商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか③
「早速出かけよう。今日は色々と見て回るところが有るんだからさ、君も仕事をしっかりこなさないとね」
言われるがまま、装備などから高級車ではあるのだろうが、思ったより普通の外見の社用車に乗り込んで、これからの予定に有った視察へと出発する。九界は全てがバルドルの所有物と言っても間違いではないので、視察先も多様というか、かなりのバリエーションに富んでいた。
主にバルドルの傘下、関連企業が軒を連ねる本社周囲から始まり、下層で製造された部品類の組み立てや、特に精密な製造を行う先端技術工場など、二百万人が生活するに当たって、こういった大規模な雇用を捻出する為のエリアも必要なのだという。
「この辺りは元々の各階層に点在していた建築や設備をそのまま使っていてね。逆に次のエリアは新たに拡張された空間が大きく占めているから、目新しい物が多いよ」
それらの人々が日々の暮らしを営む住宅エリアには、ニヴルヘイムのファーストすら霞む程に整理、整備された高層住宅が並ぶ。近隣には憩いの場として、広大な面積の公園やスポーツ施設が点在し、教育施設も小児から大学までと幅広い。ベルの説明に有ったようにどれも真新しく、其処で生活している人々は皆楽し気に、誰もがこれから始まる新たな生活への期待に溢れた匂いで満ちていた。
「そして、商業区は特に力を入れていてね。一生過ごしても廻りきれないをコンセプトに、自社だけでなく、多種多様な外部企業からの受け入れも行っているんだ。ショッピングモールには併設してオペラハウスにミュージアム、建設途中だが、テーマパークも近日オープンの予定なんだよ」
数時間後、視察の予定としては最後という商業エリアへと車は到着する。
事前の通達が無かったのか、ベルの立場を考えると当然と言っても良い派手な出迎えは無く、距離を取って周囲に展開する護衛達の存在は有っても、殆ど俺とベルの二人きりといった様子で。視察というよりは散歩でもするように、ふらふらと歩きまわるベルの後に従って俺も歩き出した。
よく見ると店舗などで働くスタッフの姿は在るが、一般の利用客は何処にもいない。ベルはとんでもない有名人なのでちょっとしたパニックでも起こると考えていたが、事前に人払いが行われていたようだ。訓練されたスタッフは俺の頭についてどうこうと言ってくるのも居ない様で、少し妙な気分になってくる。
ニヴルヘイムと比べて、何もかも洗練されている全ては、何処か異邦の街の風景を幻視する。
目の前の全ては皆新しく、光輝いていて、こんな状況なのに少し見惚れてしまった。そうして、俺の様子を面白そうに、からかうでもなく、横目で眺めているのはベルであった。無視しても良かったが、そんな事がやけに気になるのはこの後に控えているであろう時を間近に感じているからなのだろうか。もしくは、俺自身の性質に原因が有るのか。
「まあそんな事は気にするだけ無駄だよ。君も食べるかい?」
「・・・ああ」
反射的にそう答えて、差し出される淡い色のアイスは、齧ると冷たく、少し酸味が強い。こういったものに余り詳しくはないが、材料はベリー系の果実だろうか。
素朴で、人工甘味料独特の分かりやすく鋭い甘さは無い。けれど何処か、何故か良く知っているような味がする。
「うまいよ」
「うん、これは僕が昔よく食べていた味を再現させたものでね。随分と古い味わいで、最近の子にウケるか分からなかったが、口に合ったのなら良かった」
そうして、その間にどれだけの時間が流れたのか。
ちょっとしたテラス席に腰掛けてからの休憩は、実際は数分くらいだったのだろう。けれど俺には数時間にも、丸一日にでも感じられるくらいに長い時間に感じていた。
その沈黙を、腹が立つことに心地よく感じている。だから、自分からそれを終えたくなくて、俺からは何も言えなくて。その時間に終わりを告げたのはやはり、ベルの方から。
「あの夏の後、しばらく猶予は有ったと思うけれど。このタイミングでの開示と考えると、月夜見君は律儀に盟約を守ってくれたようだ。勝手をやって失敗したのはともかく、それだけは、感謝しなければならないね」
気が付くと、只でさえ少ない、この場に在った他の人間は皆何処かへ消えてしまっていた。つまり、この空間には今、俺とベルしか存在していないのだ。
「それで、聞きたい事が色々あるだろう?いい機会だから、その頭の中で迷子になっている思考を吐き出して、疑問を解決すると良い。今なら特別に、ある程度の質問に答えてあげても良いよ」
向かい合い、投げかけられる視線。距離にしても目の前の小さなテーブルは無いに等しく、一息で間合いへと迫れる距離。互いに同じ条件であるが、立場は明確に隔絶している。
片や世界一の企業グループの会長。絶対の権力者、文字通りのこの九界の王。対して、俺はその一階層でささやかに、ごろつきどもを相手にその日暮らしの探偵。
その互いの関係が最初から虚飾であって、コイツと俺が、この地球上他にない、唯一の因縁で結ばれた存在であるという事を知ったのは、つい数日前の事だ。
聞きたいことは山のように多い。だから一先ず、最も気がかりになっている彼女の存在について尋ねる事にする。
「アリスは無事だな?今は、バルドルに居るんだろう」
「うん、怪我一つなく、今も佐山君の下で自分の研究に励んでいるよ。そもそもバルドルはそれを強制していない。彼女は自分の意志で、此処へとやってきたのだと君も分かっているだろう」
一つ、懸念は解消される。それがベルの言うように自ら進んでか、何か理由が有ってかはまだ分からないが、数日前から書置きだけを残して、ちゃんとした安否が不明だったアリスの無事が確認出来た事は何よりだ。
さて、では。このまま遠回りしていても仕方がない。そろそろ、本題に入ろうか。
「お前が、バルドルが九界を造ったってのは本当なのか。『黄昏』ってやつを、どうにかする為に」
「ああ、そうだよ。そもそもバルドルはその為だけに在った企業だ。必要なモノは全て、バルドルを使って、時間をかけて準備した。協会を抱き込んで異界構築の基礎理論と術式を用意して、神樹同盟と交渉して神樹の株を分けてもらい、日本と米国を懐柔して、生きた住人が存在する土地を確保した。最後に僕が主導し、十年前に大異変をきっかけとして発生させた人造の異界、それが九界の正体だ」
音も無く立ち上がる。ゆっくりと、ベルの方へと歩みを進める。この場に俺を阻む者は、当のベルを含めたとしても存在しない。
「大異変で、当時其処に居た人達は何人死んだ?」
「おおよそだけど、十万人前後って所かな」
「ならその混乱の後の救助活動や復旧事業とやらも、自演自作に含まれてたって訳か。律儀にバルドルに恩義を感じている浅木や、他の奴らにはとても聞かせられないな」
「それは別にアピールとかじゃないさ。単純にまだ、其処に彼らが居てくれるという事が、必要だったからね」
一歩、また一歩と近づいていく距離。これが彼方程遠く感じているのは俺とベルとの立ち位置が原因なのか、それとも俺が、その結論に至る事を無意識に恐れているからなのか。
「・・・アリスの母親を、ソフィアさんをニヴルヘイムに招いたのはお前だな。あの後どうなってしまうかを分かっていて、それでも彼女の好きにさせて、放っておいた」
「ああ、そうだ。一つ訂正させてもらうとすると、九界に密航してきた時点で彼女は壊れていた。何処でどうあったとしても、似たような結末を辿る事は避けられなかっただろうね。だとすると、造りものとはいえその娘が生き残った事は、彼女にとって少しはマシで、幸運な最期だったんじゃないかい?」
「ナノハとジョーが失踪した後、ニザヴェリルに潜伏していた事は直ぐに分かっていたんだろう。二人があんな穴倉で苦しんでいると知っていて、どうして直ぐに救出しなかった。あいつらはただ善良で、未来に希望をもって九界を訪れた、バルドルにとっても有益な人材であった筈だ」
「それもその必要が有った、としか言えないねぇ。まあ、二人とも今は無事だからどうでも良いじゃないか。君の言うように加賀美君は有用な存在だし、今後の生活の補償も不自由ないよう、十分に取り計らっている筈だよ」
その言葉に足が止まる。それでも、ベルに問う言葉は止まらない。
「ヴォルコフがバルドルに対して謀反を起こそうとしていた事を本社は把握していた。その上でやはり放置して、意味も無くニヴルヘイムの変異者の虐殺を許したな。一歩間違えればあのままパズズは開放されて、その軍勢によってニヴルヘイムは壊滅する恐れがあった」
「それも結果論だよ。まあ、芽を出すならヴォルコフくんという予感は、あの子が幼い頃にその父親に連れられて、初めて挨拶にやってきた時からしていたよ。傅く事に喜びを感じていても、何処までも内に秘めた野心と畏れを捨てられない、彼はそんな、不器用な子だったからね」
「・・・所長が、マナが俺を連れて出奔しようとした時に止めなかったのは何故だ?それだけで、計画が破綻してしまうような大事だったんだろ」
「それは月夜見君の勘違いだ。今の時点で、僕の計画は完了していると言っていい。その後はおまけで、月夜見君がベオと失踪したところで、今更というか、そんな事は割とどうでも良い事なのさ。月夜見君が大見得切って出てった癖に、最終的に二人とも揃って出戻りになってしまった事には、ちょっと笑ってしまったけれどね」
思い切り、最後の隔たりであった小さなテーブルを蹴り飛ばす。ベルと俺の間に在った物はそれで無くなり、最早少しも在りはしない距離の歩みを、俺はゆっくりと再開した。
「結局、あの巨人どもは一体何なんだ?何のために現れて、何を成そうとしているんだ」
「彼らは黄昏の前触れだよ。まあ、どれもこれもそんな事を自覚していない、頭数さえ確かならどうにでも替えの利く、安い役者に過ぎないがね。ああ、それでも放置していたら間違いなく多くの命を奪っていただろう。だから、君や、君たちのした事にまるっきり意味が無かったわけじゃないぜ」
「結局、黄昏ってのは何なんだ。そいつは、何をしようとしている。何がこれから、この九界に起きようとしているんだ」
「その辺は月夜見君に聞いていないのかい?まあ、そうだね。黄昏っていうのは簡単に言えば、どうしようもないおせっかいなやつだよ。それでいて、人類にとって都合のいい、とても優しい、終わりをもたらす存在、人の終わりの物語に感染し、それを再現する存在。つまり終焉の収穫と再現装置、『終焉収穫再現体』とでも言えば良いのかな。他に類するモノは存在しないから、上手く表現できないけれどね。僕はこれを、現在の形態から黄昏と呼んでいる」
俺にはやはり分からない。そんな事を語りながら、随分と楽しそうに嗤っているベルの何もかもが。
「さて、終焉を収穫し、再現するだなんてそんな存在が。これからこの九界にもたらそうとしている結末は、君にでも容易に予想出来るんじゃないかな?」
「さあな、考えたくも無いさ」
そうして、改めて歩き出した俺は、ベルの前に立つ。
ベルは変わらぬ様子で此方の問いを待っているだけで、俺が問わなければ何も答えはしないだろうから。だから、それについて訪ねる事にした。
「俺の実際の年齢なんだが、一歳ってのは本当なのか」
「うん、そうだよ」
これに対する衝撃は少ない。事前に聞かされていたし、ちょっとした確認の為の作業でこれから問う事に比べれば小さなことだ。
「・・・お前はこれからこのヴァルハラを、其処に暮らしている二百万の人間を」
「ああ、そうだ」
こんな時ほど、この男の匂いを感じ取れない事を苦々しく思った事はない。何処かで俺は、今までの問いの全てを、そんな事あるわけないじゃないか、だなんて、ベルが笑って否定してくれる事を期待していた。
それはつまり、なんだかんだいっても、俺は。何時も何を考えているか分からなくて、悪魔の様に痛いところを突いてきて、悩む此方を面白がってへらへらと軽薄にからかってきたと思えば、少し考えてしまうような一言を言ってきたり。ふと気が付くと、此方を見ながらなんだか良く分からない笑みを浮かべているような、この男の事を。
本心から嫌いでは無かったのだと、そう自覚していたからなのだ。だから。
「僕はね、ベオ。このヴァルハラに一まとめにした二百万の人間どころか、君のふるさととも言えるニヴルヘイムを含めた、下の階層で生活している全てを合わせて、約三百万人。それらをきれいさっぱりと、これから誤解無く皆殺しにしようとしているんだ」
もう何も分からない。解りたくも無いと、そう言葉にすることも無く。返答の代わりに、俺は目の前で薄く笑顔を浮かべてそう言った、ナニカの顔面を殴りつけた。




