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犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか  作者: せんこう
商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか
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商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか⑫

「ああ、また揺れたよ。表はなんだかすごい事になっているね」


九界には地殻変動なんてないんだけどねぇ。だなんて、元凶の身内である自分の目の前で冗談かどうか良く分からない事を言いながら、佐山の手によって目の前に置かれたカップはコーヒーで満たされており、その香ばしく暖かな匂いが鼻腔に届いた。


「ほら、アリス。もう大丈夫だからさ」

「・・・うう、ううう!」


やんわりと離れる事を提案してみるが、それに対しての拒否の意を、左腕により強くしがみつく事で示すアリス。少し落ち着いたようではあるが、たった数日の別離をこれではまだ埋められぬと言わんばかりに頑な様子だ。


「オーガスタ君もそんな調子だから、少し休んでいったらいいよ。これからまだ道中も長いし、何よりその最後には、あの会長が待っているんだからね」

「佐山サン、アンタ全部、分かっていて俺を見逃すつもりなのか?」


今更、推定ベルの共犯である目の前の佐山について、何か非難するつもりは無い。それどころか俺は、彼にとっての主であり、友とも呼べるベルをこれからどうにかしてやろうというのだ。この数秒の後、研究室を佐山が手配した大軍が包囲したとしても卑怯だとは思わない。


「まさか。それこそ、会長は望まないだろうからね」

「いい機会だから、一つ聞きたい。アンタはベルのやろうとしている事を、いや、違うな」


ベルのやろうとしている事。九界を滅ぼし、三百万の人間を殺す事についてなんとも思わないのか、という問いはナンセンスだ。全て飲み込んで、それでも此処に在るという事が、肯定を意味している事は明らかで、彼には動揺した匂いも無い。それどころかベルに対して少しも揺るがぬ全幅の信頼と、親愛の念すら感じられているからだ。


「アンタにとって、ベル・バルドルってやつは、どういう人間だと思う?」


だから、興味が有った。今更何が変わるって訳じゃないが、今でもベルについては分からない事ばかりなのだから、ちょっとくらい近しいやつから聞いてみたっていいだろう。勿論、佐山が応じてくれるならばだが。


「うん、良いよ。実は僕も、君とゆっくり話してみたかったんだ。昼間は会長の手前、其処まで時間も無かったしね」


そう言って気軽に、アリスの紅茶と自分のコーヒーの入ったカップをテーブルに置いて、何から話すべきかと、少しだけ言葉を選ぶように悩んでからこう口にした。


「僕も付き合いとしては三十年くらいのものだから、会長については今でもよくわからない事の方が多い。何せ出会った頃から容姿も性格も何もかも、全く変わらない、そんな不思議な人なのだからね」


一万年というとてつもない時間を生きているというベル。他に例は無いし、この年月が人に与える影響がどういったモノであるかなんて事は、考えるだけ馬鹿らしい事なのだ。しかしそれが実際に、一人の男に起こってしまったというのなら。


「どれだけ複雑怪奇な精神性の変化と、腐敗ともいえる人格の変質をもたらすのか、というのが君の見解かい?」

「そりゃあそうだろ。実際、あいつは性格のひん曲がった変態だしな」

「あはは、それはある意味では君の前だけで見せる姿なんじゃないのかなぁ。少なくとも僕や、他の、社長は除いてバルドルの者の前ではそんな風に愉快に振舞っている会長なんて、見た覚えは無いからね」


だからこそ、分かる事もあると佐山は言う。それはベルのこれまでの一万年では無く、この三十年の間で起こった変化であり、だからこそ知り得たという変化。


「会長はきっと、何かとても大切な、必ずやり遂げなければならない目的が有ったんだと思う。そしてそれは、きっと、つい最近になって、ようやく遂げられたんだ。結局、それが何なのかは今でも分からないけれど」


そういえばベルは言っていた。自分のやるべきことはもう終えていて、後はおまけでどうでも良いと。

だからこそ俺に勝手をすると良いだなんて言って、こうして中途半端に対応し、本気でやればあっという間に無力化できるであろう俺を、こうしてラグナロクという大事の前に、自分の庭を散々にひっかきまわしているのに未だ放置している。


「だからかな、何だか今は随分落ち着いて、達観すらしているように見えるだろうけどね。それまではけっこう焦っているというか、悩んでいる様子を見せる事が有ったんだよ」


勿論、本当に稀にだけどねと、そう付け加えて、佐山は俺からの問いに答えるため、結論を述べようとしている。


「ああ、そうだね。君の言うように、今の会長はきっと、おまけの時間を過ごしているんだ。とても永い時を経て、ずっと成し遂げたかったことを、つい最近になって、ようやく叶える事が出来た。その後に、何の不安も、苦悩も感じる事の無くなった、そんな素敵なおまけをね」


少し脱線してしまったと、照れるように言ったあと。ようやく自分でも理解出来たと言うように、佐山は俺の問いに、こう答えた。


「会長はね、とっても真面目で、不器用な人だよ。だってそうだろう?何もかも投げ出す機会が有って、何時だって止める事が出来た筈なのに、結局それをしなかった。一万年も掛けて何かをやり遂げた人なんて他には居ないのだから比べようは無いけれど、そんな生き方はやっぱり、馬鹿みたいに生真面目で、悲しいくらいに不器用だと、僕はそう考えてしまうなぁ」


ああ、だから。とても気になって、知りたいことが一つある。


「だとすると会長は一体、何をやり遂げたんだろうねぇ?」





彼が出て行った後、その背を立ち尽くしたままで暫く見守っていたアリスは、ようやく動き出して、すっかり冷めてしまった紅茶のカップに口を付けた。


「本当に良かったのかい?彼に付いて行かなくて」

「ええ、大丈夫です。これからの道中で、今の私は役に立たてないし、ベオも望まないでしょう。それにこれ以上、わがままを言って彼を困らせたくはない」


気丈に振舞ってはいるが、泣きはらした赤い目のまま、俯いている様子は。佐山には年相応の少女にしか見えない。


「これより先の上級エリアには特務が、エインヘリヤルが待ち構えている。会長がそう望んだからだろうが、彼の仲間たちは今も足止めされていて、これを単独で突破しなければならないというのは余りにも大変だろう」


これまでは保安部隊との戦いでは何とか無傷でいられたかもしれないが、これからの事を考えるとそうはいかないだろう。そしてどうにかそれを退けたとしても、最後に待っているのはこの九界の王、ベル・バルドルなのだ。


「こんな事を言える立場では無いけれどね。僕はけっこう、ベオ君の事を気に入ってしまったんだ。会長には悪いけれど、今からでも何か出来る事は無いかなぁ」


消耗した弾薬の補充や、ちょっとした治療などは出ていく前に行えたが、これからの過酷な道中を考えるとそれが十分とは言えない。これならば幾つか、研究用に持ち込んだ秘蔵の伝承兵装や、開発中の試作兵器でも持たせてやれば良かったか。


「その心遣いだけでも、ベオにとってはありがたいでしょう」

「そうだと良いんだけどねぇ。ああ、そういえば。君はベオ君の事も心配だろうが、他にもそういった人が居ただろう。何というか、タイミングが随分と悪かったと言えば良いのか」


アリスの他に心配すべき人たち。それは今回の三界統合の折、九界の観光の為に外界からやってきたという、彼女の身内の存在である。


「ええ、問題は有りません。彼らにとっては今回の事も、むしろ良い刺激だと楽しんでおられる様ですよ」

「いやしかし、こんな時に九界に新婚旅行だなんてね。本当に今は危険のない所へ避難出来ているのかい?君の叔父夫妻は」





「上位エリアは特務が待ち構えているって話だったが、一人目はやっぱりアンタか」

「ああ、そうだ」


本社ビルは、その中間にフレスベルクの格納庫が存在する為に、それを境に構造として下部と上部に分かれている。だから上部に入ってすぐに位置する研究所を出た後は、稼働しているエレベーターを使用すればかなりのショートカットが可能だ。

今使用したものは第一、そして残り二つを乗り換えれば最終的な目的地である最上階フロア、ベルの待つ場所へと辿り着く事が出来るという訳なのだが。勿論、それを相手が易々と許してくれる筈はないだろう。

上部第一エリア。幅広く、三階分を丸ごと吹き抜けにする事で建物の内部でもでもかなりの空間スペースである。普段は内部で働く社員の憩いの場として用いられているそうで、壁モニタには環境映像として青々とした木々が広がる森林が映し出されていた。


「此処は城でいう所の曲輪、つまり侵入した敵性集団を迎え撃つためのフロアでもあるそうだ。そういう意味では想定通りの使用方法になるが、流石にそれが、たった一人を相手に使用される事までは想定されていなかっただろうさ」


数メートル前方、見たままに仁王立ちで侵入者を待ち受けるのは侵入者と同じく一人の男、山城ドウケンであった。初めにヴァルハラへ訪れた際はちょっとしたきっかけで争う事になり、その後にはどういう訳か、俺の泣き言を聞いてもらった上で改めてベルに相対する活力を貰った。そう考えると、彼とはおかしな縁である。


「そんなもんさ。袖すり合うも他生の縁、ってな。他生では案外、俺たちは気の合う友人とかだったんじゃないか?」

「いや、俺は一万年ほど生まれていないままの状態だったらしいから、そいつは厳しいと思うが」

「がはは。ならなおの事、今生では良い縁という事なんだろうよ。俺は正直、お前さんの事は気に入っているんだぜ。出来る事ならこのまま、見逃して素通りさせてやりたいくらいだ」


朝のあのやり取りを考えると、今は冗談を言い合えるくらいの関係になるなんて分からないものだ。例えこの後、またその出会いの続きをやる事になるのだとしても。


「その言い方では、やっぱりアンタは俺の前に立ち塞がるって事なんだな」

「ああ、すまんな。どういう訳か、他の奴とら違って、今回の件に関しては会長から直々に要請を受けている。『ベオをぎゃふんと言わせてほしい』ってな。これが頭ごなしの命令ならはねのける事も出来たが、ああ頼まれて断る事が出来ないくらいに、バルドル、というより会長には、多少の恩もある」


そうして、バルドル特務、エインヘリヤルと畏れられる一人が、今度こそ本気で戦うためにその姿を変えていく。


「オン・クロダノウ・ウンジャク・ソワカ」


それは密教において、五大明王に数えられる仏法守護の化身の真言。名は猛烈、強熱を意味して、不浄を焼き尽くす存在として知られている。


「破戒僧、山城ドウケンのその身に宿す御仏は。火焔の尊格、烏枢沙摩明王である。まあ、この姿は世の不浄を払う明王の顕現であるからして、それに当たらぬお前を焼き払う様な無法はしない。しかしその膂力、仏敵を下す威容は越えるに、容易ならぬ険峻であると知れ」


目の前のドウケンは、朝のあの場では揺らぎの幻影を完成させ、見上げる程の巨躯にして、その威を以て悪鬼を払う明王の化身と成った。大気を震わせる息吹に、慈悲の響きを滲ませてなお、何処か元のドウケンを思わせる陽気さは残したままで、それでも今、俺が越えなければならない壁として立ちはだかる。


「一つ、良い事を教えてやる。会長は、俺の他の特務には各々の好きすると良いと言った。それでフェイの野郎はさっさと妹の待つ上層へと帰り、逆にイリヤは己の想い人の元へと急ぎ、ニヴルヘイム行きの定期便に飛び乗ったよ。石上は居残ったが、どういう訳か付き合っていられないと静観を決め込んでいる。という訳で、これからお前を阻もうとする特務はたったの二人。俺と、あのクソ真面目な石動だけだ」


随分と不真面目な事でな、と楽しそうに笑いながら、ドウケンはあっさりと手の内を晒した。


「いいね、そいつは朗報だ」


つまり、目的地へと辿り着くために、越えるべき難所は後二つ。


「早いとこベルの野郎をぶん殴ってやらなきゃならないんでな。手加減してもらって悪いが、こっちは最初から全力で行かせてもらうぜ・・・!」

「良い意気だ!さあ、挑め。そして見事に越えて、あの黄金の王に辿り着いて見せろ、ベオ!」


俺の意に応えて、握る槍斧から溢れる烈風を、まるでそよ風でも浴びるように壮絶に笑みで返して、明王の化身が腕を広げ迫る。


「そして証明するがいい!三百万の九界の民を犠牲にして、数十億の外界の民を救う事よりも。もっと良き選択が、未来が!この世界には在るのだと!」

「上等だ・・・!」


この相手に後の事など考える余裕など無いと、初っ端から全身全霊の力を両腕に込める。

嵐纏う刃を迫る明王へと打ち込み、発生した強烈な突風は殆ど同時に壁面モニタの全てが砕き、映し出されていた虚像の森林はそれだけで一瞬で弾けた。


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