背を押される様に走り出す。時刻は三時を回った所で、未だ夜明けは遠いが、残る難関を考えるとどれだけ時間が有っても足りはしない。
だからまた、弱気を押してくれた説法の続きを聞けるように礼だけを言って先を急ぐ。きっと今も、他の場所で戦ってくれているだろう皆の無事を祈りながら。




