商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか④
「つまり、ベオがここに来ていると?」
「うん、なんというか面白い青年だったね、彼」
バルドル本社ビル、第七機密研究室。アリスの為に特設されたこの小さな工房にて、黙々と作業を続ける彼女に差し入れと、ちょっとした報告をするために、佐山は其処を訪れていた。
魔術に関しては門外漢であるが、職人としての感覚から分かる。行程は丁度、最終段階に入ったようである。
その構成としては三つ。アリスによって錬成から形成、術式の彫金までが施された小さな筒、つまり薬莢。そこに数十種類もの魔石粉末を組み合わせた混合調剤粉末、つまり装薬。これらの二つ精製は外部、ニヴルヘイムにて完成させていたが、最後に最も重要な物質の作成の為に、アリスはこの場所へと赴く事にした。
以前から作業の進捗の報告と、技術的な相談を受けていたベルは、最終調整の為に秘密裏に用意していたこの場へとアリスを受け入れる。
先の薬莢、そして装薬。之らの二つを用い、最後の一つと合わせ最終的な完成形として出来上がるモノがそのままの意味での弾丸であるのなら、核とも呼べるソレはやはり弾頭である。そしてヴァルハラ到着から即座に開始した不眠不休の作業もあって、之の最後の錬成、合一作業が、もう間も無く終わろうとしていた。
「まさか、会長を殴りつけるなんて人が居るとはねぇ。今頃は多分、取り調べの名目で一時的に特務預かりになっているんじゃないかな」
「彼は、怪我などはしていませんか?」
「どうだろう。抵抗せず保安要員に連行されていったそうだし、会長の指示で過度な暴力は受けていない筈だけど、護衛の連中は会長に心酔しすぎてて、ちょっと手荒いからね」
「そうですか。全く、仕方のないやつだなベオは」
この数日間、最低限の水分を紅茶で取る他は一切の食物を摂取せず、休息も時折気絶する様に数十分眠ったかと思えば、覚醒すればすぐに元の作業に戻るを繰り返していた彼女だが、ベオの名が出ると、その手を止めて、食事を取るというのだから現金というか、分かりやすいなとも佐山は内心微笑ましく思い、決して口には出さない。
疲れからやつれた様子のアリスであったが、彼の話をしていると年相応の幼い笑みを浮かべ、手渡された紅茶にサンドイッチを齧っている。ただ紅茶の進みは良いが、食欲は余りないのか、二口ほどでその手は止まってしまった。
「僕も彼ともう少し話してみたかったし、最近の月夜見君や、洞木君の様子とか色々聞きたかったんだけどね。まあ、また機会はあるか」
「佐山局長。貴方は、ベル・バルドルがこれから行おうとしている事を、どれくらい把握しているのです?」
「・・・僕も計画の第三フェーズについて知らされたのはつい先日でね。事の大きさに流石に泡を食っているけれど、まあ僕なりに、会長との付き合いも長いから。彼がそうするというのなら、間違いなくそれは行われるという事だ。そしてそれは、仕方のない事なんだよ」
三百万という人間の死それを、仕方のない事だと佐山は言う。それはベルに対する信頼からなのか、それとも単なる盲従であるのかは、付き合いの短いアリスには測りかねた。
「そして、君のしている事にも意味が有ると信じているよ。在り得るかもしれないという第二の選択、その結果がどうなったとしても、僕は受け入れるつもりだ」
これに応える事は、アリスには出来ない。
佐山の知らぬもう一つの第三フェーズ。そのきっかけとなる『枝』。これを今完成させる事の意味を、この階層にて自分以外に知る者はベル・バルドル、そして三上しか存在しないからだ。
「ああ、だけどね」
緩く笑みを浮かべながら、佐山は私見を述べる。それは彼の言う、ベル・バルドル個人との付き合いの長さから生じた直感のようなものかもしれない。
「ほんの少し、ほんの少しだけれどね。君のそれが必要になる事を、会長が望んでいるような気がしている。だから僕も、出来ればそう在ってほしいと、そう思っているんだよ」
言い残して去っていく佐山の言葉の意味を考えながら、アリスは最後の作業に取り掛かる。
赤から青、そして赤銅へと変化した円柱状の弾頭は、何処か樹木の表皮の様に見えた。
そうして、このバルドルの根拠地にて。バルドルを殺すという枝、そのちっぽけな弾丸は完成したのだ。
「いや、気に入った!まっさかこの九界で、それもバルドルの懐で、あの会長をぶん殴るなんて大馬鹿野郎が居るとはな!」
「自殺にしてももう少し利口な方法があると思うがね。こうして今も生きているという事を考えると、やはり会長にとって君は、ただお気に入りの変異者というわけでは無いという事か」
あの後、騒ぎを聞きつけた保安要員に連行されて、行きと違いベルと違う車に押し込められてからは本社へと連行され、その勢いで押し込められたのは小さな一室だ。
視界の半分が歪んでいるのは、取り押さえられる際に好き勝手殴られ、蹴られたからで、抵抗もしていないのに顔面に加えられた警棒の一撃で、右の眼瞼から額にかけての大部分を大きく腫らしている事が原因である。腹なども結構蹴られたので、もしかすると何処かの骨にヒビくらい入っているのかもしれない。
「その辺は許してやってくれよ。本社の、それも会長の身辺警護を担当している保安要員は、特に会長に心酔している奴が多いんだ。まあ、さっさと射殺されなかっただけで良しとしとこうや」
「メディキット、では間に合わないな。ジブリールはまだか?」
「石上が呼びに行ってるよ」
揺らされた脳が原因なのか、ブレて二重の視界の中で、手錠をされて、椅子に座らされている今の状況は、なんだか刑事ドラマの取調室の様だとぼんやり考えていた。ならば目の前の二人は取り調べの警官か、いや拷問官か、それとも死刑執行人なのかもしれない。
「ああ、別に俺たちは怒っちゃいないよ。それどころか俺の方は、アンタをすっかり気に入っちまった!あの場では名乗ってなかったから改めて、俺は山城ドウケン。一介の破戒僧ってやつだ。よろしくな!」
「私はフェイ、ヤオ・フェイだ。特務にはもう一人ヤオが居るので、フェイで構わない」
よく見ると、彼らは俺を三上と共に迎えに来た特務の二人だった。八つ当たりじみた行動が殆どを占めた出会いであったから、印象は良くなかったのだと思うが、彼らには特に気にした様子の匂いは無い。
「特務で面識が有るのは石動と、穂高くらいだったろう。君の事は調査対象としても、石動の友人としても、色々とその活躍を聞いている」
「正直、眉唾だったんだけどさ、朝の一件と、会長の事で理解できたぜ。いやぁ、態度が悪かったのは済まなかったな。何せ社長の事は極秘も極秘で、皆ピリピリしてたんだ」
特に楽しそうな短髪の男、山城には悪いが、今は楽しくおしゃべりしている余裕は無い。それどころか今、どうしようもなく、何処かに消えてしまいたい気分だった。
「ああ?どうしたんだ、あんだけ元気だったのに、今度は随分しょんぼりしちまってさ。まあ、今更じたばたしたとこでどうしようもねーよ。一生とは是一切皆苦、思い通りに行かないのが人生さ」
「・・・確か、どうにもならない現実、って意味だっけ、それ」
「おお、分かるか。そうだ。俺はもう教えを捨てちまったが、三相によると全ての存在は無常、苦、無我と、期待できるほど素晴らしいもんじゃないから、あんまり執着すんなって教えだ。高く飛べば落ちる痛みは強く、下手をすれば命を落とす。お前さんの様子を見るに、どうやら会長に何かを期待して裏切られちまったみたいだが、最初からそんなモンが無ければ、傷つけられて苦しむ必要は無くなるって事さ」
期待、俺は期待していたのか。あの男、ベル・バルドルに。
そんな事あるわけないじゃないかって。マナに影響されて質の悪い映画の見過ぎだって、そう馬鹿にして笑い飛ばしてほしかったのか。
だから今、こうして現実を思い知らされて、体の痛みよりももっと苦しいのだと、心が痛いのだと、そう感じているのだろうか。
そして、この後に待ち受けている事実に、どうしても体が動かないと思うのは。
そんな事で、そんな事だけで俺のちっぽけな精神は散々に打ちのめされてしまったという事実なのだろう。
そう考えると、意味も無く。
「何なのだ、お前は」
「茶化すんじゃねぇ、フェイ。お前はちょっと黙ってろ」
視界が歪んでいるのは、腫らした顔のせいではない。
思えばきっと、この場に居るのがアヤナやアリスなど、親しい人たちだったのなら、こうする事は出来なかっただろう。
「・・・う、あ」
だけど、こうして。今、この場には知り合ったばかりの彼らしか居ない。だからこうして、カッコつける必要も無く、何時ものように強がる事が出来なくて、恥も外聞も無く、みっともなく涙を流す事が出来るのだ。
「辛いか、苦しいか犬野郎。いや、ベオ。察するにお前は、会長に何か裏切られたと感じていて、それがどうしようもなく辛くて、苦しくて仕方ないんだろう」
「・・・ああ、そうだよ。そうだよ!俺は期待してたんだ。俺の問いに、そんな事は無いって、否定してくれる事を期待してたんだよ!」
人の匂いなんて勝手に感じ取るくせに、自分の内心の吐露は、やはりどうにもみっともなくて。だからこそこんな知り合ったばかりの、山城という男くらいにしか出来なかったのだろう。
「ああ、そうさ。俺は、何だかんだ言っても、ベルの事が嫌いじゃなかったんだ。あいつとの妙な関係を、気に入ってさえいたんだ!それが、それがどうだ!あんな事を知ってしまったら、あんな事を直接、あいつの口から聞かされてしまったらもう、どうにもならないじゃないか!」
その出会いからまともでは無かったが、自分で言葉にしてやっと俺は、自分の感情を自覚する。
何時も急に現れて、こっちの事情なんてお構いなしにひっかきまわして、かと思えば意味も無く手助けしてくれたり、からかうような言葉の端には、何か考えさせるような意味が有った。それがムカつくが、嫌じゃなかった。だからこんな関係が少しでも長く、続いてくれたらと考えていて、それがそうでなくなってしまった事を想い知らされて、それが俺は、悲しくて、苦しくて仕方がないのだ。
「その感情は当たり前だ。普通の事なんだよ、ベオ。肉体の苦である生、老、病、死。そしてそれよりももっと苦痛を伴うであろう精神の苦。愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五取蘊苦。老人であろうが、小人であろうが、金持ちだろうが、貧乏人だろうが。それぞれに皆、悩みと苦しみを持つ。これは、けだものから人が分かれ、そしてその後も人である以上は避けられぬ、人そのものが抱え続ける宿業である。すなわち人生とは苦難の連続で、先の如く四苦八苦とのたうち回り、それでも足掻き、死するその時まで生きる事。そしてお前が得た今の想い、その全てが苦の表象であると、きっとお前は強く、そう識ったのだろうなぁ」
「ああ、そうなんだろうさ!ならどうなんだ、どうしろって言うんだ!手前は坊主らしいが、坊主らしく、そんなモノに拘らずに忘れちまえって言うのか。このまま眼と耳を閉じて、何もかも諦めちまえって言うのかよ!」
「そんな訳ないだろうが、馬鹿者」
言われて見上げると、山城は戦いの時に見せた粗野な表情でも、シズマに組み伏せられた際の不敵な様子でもなく。随分と穏やかに、何故か笑みすら浮かべている。
「坊主ではあるが、俺は破戒僧だからな。そういうのが嫌で、納得出来なくて御山を飛び出した。だからまあ、話半分で聞いとけよ。先に言ったようにな、人生とは基本的に辛く、そして苦しい。これが永ければ永いほどにその色は泥濘の様に濃く、重さも泰山の如くとなろう。特務の中でも俺は会長との付き合いは短いが、初めてあった時の事は良く覚えている。見るからに嫌味な金持ちの優男という風体で、発するその気魂。魂の質とでも言えば良いのか、本山の大僧正ですら小坊主と思える程の迫力が在った。そんなあの人がそう成り果ててしまったという事は、どれ程に困難な人生を生きてきたのか、俺などには感覚としてすら知り得る事は出来まいよ。まあ、そういう事情はきっと、お前さんの方が詳しいんだろうな」
ああ、そうだ。俺は知ってしまった。ベルがどれだけ険しく、そして他と比べられぬ程に永くを生きてきて。そして今、何をしようとしているのかも。
「瞬きのような只人の人生と比べて、聳え立つ険峻を往くような、そんな道のりを生きたんだ。その分あの御人が抱える苦悩とやらは、きっとこの世の全て、どんな人間よりも重く辛い、そして苦しいものだ。だが、俺の見るところによると、あの御人にそれを投げ出すそぶりはどうにも見えん。つまりベル・バルドルという人間は、人類最大の苦難を抱え、それでもなお、それを抱えたまま、己の欲する所を求め、何かを成そうとしている。これは言うならば、善と悪とは別にして、大いなる欲の成せる偉業であると、俺はそう観ているよ」
「・・・なら、俺はどうすれば良いんだ。このまま、何もせずに、その大偉業ってやつが達成されるのを、ただ見てろって言うのか」
「それこそ、会長と同じく、お前はお前の欲する所を成せばいい。現世という欲界に在って、それでもとあがき続けるはやはり人の業。しかし欲とは力の根源、何かを求める、之を願い続けるという行為は、人間と不可分の業にして、その一生をかけて果たすべき行である」
欲と、願いとはつまるところ同じであり。それを求め、あがき続ける事が人の人たる要素であると、ならば俺も、その求める所を成すべきなのだと。そう山城は言う。
「そして、そいつがどう転ぶかは、実際に行ってみないと分からないものだ。外から見た様子はともかく、ベル・バルドルは自分の欲する事を成そうとしているだけだと、俺は先程言っただろう?それをお前が悪しき欲と思うのなら、之と相克するお前の欲とは何だ。お前の求める、お前の守るべき正義とは、そしてお前の一番に欲する所とは、その果たすべき願いとは、一体どんなものなのか。その答えは、お前の胸の内に確かに在る筈だ」
俺が欲する所、その願い。最終的にそれは今、ベルと争う道へと繋がっている。
ならば、俺は。これからどんな苦痛が、悲しみが待っていたとしても、それと向き合い、抗わなければならない。でなければ、一番の俺の欲であり、その願い。
俺の守りたいと想っている全てが、消えて無くなってしまうのだから。
「・・・結局、どうあってもあいつの事を、俺は止めなきゃならない。それだけは、間違っちゃ、ならないって、それだけは、間違いじゃないって、そう分かってる」
「おう、そうか。それがお前の欲する所で、心から求める願いの答えであるというのなら。その結末がどうあったとしても、俺は賛同は出来なくても、応援くらいはしてやるさ」
そう言って頷く山城には、あの戦いの場と同じように巨像の姿が滲んでいるようだった。よく見るとそれは、何か、威厳と穏やかさを兼ねる、まるで古くから伝わる、仏像のそれと幻視する。
「仔細は分からないが、偶には僧侶らしい事を言うのだな、山城。殆どバルドルに対するテロ行為の教唆のようにも聞こえたが」
「生意気を言うな馬鹿、俺はお前より年上だぞ。それにな、どんな時でも目の前に迷い彷徨う衆生が有ったのならば説く事は、御山を出た後でも続けている数少ない己に課した行でな。更にそいつが、将来有望そうな大馬鹿野郎なら猶更だ。まあ、フェイの言うようにこれから敵対する事になったとしても、今はまだそうじゃないだろ?」
「ああ、そうだな。おかげで少しすっきりしたよ。お坊さんと話した事は初めてだが、案外良いものなんだな。ありがとう」
「がはは、素直じゃねぇか。善し、善し。しかし、お坊さんときたか。まあ、偶にはこういった事もしなくちゃ、付いてくれている明王さんにも悪いからなぁ」
その話が終わるや否や、勢いよくドアが開いて女が二人部屋へと入ってくる。
一人は健康的な褐色の肌に、輝くような明るい金髪。可憐さよりも生命力というか、女性に言うのも何だが男前寄りな美しさから気の強そうなそうな印象を受けるが、その姿に記憶はなく、多分面識はない。
もう一人は黒髪に、白く映える肌は日本人形を思わせる端正な顔立ちの、少女とも呼べる年頃だ。彼女はもしかすると、オルターとの一件でベルが引き連れてきた護衛の中に紛れていたかもしれないが、やはりその印象は弱く、会話した事などは無いだろう。
「うん、アンタがベオだな。シロウから話は聞いてるぜ!」
「あ、もしかすると君が、イリヤって娘か」
「そうだよ。アタシがシロウの良い人、イリヤ・ジブリールさ。彼が世話になったってのはアタシも聞いてる。その礼って訳じゃないが、今からアンタの傷の手当てをさせてもらおうと、って。なんて顔してるのさ、トウカ」
見れば、勢いよく情報量の多い挨拶をしているイリヤの隣で、驚愕したように硬直して、俺を指さし、凝視しているトウカと呼ばれた女。
「何、これ」
周囲の反応を見ても、それが何時もの彼女からかけ離れた様子であることは俺にも分かる。その彼女は、やはり俺を凝視したまま、他の誰かに答えを求めるように重ねて尋ねた。
「これは何、いえ、誰?」
「誰とは何だ?彼はベオ、ニヴルヘイムからの客人だ。お前も知っているだろう」
「いいえ、違う。全然違う。少なくとも四月に視た時とは、まるっきり別物」
彼女自身、信じられないといった様子で、この場の誰もが、当の本人である俺でさえ持たぬ答えを尋ねて問う。
「もう一度聞く。この金ぴかは、一体誰なの?」




