商人はその永き旅の果てに求めていた安心を得る事ができるか②
「会長、本日のご予定ですが」
「うん。各界層総督の報告会はこれから、ヴァルハラ総督との会食はその後、昼からは夜まで開発中の新エリアの視察。そして最後に19時にはビフレストの試験運用を兼ねる、九界全体へ向けた記者会見、だったね」
「はい。拙は外界で日本政府との調整の後、そのまま各国支社長のオンライン会議に出席予定です。記者会見までには本社へ戻る予定ですので、それではベオ様、よろしくお願いいたします」
「ああ、一応これも仕事だからな」
彼女もたった今戻ったばかりだと思うのだが、上のモンが道楽だとやはり苦労するらしい。
三上はそうベルと俺に告げると数人を引き連れてフレスベルクへとまた乗り込み、これから外界へと移動するのだという。
「じゃあ、僕たちも行こうかベオ」
ベルの促す声に、俺は内心はともかく一応素直に頷いた。
三上への返事のとおり、四月の取引によって一度だけ拒否できないとされていたベルからの依頼とは、本日一日、ベル・バルドルに同行し、その護衛に就くといったものである。周囲には俺の他にシズマを始めとした数人の手練れに秘書など護衛など必要が無いとは思うが、それが依頼だというのなら仕方ない。契約に従い、後へと続く。
向かう先は別フロアの会議室の様な場所で、内部は他と違って調度品や装飾もなく、最低限の椅子とテーブルのみと殺風景だが、ベルがその席に着くと同時に部屋の明かりが落ちて、間も無く数人の人影が浮かび上がる。どうやら、これは最新の立体映像装置か何からしい。
『会長、お疲れ様です』
「ご苦労様、悪いけど手短に報告を頼むよ」
現れた影は五つ、その一つ、彼女には見覚えがある。此方に気が付くと、小さく微笑み会釈をしたのはニザヴェリル総督、鷹野トウコであった。
とすれば事前に聞いていたように他も同じく、各界層を治めるバルドルの総督なのだろう。残りは男が三人、女が一人。何人かの姿はニュースか新聞かで目にしたことがあるような気がする。
『それは良いが、会長。社外秘の重要事案を決定するこの場に、どうにも部外者が存在しているのではないかね?』
『ええ、その変異者は誰です?装備と、身なりから見ても、エインヘリヤルの新顔には見えませんが』
愉快そうに尋ねた男は老境に入った頃合いに見えるが、その眼は全く笑っておらず映像越しでも明確に解る程に鋭い。外見もそのまま、例えるなら歴戦の侍といった様子で、からかうような物言いだが、多分俺を何者かと見極めようとしている。
それに続く女は年齢でいえばトウコより上、中年の手前といった所であろうか。年を経ても衰えていないだろう美貌に、その所作から社会的地位は高いが、性格はどうだろう。明らかにこの犬頭を見て不快そうな様子であった。
『事前に通達があった筈ですよ。彼は会長の客人であり、私の身内で確かな人物です。不要な詮索や、礼を欠く言動は慎んでいただきたい』
『へえ、じゃあ彼がヴォルコフを殺ったっていう変異者か。聞けば月夜見の子飼いらしいけど、こんな所に居るって事は、会長の方に宗旨替えでもしたのかな』
『フェリオに皆、少し落ち着きなさい。では会長、彼が』
先の二人を抑えるトウコの言葉に面白そうに笑うのは、発する言葉が滲ませている老獪さと反比例して、どう見ても子供にしか見えない。何か新しいおもちゃでも見つけたような様子は、そのアンバランスさを更に強調している。
そして最後に場を治めて会長であるベルを伺う最後の男が五人の中でもっとも普通に見える男で、何処かで俺の存在を知っているのか、悪意無く純粋に、興味深そうに此方をのぞき込んでいる。何故だかその視線は、この場においてトウコ以外では唯一好意的なものに思えた。
「うん、これがベオだよ。まあ今、これの存在はどうでもいい。変わった置物とでも思って、報告を始めてくれるかい」
軽く手を振ってベルは促すが、総督の内何人かはまだ納得のいっていない様子である。
『・・・ですが会長、やはり問題が有るのでは』
『口を慎めベアトリス。会長が良いとおっしゃっている』
『ひどいねクロウ。君が言いがかりのきっかけを作ったくせにさ』
『はあ、では僕から。三界層統合後の影響ですが、大きな問題無く経過しています』
「魔素濃度の移行はどうかな。規定値で収められているのかい?」
『全て許容範囲で推移しています。問題なく、次のフェーズへ移行できるかと』
「うん、いいね。では他界層の報告を聞こうか。ではヨトゥンヘイム、ハーヴェイ君」
『はい、会長』
後に続けて各界層の報告というのが目の前で行われる。情報漏洩を心配されていてなんだが、専門知識のない俺には何のことだかさっぱりだ。時間にして三十分程だろうか、その報告会が終わると、各々にベルに挨拶を述べて映像は減っていき、最後に残ったのは一人。最初に報告を終えた後はベルと共に他からの報告を吟味し、時折言葉を交わしていたあの、俺に対して親し気な男だった。
「では佐山君、後でね」
『ええ会長、その前に少しよろしいですか?』
尋ねると改めて、映像越しにではあるが、佐山と呼ばれた男は俺に向き直った。
『ええと、自己紹介が遅れて失礼したね。君にとっては、一応初めましてになるのかな』
笑顔を浮かべ、この場に居たのなら握手の手でも差し伸べるように男が名乗る。
『僕は佐山、佐山コウゾウ。本来は一介の研究者なのだけれど、階層統合後からは分不相応にこのヴァルハラの代表総督を任されているんだ。君の人柄や活躍については加賀美君や、オーガスタ君からよく聞いているから、初対面という気がしないなぁ』
どうかよろしくね、と親し気に結ぶ、自然で穏やかな笑顔にはきっと悪意はない。しかしそれが俺の不機嫌を更に斜め上へと押し上げている事に彼は本気で気が付いていない様で、対して面白そうにニヤつくベルの事を殴りつける事を、俺は必死に抑えていたのだ。
「さて、これからの事だけど。皆、それぞれの役割は分かっているね」
統合階層都市ヴァルハラ。一つの国家とも呼べる大規模階層の玄関口、ユグドラシルターミナルは行きかう人で溢れ、流れから逸れるように通路の壁に佇む月夜見マナの小さな呟きに耳を傾ける者の姿は見えず、独り言のような音は間を置かず人ごみの雑踏へと紛れていく。
「うん、アキトはそのままマグノリアさんと共に個別空間内で待機、合図を待っていて。鷹野くんは、君の表向きのスケジュールをそのままなぞってくれていたらいい。予定では」
ふと見上げると、定期便利用者の為の大きな時計の針が、丁度正午を差して、緩やかに楽し気な音楽が奏でられ、ホログラムの人形たちが空間に投影、ちょっとしたショーの様に踊り歌っている。
時期としては十二月。もう間も無くクリスマスというイベントを控えた今、通常の演目はサンタのショーとなっている筈であったが、正午ちょうどのショーだけは、その趣向からは外れていた。
「大きな動きがあるのは、今夜の会長記者会見の場だろう。それまでは、ベルもベオくんに対して何かをする事はないだろうからね」
くるくると踊り続ける人形。演目は、遠い国のかみさまのお話。
あるところに、黄金の様に輝く、とても美しくて立派な神様がいました。他の何もかもはそんな彼を愛し、すべての存在は、彼を傷つける事が無いようにと違える事の無い約束をするほどに。
幸せは永遠に続き、それと共に彼もまた、永遠に存在すると、誰も疑う事はありません。
「いいかい。最優先は、バルドル本社ビルの何処かに存在する、開発局の秘密研究所に居ると思われるアリスちゃんの安全の確保。後にベオくんと合流してからセーフハウスに一時退避、バルドル側の反応を見る」
けれど、例外は有るのです。幼く、小さな例外が。
誰もが取るに足らないと、こんなに小さな存在が、これ程に美しく、立派な神様を傷つける事なんてできる筈が無いと考えてしまった、そんな小さな小さな例外が、全ての終わりの始まり。
「そうだね、想定された最悪が現実になってしまった場合。ベルが、『ラグナロク計画』フェーズ3の実行を宣言した時点で、第二目標を設定、各自全力でこれを遂行する。うん、うん」
だけど、このお話は誰も知りません。存在していた事すら失われた、神話が終わる物語。一つの世界が終焉へと向かう、始まりの物語。
「ああ、そうだ。私たちはこれを達成しなければならない。このバルドルの本拠地で、この九界の王、ベル・バルドルを無力化する。それが第二目標にして最終目標、ベオくんを唯一失わない為の方法なのだから」
演目の第一幕は間も無く終わる。役者の人形たちはお辞儀の後に退場し、最後に第二幕の主役となる小さな存在、そのちっぽけな『枝』が放物線を描いて飛んでいき、音も無く床に吸い込まれる様に消えた。
見惚れた者たちは遅れながらも拍手と喝采を送って、虚像のショーは終わる。
「いや会長、流石の腕前ですね。このテリーヌは本場でも中々、シェフも教えを請いに来るほどでしょう」
「殆ど自己流でレシピも適当だから再現性が無いのが難だけどね。君がそういうのなら、今日は当たりだったかな、うん」
「ははは、ご謙遜を。ベオ君もどうだい?こうやって会長が腕を振るってくれる事は珍しいんだ。君は運が良いなぁ」
数十人は収容できる一フロア丸々の広いレストランで、食卓に着いているのは俺とベル、それからヴァルハラの総督と三人しか居ない。他には給仕と護衛、シェフなどスタッフが動き回っていてせわしない事だ。
「うん、旨いよ」
見るからに高級そうな食器、緻密な文様のテーブルクロスから、壁を飾る何だか見た事のある絵画。床を埋める大理石まで、全てが一流の品で囲まれた空間であまり緊張しないで済んでいるのは、他に心配事があるからなのか、初対面の佐山という男はともかく、ベル自身がいつもと変わらない態度で居るからなのか。
フレンチのコース料理などは食べた事が無かったが、何処かなじみ深い味に思えるのはその構成が家庭料理に寄っているからなのだと説明するシェフは言っていた。しかもテリーヌやポタージュなど、作り置き出来る幾つかはベルの手作りというのだから流石に少し驚いたが。
時折佐山が話を振る他は、珍しい事にベルからは何も言わず、時折此方を眺めるだけである。俺としては聞きたいことが有ったが、ベルの返答と、状況によってはこの場で大乱闘となる事も考えられたので、今他を巻き込む事を考えると、今切り出す事は躊躇われる。
「・・・はぁ」
いや、結局は結論を先延ばしにしているだけだ。それを自覚しているから、情けなく思いつつもそのタイミングを見定めている、と自分に言い訳している。
それは、自分自身がまだ混乱しているという事なのだろう。
数か月前、夏の終わりの事件の後、約束していたマナの知る全ての情報の開示。これが行われたほんの数日前、今が最良にして、最後の機会なのだと明かされたこの身の事実と、これからの事。それが余りにも大きすぎて、自分としても体裁を保てずに随分と周りに迷惑をかけたものだ。
その余韻か、朝に迎えがあった時などは三上に余計な事を言ってしまい、あの山城という特務との間で、要らぬ騒動を起こすという失態。
「さあ次だ。腹ごなしにちょっとドライブと行こうか、ベオ」
一人ぐるぐると思考を迷わせていると、食事を終えたベルからそう声を掛けられる。佐山は別件があるとかで、忙しそうに去っていった後だった。




