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犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか  作者: せんこう
商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか
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商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか⑥

「ベル・バルドルという男が、一体いつから存在しているのか。これについて、正確に答えられる人物はこの地球上に存在しない。当のベル自身ですらこれについて把握していないだろうね」


数日前、ニヴルヘイム。月夜見探偵事務所にて、俺、アヤナ、マグノリア、アキトはマナから予てから予定されていた、今まで秘されている必要が有ったという情報の開示を受けていた。


「だから推定になるけれど。本人の自称と、状況証拠から推定として、おおよそ一万歳。これが彼の年齢になる。間違いなく、人類の定義として、最年長の生存記録となるだろう」

「・・・その、現実的にそんな事が可能なのですか?魔術や伝承体の影響などで、数百年の延命を図る事が出来るという記録に目を通したことが有りますが、流石に一万年というのは、余りにも飛躍しているというか」

「その理解は正しいよ。少なくとも、現在の地球上に在る魔術、技術、そして伝承体による権能を用いたとしても、一万年の時を人間が生きる事は不可能だ。ただ、ベルが存在している以上、そういった方法が存在している、とだけ今は理解してくれたら良いから」


一万年を生きる。これがどんな意味を持って、どんな時間であったのか。明かされた事実がそれだけであったのなら、単純に驚いていられたのだが。

その意図を汲んだのか、アキトが苦い顔でマナに問う。


「いや、あえて言わせてもらうと、そんな事よりも、だ。そんなことよりどうして会長が、ベル・バルドルがこの九界の殆どを、三百万の人間を虐殺するっていうのさ」


そうだ。マナによると、この後。ベルは、三百万の人間を殺し、九界を滅ぼすという。

これまでの事であの男が、得体のしれない事を企んでいるのだと何となく察してはいた。

俺との出会いから、幾度もあった巨人達との戦いの中で、何時も何処かにバルドルの関与が有って、それはイコールで、それらがベルの意志によるものだという事は、頭の悪い自分でも流石に理解していたのだ。

けれどそれは。悪趣味であっても、悪辣で、邪悪なそれでは無いのだと。そう楽観的な期待で後回しにされていた回答だ。そしてそれが、今正に提示されてしまって、もう逃れられないのだと、更に猶予が無いのだと知ってしまう。


「それが、この状況の原因そのものであるという、『黄昏』に起因しているという事なのですの?」


千年以上の間、歴史の影から世界を守護してきたという騎士修道会連盟。実際に幾度も人類自体を終末から救ってきたという組織の一員、マグノリアでさえも、これらの事実を咀嚼する事に難儀しているらしい。

その根源たる問い、黄昏とは何なのか。これこそが全ての問いに対する回答で在り、一万年の時をかけて為されてきたベルの計画の始まりであるのだ。


「ああ、そうだ。その黄昏とは何なのか。これについて、私の知る限りの全てを今から皆に伝えよう。だからその前に、一度これからどうするべきか、何をしなければいけないのか、そして各々はどうするのか。この場の全員の認識と意志を、はっきりとさせておく必要が有る」

「止める。そんな事は絶対に、止めて見せる」


そんな事は最初から決まっている。

九界の終焉、それには勿論、ニヴルヘイムの全てが含まれている。ならば俺が、何も迷う事はない。

ベルを止める。だから問題と言えば、どうやってあいつを止めるのかという、その方法くらいだ。


「ええ。この身がバルドルに属する者であったとしても、これだけは絶対に看過出来ません。私は、私の信じる正義から、これを止めて見せます」

「私も、騎士としての矜持、というよりは一人の人間として、何よりも掲げる信念によって、微力ながら助力させていただきますわ」

「ベオがそうするってのなら、ボクの答えは決まっているよ。君の為に、君と共に在る事。それだけがこの命の求めるところなんだから、さ」

「君たちも随分と酔狂だね。まあ、私は尻尾を巻いて諦めて、ベオくんを誘拐しようとしたが、失敗してしまった今、逆に覚悟は決まったかな」


疑ってもいなかったが、彼女たちがこうして、実際に言葉にしてくれる事は何よりも嬉しい。

思わず涙が出てしまいそうだが、カッコ悪いところは見せられない。誤魔化す様に頭をかいて、改めてマナにその意思を応える。


「・・・バルドルを止める。ベルのやろうとしている事を、絶対に止める。だから教えてくれ、マナ。『黄昏』とは何なのか。どうすれば、ベルを止める事が出来るのか」

「うん、では初めに、どうすればベルを止める事が出来るのか。これについて話そう。現実的に、この九界の全てに存在し、その全てを支配しているバルドルを正面から打倒する事は出来ない」


これについては了承している。まるで世界に対して一人で抗う様に。それ程に圧倒的な物量の差、過去のどんな例を見ても、此処まで隔絶している戦力差をどうにか出来た前例なんて無いだろう。


「だからこその勝利条件だ。之だけが、私たちがベルの思惑を覆し、目的を達する為に果たすべき唯一の回答。それは、『ベル・バルドルという個人を、実力で圧倒する』という一点に尽きる」

「つまり、単純に会長を暗殺するって事?」

「いいやアキト、それはやはり不可能な事なんだよ。『現在の状態のベルを殺害する事は、絶対に出来ない』これはこの後に話すベルの年齢と、黄昏に関係する事なので説明は回そう。だからこそ、ベルと正面からやりあって、彼に敗北を認めさせる。之こそが実力で彼を圧倒するという勝利条件に繋がる」

「ええと、でもそれではおかしくありませんか?最終手段としての殺害、という言い方は分かりますが、圧倒する、というのは、それだけで会長が、その一万年も掛けて準備してきた計画というのを放棄するのでしょうか?」

「良い質問だね、鷹野くん。実を言うとね、君が今言った、ベルが一万年の永きをかけて準備し、その宿願としていたという計画。これは現時点で、既に達成されているんだよ」


この回答に、少し苦い顔をして、どういう訳なのかマナは俺の顔を見る。そしてそれを誤魔化す様に他の皆に振り返り、改めて、その理由を言葉にした。


「だからベルにとっては、これから起きる事は全てがそのおまけと言っても良い。彼にとっては数百万人が生きようが死のうが、本当にどうでも良いんだよ。だから、こちらが彼を打倒できる、という事実を示す事が出来れば、後の事は此方に従ってくれるだろう。今はそれだけを考えて、其処に注力する事を第一に考えてくれ」

「そう聞くと、ベル・バルドル氏を無力化する事自体はそれ程に困難ではないという事なのですか?彼にとってはどうでも良いという事なら、例えばバルドルの警備を排除して、接触する事さえ出来ればこれについて達成できると?」

「いいや、残念だけどそれは違うんだ、ヴァレンシュタインさん」


マグノリアの言う事は正しい。それだけの事を企てているくせに、それに拘らないというのであれば、難しいかもしれないが説得も可能なのではないかと、俺だってそう思う。


「実力を示す事が出来なければ、絶対にベルは折れない。そしてそれこそが、周囲を警護するバルドルの精兵やエインヘリヤル、そして三上くんという最強の戦乙女を退ける事よりも、最も困難であると言えるんだ。何せ」


そういってマナは、何か苦い記憶を思い出す様に、その身体を無意識に守り、抱えるように腕を回しながら告げる。


「何せ、ベル・バルドルに。彼に正面から挑んだとしても、戦乙女を含めるバルドルの現行戦力を束ねたとしてもとても、多分倒す事は出来ないだろう。それはあの真竜にして灰の騎士、アルトリウス・A・バルクホルンや、協会を統べる超越のメイガス、廃棄大公、バルシュテリオ・オーゼムを凌駕するという。彼がこのほしにおける頂点の一つ、伝承の体現者であるという事」


それは何時か、自分が誰かにそう呼ばれた名である。


「ベル・バルドルはその『伝承保持者』の内で最も永く、その身の内に伝承を紡いできた、文字通りに『黄金の王』なのだからね」





「さて、これで下ごしらえは全部終わったよ。それにしても会見の間、置物みたいにずっと静かだったけれど、何か心境の変化でもあったのかい?そういえば山城君とは、随分と仲良くなったみたいだね」

「別に。昼間は先走っちまったが、そもそも俺たちが本格的に動き出すのはフェーズ3が本格的に動き出してからだ。それに一応まだ、今日の間はアンタの護衛に就くっていう契約の範囲内だからな」


会見を終えて、一日が終わるまでの契約を律儀に守るためという名目で、ベルと三上の後に続き最上階である会長室へと戻る。照明は落とされているが、全面透過されている外壁から差し込む街の灯りで、手元すら確認出来る程に明るい。


「拙は何か飲み物を用意してまいりますので、ベオ様は何がよろしいですか?」

「何でも構わないよ。ああ、ベルのついでで良い」

「はい、では暫し失礼を」


ソファーに腰掛けた後は、専用のデスクで端末を操作するベルの姿を眺めていると、やがてそれを終えたベルが此方へとやってきて、昼間の様に俺の向かい側に座る。これからとんでもない事をしでかそうとしているくせに、やはり愉快そうに俺を値踏みする様な視線を隠そうともしないのはムカつくので無視してやる事にした。


「君たちがどんな悪だくみをしているのか聞いてみたいが、まあ楽しみは後にとって置く事にしよう。で、ベオ。昼間の様子から、君は大体の事情を月夜見君から教えられたようだけど、やはり諦めるつもりは無いのかい?」

「当たり前だ。お前みたいに一万年も生きてたら考え方もホントの神様みたいになっちまってんだろうが、日々を慎ましく生きていければいいなんて、そんなささやかな願いしか思い浮かべられない俺みたいなチンピラには、その土台をすっかり失う事なんで、まるで考えられないんでね」


それも飽きたというように、からかうような言い方がやはり気に入らない。もしかすると、こんなあまりにも普通な様子は対面だけで、腹の内は一万年の間に煮詰まった反吐のような邪悪が波打っているかもしれないので、ある意味ではコイツの匂いを今、感じ取る事が出来ない事を良かったとすら考えている。


「まあ、そうだね。この『ラグナロク計画』には本当に色々と準備が掛かって、ようやく実現した計画なんだ。全体の進行としては神樹ユグドラシルの定着から九界の創造、成立後の復興からバルドルによる支配体制の確立までがフェーズ1、黄昏の器の選定と調整、元となる伝承の配役調整に、部分的なスケジュール消化、器の最終候補を二体にまで絞る事までがフェーズ2。これまでは、君にも手伝ってもらった事だから理解しやすいだろう」


この九界を巡るベルの計画、ラグナロク計画。その手始めとなるフェーズ1が九界そのものを創り出し、運用し始めるところに在ったのなら、次なるフェーズ2、その主要な部分は黄昏の器と呼ばれる巨人達の選定作業という事だろう。それが正に、今年の春から連続的に起こっていた巨人の出現、そしてそれらとの戦いにあった。

そして、これから起こるというフェーズ3、その始まりが、ヴァルハラの成立に、つい先ほど行われた記者会見においてベルから発現された、『この新本社こそがバルドルそのものである』という宣言に有る。


「では、そろそろ答え合わせをする事にしようか。フェーズ3が開始した今、もう後戻りは出来ない。逆に言えば、あちら側からの干渉、伝承収穫の効果も薄れ始めるからね」

「それは、終焉収穫再現体が引き起こすという認識改変能力だな」

「厳密に言えば、現実改変能力だね。終焉収穫再現体、長いから黄昏でいいか。黄昏とはね、正確にはとある北欧の国々で語られてきた物語、その神話の中での、神々の黄昏というキーワードに由来している。君は、まあ知らないのは当たり前として、これらの言葉は少し本を読むくらいの人なら皆知っているくらいにポピュラーな事だったんだ。まあ、今は違うんだけどね」


何故ならば今は、この世界にその言葉も、基となる物語も存在しない。それらは全て、ある時点から黄昏によって収穫され尽くしてしまったからだ。


「人の空想しうる終焉、人の想像しうる結末。これらを内包する物語、伝承を黄昏は選択し、収穫する。そうすると、この世界に存在していたそれらの痕跡は、何もかもきれいさっぱり消失してしまうんだ。それは物語を記した書籍や、ネットに記録されたちょっとした文言、そして全ての人々の記憶を含めて、全ての記憶と記録が失われてしまう」

「そして、その再現が行われる。今回であればこの九界で、神々と黄昏、ラグナロク計画という終焉が、これから起ころうとしている」

「そのとおり。よく勉強してきているね」


物語の、伝承の収穫、そして認識と現実の改変。こんな事を起こせる存在が、これから相手にしないといけない存在なのだという。しかし、初めはマナから、今はベルからこの話を聞かされていて、やはり納得できない事が有る。


「やっぱり、意味が分からない。人の認識を曲げてしまうだとか、現実を改変するだとか、それだけの事が出来るのに、黄昏はどうして、そんな人の物語に沿って、世界を滅ぼそうとする?」


前提とする能力があって、最終的な目的が世界の終焉なのだとすれば、終焉の物語の再現などせずにさっさと滅ぼしてしまえば良いじゃないか。その意味の無い手間というか、無駄をする理由が、やはり俺には全く理解でいない。


「最初に言っただろう?黄昏というモノは、人間にとって都合よく、やさしい存在だとね」

「優しいだと?勝手に滅びを押し付けるようなモンだろ、どこが優しいんだよ」

「優しいさ。少なくとも、黄昏は人間が想像し得る、想定出来る終焉を提供する。これはやはり、優しいと言えるんじゃないかな。まあこれからの話は直接黄昏に尋ねたわけじゃない。アレとは意思の疎通が出来るわけでもないからね。だから、僕の推測で補強した理論であることは理解してくれ」


黄昏は先ず、発生した空間に存在している知生体、今回の場合は人間の持つ物語、伝承の収穫を行う。その時点で、収穫された物語の痕跡は消失し、誰の記憶からも失われてしまう。

そしてその終焉へと続く伝承に基づいた環境へと、少しずつ世界を改変していくのだ。その際に必要となるのは、伝承の転換点となる登場人物と、世界を動かすイベントとなるような出来事である。


「登場人物の配役は、進行に影響しない細かいところは適当みたいでね。そこら辺を利用して、問題の在りそうな役割を適当に此方で振って、意図的に配置したりはしてみたよ。実際それで、結構スケジュールの安定した管理には成功した。それでも、主題となる神々の黄昏、この始まりに大きく起因する光の神、バルドルという存在についてのイベントはどうしても避けられない。つまり、これが特異点というわけだね」


その特異点を経て滅びの物語は進行し、最終的に終焉は完成する。そしてその際に、最後に残った人物。物語を見届ける者、これの死を以て、読み終えた本を閉じるように世界の収穫は完成するという事だ。


「まあ、ざっとこんな所だ。どうだい?まるで見てきたようにモノを言うな、なんて思ったんじゃないかい?」

「いや、思わないさ。実際、全部アンタがその目で見てきたことなんだろう。終焉の後に残る最後の人間、始めのαに対する終わりのΩ。『終焉の全てを見届けた者ジウスドゥラ』。それが、お前の正体だ」


それは一万年前に、実際に起こった事だという。

遠く彼方の地にて、その地に有った終末の伝承は再現され、最後に、その役割に選ばれてしまった、この不幸な男が残る。筈だった。


「おや、最後に残った男だなんて寂しい事をいうねぇ。だってこれは、君だって関係のある事なんだぜ、ベオ。だって僕と君は、一万年の時を共に在った唯一の関係なのだから」


そう、筈だった。そうならなかった、恐らく黄昏にとっても唯一の例外。最後に残った筈の男の他に、残った存在が在ったのだ。それは生きていなければ、死んでもいない。生まれてすらいない、そんな命が。


「そのお陰で、その地においての収穫は今も保留されている。そして、ああ、笑える事だけどね。最後の一人に選ばれたのに最後の一人になっていないだなんて、条件が揃っていないだなんて。そんな理由で、僕はこの一万年の間、黄昏に生き続けさせられているんだからさ」


分からない。どうしてこの男が笑っていられるのか、それが分からない。


「・・・意味が、分からない。どうして、どうして黄昏はそんな回りくどい事をするんだ。何度も言うが、現実を改変してしまう様な力が有って、世界を滅ぼす事が目的なら、神話の再現なんかせずにさっさと滅ぼしてしまえば良いじゃないか」

「さあ?少なくとも、あちら側には何か意味が有るんじゃないのかな?あくまで予想になるけれど、高位の伝承体などにはそういった、定型的な儀式、様式を厳守する事で大きな権能を発揮するという特性を持つものが確かに存在している。魔術でも、大掛かりになればなるほど、その術式に決まった法則性と、省略できず、必ず踏まなければならない手順が必要になる。黄昏が、そういった類の法則や、厳守すべき命題を持つからこそ、世界を改変する様な大規模な現象を引き起こせる、と考えれば、ある程度の説明にはなるね。ああ、それを尋ねたところで親切にあちらが教えてくれる訳じゃないからどうでも良いけど。とにかく、あの時、あの場での終焉とは、『悉く全ての命が洗い流され、滅び去る』というものだった。その終焉の終わり、僕は訳も分からず、何も無くなったあの世界を放浪しながら、どうして自分だけは生きているのだろうと、そう考えていたよ。きっと君の存在が無ければ、そんな事を考える間も無く、数日も持たずに飢えか渇きが原因で、さっさと死んでしまっていただろうからね」


何でもないように語るベルには、怒りも悲しみの表情も浮かんではいない。


「一万年前。更地になって、何もかも洗い流された荒野で、きっと僕は野垂れ死ぬと思っていた。しかし何日経っても、おなかも減らないし疲れもしない。だから、やる事もないし、仕方ないから意味を探したよ。どうしてこうなってしまったのかとね。泥と瓦礫をかき分けて、そこから現れ続ける、物言わぬ死体を並べて、彼らと自分とは何が違うのか、何が違って、僕はそちらの側に居られないのか。そんな事をずっと続けていた。そうして、一年くらいかな?ようやくその理由を見つけたんだ」


その女は初め、他の皆と同じように見えた。何かを大切そうに抱え、かばうように体を丸めて、泥濘に半ば体を埋めて息絶えていたのだという。

しかし、やはり他と異なり、さ迷い歩いていた当時のベルの目を引いたモノが在った。それは、その女が抱えていた赤い石のようなモノ。


「今でも覚えている。それを僕は、赤い琥珀の様だと思ったよ」

「・・・それが、俺か」

「ああ、君だ。推測だが、君を抱えていた女性、多分だけど母親は、神代よりも更に前、原初の魔術を治めたメイガスだったのだろうね。あの時代でさえ既に失われていたと思われていた、時間を操作する魔術。それによって、君は三か月くらいの生育状態で固定された胎児の状態のまま、血の琥珀の内側でその時を止めていた。それが、僕が最後の一人にならなかった理由で、一万年も生き続ける理由になると分かったのはかなり後の事だけどね」


それから一万年の間。俺とベルは、ずっと旅をしてきたのだという。

その間の事なんて、俺は全く覚えてはいない。そもそも生まれてすらいないし、時が止まっていたというのだから、意識なく眠り続けてきたようなものだ。

だが、その間のベルは、変わらず生きて、この世界に在り続けてきた。意味も分からないまま自分の世界が滅んで、時の支配者が夢見た不老不死を、求めてもいないのに押し付けられて、定命の他の者たちの中で、その誰とも違う時間を生きてきた。


「俺の事を、恨まなかったのか」


原因はともかく、ベルがかつて在った世界の最後の生き残りになり、一万年を生きる事になった理由は俺に起因する。最初はともかく、その事実に気が付いた瞬間はあった筈だ。

ならば、手の届かない黄昏にではなく、目の前の石ころの内側で呑気に眠るだけの俺に、その瞬間に怒りをぶつける事は当然の権利である筈だ。


「どうだろうねぇ。もしかすると、始めの千年くらいの間は色々考えたかもしれないけど、多分、途中からどうでも良くなってしまったんだ」


本当に、何でもないようにベルは言う。これがある意味での諦観から来た言葉なのか、他の思惑があってなのか。一万年の時を生きた男の本心を推し量る事など、もしベルの匂いを感じ取る事が出来たとしても、未熟な俺では正確に理解する事などできなかっただろう。


「そのうち開き直って、色々やってみる事にしたよ。何せ僕は、黄昏の影響で、形としてやってみる事は出来るけど、通常の人間が生存に必要な食事も睡眠も不要でさ。そして時間だけは有ったから、色んな国に行って、色々な人たちに出会ったよ。暇つぶしのつもりだったけど、そのあれこれが、今のバルドルの発足の役に立ったのだから、まるっきり意味が無かった訳じゃないんだけどね」


よく考えれば当たり前の事だ。二十年前に突如、呼応する様に世界有数の企業達が一斉に統合された理由、それは一万年の間、ベルが放浪の間に育んだ富や人脈、それらが集約されて、今のバルドルが出来上がったのだと。


「で、気になるのは此処からだろう?一万年も時間が在って、どうして今更僕は、バルドルを組織して、九界を創り出して、こんな事を始めたのかってさ」


ああ、そうだ。それだけ時間が有ったのなら、その間に俺の事をどうにかする方法ぐらい判明していただろう。そうすれば何処かの段階で、俺をさっさと殺してしまえば、元々そうなる筈であった、最後の一人として、少なくとも普通の人間として死ねただろう。

一万年を生きるという意味を、俺は知らない。だけどきっと、孤独にその時間を生きなければならないのなら、そんなモノを手放したいと思う瞬間はいくらでもあっただろうから。だからこそ、それを手放さず、今まで生きてきた理由が分からない。


「その辺りは色々と複雑でね。理由は色々あったんだけど、その内の一つは世界が広がり過ぎた事、そのせいで世界が一まとめになってしまった事に有る。これによって、この星に在る全てが、僕の死の後に再出現するであろう黄昏の影響下に晒されると判明してしまったんだ。いいかい、ベオ。実はね、少なくとも一万年前は、この星の上には、複数の世界が存在していたんだよ。それぞれが分かたれてはいたんだけどね、それらは並行して、確かに存在していたんだ」


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