商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか⑦
「鷹野くんは、この星の古い時代、神代と呼ばれる時代がどんなものであったか知っているかい?」
「基本的な情報ですが、一応は。例えば、ニヴルヘイムの様に大気中における魔素の濃度が高く、各地の伝説に有るような伝承体や、英雄、半神を含む魔素変異生物などが当たり前であったという時代ですよね」
ヴァルハラの商業区。日付がもう間も無く変わろうという時間帯だが、その一帯は人口の灯が煌々と輝き、まるで昼間の様に明るく、行きかう人々の数も衰えを見せない。
その一画に存在する喫茶店にて、マナとアヤナはベオからの合図を待っていた。
その間の話題は、偶然ではあるが同時間にベオとベルとの間で交わされていた問答であり、そして自然に、この星の上で過去に存在していた複数の世界の在り方についてへと移っていたのである。
「そうだね。そしてその舞台となる、世界の在り方というのも今とは違っていたんだよ。例えば、幾つかの神話や、物語の中での世界の在り方そのままに。それは何処までも広がる平面であったり、動物や巨人の上に支えられていたり、又は果ての無い海に覆われていたり、とね。今から考えると荒唐無稽な空想として一笑に付されるようなお話だが、神代に在ってこれらは全てが現実であり、並行して存在する事が出来た。つまり、複数の世界が並び立って其処に在ったんだ」
これが人という知生体の進歩と、その数の増加、そして増えた人口を養うに足りる新天地を求めての移動。その地に在った異なる文明同士の接触と衝突、交流と融合による共通した認識の広がりによって、存在できる世界は平均化、統一されていく。
故にその残った世界は、可能性と引き換えに現実を得て、一つにまとまる事でかえって狭くなってしまったのだ。
「これにはベルも大いに焦ったらしいね。世界に感染する黄昏は、一つの世界を滅ぼせば次の宿主を求めて別の世界へと移動するという。この対象が複数であればまだ打つ手は有ったが、一まとめの世界となった今では、世界の終焉がイコールで星の終焉となってしまった。だからこそ異なる世界の創造、九界という異界の構築に着手し、これに、神樹を用いて黄昏を招き、定着させる事で、現時点での表の世界の終焉を防いだという形だ」
「何というか、やはり何度聞いても話のスケールが大きすぎて、正確に理解は出来ませんね」
「それでいいよ。一番の問題は、これからこの九界が滅びへと向かう事と、その中で何が私たちに出来るかという事だ。今の状況では、ベルは終焉の始まりを引き起こした後、終焉の原因、黄昏の器となる最後の巨人を目覚めさせ、九界の第一、第二階層を除く七階層の全ての存在を犠牲にする事で、疑似的な世界の終わりを実現しようとしている。そうして、残ったがらんどうの世界を空間ごと切り離し、現実の星の上に広がる表の世界から黄昏を隔離しようというのが、このラグナロク計画の一応の目的だ。実際、理には適っている。人の世界と其処に生きる七十億の人類を守るために、九界の三百万の人間を犠牲にする。これならば実害と、数字の上でも飲める犠牲であるとベルは判断したんだろう」
「ですが、その器に何が、誰が充てられるのか。私たちにとっては、ある意味でそれこそが一番の問題なのです」
思わず力が入って、ティーカップの取っ手を握り潰してしまったアヤナは、その器の候補となったしまった人物の不幸に怒りを抑えられなかった。
つまり、黄昏の器として世界を滅ぼし、その滅んだ世界で、最後の一人となって生き残ってしまうかもしれない彼の事を。
「どうしてそれがベオさんなのです。これは遠回しに、我が身に起こった呪いを、その原因でもあるベオさんにも味わえという、会長の意趣返しとでも言うのですか・・・!」
「落ち着いてくれ鷹野くん。それだけは、絶対にない。それにその役割にベオくんが確定しているという訳でもないんだ。今のところはね」
アヤナの怒りに対して、マナの言うベオが黄昏の器として確定されていない理由とは、彼の首に今は辛うじて一つ残る金色の紐、最後の封印が残っている為である。
「魔狼の抑え、『グレイプニル』。これがある限り、ベオくんが完全にフェンリルに取り込まれ、その器となる事は無い。だから私たちは大前提として、ベオくんがフェンリルを開放する状況を確実に防ぐ為に此処に居るんだよ」
「分かっています。その為に必要だというのなら、新本社への殴り込みだろうが何だろうが、やってやろうじゃないですか」
あの日、死の淵に在った自分を拾ってくれた恩義はある。その原因となった大異変をバルドルが引き越したと知ってなお、それが人類存亡の危機に関わっていたとか、姉やその家族の存在など、功罪あれこれ差し引きで、今もなお色々と混乱している事に違いはなし。
けれど、アヤナにとっての最優先とはやはり彼女の想い人であり、其処を違えるつもりは、この蒼の戦乙女には微塵も無い。
「ふふ、君も随分と変わったね。随分と人間らしくなったというか、今の君となら、けっこう仲良くなれそうだ」
「私の方はまだ、誘拐未遂の件を完全に許した訳じゃありませんからね。一番迷惑を被ったベオさんと洞木が何も言わないんですから、定期的に私が貴女に釘を刺しておかないと、今度はどんな独断専行をやらかすか」
「うう、いじめないでくれよぅ」
丁度、日付が変わって午前零時を告げる壁時計の音が鳴り響いた。
予定ではこの後、その隠ぺい困難な装備故に先行して、この階層に潜伏しているアキトとマグノリアに合流した後に本社へと向かう手筈となっている。
しかしやはり、此処はバルドルの本拠地。スケジュール通りに行かないのではとの予想ばかりが、現実のモノとなってしまっていた。
「巻き添えを考えなくていいのは良い事なんでしょうけれど、やはり此処はバルドルの庭。こちらの行動は見透かされていますか」
「まあ、想定内の事だけど、結構頑張った隠ぺい工作が無駄足だったのはちょっと悔しいね」
数分前から急に通りを往く人の影が減り、今ではあれ程に溢れていた人波は遠く過ぎ去っている。よく耳を澄ませば、バルドルの都市整備局から、該当エリアでの夜間作業の為、明朝までの区画封鎖を告げるアナウンスが繰り返し再生されていた。
「主要区画の完全封鎖に、ヴァルハラ全警備、保安ユニットによる厳戒態勢。その上で、戦乙女三人の同時出動要請はちょっとやりすぎだと思っていたけど、貴女たちが相手だというのなら仕方のない事なのかもしれないわね」
「あんな会長にこき使われてるもんだから、何時か身内から裏切りモンが出るとは思ってたけどさ。元々胡散臭くって仕方なかった月夜見サンはともかく、まっさかそれが優等生のアヤナに、社長に完全に飼いならされてると思ってた洞木とはねぇ。分かんないもんだよ、ホント」
「それが事実と判明した以上は仕方ありません。鷹野さん、月夜見元局長。残る侵入者を含めて、即時の投降をお勧めします。なにしろ手向かうようでしたら、実力でこれを排除せよ、との厳命ですので」
周囲が全て敵という状況で、数の優位を取って、方位からの火力集中による殲滅、という方法をバルドルが選択しなかった理由は、それよりももっと確実で、有用な戦術が存在していたからだろう。
即ち、三界統合により、現在三人の戦乙女が一階層に存在していた。そして彼女らが脅威目標に対処する事がより確実で、速やかに事態を鎮圧する事に繋がると表向きには判断されたためである。
既にこの場には四人、九界の最高戦力である戦乙女が揃っていた。それだけでややすればこの出来上がったばかりの階層が崩壊する程の大事ではあったが、それだけでこの場が収まる筈はない。
「残念ですが、投降は出来ません。なにしろ、今から私たちは会長を殴りつけに行こうと言うのですから」
「うんうん、そうだよ」
アヤナのその言い分と、マナの同意に、一瞬場の空気は凍り付き、それも直ぐに堪え切れずの爆笑で打ち砕かれる。
「・・・あっはははは、なら、マジでやるしかないって事か」
「ああ、もう。仕方ないわね」
「では、始めましょうか」
「ええ、手早く済ませましょう」
三人の戦乙女は、それを合図に皆同じように天へと手を掲げる。自らの半身となる、鋼の鎧を呼ぶために。
「来い、『ヘルヴォル』!」
「出番よ。『ラーズグリーズ』」
「『ゲンドゥル』、来てください」
その呼ぶ声に応えるように、天より構造物を破壊して地へと延びる光の柱。
装着の手順は省略されている。彼女らを包んだその光が鎧を運び、まるでその姿が当然であるかのように、瞬く間も無く並び立つ三体の鋼。
その威様に対するべく、蒼の戦乙女も、その半身たる機動甲冑を呼び出すのだと、相対する三人の戦乙女達はそう考えていた。しかし、その思惑は間も無く外れる事になる。
「君たちと遭遇、戦闘に発展する場合は想定内。気合入ってるとこ悪いけど、アヤナは一番厄介な社長の対処担当になっているから、戦力温存の為に三人の相手はボク達がさせてもらうよ」
「聞きしに勝るバルドルの戦乙女、一人でも一騎当千が揃って三人とは。正しく相手にとって不足なし、ですの!」
空間に響く乱入者の声と共に、地面に広がる影から、黒の奔流が迸る。
重くきしむ音、明らかに濃度を増すその場の空気の質。何か、巨大な存在が、その内側から這い出ようとするその予兆を感じ取って、鎧纏う三人はそれぞれに距離を取るため、大きく飛びのいた。
「そういう訳だね。君たちには悪いけれど、この場は離脱させてもらうよ」
「後は頼みますよ、洞木!そしてテロ、いいえ、マグノリア!」
生身のままであるが、その超人的な跳躍力を発揮して、不本意ながらもマナを抱えて飛ぶようにアヤナは離脱していく。その背後を追撃しようと戦乙女達は試みるが、影から現れた巨影の正体。
龍とその背に在る騎士が、それを阻んだ。
「・・・機動甲冑の換装ユニットはいくつかのモデルを目にした事が有りますが、これ程のモノが存在していたとは」
「ははははは!すげぇじゃないか洞木、まるで龍って感じだぞ、お前!」
「そして貴女は連盟からの派遣騎士、ネツァク団長代行、マグノリア・ヴァレンシュタイン卿、で合っているのよね?」
資料でマグノリアの容姿は確認している。夏に有ったニヴルヘイムでの有事の際はその実力を発揮し、特に注意すべき脅威目標の一人として目されていた人物だ。
さて、彼女に名を訪ねた事には理由があった。その特徴的な美貌は現在、情報とは異なる、未知の姿で覆われていたからである。
「それは機動甲冑、ではありませんね。科学というよりは、恐らく神秘によって武装した鎧、ですか」
「そうですわ。之こそが、我がヴァレンシュタインに伝わる、伝家の戦装束」
外見は、以前マグノリアが使用していた鎧に似ているが、全体的な装甲の厚みと、その意匠が異なる。無機質で実用的な以前のそれと違って、何処か女性的な印象を伴い、胸甲には特に目立つ、白百合の刻印が輝いていた。
「九界最強の戦乙女が相手というのならば。此方はご先祖様の、『オルレアンの乙女』の力添えを以て、手向かわせていただきますの!」
「そういう訳だ。即席コンビだけどさ、龍に乙女ってのは昔から」
アキトを心臓とする黒龍、ヨルムンガンドが雷光を吐く。天へと届く轟音と、夜の闇を朝と見まごう光と熱で激しく照らし、裂いていく。それが今夜、この九界を支配し、そして滅ぼそうとするバルドルに向けた反逆の狼煙であり。
「鬼に金棒って事なんだよ!」
世界の命運をかけた、実際の時間としては短くも、其処に在る者たちにとっては余りにも長い、一夜の戦いの幕を開ける時の声であった。




